森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

14th / 15th

2016-08-16 10:34:33 | 梢は歌う(日記)

14日と15日の出来事です。

15日には私の夕方バイトが始まってしまいました。時間的にはちょっとでも、みんながまだ休んでいるのに出かけて行くのは、気持ち的には少々辛いものがありました。でも送ってもらったり、お食事の盛り付けを頼めたりと便利な事もあったのわけですが。

 

この日は朝からルート君に頼んで、クリーンセンターにゴミ捨てに行きました。

捨てたものは

押入れダンス・ホットカーペット・電気の傘二つ・プリンター・ドラムステッキと言うゲーム。

不燃ごみで捨てられるものもありますが、重いのでこの際一緒に持っていく事にしました。粗大ごみで出したら2000円かかる所、600円ちょっとで済みました。

だけどこの「物の墓場」に来るたびに、ほんのちょっとの間だけ私は悲しくなるのです。

車から乱暴に投げ出された物たちは、本当にゴミにしか見えません。押入れダンスなどは、ちょっと前まではスムーズに引き出せなくても便利に使っていたゴミではなく「物」であったのです。

あんなにぎゅうぎゅうと靴下や下着を詰めて収納しなければ良かった。壊れて来てしまっても、もっと丁寧に直してあげれば良かった。

そうしたらまだまだゴミにはならずに「物」として生きていけたのだろうか・・・・。

しばしの感傷に浸って、

「ごめんね。さよなら。」と車の中から目立たぬくらいに手を振っていましたら、車からそれらを降ろしていたルート君が戻って来て、そんな私に気が付くと一言言いました。

「振り返るな。すでに過去だ。」

 

 

その帰りに病院に毎年出している書類の為の診断書を取に行きました。

15日も通常稼働の所って多いんですよね。

病院は人で溢れかえっていましたが、私は出来上がっている診断書をもらい受けるだけだったのであっという間に終わりました。

 

その後、最近ずっと食べていなくて、ちょっぴり食べたいなと思っていたマクドナルドのバーガーをドライブスルーで調達しました。

ところがワタクシ、すっかり世間知らずになっていて、「すごく美味しいと言うわけではないけれど安い」と言うのがマクドナルドなのかと思い込んでいました。照り焼きバーガーを頼んだら、単価高いじゃん。

「安いのは、普通のハンバーガーかチーズバーガーだよ。」とルート君。

もう、それ以外は頼まないわ、私。

あっ、でも、私、ここで凄く食べたいメニューがあるのでした。それがなんだか良く分からないので、今度、じぃっとメニューを見てみる事にしましょうと心の中で思ったのでした。

日記を書く事の良い点の一つは、過ぎた過去の記録のように見えるけれど、その作業の中で次への行動が見えるところだと思います。

 

14日の日曜日はドラマディー。

でも「仰げば尊し」はお休みでした。だったら裏の「HOPE」をかけてくれれば良いものを、意地でもかけない夫。と言うか、彼は今まで見た事がないから、見ると言う選択肢がないのですね。だけど私、今は余裕です。と言うのもラッタ君が帰って来た時に、壊れてしまったパソコンの録画機能を直してくれたからです。

 

今回も「真田丸」は見ごたえがありましたね。

狸おやじの家康の真の恐ろしさが見え始めました。どうしてそうなってしまうのだろうかと分からないまま、みんなが家康の言葉になびいて言ってしまい、そして沈黙。黙っていられなくなった三成が口を挟むと、なんだか最後は彼の方が分が悪くなってしまう・・・・・。

言葉の強力ほど怖いものは無いと私は思います。

 

同じような事が日常の生活でも見受けられるなと、思った方も多いのではないでしょうか。

先日ツイッターでも拉致被害者を救うには憲法9条に問題があって…云々と言うことを呟いている人がいて、まったく訳が分からない事だと思っても、活字でしっかり呟かれるとそれなりの説得力があるように見えて共鳴する人がいるのかと心がざらっとしました。凄く嫌な気持ちになったのでその方とはお別れしましたが、よく見てみると、その方から私はフォローされてなかったので、「ばっきゃろー」と思って切り捨てても何の問題もなかったのでした。

そのようなレベルの話でなくても、言葉の強力と言うのはおばさんの世界ではチョーたくさんありますよ。

あれやこれやと思い出すと・・・・ああ、もう人間嫌いになって引きこもりたくなるから止めておきますね。

 

それにこれで、「あの時あんなことがあった。」「あの人がこうだった。」「あの人のココだけは嫌いよ。」とか言っていたら、リアル「そして誰もいなくなった」になってしまいそうですしね。

 

そして

「そして誰もいなくなった」。

物語が1話に繋がって、次回から第2章。

ふむ。

これ、だんだん分かってきた・・・・・・。

と言っても、90%は分からないわけです。おい、それで良く分かって来たと言えるよなと一人ツッコミ ^^

そして分かったと思い込んでいる部分も外れていたら恥ずかしいと言うこともありますが、当たっていたら、逆にマジィので今は沈黙ですね。

あっ、あれは言ってもいいよね。バレバレですよね。あれはあの彼の自作自・・・・・

ああ、それもやめておくか~。

こういうのって難しいですよね。

とにかく毎週楽しんでいます。

竜也さんの「えっ?」を聞くのも楽しみです。

 

そう言えば、ゴミ捨てに行く車の中で、ルート君と交わした会話が

「藤原竜也のどこが好きか」と言う話題だったのよね~。私が熱く語っていたのを彼が仕方がなく聞いていたんじゃなくて、語っていたのはルート君。

 

楽しい時間でした♪

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささやかな願い

2016-08-16 01:47:50 | 梢は歌う(日記)
 
家族の歴史を語り合おう
今、私が時々思い後悔している事は、それはどうしてもっと義父の話を聞いておかなかったのかと言う事。父の話をもっと聞いておかなかったのかと言う事。さらにさかのぼって祖母の話......
 

 上の文は昨年の8月15日に投稿したものです。

8月15日は「終戦記念日」。

戦争を知らないと歌っていた若者たちも、立派な老人世代です。その親たちが経験したのも子供の視点からの戦争だったりもする今、出来る限りの事を聞き出しておくことも大事な事なことのように思います。

2013年には「終戦記念日の日に思ったこと」と言う記事を書きました。

今もその想いは同じです。

 

ひとつ前の「おばあちゃんの読み聞かせ」の中に登場してくる私の祖母は、その葬式の時にやって来た彼女の弟たちが

「ねえちゃんは本当に働き者だったな。」

「うん、朝から晩まで働いた。」と語り合うような人でした。

 

その祖母は、私が物心ついた時から老けていました。おばあちゃんなのだから当たり前に感じていましたが、自分が大人になって、そして今になって見るとちょっと不思議なような気がするのです。

それは私の家系は母も含めて、美人であるかは別にして、丸顔が幸いしているのかパッと見が実際の年齢よりも若く見えるのです。

こんな一文を堂々と書いてしまって、この文が友達の目に触れたら思わず椅子から滑り落ちてしまうかもしれません・・・・。

「でもおばあちゃんは昔から老けていたよね。」と言うと、父も母もそしておじさんも口々に

「若い時から、ずっと苦労をし続けてきたからな。」と言いました。

 

祖父は戦争から生きて帰って来ることが出来ました。でも実際は生きていたのは肉体だけで心は死んでいたようなものです。

だから祖母は戦争中と同じようにずっと働かなければならず、時には心の中に鬼も宿り、祖父を呪ったのに違いありません。だから祖父は北海道まで流れて行って死んだのだと思います。

 

戦争に正義や大義なんかあるわけがない。

素敵な戦争、そんなものがあるわけがない。

 

私は戦争を知らずに生まれて来て、そして知らないまま死んでいきたいと思っています。

また次の世代の子供たちその次の子供たちを、誰かに殺されるまたは殺さなければならない恐怖からずっと守ってあげたい。

そんなささやかな願いが叶う世の中であり続ける事が出来ますように、宇宙の幾千億の星に祈ります。

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする