森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「妄想美術館」

2022-07-13 08:32:20 | ユーモレスクを聴きながら(book)

7月7日に読了。

美術館で絵を見る事が好きな人は、この原田マハさんとヤマザキマリさんのおしゃべりに嵌る事間違いなしなのではないでしょうか。

(「間違いなし」と言いながら「でしょうか」と書く気の弱さは・・・・置いといて)

「モナリザ」が日本に来日した時の想い出や、近い所では「若冲」の5時間待ちの話など、ついついこのお喋りの3人目になって心の中で会話してしまいました。

 

ちょっと私のお話です。

私も「モナリザ」は(たぶん)中学生の頃、姉と姉の友達とで見に行ったんですよ。確かに長蛇の列。そしてやっと順番が回ってきた時、気持ちの中では「今まで見る事が出来なかった、または二度と見る事の出来ないお宝」のような気持ちになっていました。

見る事が出来たのは一瞬。

「謎の微笑み」が「謎」に見えたか否かも分からないまま、自分の順番が終わってしまいました。背景が印象的でした。

それからまた、私はその後、友達と上野にパンダを見に行ったんですよ。

やはり長蛇の列で、やっぱり見たのは一瞬。

「キャー可愛い、もっと動いて~。」と思っている間もなく、自分の番が終わったんです。

なんかその時思ったんです。自分にとっては「モナリザ」も「パンダ」も同レベルって。

 

では意味がなかったかというと、そうではありません。それまで美術館でアートを見る経験がなかった私にとって、その経験が美術館に行くことのハードルを下げたと思うんです。

「モナリザ」は今でも「今まで見る事が出来なかった、または二度と見る事の出来ないお宝」です。

ルーブルに行けば良いんだと思っていましたが、二人の話によれば、今でも人気のそれは、ルーブルでも二重三重の人だかりだそうです。

そして「若冲展」。やはり3時間並んだ(その前に電車のアクシデントがありプラス1時間半の待ち時間)それでしたが、今でも「クスッ」と笑ってしまう煌めいた想い出です。→若冲地獄

襖絵や掛け軸など、日本でアートは一部の人のためのようなものに感じられていたけれど、実はそうではなかったと言うお話の中で、出てきた例だったと思います。(趣旨が外れていたらすみません。)

 

最近「ポーラ美術館」に興味がありで、検索していました。

そしたら本の中でお勧めの美術館の中に、それが入っていました。

また閉館してしまった「原美術館」の話も出て来て、そんな所もちょっと嬉しかったりもして、先に書いた「一緒におしゃべりしている感覚」にどんどん入っていきました。→《そして、原美術館に着きました》7月の東京散歩

「アートは友達。美術館は友達の家」と言う原田マハさんが大好きです。(の、割には本自体は未読です。ごめんなさい。)

ヤマザキマリさんの好きな絵には、共鳴するものがあって「そうなんだ~、やっぱり!」という気持ちにもなりました。

しかしそれにしても、ヤマザキマリさんのお母さんは意識が高い人だったのだなと、少々の羨ましさを感じました。と言ってもその方が私の母であっても、私に対応が出来るわけもなかったわけですから、隣の芝生を羨ましく思わない事は大事な事ですね。だけどやはり、素晴らしいお母さんだったのだとは思います。

私的には180度見方が変わるという事はなかったかもしれませんが、ある視点においては、ちょっと意識が変わりました。それは「未完成」と言われている絵画についてです。

かなり以前、ピカソの絵画展に行った時、これでもかというくらいアトリエ総ざらいのように持ち出された未完成品が展示されていたのでした。

私は「作家は見てもらいたくないんじゃないのか。」と、その部屋の意味が見いだせず、寧ろ嫌な気持ちになったのでした。

ところがふたりの会話から、その「未完成品」などにどのようなドラマがあったのか、その未完成と言われている絵画のドラマチック性を教えてもらったように思いました。

対談形式なので気楽にさらさら読めますが、なかなか読みごたえがあって、読み終わった時、私はとっても幸せな気持ちになれました。

 

 

・・・


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 絶対痩せない三日間 | トップ | 「ボイス4~112の奇跡~」 »
最新の画像もっと見る

ユーモレスクを聴きながら(book)」カテゴリの最新記事