「甲斐の旅《その1》」の続きです。
山梨は2月14日から記録的な豪雪に見舞われました。1メートル越えの雪。
予定していたのはそれから一か月後の事ですから、大丈夫だよねと思いつつ、テレビの中から流れてきたそのニュースには落ち着かない気持ちにさせられました。
流石に母は山梨の甲府市内に住む親戚に見舞いの電話をしたそうです。
― うちの方は大丈夫だ。
とのお返事をいただいてホッとしたものの、本当は男性が埋もれるほどの雪で大変だったのだと後から話題になりました。
市内では雪は片付いていましたが、山の所どころではその名残が見えました。
甲府駅に着くと、その親戚、父の弟一家、つまり叔父さんの家族が迎えに来てくれていました。
私の家族も何かというと姉妹四人で集まって行動を共にしますが、それは血筋というものなのでしょうか。私達のために叔父の娘とその子供、そして息子夫婦と総出で迎えてくれたのでした。
無事に墓参りを終えて、みんなで記念撮影をしました。
歳が離れているので子供の時には一緒に遊んだ記憶もない従兄弟たちでしたが、お互いに挨拶をし会話を交わし大切な時間を持てたと思います。
その後、皆でファミレスでおやつタイムを取り叔父さん叔母さんたちと父の思い出に花が咲きました。
いろいろな話をしたのですが、徐々に切なくなっていき瞬きをすると涙がこぼれちゃうなと思った時に、妹がうううっと急に堰を切ったように泣きだしました。思わず「泣くなよ~」と私は自分のことは棚に上げて言うと、「泣くよ~。」と妹はまた泣きました。
―ああ、親戚ってやっぱりいいな。大切にしなくちゃな。
と、染み染みと思い、いい時間を持つことが出来たと思います。
前に両親と姉夫婦と一緒に山梨に墓参りに来た時、叔父の妻、つまり叔母さんには抜けられない用があって来なかったのです。
父はその時はまったく元気でしたが、長距離を運転することはやめてもらっていましたから、気軽に山梨に帰るということは無くなっていました。
私なんかは仕方がないと思ったのですが、父の中では少々の凝りが残りました。私が思っている以上に叔母のことを大事に思っていたのだと思います。やっと来たのに、来なかった叔母。だけれど、叔母の中にも仕方がないと思いつつ、会えなかった無念があったようです。
お互いに大切に思いながら、少しだけずれてしまう気持ち・・・・・。
「また来年行くから」という母からの連絡で、心からそれはいつかと待っていてくれていた人たちでした。
でも次に入ったのは「いつ行く」の連絡ではなく「葬儀」のそれだったのです。
春が来れば雪は解けるー。
でもそれはそこに存在しているから見ることが出来るのです。
だから私達は見えない者になってしまった者が、どこかできっと見ているに違いないと信じるしかないのです。
以下は宿泊した坐忘庵のもてなす心とその周辺の春を待つ風景です。
今回の旅は「墓参り、温泉でぐたー&ちょっと観光 」でしたので、ホテルでの写真が多めです。
でもかなり居心地のいい空間でした。
お部屋でも。
上のやつは「果樹園のティータイム」にもアップさせて頂き、記事にしました。
朝食
裏山です。
登山道。
露天から見えた竹林です。
どこにいても竹林には心惹かれます。
みつまた・・・・
3月半ばでしたので山梨は、春待つ空気の中にまるごと存在していました。
今頃は桃の花が咲き乱れ桃源郷のように成っていることと思います。
次回は観光編です。