中学入学式後
学年主任の先生:「これから、もしかしたら問題が起こるかもしれないので、
何かトラブルが起きる前に、同学年の生徒達に障害を持つお子さんのことを
少しでも早くわかってもらいたいと考えています。
第一回学年集会で10分くらいお話して下さいませんか?
お母さんの手記を読ませていただき、私達が話してニュアンスが違ってしま
うといけないので、是非お母さん自身の口からお話し下さい。」
と提案を受けました。
母親:「私が話してもよろしいのですか?
私達の思いを察して受け入れて下さり、嬉しく思います。光栄です。」
学年主任の先生:「良かった、お願いしますよ。
では9日、11時半に柔道場2階に来てください。お待ちしています。」
初めての中学校との話し合いの日、こちらから細かい要望を出す前に、
先に先生方の質問・考えを尊重し、納得しながら能動的に聞けたことで、
私がスピーチ(予防のわたしメッセージ)をする機会に恵まれたのかもしれないと思いました。
配慮に恵まれたスタート
入学式当日、クラス分け発表の掲示板を見て、学校側の配慮に感謝しました。
娘のクラスは他のクラスに比べて、娘の出身小学校の生徒数の人数がやや多かったのでした。
それも、統率力ある正義感の強い親分的な男子、思いやりのある世話上手な女子、率直に意見を言える頼りがいのある子達ばかりでした。
さらに出身校以外の子で、出身保育園が同じだった3人とも、一緒のクラスに恵まれました。
私が小学校時代に積み上げた「肯定のわたしメッセージ」を好意的に受け取って下さった小学校の先生方は、今度はそれを「予防のわたしメッセージ」に換えて、中学校の先生方にしっかりと伝えて下さったのだと改めて感じました。
小学校から中学校への完璧な申し送りと中学校側の配慮、小中の連携に感動と感謝の涙が溢れました。
中学校入学前の話し合い
中学校との初めての話し合いの日、本人と私達夫婦3人で向かいました。
入学する中学校は、娘の出身小学校と他に2校を併せた市の中で一番のマンモス校です。
娘のことを全く知らない生徒が半数以上、更に、先生方も全員初対面になるわけで不安に押し潰されそうでした。
校長室に案内されると、次々と先生方が入室され、校長先生をはじめ、学年主任、副学年主任、6クラスある1学年の担任全員はいらっしゃったと思います。学年を挙げて、我が子と向き合って下さる雰囲気と希望の光を感じました。
と同時に、実際、知的障害の子を普通学級に受け入れるなんて初めてでどう接したらいいのかという、学校側の緊張感も察しました。
「私達の不安よりも先生方の不安を和らげる方が優先順位は上だ。問題の所有者は学校側。」と、咄嗟に気持ちが切り替わりました。
こちら側の配慮お願いを申し上げる前に我が子の説明をして、先生方の質問を能動的に聴き、落ち着いて受け答えができました。
伝えきれない分は、我が家の子育て信念を「肯定の私メッセージ」・「予防の私メッセージ」・「能動的な聞き方」を取り入れて綴った「言葉の遅い子育児相談」に関する手記を、読んで頂けるようお渡ししました。
我が子に不利な非常事態が起きた場合、親は理性を失い利己主義になり、苦情や要望ばかりを学校側に押し付けるケースに陥ってしまいます。(モンスターペアレントを例にみるように)
喧嘩腰の言い争いで威圧的に相手を無理に動かそうとしても、その場限りの対処で終わってしまい、その後は不本意な人間関係に変わってしまう場合もあるのではないでしょうか。
何か不都合な事が起こってしまってから初めて話し合うのではなく、日頃の何気ない日常生活・学校生活の中で先生方・学校側と信頼関係を結べる、肯定の「わたしメッセージ」の重要性を、長女の小学校生活を通じて、新たに認識できました。
愛情表現としての「肯定の私メッセージ」を積み上げていけば、相手の心に響き、思いは通じるはずです。そうすれば、{こちらが望んでいることを察して善意で行動を起こしてくれる}という有り難い{魔法のメッセージ}が届くかもしれません。
だから、娘の中学入学への準備は私が特にお願いをすることもなく、小学校の先生方は中学校へと申し送りをして下さいました。
市教育委員会から、中学校特殊学級・養護学校への要請も、全くありませんでした。
小学校卒業の頃に担任の先生から
「春休みに入ったら、中学校に電話をして下さい。
入学式前に親子と中学校の先生方との話し合いを設けた方が良いでしょう
と、伝えてありますから。困ったことが起きたらいつでも相談にのりますよ。」
と、心強い有り難いお言葉をも、頂けました。
小学校卒業式謝辞
卒業生の保護者を代表致しまして感謝のご挨拶を申し上げます。卒業生の皆さん、おめでとうございます。校長先生をはじめ、諸先生方、ならびに日頃より温かく見守って下さった来賓の方々、本日は卒業生へのお祝い、心より御礼を申し上げます。在校生の皆さん、先日は「六年生を送る会」を盛り上げて下さり、有り難うございました。
先程校長先生より卒業証書を頂く子供達の姿を目の当たりにして六年前の入学時の様子が思い出されました。ランドセルで見えなかった小さな背中が、今こうして立派に成長できましたのも先生方、皆様のご指導の賜物でございます。
子供達が日々楽しみにしている給食を担当された栄養・調理の先生方。健康管理に心配りして下さった保健の先生、学校医の方々。「昔遊び集会」「戦争体験」、「町探検」等、校外学習、総合的な学習の時間にご協力下さった地域の皆様方。「大きな夢を持とう集会」に出向いて下さった本校卒業の先輩方。皆様有り難うございました。
そして、クラス担任・生徒指導の先生を問わず、クラス・学年の枠組みを越えて学校全体のすべての先生・職員の方々がひとり一人の子供達を受け止めて下さいました。
学校・家庭・地域のつながりが強く求められている時代です。このように本小学校は学校関係の先生方・PTA役員の方々・地域関係者の方々の連携と情熱で、地域に根ざした教育環境に恵まれていると思います。その中で私達父母までもがお世話になり安心して子供達を学校へ通わせることが出来、重ねて御礼を申し上げます。
卒業生達はこの六年間の思い出が詰まった卒業アルバムを胸に、皆様の温かいご恩を心に秘め中学校へ進学します。先月、卒業記念にと植樹した桜の木と共に、子供達自身も更に大きく成長してくれることと信じております。
最後にご来賓の方々、校長先生、諸先生方、皆様方、子供達の将来にわたって変わらぬご指導、ご支援をどうかよろしくお願い致します。
至らないご挨拶となりましたが、感謝の思いの一端を申し上げました。素敵な卒業式を有り難うございました。
平成十三年三月十六日
六学年委員代表
[状況] 毎日小学校へ歩いて送り迎えをしている。
下校時、子どもの教室へ向かう途中に、他の学年の先生に出会った。
母親:「こんにちは」
先生:「こんにちは、お迎え毎日ご苦労様です。」
母親:「いつもお世話になり有難うございます。」
先生:「今日、マラソンの練習頑張って走っていましたよ。」
母親:「そうですか~一生懸命やっているのですね。」
「教えて下さり有難うございます。
我が子の学校での様子を知ることができ、嬉しいです。
先生が見守ってくださっているから、とても安心です。
これからも宜しくお願い致します。」
先生:「お母さんがいつも熱心だから、子どももいつも楽しくやれるのですね。」
母親:「そう言って、頂けるなんて親子共に幸せです。有難うございました。」
[感想] 担任の先生、同級生達はもちろんのこと、担任以外の先生からも
たくさん声をかけられるようになり、毎日のお迎えがますます楽しみになりました。
ー長女が小学5年生頃の事例です。-
娘が小学校2年からは、学校から特殊学級への話もなくなり、普通学級の中で娘を見守り受け入れて下さいました。
そして、娘がお世話になる分、世の中に親としてご恩返しができることを、色々考え、行動を起こしました。
[学校関係]
*小学校の家庭教育学級に入級、「救急法」を企画。
*授業に役立ちそうな参考文献を提供する。(本・新聞記事・ビデオ等)
*図工の授業に「リサイクル工作先生」として参加。
*月に一回授業の中で「お話会」:絵本の読み聞かせ・大型紙芝居・ストーリーテリング・ひとり語り(手話入り・作曲した歌入り)等を実演。
*最終学年6年時、クラス役員・文化研修部部長に立候補
*小6学年時、小学校教育講演会に「親業」のインストラクターを講師に迎える。
[地域関係]、
*「言葉の遅い子育児相談」を開き、市社会福祉協議会と隣の市、子育て情報誌にボランティア登録。
*市の母子福祉推進委員総会・研修会で「子育てについて」を講演。
*U市総合福祉センター内、簡易マザースホーム講演会にて講師を依頼される。「子育ての経験を通して感じたこと、伝えたいこと」を講演。
*公民館の乳幼児学級学級長に立候補、市内で初の親業導入、親業インストラクターを講師に迎える。
*市民意見作文公募の結果、市障害者プラン作成懇談会委員に選ばれる。
*市子どもプラン作成懇談会にオブザーバーとして参加を依頼される。
*市「子ども・障害者・高齢者プラン」合同会議にて意見提案。
*市社会福祉協議会で月に一回「千葉県民だより」を朗読奉仕。
*近隣の市、三箇所の病院にて、ピアノの方に誘われ、歌や語りのボランティアコンサートを開く。
など等、このように私が思いつくかぎりの活動を私自身が楽しみながらできることに感動をし、学校へ協力・支援・感謝の「肯定の私メッセージ」を常に発信し続けました。そして、学校側も学級担任一人だけではなく、学年の先生方を中心に学校全体で娘を受け止めて下さっていました。
外出時、我が子が公衆の面前でぐずったり、大声をあげたり、泣いたりして困ったことが数え切れないほどありました。
親は、周りの視線や体裁に気をとられ、つい子どもを怒ってしまいます。注意するとその泣き声は余計にエスカレートしてしまいます。
そんな時は、子どもの気持ちに寄り添い、心のドアをノックしてみます。
「どうして泣いているの?原因は?嫌に思うことは何かしら?」
親の想像力を高めます。
親自身がタイムカプセルに入り自分が子どもだった頃の
純粋なみずみずしい心を呼び起こします。
[状況] 外出時、ホームで電車を待っている。
特急電車が目の前を通過した直後、子どもが大声で泣き出す。
母親は周囲の視線が気になる。
子ども:「エーン、エーン」
母親:「あれは特急だから、この駅には止まらないのよ。」
子ども:更に大きな声で泣き出す。
「ウェーン、ウェーン」
母親:「あの電車に乗りたかったの?」
子ども:泣き声が小さくなる。
母親:「もしかして、お祖母ちゃんの家に早く行きたいのね!」
子ども:一瞬泣き止み、
「ヒック、ヒック」
母親:「大好きなお祖母ちゃんに早く会いたいのね!
だから、電車が行っちゃって悲しくなっちゃったんだー!」
子ども:母親に本当の気持ちを共感してもらえて、安心して完全に泣き止む。
母親:「お祖母ちゃんの駅に止まる各駅停車、早く来ないかなー!」
♪「おいで、おいで おいで、おいで電車、電車!」と歌う。
子ども:大好きなテレビ「お母さんと一緒」の歌「パンダうさぎコアラ」の
メロディーでの替え歌を聞いて一緒に歌い出す。
♪「おいで、おいで おいで、おいで電車、電車!」
[感想] 大好きな歌の替え歌にニコニコ顔になれた我が子。
その光景を最初から見ていた後ろの御婦人のお顔まで笑みがこぼれ、
爽やかな風を感じました。
すぐに泣き止ませようと怒って注意しなくても、子どもの本音を見つけ、
共感し合えたお互いの心の波動は、周りの人の心にも
虹を架けることが出来ました。
― 長女が小学校低学年の頃の事例でした。―
娘にとって、いろいろな人との出会いは、とても大切なことだと思っています。
だから、できる限り多くの所へ連れて行き、娘のキャラクターを知ってもらうようにしています。
勿論、初めて出会う人達の視線は、つらい時があります。
でも、第一印象は変に思われても、それは仕方のないこと。親が、落ち込んだり気後れせず、理解してもらうよう、一生懸命接しています。
公共の場では、娘の言動について、親の私が能動的に聞き、それを代弁します。
そうすることで、娘の行動原因や状況が、まわりに理解され始めます。
そして、だんだん暖かい空気に変わっていくということを何度も経験しました。
ー2001年度、親業機関紙第85号より抜粋ー
第三法は、言葉のやり取りが出来なければ無理、ときめつけることはありません。子どもが十分言葉による自己表現を出来ない場合でも、親がしっかり子どもの気持ちを能動的に聞くことができれば、一緒に問題解決を考えていくことが可能なのです。そんな事例です。
[状況]
長女香苗さん(小学校4年生)は知的ハンディがあるため、自分の意見をうまく伝えられないことがあります。クラブ活動に出るのが嫌で、クラブの間ブランコに乗って出なかったり、迎えに行くと泣いていることが最近二回もありました。
第一段階…問題を明確にする
長女 初めての環境で、先生も初めて、同じクラス女友達が一人もいない。 上級生は香苗の事情が理解できず、たびたび注意する。だからクラブ活動に出たくない。
母 みんなとうまくクラブ活動をしてほしい。
第二段階…考えられる解決策を出す
自分から解決策を言えないため、香苗の気持ちを能動的に聞き、受けとめて
から、母が提案した。
①クラブ活動はしばらく休む
②クラブを替える
③親も一緒にクラブ活動に参加させてもらう
第三段階…解決策を評価する
クラブに行けなくて反省している香苗の気持ちをくみとり、①②はやめる。
③「今度クラブがある時はママも一緒にでてみようか」と言うと「うん」と大 きな声で賛成。
第四段階…双方が納得いく解決策を決定する ③「今度クラブがある日はママも一緒に参加する」
第五段階…解決策を実行に移す
クラブの先生に親も参加の許可を得る。担任の先生が「隣のクラスの子に迎え に来てもらう」ことを提案。次の週はクラブ活動が休みのため、二週間後に親も 一緒に参加した。
第六段階…結果を評価する
クラブ員の構成がわかった。六年生が一人で、クラブをまとめるという責任感 から注意が多くなったらしい。そのことを香苗にさりげなく伝えた。いろいろな 楽器を体験し、香苗に細かくアドバイスすることもできた。クラブの先生が「香 苗ちゃんがいつもより生き生きして、とても嬉しそうでしたね」と言ってくださ る。
[母親の感想]
香苗が自分から解決策を言えないため、第三法バリエーションを考えてみまし た。子どもの欲求を能動的に聞いて、気持ちを受けとめてから、親の欲求をわた しメッセージで伝えるほうが、よりよい解決策考えられるようになりました。親 と一緒にクラブ活動に参加した後は、一人で出られるようになりました。「香苗 ちゃんのおもしろ授業」ベストワンはクラブだそうです。
以上の文章は親業受講時に書いた事例で
親業トレーニング 近藤千恵 編 久保まゆみ 駿河台出版社
2005年5月20日初版第1刷発行
に掲載されました。
小学校に入学後、学校側から特殊学級への移籍を要請されました。チャイムに合わせた行動ができにくい、担任の目が届かない所で事故が起きては大変、本人のストレスが増しているなどの理由からです。
しかし、私は地域ぐるみで子どもは育てたいと思っていました。
親は子どもの面倒を一生は見られない、小さい頃から分けられた特別の所で生活をして、将来も限定された庇護のもとでしか生きていけなくなるのは困る、と感じていました。
そういった親の想いを率直に伝え、学校側の言い分も能動的に聞き、第三法による話し合いを何度ももちました。
その結果、小学校は親の付き添いもなく普通学級で、信頼できる先生方に囲まれ、楽しく過ごすことができました。
-2001年度、親業機関紙第85号掲載より抜粋ー
長女(中1)には知的ハンディがあります。発達が遅く発語がなかった時は、随分悩みましたが、2歳の頃に親業に出会い、共感。
それ以来、意識的コミュニケーションに務め、記録として書きとめたノートは10冊を越えました。
話せないから、どうせわからないだろうなどと赤ちゃん扱いせず、わかると信じ、気持ちを常に能動的に聞くようにしました。
何かを感じ、完成した時は、その劇的な瞬間を見逃さず、肯定の私メッセージを伝えてきました。
娘のありのままを認め、心が響き会える関係ができ、多くの喜びを感じています。
-2001年度、親業編集委員会から原稿依頼を受け、
親業機関紙第85号に掲載された文章より抜粋ー
続く
私の親業との出会いは、発達が遅く発語もなかった娘が2歳の頃でした。
産経新聞に連載されていた親業の記事は、私の理想育児をまさに、現実的かつ具体的に示されていたので深く共感しました。
それ以来、親業の意識的なコミュニケーションに務め、娘が小学3年時、親業の講演会を聴き、小学4年時に初めて親業の一般講座を受け、引き続きパート2、上級講座と、自己実現のための人間関係一般講座も受講しました。
長女カリーナ(19歳)には、中度知的ハンディがありますが、去年の三月、県立高校園芸科を無事に卒業できました。
小学校から中学校、高校受験合格を経て卒業まで、親の付き添いもなく普通学級で、信頼できる先生方に囲まれ、安心し、楽しく過ごすことができたのは、私が親業を学べたからだと確信しています。
親業訓練協会:東京都渋谷区渋谷2-22-8名取ビル9階
03-3409-8355
ヒッポファミリークラブでもみんなにお誕生日の歌を英語・韓国語・スペイン語・ドイツ語でお祝いしてもらい、嬉しかったです。
ゴスペルコーラスのレッスンの時も先生が「おめでとうございます。」と言ってくれて嬉し涙が出そうになりました。
そして…帰り、お父さんの車のバッテリーがあがってしまい迎えにきてもらえず、大泣きしました。
でも、母の友人が親切に車に乗せてくれて、家に着きました。すると、お父さんが私がオネダリしてた青い腕時計をプレゼントしてくれました。とても感激しました。
明日は私の誕生日なんです。ウフッ
それで18歳最後の日までに、「私の18年間の思い出」をブログに書き終えてフーギリギリセーフでした。
今日で18歳卒業なので、パパに「青い腕時計が欲しいんです。」とオネダリします。