9月25日に行ってまいりました。
こんなに会期ギリギリになってしまったのは、最初は行く予定がなかったからなのです。というのも、私にとってのミュシャは、今となっては「スラブ叙事詩」のミュシャだったから。
2017年に行った記事は「「ミュシャ展」に行きました。」なのですが、その時の企画展は、本当に最高でそして圧巻だったのです。
その記事の中で
>私は「ミュシャ」と聞くと、今まではアール・ヌーヴォ―の綺麗な絵を描く人と言う認識しか持ってなかったように思いました。確かに彼はパリで舞台用や商業ポスターを手掛け、その人気を絶大なものにしていったのです。
と書いたのですが、「今までの認識」の方のミュシャにあえて行く事もないかと、最初は感じてお出掛け候補から外してしまったのでした。
しかしその後、ツイッターなどからの情報で、彼に影響を受けた方々の展示があると知って、にわかに行きたい熱が過熱したのでした。
よく見れば副タイトルがなんと「ミュシャからマンガへー線の魔術」だったのですよねぇ。
2017年の記事の中で、私はまた
>私はこれらの絵を観ていて、漫画を描く人、映像を作る人、もしくは物語を綴る人に何かしらのヒントを与えそうだと感じました。今の自分がそれらの何にも当たらない事が、ちょっと寂しくも感じました。
「与えそうだ」などと、また無知の知を晒していたわけですが、やはりここでも大事なポイントは外してはいなかったのですね。←何気に自慢。
会場の入口からずっと続く、美しいポスターや雑誌の表紙を飾ったミュシャの絵。
もしも私がこの時代の人だったら、もちろんそれらを目にし雑誌を手に入れる事が可能な人と言う意味ですが、私はきっと彼を見つけ出し、ひとりその絵を眺めてボーっとしていたと思います。そして彼が故国に帰り、あの大作たちを仕上げたこと知ったならば、我が事のように喜んで自慢に思い涙を流したことでしょう。
そんな妄想をしながら、私はメチャクチャ混んでいる会場を廻っていました。
言うなれば、その感情は「押しを押す」「オタクの心」「ファン心理」と言うような、今も昔も変わらないものではないでしょうか。
「スラブ叙事詩」のような大作の時にも、何かそこに大きな物語の様なものを感じました。
そしてまた今回も、彼の一枚のポスターや雑誌の表紙を飾った絵などからは、そのページを捲ったら何か物語が飛び出すような、そんな錯覚を抱かせるものを感じさせたのでした。
本当にまるで漫画みたいだと、私は思いました。
クオリティの高い漫画家の皆様が影響を受けるのも当たり前かもしれませんね。
そして私たちは、知らず知らずのうちに、その影響を受けた作品を見ていたのです。
「みんなのミュシャ」。なんだかそんなタイトルに頷けるようなものを感じますね。
HPは→こちらです。
そしてそこからも飛べますが、
影響を受けられた方々のスペシャルページは→こちらです。
買ってきた絵葉書です。
ペコちゃんのサブレ缶とかカステラの綺麗な箱売りのものなども、後で考えたら欲しかったかも。
今回はコレクションしているファイルも無しです。
お土産売り場も混んでいて、ちょっとだけ圧倒されてしまいました。
それでも見る価値がありですよ。
※
天野さんの作品で絵葉書になっていたら欲しかったものがあったのですが、HPにもチラシにも同じ作品しか載っていなくて残念です。彼の作品展に行くしかないかなと検索したら、
このような所を見つけました。→ここです。(ファンタジーアート展)