ずっと昔、って言っても、このブログを始めた頃「次の準備」という記事を書きました。
リンクしましたが、わざわざ飛んで読んでもらえるようなものではありません。ただ、そこにおまけのように書いた
「前にある友達に
「ブログ始めたんだ。」と言うと、
「何のために・・」と言われました。私は迷わず
「次の準備」と答えました。
「次って、次は何をするつもりなの。」
「サア、『次』はこれからやってくるものだから、何が来るかはわからないでしょ。」
ある時は、人は風に流される雲のように、形を変えながら過ぎていくものかもしれませんね。でも、いつも流される雲の上は真っ青な空がある・・・・」
その言葉を、私はずっと自分で気にしていました。
ブログを開いたけれど、思うところの「次」は一体いつやってくるんだ―?
ところで私、昨年の8月からピアノを習い始めたんです。このブログ内ではちょっと恥ずかしいので「習い事」と謙虚に言っていたかも知れませんが、もう一つの「果樹園のティータイム」では、はっきりと書き、また当分は下手の横好きのようなものですが止めないと思うので、このブログ内でも堂々と言うことにしました。って、既にもう書いたっけ・・・。最近ちょっと、いろいろ記憶回路が怪しい・・・・。
それはともかく、普通はこんな大人になってからピアノを習いますというと、さながら「子供の時に憧れていた」とかの言葉が続きそうなものですが、実は子供の頃、そんな気持ちはまっったーく(強調)ありませんでした。
だいたいですね、右手と左手が別々に動くなんて、その頃の私の理解の範疇を超えていたのです。それでも友達の家でちょっとだけ触らせてもらったことがありますが、まるでロボットのようにガチガチにあらゆる筋肉を使っちゃったという感じに、「無理無理無理」と思ってしまったのでした。
でもそれは指導者について順を追ってやっていけば問題はなかったのだと思います。
ただ興味がなかったのでスタート地点にも立てなかったのです。
それなのにそうとう大人になったある時から、ピアノの「音」に興味を持つようになったのでした。素敵ですものね、ピアノの音。
それから数年は、本当に憧れていました。どこかでこんなに何にもできない人だけれど、幼稚園児に教えるように教えてくれるところはないかしらと思うようになっていたのです。
ところが昨年、ふとしたことからそのような先生に恵まれて習い始めることが出来ました。
片手オンリーで半年なーんてことはなくて、最初からそれなりに両手で弾きます。
えええ~、弾けるの私、って思いましたが、それが・・・弾けたんです。(もちろん上手にというわけではありません。)
その時、先生が手首をもっと鍵盤から離して。」と注意されました。
それで気がついたのですが、
右手と左手を別々に動かす練習、散々やってきたでしょう、私。
ブログを開いて、この数年、どれだけやってきたことか。
キーボードを打つのも、私なりですが早くなりましたが、こんなところで役に立つとは。
思わず、この時
「『次』、来たよ~。」と思ったのでした。
「次の準備」という記事は2006年に書いたものなのですが、繋がる「次」というものはいつ、いかなる形で来るのか分からないことなのだと、私は思うのです。
この記事は、実は前の記事「生きるとは、死んでいくまでの壮大なる暇つぶし」の続きです。
とあるイベントの進行役は、私には「出来ることをやっただけ」という、いっけん傲慢トーク。でも実はそうじゃないというお話です。
高校時代、私はフォークソング部なる所に数ヶ月だけ所属していました。
実は私、手が小さくてFコードがまともに押さえられず、ゆえにギターもダメで、しかも歌が音程の不安定な人で声量もない人だったのです。
なんでそれなのにそのような部に入ってしまったのかというと、それなりに理由があって決して「結婚しようよ」で一般少女たちにもブレイクしてしまった吉田拓郎氏に憧れて、迷い込んでしまったわけではありません。
じゃあなんでと思われる方は、こちらなどをお読みください。→「☓☓の詩」
歌もギターもダメだったら、そりゃMCをやるしかナイわけで、ここはちょっと自慢ですが、それはまあまあ上手かったのです。
でもそれにも理由があるのです。
その頃私は、姉や親がスポンサーになってまたは無料のライブなどに誘われることも多く、他の同級生よりプロのもしくはセミプロ(ブレイク待)の本当の舞台に触れる機会が多かったのです。やっぱりそういう本物に触れた回数はモノを言うのです。
歌がメインであっても、ステージに人の心を惹きつける一つの要因のひとつに、彼らのおしゃべりが欠かせないと思いました。もちろん演奏のみ歌のみというステージがほとんどだと思うのですが、フォークなどのライブなどは、歌のメッセージ性が高いために、やはりその人の声を期待するところだと思うのです。
魅力的に感じた話し方を、私は真似をしていたと思うのです。語尾とか間とか。話す内容もこっそりメモ書きの原稿書いていました。丸めて捨てて他の人には見せなかったと思いますが。その内容も、普段から心に引っかかったことや話したいことを心に留めるようにしていたり。
「どうして、あんなふうに出来るの。」と友人に褒めてもらえた時、
「そんな事ナイよ~。」と言っていたと思うのですが、今思うとそれなりにこそこそと努力をしていたのです。
とは言ってもですね、上記に書いたように、その部にいたのは数ヶ月。そりゃ、歌もギターもモノニナラない人が居続けるのはキツイってなもんでしょう。(しかも目的は達成しちゃったし。)
コンサートだってそんなにあるわけじゃなかったから、数回しかやっていないわけなんですよね。
今なんかは前もってやると緊張しちゃうからという理由で、数時間前に頭の中に原稿を書く始末。そんなところは反省点ではあるけれど、遠い昔にこっそりやっていた努力がここに繋がっていると思うのでした。
未来は見えない。
だけど今やっている新しいこと・密かな努力・地道な積み重ねは必ず次に繋がっていくのだと、私は思います。
※トップ画像は、「そんなあなたを誰かがじっと見ています。」と言う図。
本当は→「果樹園のティータイム/ハイテンション・カフェ」