言葉の遅い子・心を育てる育児相談

親子信頼関係を深める子育て。心&脳&感性を磨く方法。料理・語学・介護・哲学・音楽ライブ活動等を日頃の感謝と共に綴ります!

明日から19歳

2008-01-18 16:45:40 | カリーナ:自分史

 明日は私の誕生日なんです。ウフッ
 それで18歳最後の日までに、「私の18年間の思い出」をブログに書き終えてフーギリギリセーフでした。
 今日で18歳卒業なので、パパに「青い腕時計が欲しいんです。」とオネダリします。
 


思い出の3年間と卒業後  

2008-01-18 12:22:29 | カリーナ:自分史

 私は園芸科に合格した時から皆勤賞を目指しました。3年間毎日自力で(迷子事件・駅ホーム落下事件・パトカー事件など色々ありましたが~)通学できるようになりました。でも一日だけお弁当を食べていた時に具合が悪くなり早退したので精勤賞受賞になりました。
 勉強も頑張りました。英語92点・理科80点・日本史54点・世界史52点・農業情報処理57点・家庭科総合53点・野菜68点・草花51点・現代文46点・数学31点取れました。私的には世界最高新記録達成
 卒業式翌日に前校長先生(私を高校合格させてくれた恩人の校長先生です。)から卒業祝いの手紙が届き感激しました。
 卒業後は、パソコン教室に通い、主婦ジュニアしています。

     


自分史(10)

2008-01-17 12:23:51 | カリーナ:自分史

 入学後、高校のすぐ近くの小学校へ行って、私が小学校2年と3年の時のお世話になった担任の先生2人に再会できて本当に嬉しかったです。4年の時の算数T・T
の先生にも会えました。
 高校3年間はあっという間でした。
 1年の時は、高校野球の試合に応援に行きました。でも我高は負けてしまい私は悔しくて泣きながら走りまわり、足を捻挫してしまいました。
 2年の時は、英語のテストで92点を取りました。「世界記録達成!」と大喜びしました。
 修学旅行の沖縄は青い海がとてもきれいでした。私の誕生日に友達がサーターアンダギーを大きく作ってくれて、それでみんながお祝いしてくれてとても感謝しています。修学旅行に誕生日が重なってラッキーでした。卒業後、3月25日から家族で沖縄に又行けます。とても楽しみです。
 3年の時は校外学習で浅草とお台場に行けて嬉しかったです。
 高校生になって自分一人の力で電車とバスに乗って一日も休まないで毎日学校に行けてとても幸せでした。
 中学の時よりもテストの点数が取れて成績も上がりました。勉強やマラソン、いろんなこと、一生懸命に頑張りました。高校の先生方のお陰です。今までお世話になった全員の先生にお礼が言いたいです。お友達にもみんなにお礼が言いたいです。
 本当に3年間私を助けてくれて、ありがとうございました。3月9日の卒業式、嬉しい気持ちと寂しい気持ちでいっぱいです。卒業式の日、私はどんな顔になるのでしょうか
 卒業しても又我高校に遊びに行きたいです。ありがとうごさいました。

               -FINE- 終わり


エピソード1

2008-01-16 21:27:24 | カリーナ:自分史

   「今まで一番頑張ったこと」
                 ー高校入学式に提出した宿題-

 私が今まで一番頑張ったことは勉強です。 
 中学校に入学してから定期テストが始まりました。問題用紙と解答用紙が別々になっていて、答えをどこに書くのかわかりませんでした。
 中1の初めは小さな字が書けなくて、解答のマスの中に書ききれませんでした。
 英語のアルファベットの向きもめちゃくちゃでした。
 数学は全然解りませんでした。
 歴史は言葉が難しくて
    「中臣鎌足」かまたりが「中臣固まり」かたまり に、
    「葛飾北斎」ほくさいを「葛飾白菜」はくさい と、
間違えて覚えてしまいました。
 それでも、いつも定期テストはみんなと同じように一人自分の力で、みんなと一緒のクラスの中でやりました。何回も何回も書く練習をして小さな字と英語のアルファベットが書けるようになりました。テストの点数も少しずつとれるようになりました。
 3年間の定期テストの中で一番頑張った点数は、中1の2学期期末テスト技術の75点でした。次に頑張ったのは、2年1学期定期テスト英語の55点でした。
 中3になってから受験勉強が始まりました。高校入試の課題作文を一生懸命頑張りました。1月から、ほぼ毎日作文を書く練習をしました。中学3年間の勉強は難しくてとても大変でした。でも頑張って毎日少しずつ覚えました。
 そして、第一志望の園芸科に合格できてとても嬉しかったです。ありがとうございました。高校生活も大好きな園芸の勉強を頑張りたいです。どうぞよろしくお願いします。
 
 


 


自分史(9)

2008-01-16 17:42:15 | カリーナ:自分史

 2004年3月14日、園芸科に私の受検番号312を見つけて嬉しくて大ジャンプ!
合格ガッツポーズをばっちり決めました。
 4月から新しい制服ブレザー&スカートを着られるのが楽しみでどきどきわくわくしたのが、まるで昨日のことのように思い出されます。
      自分史(10)に続く


自分史(8)

2008-01-15 20:56:38 | カリーナ:自分史

     高校入試対策「課題作文」
 
 私は草花が大好きです。祖父母の家は農家で野菜や草花を作っています。だから園芸科で勉強して自分で種や苗から育てられるようになりたいです。
 ところで、私は外国語が大好きです。韓国語・スペイン語・フランス語・中国語・ヒンディー語・トルコ語・ポルトガル語の自己紹介が得意です。手話も少しできます。私の家の近くにもペルーとチリの人が住んでいます。私が中学1年の9月にチリ人のビクトリアさんが1年生のクラスに転校してきました。私はスペイン語で挨拶・自己紹介をしてすぐに友達になりました。ビクトリアさんはチリへ帰ってしまったけれど、今はそのいとこ達とスペイン語で話をする時がとても楽しいです。草花や野菜・果物も世界中から日本に入って来ています。園芸科に入ったら、日本の食物や草花を外国の人にも説明できるように頑張りたいです。
 私の名前の漢字は、ふる里と千葉県の県花、菜の花から名づけられました。私の名前の菜の花を「花いっぱい運動」で咲かせたいです。痛んだ葉や咲き終えた花をカットして、綺麗な花を咲かせる花の美容師になりたいです。それで自分の「やる気」という木も一緒に育てたいです。
 高校卒業後はヘルパーと園芸セラピーの勉強をして、園芸セラピスト(園芸療法士)になることが私の夢です。

               ・・・と書きました。  続く


自分史(7)

2008-01-15 16:05:39 | カリーナ:自分史

2001年4月、中学校に入学。前もって小学校の先生方が中学校の先生方に私の事を詳しく伝えてくださったので、またみんなと同じクラスでよかったです。
 中学では勉強を毎日たくさんして、テストも頑張りました。みんなと同じに高校へ行きたかったからです。3年生になって、すぐに園芸科に入りたいと決めました。  
 中学校3年間の一番の思い出は、体育祭と文化祭です。体育祭は3年連続優勝をしました。私は嬉しくて涙が出そうになりました。
 文化祭の合唱コンクールでは2年連続学年優勝できました。でも3年の時、自信があったのに優勝できなくてガッカリしました。そして大泣きしました。クラスのみんなも担任の先生も一緒き悔し涙を流しました。
 高校を受験する時は、2年の時の担任の先生が付き添ってくださいました。試験の作文をたくさん練習しました。   
           続く


自分史(6)

2008-01-14 15:10:14 | カリーナ:自分史

 小学校卒業アルバムの中から「6年間の思い出」を書きます。
「私は1年の時、新しいたくさんのお友達に出会えて嬉しかったです。 
 2年の時は、運動会でモンキー・マジックをうまく踊れてみんながほめてくれました。
 3年の時は、初めてのクラス替えでわくわくしました。運動会で、輪になって踊ろうのダンスを楽しく踊りました。
 4年の時は、校外学習でディズニーランドへ行きました。ホーンテッドマンションの幽霊が私は怖かったです。 
 5年の時は、たいぶさ岬宿泊学習でキャンドルサービスをして、汗が出でしまいました。運動会の組体操は難しかったけれど頑張りました。先生とゴール2等賞できて嬉しかったです。
 6年になって3回目のクラス替えがありました。運動会の応援係をして朝の練習も頑張りました。修学旅行は箱根へバスで行きました。遊覧船と甘酒茶屋、オルゴール美術館などいろんな所へ行きました。
 20世紀の年末に成田山へお礼参りに行きました。  
 1月1日、初日の出は浜金谷からフェリーに乗って見ることができました。
 6年間、先生方、お友達のみんなのおかげで楽しい小学校生活を送ることができ、ありがとうございました。4月、中学校に行ってからも、みなさんよろしくお願いします。」
        ・・・と書いてありました。続く
         


自分史(5)

2008-01-13 17:15:13 | カリーナ:自分史

 私はたくさんのお友達と一緒にいられる時が一番楽しいです。でも保育園の時お祭りにみんなと一緒に行けないで、遅い子達だけ別行動になって大泣きしました。その話を聴いて両親は確信しました。
 「この子はみんなと一緒でいなきゃだめなんだ!」と・・・
 小学校入学前から家の近くの小学校にある「ことばの教室」に通っていました。
だから小学校は迷わず、みんなが通う地域の普通学級に決めました。
 1995年4月、家から歩いて通える地域の小学校に入学。
その年の6月2日に私の弟が生まれました。兄弟ができて本当によかったなあと思いました。学校に行く時はパパが、帰りは弟をだっこしてママが迎えに来てくれて、一緒に歩いて通いました。
 毎日お友達が遊びに来てくれて、とてもにぎやかで楽しかったです。
 おかげで私の言葉も少しずつだんだん増えて、みんなの真似をして自然に字も書けるようになっていきました。
      続く


自分史(4)

2008-01-11 13:14:26 | カリーナ:自分史

 5歳6ヶ月の時、ママと家の近くの公園に遊びに行きました。私がブランコを乗り終えて次の遊具に行きたいと思った時、初めて
 「ママ!」
と言えたのでした。母はその時のことを
 「まるで、映画のワン・シーンを見ているみたい!」
と感じたそうです。 でも、次の遊具に行く時もまた私は
 「ママ!」
と繰り返し言えたので母は感動して涙があふれました。


自分史(3)

2008-01-10 17:52:02 | カリーナ:自分史

 その一週間後、今度は漢字カードの(犬)と(猫)のカードを私に見せて母は言いました。
 「(猫)のカードはどっち?」 
すると私は見事に(猫)のカードを取りました。それからは二者択一だけではなく複数のカードの中から正解を選び取ることができるようになりました。
 3歳8ヶ月になる1992年10月に現在の家に引越しました。前に住んでいた家は、ディズニーランドのすぐ近くだったので、年間パスポートを買ってお散歩代わりにしょっちゅう行けて楽しかったです。引越して環境が変わってしまうから母は私のことをとても心配しました。でも新しい家の中をニコニコ笑いながら走り回る私の姿を見て少し安心したそうです。
 そして、隣の市にある児童相談所と愛児園の個別相談に通いました。
 4歳になって、つくしんぼ教室に週一回午後通いました。保育園にも行けるようになりました。でも朝ママが行ってしまう時大泣きして一ヶ月毎日泣き続けました。 ママに会いたくて、お家に帰りたくて保育園を脱走したこともありました。
 引越した後も一年間、舞浜駅へと、七田チャイルドアカデミー教室に週一回通い続けていましたが、4歳9ヶ月からは隣の市にある塾へ週一回、抱っこ法を受けに行きました。 
        続く


自分史(2)

2008-01-09 17:58:44 | カリーナ:自分史

 一難去ってまた一難。やっと歩けるようになったのに、言葉がぜんぜん出ませんでした。
 それで1歳8ヶ月の時から3~4ヶ月ごとに言語療法士の指導を受けました。その頃病院で初めてCTと脳波の検査を受けました。
 1歳11ヶ月の時、国立小児病院に行き、ABRという耳の検査も受けました。どちらも異常なしで安心しました。
 2歳1ヶ月の時に聖路加病院で心理の先生の指導を定期的に受けることになりました。健常児の集まりの中に入れば言葉の刺激を受けるのではないかと母は考えました。 
 2歳2ヶ月の時に主婦の友社・リトルランドの教室へ週一回、午前、親子で遊びに行きました。  
 その頃、マザーズホームでは、お弁当を持って午後2時まで通えるようになりました。
 2歳11ヶ月の私は数字が好きで散歩中、車のナンバープレートを指差しできるようになりました。お出かけの時、私が指差しすると、いつもその先には、数字がありました。 
 だから、今、算数計算が解らなくても、高校の数学の授業が面白いです。
 2歳頃の私は、喋ることはしなかったけれど、ひらがな・カタカナ・漢字・アルファベットなど文字にとても強い関心をもっていました。母が私が赤ちゃんの頃から「絵本の読み聴かせ」をしてくれたり、英語で子守唄を歌ってくれたからでしょうか?
 だから今、「英語が得意になれたんだ!」と思いました。
3歳1ヶ月の時に大発見がありました。私が風邪をひいて小児科の待合室で積み木遊びをしていた時でした。ひらがなが書いてある積み木を一つずつ几帳面に線路のように一列に並べていました。なんと、全部正しく読める向きに並べられてあったのです。
 「この子はひらがなの向きがわかるんだ!頭いいじゃない!読めているかもしれない。」と母は思ったのでした。
 3歳4ヶ月の時、私の興味にぴったりの右脳教育・七田チャイルドアカデミー教室に週一回一時間の授業を受けました。
 そこでは、ひらがなカード・カタカナカード・漢字カードなど一枚一秒の速さで読み上げ、フラッシュ方式で子供に見させて覚えていくやり方でした。次の日から母は、フラッシュ方式でたくさんのカードを見せて言ってくれました。
 やり始めて3日目に、フラッシュをやった後、母は「あ」のカードと「お」のカードの2枚を私に見せて言いました。
 「(お)のカードはどっちかな?(お)のカードを取ってくださいな。」
すると、私はみごとに(お)のカードを取りました。他のひらがなで試してみても全て正解出来ました。
 喋れないけれど、ひらがなが読める解っている。私と母は大喜びしました。
         続く
         
 


自分史(1)

2008-01-08 10:57:00 | カリーナ:自分史

 高3の三学期の時、国語表現の授業で、卒業制作「自分史」の宿題が出ました。
母と一緒に考えて、原稿用紙7枚目まで頑張って書き上げました。 

       「私の18年間の思い出」 
 私は東京の聖路加国際病院で生まれました。予定日の2月2日生まれだったら、ママと同じ水瓶座になれたのに、2週間早く生まれたので、山羊座になってしまいました。体重は3030グラム、身長は49センチでした。とても可愛い赤ちゃんだったので大きくなった今では、よく両親から「昔は可愛かったのに、今は…」と言われてしまいます。
 生後3ヶ月の時東京から千葉県に引越しました。私はお座りが遅く成長がゆっくりだったので、両親はとても心配しました。だからたくさんの病院・相談室・講演会に出かけました。
 生後11ヶ月に聖路国際病院小児科神経科外来に行き、1ヶ月ごとに定期健診を受けました。
 1歳1ヶ月の時、総合福祉センターで理学療法士の先生から機能訓練を受け1ヶ月ごとに見てもらいました。
 1歳4ヶ月の時に、同じ福祉センター内マザーズホームに入所しました。週3日親子で通いました。
 そして、1歳6ヶ月でやっと私が一人で歩けた時は、両親をはじめ、親類・近所の人・先生方・多くの人達が喜んでくれました。
           続く