言葉の遅い子・心を育てる育児相談

親子信頼関係を深める子育て。心&脳&感性を磨く方法。料理・語学・介護・哲学・音楽ライブ活動等を日頃の感謝と共に綴ります!

調合された香り

2008-08-21 07:58:34 | 母:長男のロシア交流準備

 昨夜、息子アメリカ一ヶ月のホームステイから、無事、我が家に帰って来た。
一晩経って、朝の目覚めの瞬間、「すぐ隣に”愛する我が子=大切な人”がそばにいるって、なんて幸せなんでしょう!」私の心は、穏やかな海と澄み渡る大空に包まれた安心感に満たされました。

 昨日は、去年のロシアの時と違う、むすこの体から、「アメリカの匂い」をキャッチできた!匂いの奥底から、ホスト家族の、家の雰囲気の香りが…「確かに、アメリカの家族の一員でしたよ!」というメッセージに感じられた。

 今朝は、なぜか、ロシアの匂いもする!ロシアとアメリカの体験が息子の体、頭、心の中に調合されていくような…懐かしいような不思議な香り!?
 この匂いはやがて消えて行ってしまうけど、このオリジナル香水は、きっと一生、息子の中に大切に保管されて行くことでしょう!

 息子の寝顔を見ながら、私のおでこを息子のおでこに、そっとくっつけたまま、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 「あなたがアメリカで体験してきたこと、ママにも見せて!感じさせて!
  あなたが感じたこと、すべて知りたい!共感したい!」
                                     ー日本のママよりー


子育ての領収書

2008-08-19 08:07:04 | 母:長男のロシア交流準備

 昨日、ロシア準備・保護者編のプログラムを最後まで書き上げ、夕食後の洗い物をしている時に、息子の声が聞こえたような気配を感じた。まるで、「ママ、ロシアのブログ書き終わったね!ただいま!」と言ってくれたような?
 そうしたら、今朝は、目覚ましが鳴る前に、ふと、目が覚めた。起きた瞬間に、夢を思い出した。息子が、家に帰って来ていた!帰って来るのは、明日のはずなのに、「何故?今?家にいるの?」と、夢の中で疑問に思う私がいた。

 いよいよ、明日の夕方、日本に帰って来る!息子の、アメリカでの1ヵ月のホームステイ=今までの私の子育ての領収書 が返って来る

 約10年前の小学校家庭教育学級主催の教育講演会の講師の先生が使っていた言葉です。「あなた方、お母さんが、お子さんを育ててきた結果は、そのお子さん自身が領収書になって、示してくれます。子育ての結果は、お母さんの目の前に、必ず、子どもが領収書となって付き付けてくれますから、安心?して下さい。」 と、いうような、その当時、ブラックユーモア的な笑いをとっていた記憶が残っています。

 去年、ロシアから、帰って来た時も、同じように領収書が頭をよぎりました。でも、すでに仲良くなれた子どもの家でのホームステイは、事前に予想問題をこなして行けた訳だから、少し余裕な感じでした。
 でも、今回はまったく初めての人達の家に行ったのですから、「本当の意味での、ぶっつけ本番の実習・実力問題を息子は、受けに行った!」的な感触を持てました。そして、私は、今までの正式な子育て領収書が戻ってくる!という感覚を楽しんでいます。

 明日、帰って来る息子自身から、詳しい明細書を出してもらえることを、心待ちに期待して待っている母でした。


ロシア交流準備・保護者編⑤

2008-08-18 18:26:49 | 母:長男のロシア交流準備

     ⑤その他、話したいこと、何でも

         ーロシアに子どもを送り出す親の会ー

 私が今まで、いろんなことを次々に考えつき、やってみたいと思えて実行できた要因のひとつに、この「親の会」が挙げられます。
 親も、子どもをロシアに送り出すにあたり、ヒッポのロシア語CDから「かの子の手紙」をよく聴いて、100回歌おう!という目標を掲げた会(2007.3.6~)に初めて参加させて頂きました。
 子どもを送り出す親メンバーの一人ひとりが、みんな、子ども思いで、親子の絆が感じられ、向上心が高く、メンバー同士が尊重し合える、共感し、安心できる、言葉で言い尽くせないほど、素晴らしい会でした。
 更に、自分の子どもはロシアに行かなくても、出席してくれる応援隊のメンバーにも支えられ、とても心強く、充実した時間を共有できました。ヒッポを続けて来た中で、1番に近いくらいの大きな収穫・財産です!200%満足できるロシア青少年交流だった!と言い切れるのは、この「親の会」の存在があったから…みんなに大感謝!
 定期的に会える、同窓会を是非、開きたいと願っています!
 
 


ロシア準備・保護者編④

2008-08-18 17:51:45 | 母:長男のロシア交流準備

     ④交流準備で大切だと思った事

 親子間の信頼関係=家族の絆 
                 が、いかに強く結ばれているか?
に係ってくる…! 

 普段、毎日の日常生活の中で、何気なく交わされる、親の、教師の、大人の言葉使いから、子どもの人格はかなり左右されると感じています。一番身近なお母さんが、無意識に喋っている言葉は、どんな音色の、どんな温度の言葉でしょうか?子どもの思いを汲み取り、お互いにとって心地よい音声・言葉を意識的に選択して、発信していきたいと願っています。(2007.5.16のブログに詳細掲載)

 その為には、親が精神的に安定していなければ、穏やかな会話は成立しません。安定するには、親自身が、自身の事をよく知り、自己肯定感を持ち、自分を”好き”になることが前提条件になります。
 自分の弱点さえも、すべて受容できる”自分大好き人間”が、自分に正しく生きていければ、自分の分身である子どものすべても受け入れることが出来て、自然に我が子を”大好き”に大切に思えると、信じています。
 ”大好き”な気持ちがこもった言葉をたくさん聴いて育つ子どもは、お母さんのことがもっと、”大好き”になって行きます。

 このような積み重ね、愛情溢れる言葉のミルフィーユから、双方の間に、信頼関係が生まれ、子どもの心の土壌が豊かになり、純粋な感性が育ちます。
 
 多言語は、とても興味深くて魅力的です。と同時に、(それ以前に)自分の母国語=日本語を正確に使えるように心がけることが重要です。自分の使命感、価値観、優先順位、性格、生活習慣…など、自分が大事に思っていることを、具体的にどの言葉を使って、相手の側に立って、どう自己表現すれば、通じるのかを、考えていますか?
 普段から自分が良く使う日本語を把握して、自分の頭の中に伝えたい事を絶えずシュミレーションしていれば、相手の心に響くコミュニケーションを円滑に運ぶことができるでしょう!

 「燈台下暗し」…自分に信念を持ち、調和を考え、”母国語に強くなる”ことが多言語自然習得への近道につながる
     
               と、子どもの交流準備を通じて大切な事に、気づきました。


ロシア準備・保護者編③

2008-08-18 07:54:08 | 母:長男のロシア交流準備

      ③交流前と後の子どもの変化

         ー ロシア色に染まった息子ー 2007.8

  (1)息子の背景にロシアの家族が見える

 会話をする中で、息子の口調から、「フフッ」と「ンッフ」の音がよく聞こえてくる。私が話しかけると、返事は必ず、「フッフ」となる。日記から、ママチカの口癖がそのまま移っていたこと判明!
 しばらく経って、次第に「フフッ」は普段の会話からは、消えていったが、ヒッポメンバーにロシアの報告話をする時だけは、しっかり、ロシアモードに切り替わって、「ンフッ」の相づちが入る。

 視界に車が入るとすぐに、車種名を言うようになった。今まで車にそれほど興味はなかったはず?パパチカジマの車好きが完全に移って、日本に帰ってきた。ロシアの日記に、車種の数が書かれたように「、ロシアでは3人共に声を合わせて車の名前を叫んでいたに違いない!」と、思ってしまうほど…この癖?興味は、いまだに消えていない。

 息子の着ている洋服から、ジマの匂いがする。ロシアに持っていったトランクの中の物すべてに、我が家にいた時と同じジマの匂いが残っていた。

  (2)ロシア語・感度良好!
 
 ロシア語にすぐ反応してしまう息子の潜在能力を発見した。コンビニに行って買い物が済んだ私は、マンガを立ち読みしている息子に、「もう帰るよ!」「もう、行くよ!」と、何度話しかけても無反応なので、今度はロシア語で、「パシリ!」と言ったら、慌てて、本を閉じた。これも、日記からわかるように、「結構いろんな場面でパシリは言われていたんだな」と、息子の様子から察しがついた。
 日本語で話してもBGMのように通り過ぎてしまうことがあるので、私が重要なことはロシア語で話せば、すぐに息子は行動してくれることに気づきました。

 その反対に、ヒッポの時、要求されて応じたくない場合にのみ、息子は 「ニナーダ!」と、きっぱり、言い切るようになった。これも、日記からわかるように、自身の体験から獲得したロシア語には、深く重みを感じるし、説得力がある。(ロシアに行く前は、いつも私の言う事を受け入れてくれていたのに…)こんなにもはっきり言われると、お手上げ状態、ロシア語を上手く使い分ける息子に脱帽! 
 今までは困ってしまう気持ちが先行し、ノーがなかなか言い出せなかったが、ロシアから帰って来てからは、ニナーダとはっきり自己主張出来るようになった息子の成長に感謝!

 ヒッポCDのロシア語がくっきり聞こえるようになった。ロシアに行く前にテレビで見たロシア映画「父帰る」を、帰国後も偶然、再放送で、見る機会に恵まれた。以前よりも、食い入るように見た息子。たくさんロシア語が聞き取れた。この自分の発見
に息子自身が驚き、興奮、感動できた。

11月、たまたま、知人に譲って貰って、映画「デイ・ウォッチ」の試写会へ行ったら、ロシア語で、ラッキー!出てくるロシアの画面に、「ママ、見て!これ、ジマの家と同じ!」「アッ!これロシアで見たことあった!」「ロシアで聞こえた!」を連呼!また、女性のセリフの中から、「フッフ」が聞こえると、「これ、ママチカとそっくりな発音だよ」と教えてくれた。さぞかし、懐かしかったことでしょう!ロシアホームステイの同じをたくさん見つけられました。

  (3)国内遠征
 
 夏休み中をうまく活用して、遠くて平日には行けない、お世話になったヒッポメンバーのファミリーに行きたい衝動に駆られました。
 息子と同じウラジオストックに行ったグループフェロー&メンバーに会いたくて、ウルトラファミリー、ルパルクファミリーに参加しました。そして、初めて国内ホームステイでお世話になったフェローのドリカムファミリーにも行って、ロシア語帰国報告話をさせて頂き、恩返しができました。
 
 
  (4)バトンをつなぐ

 ロシアから帰国の日、羽田空港に迎えに行きました。到着口から出てきた息子の顔、その表情はすべてを物語ってくれるくらい、奥行きのある、味わい深い、光り輝く笑顔でした。その時の息子の第一声!
  「楽しかったー!」
  2週間が1週間くらいにしか感じなかった。もう1週間居たかったー!」
 そこで、私は、透かさず、
  「そう!来年は、アメリカに1ヶ月も行けるけど、行く?」
  息子も、即、
  「行く!行く!」
 と、気持ちの良い返事をしてくれました。

 {自分の歴史から、過去の教訓を活かしつつ、目の前にある大切な現在進行形を余すところなく100%楽しみながら、未来の目標を、常に見据える}ちょっと欲張り?な私は、ロシア準備=次のアメリカを絶えず意識していました。
 それで、ロシアに行く前から、息子の気分がいい時には、 
 「ロシアに行くの楽しみだね!いいな!来年はアメリカにも、行けるし…」
と、話しかけていたのですが、息子からは、
 「アメリカはいいよ、行きたくない!」 と、そっけなく、無視されていました。
 だから、今回、ロシアから帰国してすぐに、息子からアメリカへのGOサインを確かめることが出来て、喜びは2重!ダブル感動!記念すべき貴重な日となりました。

 ロシア帰国報告=来年のアメリカ準備
                       
                        へと、タイミングよくバトンがつながりました。


ロシア準備保護者編②ー(9)

2008-08-17 21:48:50 | 母:長男のロシア交流準備

     ②家庭で意識して準備してきた事ー(9)
         
          ー子どもの”大好き”を尊重する-優先順位ー 2007.7

 ヒッポ本部が企画する青少年交流準備会・準備合宿は日本各地から、様々な人達に会えて、、たくさんの同士と思いを共有・共感できて、お陰様で、とても充実した時間を過ごせました。
 普段のヒッポにも、準備として、出来る限り出席したかったのですが、出発(7.23)間際の16日・地元のお祭りと、21日・ゴスペルチャリティーコンサートだけは、はずせませんでした。息子の”大好き”な事を第一に優先しました。

  小1の時から、毎夏、子ども会を通じて、地元の保存会の指導者の方に太鼓を教わり続け、息子は太鼓が大好きになったからです。夢中になって、太鼓を一心不乱にたたく時の顔からは、集中力・真剣さ・情熱がビンビンに伝わってきました。

 そして、もうひとつ、今春、初企画の、キッズゴスペル・ワークショップ・レッスンを4回受け、私達大人のゴスペルコーラスと、チャリティーコンサート初出演できることを、息子は心から楽しみにしていたからです。(今までは毎年息子だけが観客席でしたから…) 歌が大好きな私に共感してくれて、親子3人で同じ舞台に立ち、踊りながら、熱唱できる爽快感は最高でした! ”That's Entertainment”

 
 息子は、祭礼の太鼓で」の心を… 英語のゴスペルコーラスで」の心を… 演出できた充実感と、大好きなことを思う存分やりぬけた達成感を持ち得た結果

ロシア・ホームステイ出発に向けて、

   「心の土台」基礎作り=完了! 「心の栄養エネルギー」= 満タン!

に、仕上がりました。


ロシア準備保護者編②ー(8)

2008-08-17 06:56:09 | 母:長男のロシア交流準備

      ②家庭で意識して準備してきた事ー(8)

          ー ジマとの思いがけない再会ー2007.3

 3月15日、ロシアのジマから小包が我が家に届いた。開けてみると中には、クリスマス用のお菓子に、クリスマスツリーに飾る小物、今年のカレンダーなど…どうして、この3月の季節に?と、消印を探すと12月の数字があった。今頃になって届くなんて、向こうでは、お礼の返事が来なくて不思議に思われているだろう?
 慌てて、その夜息子と一緒にウラジオストックにお礼の電話をかけた。この事情をロシア語で挑戦したが、ジマからは「英語、ください!」と言われ、日本語も交え説明したけど、理解してくれたかは、定かでない。
 そして、ジマに、「私は、来週、日本に行きます。会えますか?」と、唐突に聞かれた。去年の5月に我が家に来たのに、また、今年もホームステイに来るんだー!と、びっくり、「わからないけど、できたら、会いたいです!」と答えました。

 後日、ヒッポ本部に電話して、経緯を説明し、本部の人がステイ先の了解を得て、やっと、ステイする家に連絡がつきました。3月29日のロシアデーに参加することで、再会できることになりました。
 ヒッポの本部へ行き、ジマを見つけて喜ぶ息子。私は目の前にいるジマに、会えた瞬間、いきなりハグをしていました。我が家にステイしていた時は、ジマに振り回され、そんな気持ちにはなれなかったのに…ハグする自分自身に、びっくり!驚きを隠せませんでした。過去の分析済み思考よりも、自分では気づけなかった現在の気持ち、本音の心が優った瞬間でした。
 ”手の掛かる子ほど可愛い” 時間の経過って、本当に不思議です!大変だった、心配に感じていた記憶が、時間というマジックにかかると、まるで洗礼されたように、いい思い出だけが強調され、残る。
 去年ジマが帰った後、ジマが実際には、いなくても、「ジマだったら、ロシア語で、こう言うよね!」と、ジマが思うであろうセリフやロシア語の口癖を家族で代弁し合い、まるでジマが暮らしているような雰囲気を、ずっと我が家は温めて来ていたから…だから、自然にハグできたんだ!と、後になって納得できました。

 ロシアデーに引き続き、31日には国内ホームステイに出かけ、西武線ティーンズワークショップの会場でもジマに会えました。
 そこで、ジマは、心配そうな声で私に、「お母さん、きょうは、ここに、泊まりますか?」 と、質問に来ました。ジマの表情・性格から、「こんなに騒がしい人口密度の高い、この体育館の中で?」と、すぐに気持ちが読み取れたので、「ジマは、ここには、泊まりません。ホストの家に帰ります。」と答えました。心配を打ち明け、私に頼ってくれたジマを、更に、愛おしく感じました。

 今回の再会を通じて、「ジマは私達の家族になっている」 と、しみじみ確信できました。お陰で、息子は、もちろん、私達家族も、ロシア・ホームステイへのモチベーションが、よりいっそう加速を増して高まりました。


ロシア準備保護者編②ー(7)

2008-08-16 08:38:12 | 母:長男のロシア交流準備

      ②家庭で意識して準備してきた事ー(7)

         ー国際交流協会ハッピーニューイヤーパーティー2007.1ー

 当日は、私と息子と、息子より一回り年上の近所のお兄さんの車に乗せてもらい、3人で初めてニューイヤーパーティーに参加しました。息子は私から離れ、お兄さんと一緒に生け花体験をしたりと、別行動していました。私は、というと、ピアノの演奏に耳を奪われ、歌いたい欲求に駆られて、舞台の上ででピアノを弾いている男性に声をかけていました。英語で挨拶して、ジャズが弾けるか曲目を伝え、交渉した後、「どうぞマイクで歌って下さい!」と言われたので、いきなりプログラムに飛び入り参加し、歌わせてもらえました。拍手まで頂けて、数十分後に、アンコールの要請が入り、再び、舞台へ…
  When you wish upon a star(星に願いを)
  The way we are (追憶)
  The girl from Ipanema (イパネマの娘) などを歌わせて頂きました。
他の市の国際交流協会会長さんの目に留まり、「来年は、是非、うちの市にも来て、歌ってください」と、誘われ、私の歌が必要とされている事に感謝の気持ちに溢れ、嬉しさ一杯になりました。

 フィリピンの方が多く、「マガンダンハポン!アポカイシー キヨーラ」などと、タガログ語は少し喋れたけど、スペイン語は話す機会なかったなー!と、家に帰ってから、息子に話すと、息子は、「エー?ぼく喋ったよ!スペイン語で自己紹介してちゃんとに通じたよ!」と、満足そうに言うではありませんか。
 去年、函館のロープーウェーの順番待ちで私が声をかけたボストンのお兄さんとは、恥ずかしがって私の後ろに隠れてしまって、話せなかった息子が…今、目の前で誇らしげに話す息子の進化を頼もしく思いました。 一人で良くやった!

 私もヒッポに入会した始めのころは、自信がなくて、フェローやメンバーが一緒にいる時でさえ、上手に話せる人に頼ってしまって、「多言語会話、みんなで喋れば怖くない」感覚しかなかった。でも、次第に多言語に耳慣れて来たら、ヒッポメンバーに囲まれるファミリーの中は、温室の中にいるように感じてきたのでした。メンバーの誰かがフォローしてくれる環境の中だけでは、自分が多言語を喋れているという実感は湧かなかったし、自分自身に実力がついたと思える手ごたえを感じることが出来ませんでした。

 何故そう感じてしまったのか?

 それは、知的ハンディを持つ娘を養護学校(特別支援学校)には入学させられなかった理由に似ているからでした。言葉が出ない言葉が乏しい子ばかりの中で、言葉の刺激が少ない、先生が四六時中、お世話してくれる限られた狭い庇護の世界では、娘に本当の能力がつくとは、考えにくい。卒業して一般社会に出た時、健常者とのコミュニケーションに大きな壁が出来てしまうと察したからです。それで、健常児との関わりあい、同年代のたくさんの言葉のシャワーが必要に思い、地域の普通学級を選択し、県立高校を卒業するまで出来ました。その結果、言葉は少しずつ増えていきました。(詳細は、このブログの最初の方に書いてあります。)

 今まで歩んできた私の道のりが、そうさせるのか?現状に甘んじることを許さない逆境の世界にあえて、身を投じることによって、自分を試してみたいと思ってしまう私が時々、存在してしまうようです。そして、自分の課題・目標を定め、努力して乗り越えた時に初めて、成果・結果が表れ、それが充実感・達成感を含む自信につながり、真の実力に成っていくのだろう と信じています。
 
 だから、ヒッポの環境以外での街中で、電車の中で、バスの中で、下界で、偶然、初めて出合える人に、一期一会を大切に、積極的に声をかけ続けています。たとえ一人でも、、臆せずに、多言語を話せる機会を私なりに、取り込んでいます。

 ヒッポ入会してから、今までどこにも交流に出たことがないこの私は、青少年国際交流=子どもが一人でホームステイに入る気持ち・環境に少しでも近づけるよう、この日本で、毎日の日常生活の中で、出来ることを、日々検討しています。

 


ロシア準備保護者編②ー(6)

2008-08-15 06:50:58 | 母:長男のロシア交流準備

       ②家庭で意識して準備してきた事ー(6)

           ー日本で見つけるロシアー{4}
                            ワーリャ&ターニャ母娘 2006.12

 地域のヒッポメンバーが、夏ロシアに行った時のホストを迎えました。英語ペラペラ,日本語も喋れるターニャ(40代女性)と、彼女のお母さんに、ファミリーの場で初めて、出会えました。大勢のメンバーが集まり、周りの騒音で、声が聞き取りづらかったので、
 私が、「チーシャ!」と言っても、静かにならず、他の言い方はないか?と考えた瞬間、アンドレイさんが
    「ロシア語の”おやすみなさい”の意味は、”静かな夜”です。」
 と教えてくれた場面が思い浮かびました。私の頭の中でいきなり、引き算が始まった。静かな夜から夜(ノィチ)を引くと、イコール残りは「スパコイノィ」だ。答えが出たとたんに、私の口は、すでに動いていた。
 すると、ターニャさんが私の顔を見て、深くうなづきながら、「スパコイノーイ」と言ってくれた。「静かに」という意味で通じたってこと!?
 私の勘に花マルをつけて貰えたような不思議な嬉しい感覚が残りました。


  ホストのヒッポメンバーに誘われて、ターニャ&ワーリャさん達と6人でディズニーランドに行きました。ワーリャさんの為に車椅子を借りたら、息子ファイザーは、自分も車椅子を押したくなり、少しだけ代わってもらえました。すると、車体を動せる楽しさからか、だんだんスピードがついてしまい、私は、もう少しゆっくり、押して欲しいと、注意しようと思ったその時、ヒッポロシア語CD「飛行場にて」のソノコのセリフが浮かびました。「もう少し、ゆっくり、話してください」たぶん、あのあたり、とスポットを当てて、
 息子に向かって、「ミェードリニェンイェミェードリニェンイェ!」と、迷いもせずに私は、口に出していました。
 すると、ターニャさんが、「ミェードリニェンイェ は、何?何ですか?」と、言われ、
ロシア人なのに、ロシア語わからないの?と私は勘違いしてしまい、即座に頭が切り替わり、「そうだ、この雰囲気は、ロシア語は通じていて、その日本語の単語を覚えたいんだ!」と悟り、私は、「ゆっくり、ゆっくり」と言い、ターニャさんも納得して、息子に「ゆっくり、ゆっくり!」と話しかけていました。

    車椅子の方向変換をする時、ヒッポのロシア語CD のコンバインを運転する場面から、「ナプラーバ!」と私が言ったら、ターニャさんは、「みどり」と日本語で返してくれました。「緑」と「右」の違いを伝えるには…と考え、すると、またアンドレイさんが教えてくれた「緑茶は、ズィリョーヌィーチャーイです。」を思い出しました。
 {緑茶ー茶=緑}引き算がまた役に立ちました。私は、
 「みどり ズィリョーヌィー! プラーバ 右!」 と言ったら、とてもよくわかったみたいで、曲がるたびに、お互いロシア語日本語二本立てでナビしていました。

  (以前、私がスペイン語で”生まれる”を伝えたかったのに「ナセール」が出てこなくて、間違えて、「ナリース」と言ってしまった時、チリの女性がおかしくて吹き出してしまった事を思い出しました。私が、多言語自然習得する時と同じように、ターニャさんも日本語がこんがらがっていたのですね!)

 ディズニーの30分のショーを見るために、倍以上の時間、列に並んで待っていました。息子が退屈になり、姉のカリーナにちょっかいを出したり、列のロープを触ったり、その度に私が、「触らないの!触っちゃダメ!触らないで!」と何度も注意していたら、ターニャさんもロシア語で、何回か息子に「ニェットローガヤ!」 と、注意してくれました。
 それでも、やまない様子に耐えかねたのか、今度はワーリャさんまでが、
  「カリーナ、触らないで!」と言い出したのでした。
私は娘がワーリャさんに何かしたのか?とあせっていたら、ターニャさんが感激して
 「お母さん、初めての日本語 ”さわらないで” 言えた!こんにちは、ありがとう他の日本語全然、言えなかった。だけど、初めて、日本語言った!”さわらないで”!」
 どうやら、弟ファイザーの度重なるちょっかいに困ったカリーナを助ける為に、ワーリャさんは、「カリーナ、さわらないで!」 と、言ってくれたのでした。6人でお腹を抱えるほど大笑いして、長い待ち時間のアクシデントが、たちまち、楽しい時間に変身出来ました。

 最後に、ディズニーランドを出て駅へ歩いていると、ターニャ&ワーリャさんたちが満足感溢れる笑顔で、「ザミチャーチェリナ!」と、大きな声で言った時、なぜか、その瞬間日本語で「あーよかった!楽しかった!」と聞こえました。同じ楽しい時間を過ごせてお互いが、共有感を持ち、、共感し合えたから、ロシア語と日本語が交差した瞬間が生まれたのだ!と感じました。それと、私の頭の中に引っ掛かっていた言葉と似ていたからザミチャーチェリナがすぐにインプット出来たのだと思いました。それは、ヒッポロシア語CDの「さよならなんか言わない」の場面で聞こえた「アビザーチェリナ」です。その単語は状況的にはまったく逆の涙の場面で使われていて、違う意味に思われるのですが、ザミチャーチェリナはお陰ですぐに、ゲット出来ました。

 とにかく、気になる音を頭に一杯貯めておけば、置くほどに、チンプンカンプンだった多言語が、よく聞こえるようになって来て、その結果、意味までわかってしまうようになって来るから不思議です。

 多言語で 素敵な発見に遭遇する」 それは、まるで、初恋の人に巡り合えたようなワクワク感キラキラした空気が私を包んでくれる…夢見心地的な気分にさせてくれる魔法の瞬間です。


 P.S…後日、家で、ヒッポロシア語CDをかけていたら、息子と私同時に、「ニットローガヤ」 が聞こえて来ました!声を合わせてハモッテしまいました。「馬に乗る」場面で…
そして、「ニェット ローガヤ」 とディズニーランドで聞こえていた音が、「ニッ トローガヤ」 に進化を遂げました。息子と同時進行で見つけることができ、抱き合って喜び合い、その時の嬉しさは、心のメトロノームに100万ボルトの電流が流れたみたいに、いつまでもドキドキが鳴り止まなかった…

  このように、ヒッポファミリークラブの多言語自然習得活動を始めれば、「新しい発見をする度に、あなただけの素敵な、特性オリジナル心の思い出アルバムが、もれなく付いて来ます!」 
 そして、そのオリジナル心アルバムをヒッポメンバー同志で見せ合い、語り合い、共有・共感することによって、更に、幸せページは、進化し、どんどん、増え続けていけるでしょう…

 


ロシア準備保護者編②ー(5)

2008-08-14 21:38:11 | 母:長男のロシア交流準備

     ②家庭で意識して準備してきた事ー(5)

        ー日本で見つけるロシアー{3}
                          みんなで歌おう!ロシア民謡2006.11

 新聞の折込チラシの広告の中から、ロシアの文字が目に留まった。♪音楽・歌好きの私達家族は、聞いているだけの受身のコンサートではなく、主体的に観客も出演者のボニージャックス&ロシアの女性歌手・エカテリーナさん達と、一緒に歌えるこの企画を珍しく、嬉しく思いました。

 どうせ、行くのなら、歌えるだけでは満足できない!エカテリーナさんに会って絶対に、ロシア語で話してみたい!と、思いはつのるばかり…
 それで、電話でチケットを申し込む時に、「息子が来年ロシアにホームステイに行くので、是非、エカテリーナさんとロシア語で話したい!」と、思いを伝えたら、「コンサートが終わった後で、控え室に行けば、会えるかもしれない」と答えて下さいました。

 当日、家族4人で、第1部”ロシアの調べ”を聞きながら、、「百万本のバラ」は、(シャンソンだと思っていたのは間違いで、)ロシアの歌だと初めて知りました。エカテリーナの素晴らしい歌唱力から、広大なロシアの風景が見えてくるようなスケールの凄さを感じました。

 第2部では、お馴染みの、「カチューシャ」「泉のほとり」「ともしび」「トロイカ」「一週間」(日本語歌詞)などを会場の皆さんといっしょに大声を上げて、歌い切りました。周りは世代の上の方ばかりで、私達家族はきっと、平均年齢一番若かったにちがいありません。
 コンサートの終わりに、「CDを買えば、その場でエカテリーナさんのサインが貰える」 と聞き、息子と列に並びました。順番を待つ間に、私達はロシア語モードに会話が切り替わり、エカテリーナさんからの視線をキャッチしました。

 息子の番になり、「ドーブルイ ヴェーチェル!」の挨拶から、いつものロシア語自己紹介をして、ホームステイに行くことを話しました。
 エカテリーナさんは日本語ペラペラで、
  「私はチタ出身です。ホームステイはどこに行きますか?」と質問され、
 息子は、「ウラジオストックです。」 と、答えました。
 CDを買って、サインを貰い、別れ際に、私達は
  「スパスィーバダズビダーニャ!」 と言ったら、
 エカテリーナさんは、「シスリーヴァーヴァ プチー!」 と、言ってくれました。

 その様子を見聞きしていた周りの人達、係りの人達の表情は温かく、私達親子を見守っていてくれた、とても心地よい空気が漂っていました。

 11月は、3日に家族で、上野のロシア・大エルミタージュ美術館展にも足を運び、まさに、”芸術の秋”を満喫できた月でした。


  ーP.S ー

 2007.5.27 「ロシア皇帝の至宝展」 at 江戸東京博物館
 2007.7.1  「国立ロシア美術館展」 at 東京都美術館 
  
 …にも、足を運び
            ロシアの文化に家族全員どっぷり、浸りました。
              


ロシア準備保護者編②ー(4)

2008-08-14 09:44:58 | 母:長男のロシア交流準備

      ②家庭で意識して準備してきた事ー(4)

        ー日本で見つけるロシアー{2}
                          シベリア抑留関係展示会 2006.9

 ”日本とロシアの歴史”第2次世界大戦後、旧ソ連軍の捕虜となり、極寒の地で過酷な労働を強いられた日本人の記録を伝える、この展示会を、偶然、ショッピングセンターに買い物に出かけた時に見つけました。私が口で、説明するのも難しいし、これは息子に是非、見て感じて欲しいと思い、後日、家族4人でもう一度見に行きました。

 小学生が見に来ることは珍しかったのか、熱心に見入っている息子に、係りのおじさんに声をかけられました。そして、戦争当時、シベリアでの体験を聞かせて下さいました。息子が来年の夏にロシアにホームステイに行くことを話したら、おじさんがロシア人に命令された言葉、何度も何度も繰り返し、言われ続け、意味がわかったロシア語を切実に語って頂けました。

 それは、「ハラッショ ラボータ パトーン ダモイ ニッポン!」
       「一生懸命働いた結果、日本へ帰れる!」 

                           と、言っているんだなと悟ったそうです。

 後日、ヒッポのマテリアル本「ヒッポ海を渡る」のロシア語CDを聞いていたら、「飛行場にて」のシーンで、コニーが言うセリフ「ダモーイ」が大きく耳に聞こえてきました。
 そして、「お料理のお手伝い」のシーンでは、ママが言う「パトーム」が聞こえて来て、パトームとダモイの意味が私の中に、すっぽりはまりました。


ロシア準備保護者編②ー(3)

2008-08-13 07:02:20 | 母:長男のロシア交流準備

      ②家庭で意識して準備してきた事ー(3)

          ー日本の中で見つけるロシアー{1}
                                 北海道・函館2006.8

 「今年、夏休みの家族旅行は、どこに行こうか?」の主人の一声に、聞きかじりで函館にロシアの大学があることを知った私は、「北海道の函館は?」 と、即答した。去年も、「旭山動物園に行きたい!」と息子の提案で、北海道に行って、「また、来たいね!」と思っていた家族みんなも、もちろん、賛成!函館行きが決まった。

 夜の観光タクシーに乗って、夜景スポット巡りを楽しんだ翌日、昼間に同じ景色を見比べてみたいと再び出かけました。昨日、案内されたテレビのCM・ドラマ・映画の撮影シーンで有名な、通称”チャーミーグリーンの坂”に行き、居合わせた方に家族写真を撮ってもらいました。と、その時、坂の右側に、ロシアの大学が函館のどこにあるかもわからなかったのに、偶然にも見つけることが出来ました。

 早速、中に入ろうとしたら、あいにくその日は、関係者以外立ち入り禁止で、中に入れず、玄関口で残念に思っていたそんな時、通りがかった女性に素早く私は、声をかけました。
  「ズドゥラーストゥヴィーチェ!」 すると、
  「私、日本人だから、日本語で話せます。」と言われ、質問したところ、その30代らしき女性は、同じ千葉県出身で、このロシアの大学の学生さんでした。息子がロシアに来年の夏行く事を話し、息子のロシア語自己紹介を聞いて貰いました。照れずに、すんなりロシア語を話し始めた息子に感動した私。

 その女性も微笑みながら、聞き終わった後にロシア語で、質問してくれました。
  「パチムー?~~~~~ッラッシーユ」と聞き取れなかったけど、たぶん、
  「何故、ロシアに行きたいのですか?」と聞かれたんだな?と想定して、
 スペイン語では、「ポルケ?」と、聞かれれば、「ポルケ~」と、理由を言ってたし、
イタリア語も同じく「ペルケ?」と、聞かれて、「ペルケ~」と、説明してたから、ロシア語もたぶん同じかな?と即思いついて、答えに困っている息子に代わり、
  「パチムー、イエスチ ドゥルージア~」 と、私が言ったら、その女性が、
  「パタムシトー」と言い直してくれました。

 パタムシトーをゲットできた嬉しさ、達成感を得たお陰で見えてきた事。それは、

  「会話の命は瞬発力!間違いを恐れずに、言った者勝ち!あれこれ悩んで間が空いてしまったら、会話は、通り過ぎて行き、話題に乗り遅れて、学ぶ機会を逃してしまう。」 と、いう事。
 ナプリミェール、サーフィンで波に乗る瞬間、長縄飛びに入る瞬間に似ているかなぁ?
 見極めるタイミングと、勇気を持って実行することが肝心!ここぞと感じる瞬間を見逃さない強い信念を持って、多言語を話せれば、たとえ間違っていても、いづれ、正解は確実に近づいて来る!子育てのポイントもここに、押さえられていると感じました。

 その他、函館では、旧ロシア領事館・ハリストス正教会・五島軒・在札幌ロシア連邦総領事館・マトリョーシカやロシア製品を売っているギフトショップなど、日本にあるロシアを、家族みんなで楽しく見つけることが出来ました。
 


ロシア準備保護者編②ー(2)

2008-08-12 08:49:55 | 母:長男のロシア交流準備

      ②家庭で意識して準備してきた事ー(2)

         ーロシア青少年・ホームステイ受け入れをして、学んだ事ー
                          (2006.4.27~5.11)

 ジマは、当時13歳「ロシアの学校で英語を3年、日本語2年、習いました。」と、言うだけあって、日常会話はほとんど日本語で通じました。前回のロシア受け入れもほぼ完全な日本語で通ってしまったので、今回は、日本語で話しかけられても、甘んじないで、出来る限りのロシア語で、足りない所は、英語で返しました。すると、お互いに、日本語・英語・ロシア語の三本立て、で話をするようになっていきました。お陰でお互いに意味がよくわかり、ジマがよく使ったロシア語は、かなりインプット出来ました。

 ある日、ジマがパソコンを指差し、「モージナ?」と言ったので、私は「ダー、モージナ!」と許可しました。
 パソコンゲームをやり終えたジマは、「ザックリート!」と言って、パソコンを閉じました。そのロシア語を聞いた瞬間、私の脳裏に前回我が家にステイしたアンドレイさんと神田に行ったときの風景が、フラッシュバックしました。古本街を歩いていた時、ロシア料理のレストランを見つけたのですが、ドアは閉まっていました。表札にロシア語が書かれてあって、その時、アンドレイさんが、「ザックリート!」 と、言ったのでした。ずっと、忘れていた、分からなかった言葉が、再び、ジマの発した言葉によって、呼び戻され、意味までわかってしまう素晴らしい体験を感じることができました。

 ジマが初めて日本に来て、我が家に到着したのは、夜でした。会って間もないのに、和室に隣同士で寝ているジマと息子の会話が、2時間もボソボソ聞こえました。次の日、息子に「何を、何語で話していたの?」と聞いたら、全部日本語でいろんなことを質問された。」 と、言うように、二人の相性はバッチリでした。ヒッポ本部のマッチング能力に感謝!

 ジマが息子に声かけする口癖は、「小さなサムライ!」 でした。愛おしい眼差しで息子を見て、息子の真似して、布団をしまう、食器を下げる、など、「ありがとう!」もたくさん、言ってくれました。自分が買ったお菓子は必ず、みんなにおすそ分けしてくれました。
 しかし、食事に関しては、好き嫌いが多く、食べれる物は僅か、ステイ中に好物のマクドナルドに、なんと、10回も付き合うことになりました。あと、水族館、博物館、ヒッホのファミリー、ヒッポで集うパーティーなど、ほとんど気に入らず、そんな時は必ず、行ってすぐに、「おもしろく、ありません。帰りたいです!」 NO!ばかりを連呼され、悩まされ続きでした。こんな、我がままな子の家に、息子がホームステイに行ったら、息子の性格が変わってしまうのではないか?と夫婦で、心配しました。

 逆にこのマイナス要因・事態を通じて、「神様は何を私に気づかせたいのか?」 を考えるキッカケとしました。私も息子も、人から頼まれると、自分にとって都合が悪い事でも、すぐに、「いいえ、NO!」を言えなくて、つらい思いをすることが時々あるので、、その性格を改めるように、「相手にもっとNO!を言っても大丈夫ですよ!相手のことを思いやることも大切だけど、自分が嫌に感じる気持ちをも、正直に受け止めて相手に率直に話してごらんなさい!」 というメッセージをジマを通して、私達に考えさせてくれているのかもしれないと思いました。

 私が提案するお願い事は拒否され、その場合ジマは、「それは、おかあさんの考えです!それはファイザーの考えですか?ファイザーは言ってません。」と言い張りました。そこで、息子の気持ちを第一に考えてくれるジマの姿勢を信じようと、思いました。
  ジマは息子に 「私のロシアの家に来てください。」
  息子ファイザーは、ジマに 「ダー!行きたいです!」
 二人の合言葉になってしまうほど、何回も繰り返されていました。

 そこで、私達夫婦は、ロシアへのホームステイを韓国に変更しようか?という考えを改めました。「ここは、私達親の人生ではない!子どもの人生は、子どもが主役なんだから、息子が決めるべきこと。このホームステイ中に交わした二人の約束を大切に、実現させてあげよう! と決心出来ました。


 息子が小6になって、「2007年夏ロシアへ、ジマの家にホームステイに行く」と決めてから、まず、最初にやるべきことは…
 それは、せっかくロシアに行くのに、日本語ペラペラのジマとでは、ロシア語を話す機会を失ってしまう!という心配を問題解決することでした。

 それには、「この日本で、毎日の日常生活の中で、ジマが残してくれたロシア語をいかに活用して、私が喋るかに関わってくる!」と、すぐに悟りました。

  それで、ジマがロシアに帰った後も、我が家は、ジマとの思い出話や、ジマが使っていたロシア語を絶やさずに、毎日ロシア語の日常会話を、普段の生活の中に取り入れて、話し続けました。
 
  すると、私がロシア語で話しかけると、子供も、ロシア語で返してきたりと、、お互いに楽しいロシア語キャッチボールが自然と出来るようになっていきました。  


ロシア準備保護者編②ー(1)

2008-08-11 11:55:33 | 母:長男のロシア交流準備

     ②家庭で意識して準備してきた事(1)

                  -ロシアに決めたきっかけ- 2005.3

 ヒッポファミリークラブでは、小学5年生になった夏休み、韓国・台湾・ロシアのいづれかに、2週間ホームステイに行けるプログラムがあります。

 それで、その前の年、息子が小学4年の夏休みに、親子3人でメキシコに2週間ホームステイに初挑戦しようと、思いつきました。
 その準備として、まずは、その前に春休み、メキシコの人のホームステイを受け入れようと、考えました。でも、メキシコ受け入れの希望者が多く、我が家に来た方は、はロシアの夜間大学で日本語の先生をしている、男性アンドレイさん(当時39歳)でした。
 初めてのホームステイ受け入れに加えて、ロシア語が全然わからなかった私達に、アンドレイさんの日本語ペラペラ一週間のホームステイ(2005.3.21~3.28)でしたが、ロシアを気に入った息子は、

  「ロシアに行ってみたい。」とアンドレイさんの前で話していました。

 その後、予定していた2005夏のメキシコ行きは、私の実家の母が長期入院を余儀なくされ、結局、実現できませんでした。でも、その間に、息子はロシアに行く事を自分なりに考えて、一つの提案を話してくれました。
 
  「今度は、自分と同じくらいのロシアの男の子に、家に来てもらって、その子と仲良くなって、ロシアのその子の家にホームステイしてみたい。」

 親として”可愛い子には旅をさせろ”的には、まったく知らない、初めて出会あえる相手の家にホームステイさせたいと、考えていました。でも、息子が、自ら、一生懸命考え、勇気を奮って、父親にお願いしている姿を目の当たりにしたら、私の今までの気持ちが切り替わりました。搾り出してきた息子の要望を尊重しよう!ここで、親の価値観を押し付けてはいけない!
 その後に控えるヒッポのプログラム、「中1でのアメリカ1ヵ月ホームステイ、高校生になったら、一年間の留学へ~」につなげる為には、最初の交流が肝心!
 最初のホームステイが、楽しく、充実感、達成感を味わえることができれば、自然に、次の道は、開かれるだろう!と、息子の真剣な訴えから、学びました。

 そして、次の年、小学5年の2006..4.27~5.11、ロシアからジマが我が家にホームステイに来ました。

 


ロシア交流準備・保護者編①

2008-08-10 00:02:08 | 母:長男のロシア交流準備

      ①自分自身がチャレンジした事

  自分の一番苦手分野に意を決して、挑戦しました。
  (今だに、苦手意識を払拭出来ない状態ですが…)

 機械との相性悪く、機械音痴な私が、デジカメに買い替え、パソコンを娘と共に、習い始めました。

 息子が交流に使う、自己紹介アルバムと、名刺作りのために…

 それから、パソコンに慣れるように、、できるだけ、文章を打つ練習ができるように、ブログの立ち上げをパソコン教室の先生に勧められて、現在のこのブログの存在があります。