①自分自身がチャレンジした事
自分の一番苦手分野に意を決して、挑戦しました。
(今だに、苦手意識を払拭出来ない状態ですが…)
機械との相性悪く、機械音痴な私が、デジカメに買い替え、パソコンを娘と共に、習い始めました。
息子が交流に使う、自己紹介アルバムと、名刺作りのために…
それから、パソコンに慣れるように、、できるだけ、文章を打つ練習ができるように、ブログの立ち上げをパソコン教室の先生に勧められて、現在のこのブログの存在があります。
ちょうど、1年前の今日、8月の第2金曜日、素敵な褒め言葉を頂きました。
息子(当時小6)がロシアから帰国して4日目、一緒に行った仲間達5組が集まって帰国報告会を親子で語り合った帰り道での出来事でした。
駅のロータリーの木にとまる蝉の鳴き声に耳を傾け、真剣に蝉を追い続ける息子。
そんな様子をニコニコな表情で、見守ってくれていたお腹の大きな若いお母さんが、私に話しかけてくれました。
「こんなに、キラキラした目をした子どもらしい小学生、初めて見ました。なんか、
とっても安心して嬉しくなりました。
私、団地に住んでいるんですけど、近所の小学生の覇気のない顔を見かける
度に、今は小さくて可愛らしいうちの子も、小学生になったら、ああなっちゃうの
かな?と心配してたんです。でも、今日、ぼくを見て、アア、大丈夫だ!と希望が
持てました。会えてよかった!」
普段から私も電車の中で、駅のホームでの待ち時間とかに、良い物、良い行い、良い人を見つけると、自分が感じた嬉しい気持ちを、初対面でも関係なく、話さずにはいられなくなって、すぐに話しかけてしまった逸話、数え切れず…あったんです。
そんな私が逆に、息子を褒めて貰えて、本当に嬉しかった!
言って貰ったあとに、私も、
「始めて会ったのに、声をかけていただけて、丁寧にお気持ちまでも、伝えてく
ださって、こちらこそ、本当にありがとうございます。お会いできて良かった!
お話できて良かった!とっても嬉しかったです。」 と話しました。
こんな風に話せる、しっかりした若くて明るいお母さんに、育てられる赤ちゃんは幸せ!日本の未来も、まだまだ、希望が持てる! 期待が込み上げた一日でした。
ことばのキャッチボール
① 7.23、ロシアのウラジオストックの空港に着いて、関西空港から来る千葉以外
の全部43人を待っていました。
そうしたら、ハエが来たので、ぼくが、虫よけスプレーをハエが来ないように、か
けようと思ったら、出ませんでした。
そして、ぼく達を出迎えてくれたロシア人の内のお兄さんが、隣に座っていて、
その人が親切に、虫よけスプレーが出るかどうか何回かスプレーをカチカチやっ
てくれました。
そして、出るとわかったので、かけようとしたら、また出ませんでした。
そして、またお兄さんが、今度は、親指で押したら、一回で出ました。
ぼくは、お兄さんがやった通りに、親指で押したら今度はちゃんとに出ました。
その後、ぼくは、トイレに行きたくなったので、お兄さんに、
「グジェ トワリェット?」 (トイレはどこ?)
と、聞いたら、ジェスチャーで案内してくれた。そしたら、ジタンがトイレに来た。
② ぼくが、昼ごはんを食べている時に、(猫の)トムが、お腹をすかして、台所に
来ました。
そして、トムがマーマチカに、エサをねだりました。それを、ぼくが逸早く気付い
て、マーマチカに、
「トム、ヤトージェ クーシェ」 と教えてあげたら、
マーマチカは、
「フフ」 と、相づちを打って、トムにエサをあげました。
③ お腹をこわした日の次8.2の朝起きて、部屋を出たら、マーマチカがすでに、
起きていました。
そして、ぼくに、
「カクジュラ?」 と言って来ました。
それで、ぼくは、
「ハラショ」 と言って、準備体そうの一部の、しんきゃくで、元気だってことを、
ボディーランゲージで、表しました。
そうしたら、マーマチカは、うれしそうに、
「フフ」 と、相づちを打ちました。
④ ぼくが、PSPでトムとジェリーを見ていました。
そうしたら、パーパチカが、ぼくのことを呼んだので、部屋を出たら、パーパチカ
が、ペリメニを指さして、
「ファイザー、魚のペリメェーニィー ブーシュ?」 と言いました。
それで、ぼくが、
「ニェット」 って、言ったら、
「パチム?」 とパーパチカが、言ったので、
ぼくは、
「ニーリューブリュー」 って言ったら、
パーパチカは、
「ダバイ」 と言って、
ぼくを、いすに座らして、魚のペリメニをぼくに一つ食べさせられました。
全然ホームシックにならなかった。
と、言うよりも、もう一週間ぐらい、ホームステイしてたかった。
ちなみに、日本のマーマチカは、ファイザーシック だったとさ。
8.1にぼくが、下痢した時に、実の息子のように
パーパチカがすっごく、心配してくれた時。
マーマチカは仕事で家にいなかったので、パーパチカがかわりに面倒見てくれた。
ちなみに、マーマチカは、仕事に出かける前に、ぼくに熱がないか、おでこに手を当てて、心配してくれた。その時ぼくは、マーマチカの手がつめたく感じたので、マーマチカは、たぶん、ぼくに、すごい熱があるのかと思っただろう。
で、そのあと、パーパチカが体温計を持ってきて、熱をはかってくれたら、37.9℃だった。ジマも心配してくれた。
次の日は、ホームステイをしているホスト達が全員集まる、ピクニックの日でした。
パーパチカとマーマチカとジマとバーブシカ(おばあちゃん)まで来て、みんなが心配してくれたのと、新ビオフェルミンSのおかげで、一日で治った。それで、次の日のピクニックは、楽しく元気に過ごせた。
ヤーブロチネィ ソーク…りんごのジュース
ジマがぼくに、りんごジュースが飲みたい時は、
「ヤーブラカソーク、ニェット、ヤーブロチネィ ソーク」っておしえてくれた。
実際に、ピクニックの時に、他のホストのマーマチカに、
「ヤハチューピーチ、ヤーブロチネィ ソーク」って言ったら、
「マラジェ!」とほめられた。さらに、おかわりしようと、
「イッショーラス」と言ったら喜んだ。
ブーシュ
パーパチカがぼくに、
「マラコー、ブーシュ?」と聞いてきたり、また、
「ペルメェーニィー ブーシュ?」と聞いてたので意味はたぶん、
「~いる」だと思う。
フー
ぼくがジマの前でおならをしたら、
ジマが
「フー、ファイザー~!」って言ったので、ぼくもジマがおならしたときに、
「ジマ、フー!」と言いました。
パシリ…行こう
ぼくが、水族館でかにをカメラの動画モードで撮影していたら、パーパチカが
「ファイザー…パシリ!」って言ってた。
カカシュキ…うんこ
ジマに
「ロシア語でうんこは何?」って聞いたら、
「カカシュキ」っておしえてくれた。
ちなみに、カカシュキのシュキだけぬいて「カカ」にすると、スペイン語
(チリでは)で同じように、うんこという意味になる。
ニナーダ
ジマの家で、昼間、ぼくが猫のトムを触ろうとしたら、パーパチカが
「ファイザー、トム、ニナーダ。トムは寝ます!」と言ってきました。
ハチュー(~したい)→ニハチュー(~したくない)
リューブリュー(~が好き)→ニリューブリュー(~がきらい)
だから、「ニ」が前につくと否定語になるから、
ニナーダにも「ニ」がついたから、否定の意味で、
トムに触っちゃいけないんだなと思いました。
それで、ぼくは、パーパチカがトムと遊んでいる時にぼくもトムと遊ぶことにし
ました。
モージナ
日本でジマがよく使ってたけど、ロシアに行ったら、マーマチカが、ぼくの
自己紹介ファイルを見たい時に、
「モージナ?」って言ってた。そして、ぼくは、
「ダー、モージナ。」って言いました。
ガリアーチ…熱い
ぼくが、チャーイスマラコーを飲もうとした時に、
「熱い!」って言ったら、ジマが
「ガリアーチ」って言ってた。
ロシアから帰って来て、ロシア語のテープを聞いたら、ロシアで聞こえた、ロシア語が、たくさん聞こえて来た。
例1…フー
テープでソノコがコンバインに乗っている時に聞こえた。
例2…ニナーダ
ソノコが帰国する準備をしていて、マーマチカに、パスポートは?と聞かれて
いる場面で聞こえてきた。
ホスト: ジマ 14才 M 日本で言えば、中学3年生 身長160cm 体重50kg
タイプ…去年、日本のぼくの家に来てた時は、すごいわがままだったけど、ジマの家
では、そんなことなくて、少々いたづらっ子だった。日本語が上手。
好きな物…パソコンゲーム・パソコンでDVDを見ること。・プール・スイミング・ポテト
チップのプリングルス・コーラ・マシーナ(車)
きらいな物…マラコー(牛乳)
食事で、コーンフレークまたは、チョコボールが出た時に、牛乳にひ
たさないで、ポテトチップを食べるみたいに、コーンフレークをパソコン
でDVD見ながらポリポリ食べていた。
日本から持って来たそうめんも、ゆでたのは食べないで乾めんをそ
のまま、ポッキーみたいに食べていて、ぼくもまねして食べてみたら、
塩味が少々ついていて、チュチュ フクースナだった。
口ぐせ…ジマは出かけている時に、ぼくに向かって、
「ファイザー、わたしは、だれですか?」と聞いてきて、
ぼくが、
「ジマ」 と答えると、
ジマは、
「わたしは、ジマじゃありません、モイホジャーインです。」と言って、また、
「ファイザー、わたしはだれですか?」と聞いてきて、
今度、ぼくは、
「モイホジャーイン」と答えて、それが何回か繰り返される。
あとから、それが、パソコンやる時の、あいことば になっちゃって、
さらに、パーパチカがジマを呼ぶ時にも、おふざけで、
「モイホジャーイン」
と言っていた。
ジマはいつも、ねる前に、パソコンでDVDのアニメを見ていたので、朝は、ロシア時間で10時に完全に起きるから、一人だけ朝ねぼうしてた。
マーマチカ:本名ナターシャ 37才 F
第一印象…やさしそう。
タイプ…やさしい そう思った理由は、ぼくが日本からもってきた、そうめんが(食べ
て)なくなったとき、ロシアで売っている日本のそうめんをかってき
てくれたから。
ジマがまだねているのに、ぼくが二度ねして起きた後には、もう
朝ごはんが、ぼくように、用意してくれたから。
マーマチカといっしょにごはんを食べたことが一回もなかった。
理由はたぶん、ダイニングテーブルが小さくて、いすが二つしか
用意されてなかったからだと思う。
ピクニック前の8.1にげりをして、ピクニックの日の8.2には
もうお腹のちょうしがよくなったのに、マーマチカはロシアのげりに
きくピンク色の薬をぼくに飲ましてくれたから。
ぼくとジマがパソコンやPSPをやっている間に、マーマチカはテレビを見て
いました。
口ぐせ…「アヤヤャャ!」
例…ピクニックの時にぼくが、マーマチカに
「ピーチェホーツィッツァ(のどがかわいた)」と言ったら、
マーマチカはビニール袋からミネラルウォーターを出してくれました。
そして、ミネラルウォーターのふたを開けてくれたら、ボン!ブシュウ
ゥゥゥ と、あふれだして、マーマチカが、
「アヤヤャャ!」と言った。
例2…ジマがぼくの前で、おならして、ぼくがおどろいて、ジマの部屋から
出て来て、
「ジマ、フー」って、ぼくが言うと、
マーマチカが、あきれたように、
「アヤヤャャ!」と言いました。
マーマチカは、話を聞いている時に
「ンフ」と、あいづちをうつ。
パーパチカ:本名セルゲイ 40才 M
タイプ…やさしい
例…8.1にぼくがトイレから出てきた時に、パーパチカが、
「ファイザー、げり?」と日本語で察してくれました。
そして、ぼくがベットに入って、ねっころがっていたら、体温計を持って
きて、熱を測ってくれたり、日本語の辞書を持ってきて、
「お腹が痛いですか?」とか、いろいろ質問してくれた。
例2…心配してグループフェローに電話をかけてくれた。
ぼくが、ホームステイに来ている間は、ほとんど家にいてくれた。
仕事に行くのも、昼ちょい過ぎに出て、夕方のだいたい、ロシア時間で5時~6時
に帰ってくる。
パーパチカは、昼食の時間になると、ぼくのこと呼び出して、ぼくが、テーブルの
所にいくと、ペリメニを指さして、
「ファイザー、ペリメーニィー」と言って、ペリメニ食べる?
ってな感じに問いかけてくる。
「行く前の気持ち」
何もきんちょう感や不安、心配も持たずにすごしていた。
理由…去年のゴールデンウイークにうけいれをした子の家に行くから。
今年の三月、春休みにジマが埼玉にホームステイにきていて、
二回目、会えたから。
ぼくが7・23にホームステイに行くことで、三回目再会するので楽しみにして
いたから。
「帰ってきた後の気持ち」
二週間過ぎるのがとても早く、とても楽しかったから、ロシアにいたのが一週間ぐらいにしか感じられなかったです。
それで、また、ロシアに行きたいと思いました。
(また、ジマの家にホームステイに行きたいと思った。)
プールで、黄色いすべり台をすべって、とびこみをした時。
すべり台に、水が流れていて、スピード感もあったから。
遊園地に行って、ホストと乗り物に乗った時。
例…日本のコーヒーカップにふりこの動きを加えた感じの乗り物や、日本の乗り物よりも、一ひねり二ひねりも工夫がしてある乗り物もあった。
そうめんを食べ過ぎた次の朝げりをして、熱が37,9℃出たとき。
原因は、そうめん食べてからそんなに時間がまだたっていないのに、ボクシングで遊んだからだと思う。
なぜそう思ったかというと、学校のランチルームに、食後、はげしい動きをとると、胃や腸がびっくりするって書いてあったからです。
「ドキドキしたこと」
ロシアには、美人がいっぱいいたこと。(大人も子ども)
かわいい子がたくさんいた。
「ビックリしたこと」
家やホテル以外にある、トイレが有料。
ホテルの近くの遊園地 5ルーブル=20~25円
戦場近くの遊園地 10ルーブル=40~50円
海がにごっていた。日本の海よりしょっぱかった。
住宅地の歩道にゴミが日本より多くすててあった。マンションの周囲には、どろがあ るところがあった。
ロシアの車は、あまり見かけなくて、日本車が、たくさんあった。
例…フィットが47台・古いデリカ54台(みつびし)
ディオン2台を二週間のホームステイの時に見ました。
バスは、かん国の文字が書いてあった。かん国製
2008年7月19日に、第6回ヤマハ・ゴスペル☆スギモト・クワイアのチャリティーコンサートに親子3人で出演しました。楽しかった。そして、その時撮影してくれた下村工芸さんが 今日、DVDを届けてくれてありがとうごさいました。また、嬉し涙が出てしまいました。
スターになった気分です。
息子が2007夏のロシア青少年交流へ参加できたのは、私達親子が、言語交流研究所 ヒッポファミリークラブ http://www.lexhippo.gr.jp/ に入会しているからです。
ヒッポファミリークラブと関わっているすべての皆様に御礼を申し上げます。
「可愛い子には旅をさせろ」の準備として、まず、その前の年の2006夏の青少年交流報告会「ロシアDAY」に親子で参加しました。
その時のプログラム
{ お話 メニュー }
子供編
①ドキドキしたこと! ビックリしたこと!
②チョー困った話、泣きたかった事
③幸せを感じた時、楽しかった時
④行く前の気持ちと、帰ってきた後の気持ち
⑤ぼくの私のホスト家族
⑥ことばの発見
⑦家族になれた!と思えたときは?
⑧ホームシック体験
⑨やってみたら出来ちゃった
⑩その他、話したい事何でも…
保護者編
①自分自身がチャレンジした事
②家庭で意識して準備してきた事
③交流前と後の子どもの変化
④交流準備で大切だと思った事
⑤その他、話したいこと何でも
…以上を参考に、ロシア交流体験を、更にまとめて息子が書いた事をこれから、アップしていきたいと、思いました。
今までの体験を深く見つめ直し、2008夏のアメリカ青少年交流から帰ってくる息子の姿を楽しみに思い浮かべながら…、
2007年8月6日(月) チュチュ(少し)くもり
朝のモーニングコールで6:30に目覚めた。
7:00にホテルのレストランでブリヌイにジャムをぬって食べた。デザートはフルーツ味のヨーグルトみたいなものだった。また、とうめいの赤いジュースが出た。
食べた後、部屋に行って、荷物つめて、時間があまったから、くつろいだ。荷物を全部持ってホテルのフロント前に集合して、チェックアウトをした。
8:30にバスに乗って、うとうと しました。
ウラジオストクから関西空港に着くまでに、ロシアの飛行機中で昼食が出た。昼食は黒パンとピロシキと鮭にチーズトースとのチーズが乗っかっているのと、ブロッコリーに、フルーツ、黄色いごはんだった。ぼくは、そのうちの、黒パンとピロシキと鮭に、乗っかってたチーズを黄色いごはんにかけて、くった。
食べた後は、景色を見てた。で、あっというまに関空についた。
関空でトランクを取る場所まで、電車に乗って行った。
関空から、飛行機にのって、羽田空港につく。
2007年8月5日(日)
朝、起きて、着がえてから、朝食を食べた。その後にパーパチカとマーマチカとネコのトムと一緒に写真をとった。
写真をとって、荷物をつめたあとに、ウラジオの町中をけんがくしました。少しだけ、ショッピングセンターで、買い物しました。ジマが、
「ファイザー、何かほしいですか~」
と、日本語で聞いてきました。
「もうちょっと、見たい」
って、答えて、また、ジマが聞いて来たから、「サッカーボール」
と言ってマーマチカに買ってもらいました。
そのあと、一度家に帰って、買ってもらったサッカーボールをいじっている時に、マーマチカが、ひまわりもようの、36枚入りの写真のアルバムをわたしてくれました。
そのあと、トランクに荷物をつめている時に、マーマチカが長方形の形をしたおみやげを、「パパ」と言ってわたしてくれて、正方形の形したおみやげを「カリーナ」と言ってわたしてくれて、最後の一つを「ママ」と、言ってわたしてくれました。
それで、ぼくは、
「スパシーバ」
とお礼をいいました。そのあと、忘れないようにぼくが、マジックでプレゼントに名前を書いた。
最後に家を出て、ホテルの近くの遊園地に行って、そのあと、ホテルに行って、チェックインして、かぎをもらって、部屋にはいって、マーマチカに、
「ダスビダーニャ」
と言って、わかれて、マーマチカが階だんで降りていくのを見送った。
ジマはMっくんのホストとぼくの部屋で遊んでいました。そして、Mっくんのホストが帰ったあと、ジマも、
「ファイザー、ダスビダーニャ」
といって、ぼくも、
「ダスビダーニャ」
と言っておわかれをしました。