テレビでチリの大地震のニュースを見た瞬間、とてつもない不安が私の胸を襲いました。私達家族の大切な親友&家族が、チリのサンティアゴに住んでいるのです。
長女が中学1年の2学期に、転校して来た女の子がチリ人のビクトリアちゃんでした。その妹のバレリアちゃん、お母さんのビルマさんとご主人の4人家族&ビルマさんの妹SACHIKOさん、ご主人のルイスさん、ディエゴくん、パウラちゃんの4人家族と、親交を深め合いました。
現在は、ルイスさんだけが仕事で日本に残っています。それで、ルイスさんの携帯電話に連絡したのですが、電話番号が替わっていて通じませんでした。
SACHIKOさんの弟ジミーさんが去年、治療を受けに来た事を思い出し、連絡先を調べて電話できました。
「オーラ!ソイ キヨーラ。アミーガ デ SACIKO。チリ地震 SACHIKO タビエン?」と聞きました。
すると、「直接本人とは、電話出来ていないが、友達が大丈夫だと言っていた。」みたいな事を聞きだせました。
少し、不安は治まりましたが、どうか無事でいますように!祈りをこめて!お願いします!
今朝のワイドショーで、明後日に行われる「東京マラソン2010」の話題が耳に入りました。
参加する西尾アナウンサーを激励する間寛平のメッセージに目が留まりました。
夢に向かって 前心 前進
この文字をテレビで見た瞬間、私は次に繋がる漢字熟語を連想しました。
夢に向かって 開心 改進
会心の夢が叶いますように!
前向きの心で、前に進み、心を開いて進歩をはかり、満足できる夢を叶えよう!
昨日、ドイツ人のピアニストと知り会えました。
「グーテン アーベント!」の挨拶をして、私は頭の中の引き出しから、記憶に残っているドイツ語を必死にかき集めました。
乾杯の挨拶で「ツム ボール!」とグラスを重ねましたが、私の発音が微妙に違っていて、ご本人が正確な「ツム ボール!」を言い直してくれて、通じました。
一字ずつの言葉は合っていても、やはり会話で重要なのは、発音とイントネーションだということを、痛切に感じた一場面でした。
セッションの合間にピアノに身を寄せて「ピアノ愛してます!と彼が日本語で言ったので、私はすぐに「イッヒ リーベ ピアノ!」とドイツ語で返せました。
私が♪「イパネマの娘」を歌うとすぐに、ピアノを弾きながら「ポルトギース!」と叫んでくれました。♪「All of me 」 「I can't give you anything but love 」「 I'm in the mood for love」等も歌わせて頂き、とても楽しいひと時を過ごせました。
だから、私は帰る時に残念な気持ちで一杯になり、「シャーデ!」と自然に言葉が出てきました。「アウフ ヴィーダーズェーエン!」の挨拶をして別れました。
今度また会えた時には今回よりも、もっとドイツ語を話してJazzも歌いたいと思いました。
見事に高橋大輔選手が銅メダルを獲得しました。やったー!
良かったと思いました。
次は女子もメダルを取って欲しいなと私は願っています。
運転中の友人がブレーキを優しく踏むと左前に、下校中の小学生数名の姿がありました。
小学生達は会釈をして、道を渡りました。渡り終えると振り返り、私達の車にもう一回、お礼を伝える心のこもった深いお辞儀をしてくれました。
なんて礼儀正しい気持ちの良い小学生達でしょう。道を渡る前と、渡り終えてから2回も丁寧なお辞儀の挨拶をさり気なく出来るなんて!初めて見ました!
私も心を込めたお礼を絶えず心がけて来ているつもりでしたが、この小学生達のように渡り終えてからも、お礼を伝える事が今まで出来たことがあったかしら?と、考えさせられました。
小学生達が無事渡り終えるまでブレーキを踏んで見守って待っていた友人の優しさもあったからでしょう!
、こちらの心までも温かくしてくれたお辞儀の挨拶を2回も見届けられて、幸せな気持ちになれました。
先週金曜日、ブラジルの方がみえるということで、主人からコミュニケーション&ポルトガル語通訳?を頼まれました。
最初に「ボア タルヂ!」と挨拶しました。ブラジルの青年に日本語で「ポルトガル語、話せる?」と聞かれたので、「ポーコ」と、答えました。
次にどうして話せるのか不思議に聞くので、「ボサノヴァの歌をポルトガル語で歌っているから」と話し、♪「Corcovado」を少し歌ったら、青年の顔がパッと明るくなりました。
♪「イパネマの娘」をポルトガル語で彼が鼻歌まじりに歌いだしたので、私も一緒に歌って意気投合!
彼と私のスペイン語&ポルトガル語&日本語雑じりの会話をしながら、判ったことは…
母国語がスペイン語の人が話す速いスペイン語と、ポルトガル語は会話が成立するけれど、私が話すスペイン語は、単語の羅列が多く滑らかさにかけるためブラジル人には通じにくい…ということでした。
会話の音の波=抑揚さが大事なことを改めて気づかされました。
ポルトガル語の歌はメロディーに助けられ、良く通じ、感動モノでした!
だから、音の波が途切れないように出来るだけ速くスペイン語を繋げば、わからないポルトガル語の単語に、スペイン語が置き換えられて意味が伝わるかもしれない?と感じました。
彼と話しながら、単語の語尾の違いの共通性を発見しました。スペイン語のインポルタンテ(重要)がポルトガル語は、インポルタンチになり、インテレサンテ(興味深い)が、インテレサンチとなります。
語尾のteの発音がスペイン語は「テ」で、ポルトガル語は「チ」になり、
また、deの発音がスペイン語は「デ」で、ポルトガル語は「ヂ」になることが、わかりました。
ポルトガル語の歌詞を聞こえるままに丸暗記して歌っていた音が、彼との出会い、会話の中で、少しずつ意味をもたらしたようです。
彼が帰るときに、私と主人で、「オブリガード!チャオ!」とお礼を言い、帰り際に私が
「ヴァ コン デウス!」と声を掛けました。
すると、彼はビックリして感動して、
「ポルトガル語、良く知ってますね!ブラジル人よく言う言葉です。日本語で、‘神と共に行って下さい’という意味です。」
と、教えてくれました。
彼が帰った後にふと、思いつきました。ポルトガル語の帰る人にかける挨拶が「ヴァ 」で行くという意味だろうから、たぶん、韓国語の「アンニョンヒ カセヨ!(平穏無事に行って下さい)」と同じパターンだわ!
韓国語では止まる人に別れの挨拶する時は「アンニョンヒ ケセヨ!(安寧に居て下さい)という言葉もあるから、ポルトガル語にも同じ様にあるかもしれないとひらめき、調べてみました。
私の勘が当たりました。ブラジルでは、人との別れ際には、もう一つ、
「フィーカ コン デウス!」(神と一緒に居て下さい)という挨拶も見つけ出せました。
多言語を活用している楽しさの醍醐味ここにあり!の充実した喜びを味わえました。
今週水曜日の夜中から長男がの風邪?37度5分の発熱ありと、木曜日は一日中、さ湯以外何も口に出来ずにダウン!
土曜日の明け方から私も体調崩し、長男の風邪?がうつったのか起きれずに朝食を作れませんでした。
午前中ずっと布団の中で寝ている母と弟の姿を見て、お腹を空かせて困った長女が、なにやらキッチンで、ゴソゴソやっている様子でした。
以前に私が寝込んだ時に、ハンディのある長女は自分でジャーの中のご飯をお茶碗によそい、納豆と生卵で朝ごはんを済ませてくれたことがありました。、今回も「自分の朝食は自分で用意して食べるでしょう」と思って寝ていました。
すると、「起きてください!」と何度も長女の呼ぶ声に起こされるのでした。「ひとりで先に食べていいから!」と私が言っても、ずっと、「起きてください!」を連呼するのでだるさをこらえて、起きました。
キッチンを見ると、カウンターに3枚のトレーが並び、その上のお皿にホットドックが作られてありました!
自分の分だけでなく、母と弟の3人分を作り、勝手にひとりで食べずに、みんなで食べたいと、私達を呼んでいたハンディを持つ長女に、成長を…思いやりを…ひしひしと感じました。長女に感謝の気持ちで一杯になりました。
「ママたちの分まで作ってくれてありがとう!食べるの待っててくれてありがとう!ちゃんと、ウィンナーを電子レンジでチン!出来たのね!音が聞こえたからわかったよ!」
マーガリンに挿してあるバターナイフの位置を見ると、長女が使った形跡がのこっていたので、「ちゃんとパンの間にもマーガリンぬってくれたのね!作り方教えたことなかったのに、ママの作るのいつ見てたの?良く出来たね!ママとっても嬉しい」
とたくさん褒めました。
まさに「不幸中の幸い」でした。記念すべき長女の作品料理を、フラフラの身体でやっとの思いでカメラに収めました。
「えらかったね!作ってくれた気持ちだけはしっかりいただきます!ありがとうね!ママは気持ち悪くて食べれないから、ママの分の2人分食べてね!」と言って弟と一緒にホットドックを食べる兄弟の姿を見守っていました。
普段は、姉には辛口の弟も「美味しかった!」と声に出して感謝の気持ちを伝えていました。長女はとっても嬉しくてずっと興奮していました。
長男→私→に続き、その日の「昼食後に功労者の長女も嘔吐を繰り返すという災難続きの週末でした。
そんな最悪な中でも、自分の力だけで頑張って作りきった長女の初料理作品は家族の心に光り続けていました!
NANSO舞台芸術創造プロジェクト第5弾!
ウミホタルの魔法
~ウミホタル王国へ~
Message
ミュージカル「ウミホタルの魔法」は、2010年2月28日に千葉県南総文化ホールにおいて奇跡的に「一度だけ」上演される作品です。脚本は子供たちが応募してくれた作文から生まれ、出演は、一人ひとり自らが「この舞台に立とう!」という熱意を抱いた人たちの集団です。
これらの貴重な出会いと偶然によって、この作品は生まれました。
子どもたちには夢と冒険を!大人たちには、子どもの頃、愛に包まれていた懐かしい想いが蘇るような…! 家族の愛、小さな恋の物語…。
子育て中のお父さん、お母さん、子育てを卒業した方々、今育ち盛りの子どもたち、かって子どもだった大人たち…観に来てくださる全ての人に心を込めてこの作品を贈ります。
2010年2月28日、その一瞬に「一度だけ」上演されるミュージカル「ウミホタルの魔法」。どうぞお見逃しなく!
(脚本・演出・振付 杉本智孝)
千葉県南総文化ホール
〒294-0045 千葉県館山市北条740-1
TEL:0474-22-1811
http://www.nanso-bunka.jp
↑私と母と弟が習っているゴスペルコーラスの杉本智孝先生が作ったミュージカルです!皆さん是非、観に来てください!
音符を言葉に例えるならば、音楽と楽器は「心に響く大切な世界共通語」と私は想っています。
それで、息子は中学入学後、ジャズ・オ-ケストラ部に入部させて頂き、トランペットを吹いています。でも、最近は吹くよりも歌いたい気持ちが強くなり、演奏する曲の歌詞を自ら、辞書で発音と意味を調べ始めています。去年9月の文化祭コンサートで、ディズニーのアラジンのテーマ曲「A WHOLE NEW WORLD」をパート演奏する合間、息子の口はずっと歌詞を口ずさんでいました。
学校で石橋太郎先生の教育講演会「国際化時代の英語教育」を聴かせて頂き、「普遍性があり、文法的にきちんとしている英歌詞は、言葉の分解~展開~知識の糸口になる」というお言葉に励まされました。
好きな音楽の歌詞が息子の勉強意欲への源になるように願っています。
中1の時の英語の授業参観では、クラスの皆の声が小さい中でも、息子は一番大きな声で教科書を読めていたのに、中2になってからの去年11月、ESLの授業参観では、クラス全体が蚊の鳴くような小さな声で、残念に思いました。
親が見ているから恥ずかしいから小さな声しか出なかったのかしら?と思い後で息子に聞いてみると、その日がそれでも一番声が出ていて、普段の日は無言…と言うのです。
ゴスペルレッスンで、楽しそうにステップを踏み、声を張り上げて歌う姿とは全く別人でした。 思春期だからなのでしょうか?
でも、石橋先生が話された「たとえ30年間のブランクがあっても、肉体改造できた人はすぐ思い出せる、覚えられる。肉体に刷り込んだ記憶は蘇って来る。」を信じます!
小さい頃から私の歌う英歌詞のジャズ&ゴスペルの歌を聞き、多言語の環境を意識して育てた息子が、今後も学校の授業で大きな声で英語を話せるように願います。
だからこそ、私は、親子で受講しているヤマハ・ゴスペルコーラスのレッスンに想いを込めています。
「歌は3分間のドラマ」です。一般的な日本語で歌う和声コーラスとは違い、ゴスペルは、ハーモニーの調和を重んじながらも、一人ひとりがソロを歌っているかのように自己表現する個性を重視してくれます。歌いながら踊れる曲の中に様々なミュージカルシーンを織り成すことが出来ます。
1人ソロで歌うのとは違って、ゴスペルコーラスの利点は、自分だけでなく、他のパートの人とのバランス感覚と耳が鍛えられることです。ソプラノ&メゾ&アルト&テナー&ベースのあらゆるパートの声を聴きながら瞬時に調和を考えて、同時に自分の声を表現する。この瞬発力は、多言語を話すうえで、またディベートにも活用できると感じています。
また、コーラスをバックに、ゴスペルのソロを歌える時には、譜面の音符にはないフェイクが堂々と歌えます。その時に感じる雰囲気から、自分の感性を信じ、即興スピーチするように、自由にアレンジして歌い上げる醍醐味はとても素晴らしいものです!
「相手の意見を受け入れながら、余すことなく自分も自己表現し、双方が心地良いプロセスを歩みながら、お互いが納得出来る良い結果を編み出せる…そんな人間関係&世界を築けるように…」
このような想いを感じ取れる、杉本智孝先生のゴスペルコーラス・レッスンを私達親子3人は毎回楽しみにしています。
最近、私の心にエネルギーを与えてくれた嬉しい笑顔を紹介します!
{エピソード1}
母の誕生日プレゼントを考えながら、先日ハガキを頂いたアクア木更津の婦人服ブティックに行って見ました。すぐさま、沢山陳列されている中から、一着のコートに私は呼ばれてしまいました。声を感じ取ったスプリングコートは、まさしく母の好みにピッタリとひとめぼれしてしまいました。
でも、お店の担当の方が不在なので、前のお店の人に尋ねてみました。すると、二つ先のお店の人に聞いてみてくれて、電話をかけて連絡している様子。すぐには戻れないようで、他のお店の人が、私の買い物に、娘のお喋りにと楽しく応対して下さいました。
コートをプレゼント用にお願いすると、自分のお店から箱やラッピング用包装紙を持って来てくれて、右隣のお店の人も、この箱はどうかしら?と考えて下さいました。
自分のお店の商品を買うお客でない私に、違うお店のお客に、こんなにも親切に対応してくださるお二方に感激してしまいました。快い応対と包容力のある笑顔に、優しい気持ちに包まれました。
「ありがとうございました!」を言って、お店を出ようとした時に、戻って来た店主さんにも会えて、ありがとう!を二重に共有して頂けました。
{エピソード2}
主人と娘とアピタの食品売り場を回っていたら、ハム売り場の前ですれ違ったスーパーのオバちゃんが、「こんにちは!」と挨拶して下さいました。とても丁寧なお辞儀だったので、足が止まり、この人、私のことを知っている人?どこかで以前会った人かしら?と考えてしまうほど、こちらを思いやる優しい気持ちを感じ取れる素敵な笑顔でした。
空いているレジにスッと入ると、さっきの素敵な笑顔で挨拶してくれた上品な感じのする年配の女性でした。ずっと感動しながら買い物していたので、その想いが引き合わせてくれたのでしょう!
二重の喜びに私は、「さっき、ハム売り場の前で、丁寧に挨拶して下さった方ですよね!笑顔がとっても嬉しかったんです!声をかけて下さってありがとうございました。」と、伝えました。
その方も嬉しそうに、「そう言って頂けるのは、何よりの励みになります!」と返して下さいました。
私達が住む身近な生活の暮らしを支えてくれているのは一部の大物政治家ではなく、ありふれているようだけれど身近にいるオバちゃんパワーが確実にサポートしてくれている…とつくづく感じ取った今日この頃でした。
私もこんなオバちゃんパワーの一員として、会う人に元気を配れるような素敵な笑顔を絶やさずに、毎日を送りたいです!
あまりにも斬新な調理光景だったので、写真に撮ってブログに紹介させていただく許可を貰いました。
→ホワイトソースは別鍋で作らなくていいの?
→ホワイトソースにバター&オイルを使わなくて作れるの?
→ホワイトソースはダマにならないの?
→マカロニは別鍋であらかじめ茹でて置かなくていいの?
→全部一つの鍋で出来ちゃうの?
等など私の疑問を吹っ飛ばすかのように、次々材料(冷凍海老・冷凍ベジタブルミックス・玉葱薄切り・コンソメの素・小麦粉・マカロニ・牛乳)を一気にお鍋に入れて、熱をいれ、かき混ぜるだけの超簡単!ビックリ調理法でした。
超簡単!秘訣のポイントは、お鍋と電磁調理器がアムウェイの製品でした。
昨日の夕方、主人の運転する車に乗り、家族で長男を寮に送って行きました。帰り道に富士山が大きくハッキリと見えたので、写真が趣味の主人が山の高台に車を止めました。
17時半頃、「お日様が静かに地平線のお布団に入ってお休みに入る」サインのような穏やかなオレンジ色のグラデュエーションにウットリしました。
10分ほど経過すると、「お日様はしっかりと眠りにつきましたよ!」…と誰かが会話し始めるかのように街の灯りがあちらこちらに光って見えました。
東京湾の海は、深い安定した眠りにつけるように…
富士山はすべての人達の疲れを癒し…
しっとりと子守唄をハミングしてくれているように…感じました。
そんなストーリーを富士山&山々の稜線&東京湾&地元の街並み達が、素晴らしい光景を演出して見せてくれたので、記念に私もシャッターを押さずにはいられませんでした。
私は睡眠中に、よく夢を見ます。目覚めてからすぐ思い出すときもあれば、時間が経過してから、夢がフラッシュバックする時もあります。学生時代は、夢日記を付けて置こうかな?と想ったこともありました。
今まで、英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・韓国語・中国語などを喋っている夢を見たことがあり、夢の中でも学習できる能力?は、自分が何を言ったのかをはっきりと覚えていることも数多くありました。
でも、今回は、初めて手話の夢を見ました。手話については、約10年前に手話サークルで活動していたこともあり、今でも、時々偶然電車の中で再会する時は手話で会話をしています。
また、多言語で会話する時も、言いたい単語を思い出そうとする間に自然に手話でジェスチェーしている自分がいます。
祖母も手話コーラスに入っていて、親子3代で歌を歌いながら手話をつけてカラオケを楽しんでいます。
手話は声の届かない遠い場所でも会話が出来ます。以前、電車に乗って帰る母は窓越しから、線路の外側で見送る私と娘に向って手話で挨拶してくれました。「ありがとう!愛しています!」と…いうエピソードもありました。
更に不思議な事は、今回の夢は、日本語の手話でなくて、「韓国語の手話の指文字」を見たことでした。夢を思い出した時に、まず感じたことは、「今まで韓国語の手話を見たこともないし、第一、韓国語の手話の指文字が実際あるのかどうかも知識がないのに、どうして夢に出て来たの?」…という疑問でした。
夢の内容は…韓国の人が韓国語を早口で長々喋っているので、私には内容がつかめませんでした。でも、私の友人が手話の指文字を使って、その内容を相手に確認している…というシーンでした。
何故?こんな夢を見れたのかを、あまりの不思議さについ考えてしまいました。
・東京の実家に泊まった時に、母が娘に、手話ハンカチ(写真)と、手話辞書
をプレゼントしてくれた。
・前回のゴスペルコーラスで、マイケル・ジャクソンの♪「ヒール・ザ・ワール
ド」の日本語歌詞に、手話をつけてのレッスンを受けた。
・先月、韓国の方とは、韓国語を…耳の聞こえの悪い方とは、手話の指文
字を使った手話を使って、同じ場所に居合わせているお互いを紹介し合っ
たことがあった。
このようなことを考えながら、両手を使って韓国語の「あ」ハングル文字0トを作っている自分がいました。次は「い」と、順番に考えてパズルを作っているみたいにかなり頭を使いました。
今度、韓国の友人にハングル指文字&手話の存在を確かめてみようと、また好奇心が膨らみました。
どなたか、すでにご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてください!
一昨日、実家で母のクローゼットを整理して、もう着ない母のお下がりの洋服を詰め、自宅へと宅急便に出しました。
その時、ファミリーマートの新米の女の子が手順の指導を受けていました。一生懸命な姿に、名札を見ると、ひらがなで「じょ」と書かれていたので、思わず、私の口から中国語が飛び出しました。
「ニーシー チョングォレン マ?」
じょさんは、嬉しさとビックリの笑顔で日本語で「中国語話せるのですか?」と聞かれたので、 「ティン ダ トン、カン ダ トン!イーディアル。」 と、答えました。
私がお店を出るまで、嬉しい笑顔のシャワーを注いでくれました。お陰で疲れは吹っ飛び、心がピカピカになれました!
渋谷で両親と娘4人で食事をしたお店でも中国のお姉さんがバイトしていました。
店長さんに聞くところによると、「今時は、バイト募集しても、日本人は来ないんですよ!」
そういえば、去年従妹の結婚式の後に入ったお店でも中国人の店員さんがいて、中国語を話せたことを思い出しました。
今回もしっかり、「チョーシー ヘン ハオチー ラ!」など色々話せました。すると、
「一般の日本人より、とても中国語の発音綺麗です!上手です!」と、嬉しいお言葉を頂き、とても感心してくれました。
最近、立て続けに5人の中国の方に発音を褒められ、更にもっともっと、中国語を話したくなりました。
昨日のランチの一品に、冷蔵庫の残り物大根の葉を取り出しました。
いつもは、ただ大根の葉をざく切りにして、鰹節を混ぜて油で炒め、シュガーレディーの四季のだしの素orつゆの素で味付けするだけでした。
今回は思いつきで、カルシウムの補給、小えび(瀬戸内海産・アキアミえびの素干)も加えてゴマ油で炒めてみました。とっても美味で「おいしい!」の連呼が聞けました。
でも、主役は前日私の母が作って持たせてくれた「おばあちゃんの味・酢豚」でした。
実は子どもの頃、兄弟してこの「酢豚」が大嫌いで…生煮えみたいな大きな玉葱・ピーマンがゴロゴロ入っていて、匂いだけでも嫌なところ、無理やり母に食べさせられたトラウマが残っている「酢豚」でした。
長期の入院・通院を何年も経て、生きる気力を失いかけていた1年前の母からは、想像つかないぐらいの回復力…ちょっと前までは私が作って実家に運んでいたのに…
逆にお土産を作れる母のパワーと思いやりが、嫌いだった味さえも、今回はこの「酢豚」を食すことにより、感動&感謝をひしひしと噛締めることが出来ました。