いつの間にかワタクシもそこそこいい歳になってきました。それなのにまるで後出しじゃんけんのように、知らない事が出てくるのです。
つい先日も京都では6月30日に水無月と言う小豆のびっちりと乗った三角の外郎を食べるのだと言うことを知ったばかりです。そして昨日7月2日は「半夏生」と言うのだそうです。その日の習慣として各地でいろいろあるみたいなのですが、どちらかと言うと関西のイベントのようで知りませんでした。
単に私が無知だからとも言えるのかも知れませんが、そうとばかりはやはり思えません。ネットの世界が広がって狭い日本がますます狭くなった今だからこそ知りえる様々な習慣なのかも知れませんね。
そして地域によっては小麦餅を頂くところもあるみたいで、また関西ではその半夏生の日に蛸を食べる事が多いそうです。それでなのか7月2日は「タコの日」なのですね。
※ ※ ※
ところですでに遠い昔になってしまった高校1年の時に、芥川龍之介の「羅生門」という短編小説を国語の時間にならいました。羅生門と言う都のはずれの門の上で、死人の衣服をはぎ取る老婆。彼女の話を聞いてその老婆から追剥ぎに転じる男・・・・・・
昔の女子学生の一人で過ごす夜は、漫画を読んでいるかまたは漫画を描いているか、友達に手紙を書いているか、読書をしているか、または寝ているか・・・・そして暇なので勉強をしているか、そんなところです。
その日も単元の後ろにあった「学習の手引き」のようなものを見ながら、ちょっと薄暗い自分の部屋で授業の予習をしていました。
その中で「あなたならどうしますか。」と言う質問に、私は妄想の世界に落ちて行きました。
死人の衣服をはぎ取る老婆、それをじっと見ている男、そしてそれをまたじっと見ている私。
ー 人のモノを奪うなんて、何て醜い行為だろう。この男にまったく共鳴することはないわ。どんなに貧しくてたとえ明日死ぬと言われても人のモノなんか絶対に奪う人になんかなりたくないわ、私。
と、15歳の私は清くそう思いました。
その時妄想世界の中で、私の制服のスカートの端をシカっと握る幼い手がありました。見るとそれは私と10歳離れた幼い妹。10歳違いなので彼女はまだ5歳です。
その幼子が、私に言いました。
『おねえちゃん、お腹が空いた。』
あまりしゃべることの無い大人しい子です。小さな声でまた言いました。
『お腹が空いたよ。』 ―
私はその妄想世界の中で彼女の言葉を聞いてポロポロと泣きました。傍から見ればきっと「羅生門」を読んで泣いているように見えるのでしょう。本当に貧しいとはどういう事を言うのか、それを妄想の世界の妹が教えてくれたのです。自分では何も出来ない小さな子供が飢えてやせ細っていく事。それが貧困と言うものなのだと思いました。
― 『大丈夫だよ。』
私はその妄想世界の中の妹を抱きしめて言いました。
『お姉ちゃんはなんだってやる。泥棒はしないけれど、売れるものはなんだって売る。髪だって血だって売る。ああ、そうよ。女には男よりも売るものが一つ多いよね。いざとなったらそれだって売る。だから大丈夫。お前を絶対に飢えさせないから。』 ―
15歳、キスさえまだ未経験。そんな少女の妄想は意外と過激だったりもするのでした。
その国語の授業の時、私立の女子高のみんなの発言は清いものです。最初に私が考えたものと同じです。
「私なら、飢えても清く正しく死んでいきます。」
概ね、そのような意見が並んだあと、私が指されました。
「私もこの男にはまったく共鳴しません。人のモノは盗むなんて迷惑な事はしません。でも家族を守るために、私は何でもしようと思います。えーっとえーっと。うーんとうーんと……」
その辺りから発言の端切れが悪くなりました。なんたって、不道徳な過激な発言は出来るわけがありませんから。
「とにかく地を這ってでもなりふり構わず、私は生き抜こうと思います。」と、かろうじてまとめて席に着くと、先生はにっこり笑って言いました。
「そうですね。生きると思うことが大事な事ですね。」
なにげに褒められて得意な気持ちになったかもしれません。そしてもしかしたら、最初に「清く正しく死ぬ」と言った少女たちは面白くなかったかも知れません。
ただそれは、15歳にして守りたい人がいたかいなかったかの違いに他ならなかったと思います。
※ ※ ※
静かで丁寧な暮らしぶりが好感を持てて、いい感じで始まった朝ドラ「とと姉ちゃん」 、ただいま内容的に失速中。視聴率は良いらしいので作り手さんたちは気が付いていないかもしれないけれど、ツイッターでは最終回までまだまだ遠いと言うのに「#とと姉ちゃん反省会」と言うタグが出来、そこで呟いている人も多く、何気にブログ周りなどをしていると「早く今の朝ドラ終わらないかな。」などと言う言葉に出くわすこともあるのです。
私的には丁寧に作られている「暮らしの手帳」を作った方々がモデルとなっているらしいので、ただいま頑張って視聴中です。ドラマを頑張って見ると言うこと自体が何か間違えているような気がします。
でも唐沢さんがもっとメインにきた辺りから、きっと面白くなるに違いないと微かな希望を持って見ているのです。
だけど、先週の土曜日ー。
火事場泥棒ならぬ、空襲警報で避難している時に空き巣が横行していると小橋の家族は聞きます。
そしてお約束なので空襲時、防空壕の中から、何かの音を聞きつけてそっと防空壕のふたを開けてみると男が門の外に立っているのが見えるのです。
蓋をしめて空襲とは違う恐ろしさに震える小橋家。
私、このシーンに凄く違和感を感じたのです。
言っては何だけれども、どうせあのおじさんでしょと思っていました。常子がチャンと目を凝らし、門の外に立っている男の正体を見たら良かったのですが、それだと物語的にダメだと言うのならもっと自然な演出にしてもらいたかったと思うのです。
ずっと昔に「サザエさん」を世に送り出した姉妹社と言う会社を立ち上げた「まあねえちゃん」という傑作な朝ドラがありました(他チャンネル)。きっとあの時のまあ姉ちゃんだったら、同じシーンでまあ姉ちゃんの熊谷さんは、あの大きな目をかっと開き、口をへの字に曲げ両手を姉妹の体の前に庇うように出していたと思います。そして防空壕のふたが開いた時だけ、ドキリとして一瞬だけ目をつむり、そしてパッと開いてそこにおじさんの顔を見るのです。
「なーーーーんだ、おじさんか。」と二人をかばっていた手を下げる。そして体中から力が抜けていくのです。
それでこそ立ち上がろうとすると、気が抜けすぎて立ち上がれなくなった自分に気が付いてもちっとも不自然じゃないのですよね。
メッチャクチャ目をつむり過ぎ。なかなか開けなさすぎ。本当に賊だったらどうするのよって思いませんでしたか。腰が抜けたと言っていましたが、みんなを守ろうとして緊張しすぎて、そして気が抜けすぎて腰も抜けたって設定だったとしても、あれでは全くそうは見えません。一人だけ恐怖で腰も抜けたみたいに見えて、一番弱虫なのはお姉ちゃんなのかって思えてしまったのでした。
その時、私、思ってしまいました。
これは、「とと」じゃなくて「タコ」だなって。
7月2日、関東人である私は蛸は食べませんでしたが、「タコ」に無縁だった1日ではなかったと言うことですね。
参考に
猫ブログを書きました。そこに「タコの日」について一言書かせていただきました。→「やんちゃ姫」
水無月の作り方は→クックパッドで
(作ってみたいです。上手くいったら京都人の真似事などしてみようかしら。)
半夏生については→「半夏生」
退屈している暇はありませんでした(退屈なんか多分最近したことがないけど)
水無月・・・そうですか 全国的じゃなかったんですね
ごく普通に食べられているお菓子です
但し私自身は生涯に何度食べたかと言う程度です
多分京都のお人は毎年食べてはるんでしょうが・・・
半夏生・・・これも実家でイベントごととしてしたことがありません
これは水産業者の陰謀かも?? 昔スーパーなんかで
こんなに宣伝はしてなかったですもん^^;
羅生門・・・怖いお話ですね^^;映画も怖かったけど^^;
人間の本性をえぐるまさに文学作品ですね
現代国語の時間の先生の受け答えを思い出しました
あの一言コメントって日本中の現国の先生がやっていたんでしょうねえ
なんかほほえましかった( ´∀`)ヵヵヵ
とと姉ちゃん これからスピードアップされるでしょうね
あんなとろとろやってたら何年経っても終わりはしない^^;
「暮らしの手帖」 小学生時分から読んでました
あの中の童話が好きだったんです^^
だから大橋さんのお名前は相当以前から知っていました^^
「水無月」と言うお菓子、やっぱり心惹かれますよね。
作ろうと思えば、何とかなりそうなところも良いですよね。
だけど心に留まるきっかけと言うのは、あらゆるところにあるものだと、しみじみと思いました。私はネットからでしたが、雀(から)さんは、塗り絵の中から。
お互いに美味しく出来たら良いですね。
>退屈なんか多分最近したことがないけど
うんうん。これが若さの秘訣ですよね。
最近70歳近い人(プラスマイナス含めて)たちに時々遊んでもらっているのですが、みんなすごく若いんです。そして彼女たちの毎日は忙しい~。
水無月は、きっとこちらの方でも売ってはいると思います。でもそれを6月30日に食べる習慣があるのは京都だけなんじゃないかと思うのですよね。恵方巻のようにコンビニがしかけたら、全国区になるかもしれませんが。
半夏生のような季節の暦を大切にする行事は、主に農村で大事にされていたものかも知れませんね。ネットの解説でも「関西では」と乱暴に書かれていますが、一概には関西と言えないと言うことなのかも知れませんね。
私は蛸よりも、小麦餅の方にアンテナが立ちました。基本甘いものに弱いようです(笑)
「羅生門」。
そうですよね。あの時にクラス全員が「清く正しく死ぬ」と言ったら、先生はさぞや困った事でしょうね(笑)
「暮らしの手帳」は大好きです。あの雑誌は読みごたえがあって今でも素敵ですよね。あのような雑誌なので何度も危機があったみたいです。その危機の時にダスキンなどが一時フォローしていましたよ。つまり得意様などにただでくれていた時代がちょっとだけありました。
ダスキンが買っていたのだと思います。そんな雑誌を作った人の物語だと思って期待も大きかったのですが、常子に「とと」と呼ばれるほどの家族を守ろうとする覚悟を感じる事がまったく出来ず、ただいま絶賛がっかり中です^^;
以前、夢中になって山歩きしていた頃に、途中で白くなったマタタビの葉を見かけると「お前さん、梅干しはどうするのだい?」とお叱りを受けたような気がしたものです(°▽°)
なんか、これ、素敵!
自然と共に生きるってこういう事を言うのかなぁって思いました♪
半夏生のことは向こうに書いたようなことでしたが、『羅生門』に食いつくw
老婆は死人の髪や衣服を剥ぎ取っていた以外に蛇の切り身を太刀魚だと偽って売っていたエピソードもあったような。
生きていくために詐欺をしてみたり、死者のモノを彼らには無用になったのだからと奪って生にしがみついている彼女から下人は更に奪った。
彼が「人でなし」になった瞬間なのかな、と思いました。
あるいは弱肉強食、、、w
nicoさんの「半夏生」の記事のお返事にも、私は再度しみじみとしましたよ。懐かしく思い出される想い出の中には、決して良いものばかりではない事も含まれているのだと、私も思います。
いつかその胸を指すような想い出も含めて、すべて美しい同色で塗りつぶすことが出来る日が来るのでしょうか。
「羅生門」のお話。
上のキミコさんのコメントにも映画の話が出てきましたが、あのような短編を良く映画に出来たなと思います。
昔は人間の深い心の動きなどを面白いと感じその世界に浸る事も出来たのだと思いますが、どうなのでしょうね。
私は、あの男にはまったく共鳴できなかったのですが、あんな時代で底辺の底辺をのたうち回っていたら、私は老婆のやってることは真似をしたかも。戦国時代にはいくさの後は、いくさ場でこそこそ刀を拾っていたかも。
思わぬ悪人ぶりをカミングアウトしちゃいましたかね(笑)