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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

珈琲と猫とおじさん

2019-08-24 08:13:47 | トルコ旅行記

アンカラからおよそ380㎞。ようやく世界遺産ブルサに着きました。

まずは腹ごしらえです。遅い昼食を頂きました。この時既に2時半近くになっていました。

狭く車の量の多い道で素早くバスを降り、それから徒歩で移動して食事をするお店に着きました。

お店の前には、のんびりと猫が横たわっていました。

 

トルコでは本当に、何匹もの猫を見ました。

何とはなしに日本の猫とは違うような気がしました。いわゆるトルコ猫^^

 

お昼はイスケンディルケバブだと言う事で、少々楽しみにしていました。

美味しかったです ♪

 

デザートは米プリン。飲み物は、ここでもトルコ珈琲をチョイスしました。(2回目)

トルコ珈琲はちょっと甘くて、そして苦い。私は酸味派か苦味派かで言えば、苦味派なので口にあっていたのですね。それに好きだなと思っても、これを日本でメニューにあっても、飲む事はほぼ無いと思うので、飲み物のメニューにあった時は、喜んで選びました。(だけど結局2回だけでした。)

 

甘い珈琲が苦手な星子さんは、少々考えていましたが、このお店では甘くないトルコ珈琲も出すと言うので、それをチョイスしました。(でもやっぱり甘かったみたい・・・・。)

珈琲を入れる所。この写真をアップするか、ちょっと悩みました。何も準備してなかったので、食べかけのプリンや丸めたナプキンや、もう余計なものが映ってしまいました。美しくはないけれど、想い出の写真であることは間違いのない事です。

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h

食事後は出発の時間まで自由行動。と言っても、どこかに行くわけではなくて、トイレに行ったり、お店の外で写真を撮ったりするだけの自由時間です。

またも猫発見!!

 

この頃、トルコはバラの季節。そして紫陽花の季節でもありました。だけどこの紫陽花は、日本の紫陽花じゃないかしら。

街の雰囲気も素敵でした。

そして、また猫。

そう言えば、このお店のオジサンはとっても面白い人でした。最初はツアーの若手で(ちょっと美人)の人に絡むようにちょっかいを出していたのですが、これは彼なりのサービスのつもりなのかなと傍にいて感じていました。

私と星子さんがトルコ珈琲を前に、二人で写真を撮ろうとしたその瞬間、当たり前のように彼が入ってきました。でもこれも彼の当たり前のサービス。

ワッ、吃驚した~!!

と思いつつ、彼のサービス精神が嬉しかったりもした私たち。

それで思い出したのですが、『赤い川のほとりで』と言う記事の中で、トルコアイスを食べた話を書きましたが、その時川の傍らで、アイスを前にやはり二人で自撮りをしようとしていたその時、通りがかったガイドさんが当たり前のようにそこに入ってきました。

これは、きっとトルコ式サービスなんだと思います。あえてお願いしなくても、旅の良い想い出の一枚が撮れましたから。

下の画像は、街中に居たトルコアイス売りのお兄さん。

この日もかなり暑くて、そしてバスの長い旅で少々の疲労感。

あっ、もしかしたら膝がヤバくなりつつあるかも・・・・・

不安要素を抱えながら、ブルサ観光に出発でした。

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ミナレットは何本 ?

2019-08-22 02:19:54 | トルコ旅行記

「ゴルディオン遺跡」を後にして、一気にブルサにバスは向かいます。

だけどいきなりバスは止まる・・・・・。

信号待ちならぬ、羊待ちでした。

窓際の私と、通路側の星子さんとで撮った写真です。2,3,4枚目は彼女の写真です。

でもこんな楽しい事は、めったにない事で、後は変わらぬ車窓の旅。

だけど私たちって、面白い事を見つけてしまうのが得意な方かも。

 

星子さんが言いました。

「昨日は、雲の形がテーマだったのだけど、今日はミナレットの数の写真をコレクションしようと思ってるの。」

ミナレットと言うのはモスクなどに付随している塔の事で、その地域の住人の寄付などで建てられることが多く、権威の現れみたいな意味もあるみたいです。

それまで全く興味がなかったので、その時に「ミナレット」と三回復唱して、その塔はミナレットと言うのだと覚えたのです。

必要のない事は覚える事もないし、そして忘れてしまうのも大事な事なんですよね。特に若いころと違って、新しく覚えた事は、すぐに忘却の彼方に去ってしまう事も多いじゃないですか。だけど、この新しく覚えた単語は、今も覚えていたのです。響きが可愛かったからかしら。

 

と言うわけで、ブルサまで、そしてイスタンブールまでの長い道のりは、モスクを探してミナレットの本数を数え、車窓から写真を撮ると言う遊びに興じていたら、なんだかあっという間に着いたと言う感じがしました。

0本

0だけど工事中

(たぶん2本になるのね)

 

 

1本

 H

 

頭が銀色と言うモスクも多いみたいですね。

 

2本

上のは3本に見えるけれど、奥の黒いのは電波塔の様なもので少し離れた所にあるのです。

私たち、それまで4本と言うのも結構見たような気がするのです。

それで、今まで見た事のない3本を探すと言う事をメインでしていました。

でもとうとう見つからず、その夜、

3と言う数字をあえて避けているのか、それとも建築上のバランスの問題かと

二人で話し合い推察し合いました。

 

ホテルに帰ってWi-Fiにスマホを繋いだ後、検索しましたが、

よく分からなかったので、翌日ガイドさんに聞いたのです。

3本のミナレットのモスクもちゃんとあるのだそうです。

やっぱり建築上のバランスの問題で、あまり数は無いそうです。

 

4本のミナレットのモスクの画像が無いのは、

たまたまイスタンブールに至る道では見つけられなかったからですが、

イスタンブールには有名なものがあるので、その4本のモスクの画像を最後に載せておきますね。

 

アヤソフィアです。

残念ながら入場できなかったです(/_;)

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「ゴルディオンの遺跡」

2019-08-21 12:18:51 | トルコ旅行記

7日目、6月13日。

この日が一番大変なんですと、ガイドさんが言いました。アンカラからブルサに行き、そしてイスタンブールに向かう道は、なんだかんだと540㎞の道のりで、運転手さんの交代要員も用意されました。

アンカラからブルサまでが既に380㎞あったので、ただ走っていると言うわけにも行かないとガイドさんが思ったからかどうか知りませんが、途中で「ゴルディオン」と言う所の古墳の見学がありました。

ここは最初、外側からだけの見学だったのです。

バスを降りて、そこでガイドさんが説明をしだすと、お向かいにある「ゴルディオンミュージアム」の人が飛んできて、ガイドさんに何かを言いました。

推理するに、外側からだけの見学でも見学してるのだから見学料を払いなさいと言う事だと思いました。その後、ガイドさんは頷いて、その人にお金を払っていましたから。こういう旅行って、現地のガイドさんが全部組んだり計画を立てたりするんだなあと、なんだか妙な所で実感しました。

でもお蔭で、その古墳の中に入れることになったのです !!!

わー、嬉しいと、私は思いました。日本でも古墳はあちらこちらで見る事が出来るけれど、その中に入れるって無い事ではないでしょうか。

 

 

もしもこの道を一人でたいまつ燃やしながら行けと言われたら、メッチャクチャ怖いと思います。

なんたってお墓なんですから。いいえ、お墓じゃなくても怖いですよね。

本当に、今の時代で良かった ♡

ワクワクワク ♡

またどうせ、頭の中が「インディ・ジョーンズ」にでもなっていたのでしょうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、いいえ~、たぶん気持ちは「ドラクエ」です !!

ドラクエのダンジョン、たいまつ消えたらどうする~と言うあれ。

分からない方はスルーしてくださいね(^_^;)

 

しかし、今この写真を見ていて、思わず自分でも笑ってしまいました。

ツアーで行って、狭い通路の誰も居ない写真を撮れる人って、一番手か二番手で歩いている人限定だと思います。もしくは帰る道で、わざとラストを狙うか。これは行きの写真です。ガイドさんが一番後ろから行くと言ったのだと思います。今はイヤホンガイドがありますから、ラストの人を把握しながら歩きたかったのでしょう。それで私、ササッと行動してこのような写真を撮れるポジションで歩いていたのだと思います。

 

それはまた写真のためだけではなくて、やっぱりこういう所は、出来るならば人の背中を見ながら歩きたくないなと言うのも、本音かな。

なんだかんだと遺跡好きなんですね、私。

そしてこの道が行きつくところが、ここです。ミダス王の木槨墓

 

 

「ゴルディオン」は海の民と共にヒッタイトを滅ぼしたとされるフリュギア人の都。そこの有名な王がミダス王。

この王の伝説として(もしくは神話)、何か(手抜き)のご褒美で、触るものすべてを金にする力を得たものの、食べ物も皆金になってしまうため、誰か(またも手抜き)の許しを得て、元に戻ったと言う話の王様。

(私は、この話を聞くと「スター・トレック」を思い出します。昔テレビでやっていた頃の。知っている人いるかなぁ。いて欲しいなぁ。)

≪朝、これを読み直していて唐突に、自分の過ちに気が付きました。「スター・トレック」ではなく「宇宙家族ロビンソン」でした。Drが触るすべてを金に変える力を手に入れてしまい、最初は喜んでいたものの、ロビンソン家の次女までも金に変えてしまいアタフタとする物語でした。10/4≫←追記

それから、もっと有名なのが「王様の耳はロバの耳」の王様なのですって。ロバの耳になってしまった経緯が気の毒で、アポロンも自分勝手な神様だと思ったのですが、そんな神話と現実が交錯していた、そんな時代の王の墓。ロマンがありますよね。ミダス王の神話の数々は→ここなどで

下の説明ボードの写真、なんか勝手に雰囲気がある感じに撮れました(笑)

正面から見ないと、ただの丘です。

まあ、日本の古墳のほとんどももっと小さくて、みんなただの丘にしか見えないところが多いとは思いますが。

 

ついでなので、「アンカラ」についてですが、

アンカラはトルコ共和国の首都ですが、イスタンブールに次ぐ第二位の都市なんですね。

だけどまったく首都らしい風景も見ずに、この地を離れなければならなかった事は残念に思います。

車窓の旅でも、それは無しでした。

遠くに見える都市の風景。

この風景を間近で見ていないと言う・・・・物足りなさを感じました。

すぐにこのようになってしまいます。

途中トイレ休憩のガソリンスタンドから撮った街の風景です。

アンカラ県ポラトルと言う街です。

 

この古墳は、そのポラトルと言う所にあって、下の「家の近所ですか。」と言われても仕方がないような写真は、その古墳の前の道路です

 

で、次はやっとたどり着いたブルサ観光です。

もうここから先は、街ですよ~。

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アンカラ《せっかち》ホテルの思い出 

2019-08-18 01:56:36 | トルコ旅行記

このホテルの本当の名前は「アナドゥールホテルエセンボア」と言うのですよ。そのホテルはエセンボーア国際空港の割と近くにありました。ベランダから見える風景は、本当に清々しくそして美しかったです。

 

このホテルにも無料のスパがあると言うので、夜に行ってみたのです。エレベーターの所で水着を着てテンションの高くなっている子供とすれ違ったりで、あまり早い時間に行っても混んでいるような雰囲気が漂っていたので、ちょっと遅めの時間に行きました。

この早い時間に行くのはどうかなという読みは、ある意味当たっていたのです。そのキッズたちと同じ時間に行ってしまった人は、あまり良い事を言っていませんでしたから。

ところがこの遅めの時間に行くと言うのも、まったくのハズレだったのです。

夕食の後、散歩をしたりのんびりした後に、ゆるゆるとまた水着を着て出かけました。

ロッカー室とかシャワーとかで少々戸惑って、その場所に行ってみると、そこは温水プールでした。思っていたのとは違ったのですが、それでも温かいお湯は嬉しいと思いました。だけどこのプール、凄く深くて、確か180㎝はあったかしら・・・・。

私なんか沈んでしまいますよ。いやいや、そこにいた人はみな沈んでしまいます。ゆえに淵から離れられないと言う事が起きるのですが、その時はガラガラでツアーで知り合った人を入れて、私たちは四人で何の問題もなかったのです。

先程キッズと同じ時間帯に行ってしまった人の事を書きましたが、私たち以上にキッズは淵に、それどころか降りる為の階段に群がっていて、入るのも出るのも大変だったようです。

私たちは顔見知りの四人で、深いよね、温かいよね、これでも結構楽しめるよねと盛り上がりつつあったその時、係の人がやって来て、「あと5分で閉店ね。」と告げたのです。

「はぃぃぃぃ?」ってな感じですよ。

今来たばっかし。はっきり言ってプールに入って5分も経ってなかったのです。

確か午後9時までと聞いたはずなのに、まだ8時35分。

要するにプールを早く締め、着替えもすべて終わらせて9時にすべて締めると言う事なのですよね。

ここまで読むと、それは仕方がないような気もするでしょう。

 

でもそれじゃあ、それ最初に言っていてよ。もしくはそんなに短い時間だったら、入場させるなよと思いませんか。

だいたい日本人ってのは、こういう時間ルールに過敏でしょ。

9時に完全閉所なら、入場は何時まで、またはプールの時間は何時までと明記されていると思うのです。

また9時までと言われたら、自分でちゃんとそれまでに出るようにタイムスケジュールを組むでしょう。

それをたった5分もしないうちに、あと5分と言われたら「なんじゃ、そりゃ。」って思ってしまいました。とにかくプールの、もう終わりと言った時間が早すぎると感じました。あと15分は大丈夫だったように思いましたもの。

だけどこういう事があってこそ、感覚の違いと言うものを感じて海外に来たささやかな実感があると言うものでしょう。←なんでもポジティブ

 

このホテル、モーニングコールも予定の時間の15分前に鳴ったのです。

きっとすべての時計が15分進んでいるに違いないと感じました。

「早い !!」と私たちは思いましたが、

「でもここ、何でもセッカチだから。」で、二人で納得できました。

 

このホテルでは、もう一つ日本では見られない光景を見ました。

トルコには野良犬がいます。今の日本ではほとんど見る事のない野良犬だと思うので、野良犬のイメージと言われても、今の若い人にはつかめないと思います。私なんかは野良犬のイメージと言うと、だいたい柴犬くらいの中型犬になるのです。これはディズニーの「わんわん物語」の影響もあるかもしれません。だけどトルコの野良犬は、ゴールデンレトリバーくらい大きいのです。(見かけた範囲では)

もうそのようなものに襲われたら、命に危険があると言わざるを得ません。だけど彼らが襲ってくるとしても、それは何らかの理由があるはずなので、もし見かけてもテリトリーを犯すような近づき方をしないか、挑発しないかが付きあい方として大事なポイントだと思います。

夕食あと、このホテルの裏にあった大きな庭を散策しました。

広くて明るい時間に来たら、もっと素敵な空間に感じた事でしょう。

でも時は、夕闇迫る魔の刻。歩いていても寂しくなる時間です。そしてその時、私たちは歩く先に、そのウロウロしている一匹の野良犬を見たのです。もちろん足を止め、その犬が遠ざかっていくのを見ていました。だけどその犬が行ってしまった後に、またもう一匹の犬が現れました。が、よく見ると、その犬の後ろには小さな影が三つ続けて着いて行ったのです。

まっすぐに並んで、お母さん―子供―子供―子供です。

じゃあ、さっきのは偵察を兼ねて先を歩いていたお父さんだったのかしら。その親子は、先に歩いて行った犬の後をついて行くように去って行きました。

遠目で見ていたので、なんとなく微笑ましくも感じてしまったのでした。

そして、自分たちで考え行動するそんな犬の家族、今では日本で見る事は無い事だと思ったのでした。

 

 

 夕食と朝食。両方ともバイキングでしたが、もう控えめです。

 

 

 

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風の都「ハトゥシャシュ遺跡」

2019-08-05 17:49:31 | トルコ旅行記

6月12日のヒッタイトの遺跡ボアズカレの都「ハトゥシャシュ遺跡」です。

 

上の説明書きでもわかるように(分かるわけはないよね(^_^;)、とにかく、なんたって都1個分の遺跡なので本当に広いのです。

この場所を、また暑いとか言いながら、または足が痛いとか言いながら歩いていたように思います。

だけど口ではそんなことを言いながらも、素敵だなぁと心は弾んでいました。

なんたって、雲は白く空が青い。

この広い広い緑の遺跡にぴったりで、その美しさを際立たせていたのですから。

都1個分の遺跡ー。

よその国に出掛けて日本に無いものを見るべきと思ったら、もちろんその国の歴史的な物または文化もそうだけれど、この「広さをそのまま維持」と言う所も、それに値するのではないかしら。

 

そして何もないんだよ・・・・・・。

 

あまりにも遠い昔の都ゆえに、そこにあるのは大地と石の都の残骸だけ。

この都にも遥か彼方の昔には、多くの人が様々な思いを胸に秘めながら行き交っていたのです。だけどその中の誰が、はるか東の国から中年の女と男がやって来て、自分たちのいなくなった、いいえ、自分たちの一族が途絶え消滅してしまった都の廃墟を、笑いながら歩く者たちがやって来るなど、想像する者がいたと言うのでしょうか。

 

 

なんだか天使のような雲が舞っています。それとも鳥の様な・・・・

雲って面白いですよね。↓

 

この記事にまたも副タイトルをつけるとしたら、「それは気分次第。だけど役に立つ。」です。

 

 

そう言えば、下のこれは何だっけなあ・・・・・

キッチンだっけなあ・・・・。

やっぱ、忘れたなあ・・・・。

 またもそう言えばなのですが、ここにはパワーストーンならぬグリーンストーンと言うのがあるんですよ。

つるつるの四角い石。

なんでか写真が無くて・・・・

きっとニコニコしながら触っていたからだと思います。

この時、ガイドさんが子宝祈願とか言ったような・・・。それで、皆さんもう本当に素直に、子供がいまさら出来たら困るわと手を出さない人も多かったような気がするのですが、素直すぎますよね。

長い長い年月、どれだけの人がその石を触って来たかと思うと、それだけでワクワクしちゃうじゃないですか。そりゃ、私はニコニコとナゼナゼしちゃいますよね。

 

ここは広いので、そこからまたバスで移動して、ガイドブックなどでも有名なライオンの門の所に行きました。

今回の旅行は本当にノンリサーチだったのですが、このライオンの像くらいの画像は見たのです。

だけどもしも次に旅行に行く時は、やっぱりもう少し調べて行きます。

下のライオンさん、お顔が左側は綺麗でしょう。右側と明らかに違いすぎます。でもなぜか人って綺麗な方に惹きつけられるんですよね。添乗員さんが映してくれると言うので、そちらの綺麗な顔のライオンの前での写真会が、次から次へと始まってしまいました。私と星子さんも最初の一枚は思わずそれです。それはそれでも良いのかも知れません。

だけど、なんだかそちらのライオンさんが可愛そうねと自分で言ったのか誰かが言ったのか忘れてしまいましたが、その言葉で冷静になりました。危うくレプリカの前でご満悦写真を撮って満足してしまう所でした。サササと移動して劣化したお顔のライオンの前での写真を撮れて、私はやっぱり良かったなと思ったのでした。

 

 

ライオンの顔は、これだけ違えば気が付くと言うものですが、下の画像は「ヤッチマッタナ感」が少々漂いました。

 

やっぱりノンリサーチはダメですよね。ガイドさんは言ったのだと思うのですが、(言ってないんじゃないのかな?)、またバスで移動して行ったスフィンクス門は両方ともレプリカなんですってね。ネット検索で知りました。

《現在この世界遺産で見られるスフィンクスはレプリカで、左側のスフィンクスはボアズカレの博物館に、右側のスフィンクスはイスタンブールの博物館にあります。》https://skyticket.jp/guide/99926

しかしレプリカであったとしても、この角度はダメでしょう。スフィンクスなのですから。

告白すると、この人たちを変なおじさんの守り神ぐらいに思っていてどうでも良かったのです。と言うのは、この時ガイドさんが言った言葉で強く印象に残ってしまった言葉は、「次の移動する場所までこの後トイレはありません。」だったのに、なんだかその時私は徐々に不安に・…てな感じで、気もそぞろ。

星子さんの写真にイイ角度のはないかなと思ったけれど、私より真正面からで、しかも二人でニコニコとポーズ撮って映っていました。でもこの時の私の脳内メーカーがあったら(懐かしい言葉ですね。)、『トイレ』と言う言葉がそこには隠れていたと思います。

そんな感じで、いい写真が撮れるか否かは気分次第なんですね。

 

 

だけど写真はありがたいです。トルコに行ったのは6月の7日で、早くも2か月が経とうとしていて、記憶の風化も始まろうとしているのだと思います。

私は自分でも写真を撮りすぎているのではないかと思う時があります。もう少し自分の目だけで見る習慣をつけた方が良いのではとか。

だけど今「ヒッタイトの遺跡に行ったなあ。」と思っても、目を瞑って思い出すのは、あの広い石ばかりの場所や、ライオンの門ばかりです。

やはりこんな風に写真を今見直すと、そこからいろいろな記憶が引きずり出されてきて、ああ、確かにここに行ったと言う気持ちになるのです。

美しい写真を撮りたいとも思いますが、記憶保持ツールとしても、私には写真を写す事は大切な事でもあるのだなと思うのでした。

下の画像。端のオジサンを編集できるのは簡単な事だけれど、あえて切らない私。

このオジサンは、「この風景を共に見る人」だから。

 

 

「先生、ヒッタイトの遺跡はいかがでしたか ?」

 

 

(あっ、そうそう。他にも気になっていた人がいて、トイレの件はその後解決しました(^_^;))

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ひっそりとしていた「ヤズルカヤ遺跡」

2019-08-04 00:49:27 | トルコ旅行記

カッパドキア地方を後にしても、まだまだ空と大地とその間にある岩という観光が続きました。

近頃、副タイトルをつけるのがマイブーム。

この記事の副タイトルは「人の視点は役に立つ」と言う所でしょうか。

 

ツアーのメンバーの中にいつの間にか「先生」と呼ばれるようになった人がいました。きっと本当に大学か何かの先生だったのかも知れません。(プライベートの事は、まったく興味が無いもので本当の事は分からないままですが。)初日の夜と翌日の朝、たまたまそのご夫婦とお食事のテーブルをご一緒しました。その時、その後に「先生」と呼ばれるようになった旦那様が言いました。

「今度のツアーはヒッタイトの遺跡を訪れるでしょう。そのようなツアーは珍しいので、非常に楽しみにしていて堪能しようと思っているのですよ。」と。

「まあ、それは楽しみですね。」と穏やかな顔をして普通に相槌を打つ私。

が、心の中では・・・・・・・・

「へえへえへえへえ!!!!!」と「へえ」と言う言葉が鐘のようになり響いていました。

「ヒッタイト」

知っていますよ、そりゃあねぇ。だけど高校を出てから、一度だってヒッタイトが自分の人生で浮上したことがあったかしら。

そして頭の中では、なぜか即興で歌が作られていました。

「鉄を作ったヒッタイト~~♪」

だけど、もしもこの時私がどうでもいいような相槌などうってないで、この歌を、イヤ節は無用だけど、そのように

「鉄を作ったヒッタイトですね。」と言っていたら、もっと面白い話が聞けたような気がするのです。

 

旅と言うものは、帰って来てからも、案外続いているものだと思うのです。

もちろんそれは、その人がどこで何を楽しむかにもよりますが、私のようにとりあえずの旅行記などで旅の思い出をまとめていたりしますと、あまりいい加減なことも書けずに、確認したい事は検索するじゃないですか。すると思いがけない事が分かったりもするのですよね。

なんと鉄はヒッタイトよりも1000年も前に同じアナトリア平原で、ヒッタイト以前の民族が作っていたとかで、世界史が覆される発見が、これもまた今年の3月頃あったのですって。しかも日本の調査団によって人工的に作られた鉄の塊が発見されたのですって。

それのニュース記事は→こちら

チコちゃんに叱られちゃうかもしれませんが、ボーっと生きているもので、まったくのチェック無しでした。

いや、だけどこれ、皆様だって、きっとボーっとしてた人がほとんどでは・・・・・などと失礼にも他者を巻き込む私(^_^;)

 

でもこの時は、「鉄を作ったヒッタイト~~♪」だったわけですが、それでもこの先生のお蔭で、私の中でヒッタイトは急浮上。

6月12日に訪れたヒッタイトの遺跡「ボアズカレ」は、本当に心に残る観光になったのでした。

 

その中の一番最初に訪れた「ヤズルカヤ遺跡」はヒッタイトの聖域です。神々の姿が彫られています。

岩に絵が彫りつけられているのが残っているだけの地味な場所で、あまり人気が無いのか、ひっそりとしていたのも、なぜか惹きつけられました。アバウトに言って3000年前のそのままの遺跡。

もしも3000年分の逆回転時計があって一瞬のうちに過去の姿を見る事が出来たならば・・・・・・

いったいどのような建物が建っていて、そしてこれらの絵はどのように見る事が出来たのでしょう。またその岩に掘られた絵画の前を過ぎる人はどのような人々だったのでしょうか。

 

時が刻むその残酷さと儚さを、このヤズルカヤは、その風化を持って私たちに語りかけているように思えて、私はしみじみと感動したのでした。

 

 

 

 

また1000年先の未来を一瞬に見せる何かがあったら、ここにはいったい何が残っていると言うのでしょうか。

  

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「おもうわよ」と心の中で呟いた・・・。

2019-07-28 17:44:19 | トルコ旅行記

《少々長いです。コーヒーブレイクの時などにお読みくだされば幸いです。》

 

カッパドキアはトルコ旅行の中で、本当に思い出深い場所になりました。

それと言うのも、訪れた場所の素晴らしさはもちろんでしたが、忘れたくない出会いがあったからなんです。

 

ところで日本の青ヶ島と言う所は、独特の方言を持っていて、「さようなら」を「おもうわよ」と言うのですって。以前、朝の番組でそれを知って、素敵な言葉だと思っていました。別れて行く人を別れた後でも想う。それがその言葉の語源だと思います。

 

  

トルコでは、たくさんの猫と出会いました。猫はどの街にも当たり前のようにいましたから。

6月10日、カッパドキアの宿泊先のケープリゾートに着いた私たちは、ホテルの人に案内されて坂を下って行きました。その時1匹の猫とすれ違ったのです。

「まあ、なんて薄汚れた不細工な猫なんでしょう。」と私は思いました。今まで見た猫たちの中で、その猫は一番可愛らしくなかったのです。

そして部屋に入り荷物などを受け取ると、その日は夕日鑑賞のために早く夕食を食べる事になっていたので、また坂を上ってレストランに私たちは向かったのでした。

坂と狭い階段を上って行くと、ちょっとした休憩スポットみたいな屋根付きの空間がありました。だけどそこは誰も使わないのか、まったく掃除などがされておらず、その空間に降りる為の短い階段のすぐ下には水が溜まっているし、床などは汚れていました。だけどそこには悠然と1匹の猫が休んでいたのです。そしてその猫に向かって威嚇して短い階段の上から鳴き続けるまた別の猫がいました。その威嚇して鳴いていた猫が、さっきの薄汚れた猫だったのです。

悠然と微動だにもしない休憩猫。

諦めたのかパッと走り去っていく薄汚れた猫。

そして思わず我が家のももとあんずの事を思い出す私。

「だいたいギャーギャー言ってる方が弱い事になっている。」と思わず呟くと、星子さんが

「あの猫の方が弱いのね。あの猫、顔に傷があったものね。」と言いました。

顔の傷に私は気が付いていませんでした。

「だからなのかな。不細工な猫に見えたよね。」と私は言いました。

喧嘩に負けたのかと思うと、ちょっと胸がキリリと痛みました。

  

 

夕日鑑賞の「ローズバレー」から戻ってきた私たちは、「洞窟ホテルの夜と朝 その1」で書きましたが、坂の上にあるバーで夜景を見ながらビールなどを頂いたのでした。夜風も気持ちが良くて、外のテラスに居たのですが、その時あの不細工猫が人懐こくやってきました。

「不細工猫」だなんてずいぶんなネーミングですが、私にはこの名前はちょっと思い入れのある名前なんですよ。

 

2007年の10月にイギリスに行った時にブログをやはりたくさん休みました。その時の留守番記事の為に小説を書きました。

ハロウィーンモンスターの独り言」「ハロウィーンモンスターの独り言(続き)」なのですが、その物語はその後も書き続け、完結しています。そしてその中に出てくる雌猫が「不細工ブチ猫」。

ハロウィーンモンスターが思わず「不細工猫よ。」と言うと

『「アリガトウ。みんな、そう言うのよ。何てまあ、不細工で、なんとまあ愛おしい猫だって。」
ヒェー、おいらは驚いたね。不細工だから愛されているのか。』

すると毛並みも艶々のハンサム黒猫が

『「そう言うことを、別の言葉で『個性』と言うのさ。」』と言うのです。

モンスターとその猫はその後の物語では、お互いに想い合い、「不細工ブチ猫」は「本当は可愛い不細工ブチ猫」という長い名前になって行くのですよ。

 

なんだか昔に書いたそれらを読み返していたら、こんなことをしてちゃいけないような気持ちになってきましたが、とりあえず今はその洞窟ホテル近くのバーの所に話を戻します。

 

その猫はとっても人懐こくて星子さんの椅子に上り真横をすり抜けようとしました。

星子さんがその頭を撫ぜても逃げようとはしませんでした。

すり寄って来たのは何か欲しかったからなのかと思っても、私たちはビールを飲んでいるだけで、つまみに付いてきたのはタコスチップスで、この猫にあげるものなどなかったのでした。

そうこうしているうちに、お店のイケメン店員が棒か箒か何かを持ってきて、猫を追い出そうとしました。

「にゃーん」と言いながら追い出された猫さん。だけどまた諦めずに戻ってくるのです。

 

追い出さなくても良いのになと思っても、お店の方針と言うものがあることなので、そこは口出しなど出来ないところですね。

その時、写真を撮ろうとしたけれど失敗した画像です。

結局追い出されてしまった猫なのですが、私たちがお店から出ると、外の坂道で待っていたのです。そしてずっとずっとついて来たのです。付いて来られても、部屋にも何もないのです。困ったなと思っていたら、部屋の前の低い塀の上で寛ぐ猫。なんだ、ねぐらの方向が同じだったのねと安心して部屋に入ると、そうではなかったのです。その猫は私たちの前を歩き、そして塀の上で待機して、私たちがどの部屋に入って行くのかを見ていたのですね。

頭が良いのですね。そして私たちが部屋の中に入ってしまうとやって来て、ドアの外で開けて開けてとガリガリと爪を立て鳴いていたのでした。

もちろん開けてあげるわけにはいかず、切ないなあと私たちは耳を塞ぎました。

その猫は、何か食べるものを欲しがっていたわけではなくて、寄り添う温もりが欲しかったのかも知れません。

 

ところで私たちの泊まった部屋を側面から見ると、こんな感じです。11日の夕方のお散歩の帰りに撮ったものです(「洞窟ホテルの夜と朝 その2」)

この写真を今しみじみと見てみると、本当に洞窟だったのは1階の部屋だけだったんじゃないかしら。そう思うと、なんてラッキーだったのかしらと思えてきました。ただ、その部屋は本当に窓の一個もないのですよ。前日の夜に洗って部屋干ししておいたものが、丸一日たった夜に触ってみると、干した時と同じくらい濡れていたのには驚いて、風とお天道様は本当にありがたい事だなと思ったのでした。

 

それで朝には珈琲などを、猫が寛いでいた(そぶり)を見せた塀の上に腰かけて飲んだりもしたのです。

塀の下にはこんな風景が広がっていました。

11日の夜、夕食から戻ってくる途中ではあの猫には出会わなかったのですが、二人とも気になってはいたのです。星子さんが朝食の時のパンを持っていることが分かって、それをあげようと言う話になりました。猫の中にはパンを食べたり好きな者もいるのです。きっとあの猫は好き嫌いなんか言わずに食べるよと、私は思い込む事にしました。

それで上の画像の所から猫を呼びました。

星子さんは星子さんの呼び方で、私は私の呼び方でその猫を呼びました。

久しぶりに猫語発動です。何を言っているのかと言う為にその記事を探さなくてはと思ったら、何でか昨日、その記事を読んで下さった方がいらしてアクセス解析で見つける事が出来ました。お読み下さった方、ありがとうございます。「「僕のお母さんは猫語が分かる。」

だけど私はあれからかなり歳を取り、だんだんと分別くさくもなって、昔はほぼ99%に理解できた猫語も、今ではさっぱり分からなくなってきています。たぶん無意識で拒否しているのです。2匹も居て、彼らの言っていることが分かったら、相当面倒くさい事になりそうなので・・・。

我が家のももとあんずには「お母さんは猫語が分からないので、何かして欲しかったら一つ二つと日本語を覚えてそれを言いなさい。」と・・・・・それをまじめに猫相手に言っている私のどこが分別くさいのか ?

と言う、私のタワケ話は置いておいて、お話を元に戻すと、それでも我が家の猫たちから学んだ鳴き方でその猫を呼びました。

ちょっと高い声で「ニャーーーーン !!!」と。

それを繰り返しても、猫は姿を見せません。

「ダメか。」と言って、狭い道を渡り自分たちの部屋に戻ろうとした時、いきなりその猫が塀の上に現れたのです。

 

私たちの部屋の前は狭いのに、けっこう車が通る道で、折しもその時車が上ってきたところだったのです。

 

「キャー、ダメよ、止まって止まって。」

「ストップ、ストップ」

と、私たちは悲鳴をあげて猫がこちらに渡って来るのを止めました。

車も驚いて止まってくれましたが、猫もこっちに来る勢いがあったのに、止まってくれたのです。

「そっちに行くから、そこに居てね。」と言いましたが、このトルコ猫に日本語や英語が通じたわけではないと思います。

だけど手首をしっかり曲げて手のひらを見せて、「ダメ」のポーズは世界各国共通のポーズだったのかも知れません。

またはちゃんと心が通じたと言うのでしょうか。

車もソロソロ走ってくれたけれど、この頭の良い猫はちゃんと塀の上で待っていたのです。

 

呼んでから現れた時間までの事を考えると、この猫は上の画像の坂の下の方のどこかに居たのではないかと思います。呼ばれたと分かって、きっとその草地の坂を駆け上って来たに違いありません。

 

そしてパンをあげたら、この猫さんは喜んで食べてくれました。

その時、ふと私はこの猫の写真を撮ってない事を思い出したのです。

恐る恐る近くからカメラを向けました。

するとカメラを通して見ると、野芥子が猫のおやつを食べるのをかなり邪魔してることが分かりました。

 

 

 

 

私はそっとそっと手を伸ばしました。人懐こい猫であっても、人の予測不能の行動にはかなりの用心深い行動をするのが猫と言うものです。だけどその草を抜いて脇に捨てる事に成功しました。

「ねっ、これでok.」と言うと、猫はクイッと顔をあげて私をじっと見たのです。そこで私は我が家のももに教えてもらった、親愛の気持ちを込めて挨拶をすると言う意味の、「ゆっくりと瞬きをする」をしました。

猫はホッとした顔をして、ゆっくりとパンを食べ始めました。

その時ふと私は、まるで自分がハロウィーンモンスターのような気持ちになって、

「本当は可愛い不細工ブチ猫、君はこんな所に居たのだね。」と心の中で言っていたのでした。

 

その翌日は、朝食の為に坂を上ってレストランに行くために出発したら、もう部屋には戻らない事にしました。

 

部屋を出て少し歩いて、

さよなら、カッパドキア―

そう思って振り向くと、

「えっ !?」

私は自分の気持ちに戸惑いました。

胸がキューンとなって、思わず涙がこぼれそうになったからです。

「うっそー。」と独り言を言いながら、自分の泣き虫っぷりに呆れてしまいました。

 

でもその時、私はあの青ヶ島の「おもうわよ」と言う、さようならの言葉を思い出していたのです。

 

 

※        ※

 

その時、まだ旅は半分も終わってなかったのでした。だから私は涙を押しとどめ、その後も楽しく旅を続けました。

家に帰って来てから、ふと私はあの「本当は可愛い不細工ブチ猫」の事を思い出しました。

ちょっと薄汚れていて、喧嘩にも弱いらしくて、朝のレストラン裏の厨房で何か貰おうと集まっている猫たちの群れの中にも入っていなくて、あの猫は大丈夫だろうかと思ってしまいました。

だけどどんなに心配になっても、自転車を飛ばして見に行く事も、電車に乗って会いに行く事も叶わない、トルコのカッパドキアは遠い遠い遥か彼方にあるのです。

私は写真を大きくして、この猫をじっと見つめました。

ー 大丈夫だ。この猫は決して痩せこけていたわけではないんだな。―

と、私は思いました。

― この猫は賢い。

 この猫は人懐こい。―

そんなものを武器にして、きっと力強く生きていくのでしょう。

いいえ、きっと、すでにこの猫は誰かに可愛らしい名前で呼ばれていて、その頭を毎日撫でてもらっているに違いありません。

 

そんな事を私は信じ思いながら、それでもこの猫に会いたくて、誰の遠慮もいらない深夜の一人の部屋で、なぜかポロポロと泣いてしまうのでした。

旅の出会いは一期一会。

「くさい」などと文句を言っていたけれど、あの部屋だったから可能だった素敵な出会いだったと思います。

 

 

 

 

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洞窟ホテルの夜と朝 その2

2019-07-25 02:40:02 | トルコ旅行記

2連泊したら2連泊しただけの想い出も出来ると言うものです。

もしもこの記事の副タイトルをつけるとしたら

「旅に『後で』はない !」と言う所かしら。

※           ※

この日のお昼だったか、ツアーのお仲間のどなたかが言ったのですが、その人たちの部屋は坂の上の方にあって、部屋の中も雰囲気満天で素晴らしく、思わず

「まあ、こんな所に二日も泊まれるなんて ♡♡」と言ったのだそうです。

私たちのかび臭くて

「まあ、こんな所に二日も泊まるだなんて 」とえらい違いだと思いました。

ところがある一人旅の男性が言うには、あなたはこちらですと有無を言わさず案内されたのは、眺望最高のベランダ付き・・・・は良かったのですが、普通のお部屋だったのですって。壁などレンガなどで出来て居たかもですが、いわば洞窟を模して雰囲気だけを作った普通の四角い部屋だったのですね。その時の私は、むしろそっちの方が良いナぐらいの事を思っていたのですが、今になって思うと、あのかび臭さも込みで洞窟ホテルなんだナぐらいに思えて来て、むしろその男性の方が気の毒に感じるくらいです。

 

ここでは洞窟ホテルに泊まったこと自体が、ひとつの観光だったと思うのです。

またそのホテル周辺の散歩自体も本当に楽しかったです。11日、その日の観光を終えてホテルの送迎の小型バスで降ろされた場所は、ホテルのフロントよりもかなり離れた所でした。なんと1日目と2日目の間に、その地域の何か決まりが変わったとかでバスが入れる場所も変わったのです。

なんとなく微妙な可笑しさを、私は感じました。

バスから降りた時に見えた風景が、一日目と二日目で違うって意外と新鮮な感じでした。

そして私と星子さんは一番遠い部屋までテクテクと坂を下って行くのですが、真っすぐには帰らないのが私たちなのですよね。

二股に分かれた坂道をテクテクと上って行きました。

 

 

猫さんとじゃれる子猫に惹かれて、お店なんかも覗いたりして。

お店の中にも子猫が一匹いたのですよ。

 

   

 

 そして私がちょっぴり後悔しているのは、さらに上に行かなかった事なんです。

11日は結局は16500歩歩いたのですが、この時既に13000歩以上は歩いた後だったと思います。

坂に階段・・・・・。

ちょっと一旦休憩したいような気持ちになっていました。

休憩したら再チャレンジをしようとか、または日没も遅いので、夕食を食べたらまた後で来ようと私は思っていたのかも知れません。

それともまた明日の朝、早くに行ってみようとか思っていたのでしょうか。

とにかく、私は「後で」と思ってしまったのでした。

だけど夕食までの時間があまりなくなってしまったり、天気がまた悪くなってしまったり、翌朝はいろいろやることがあってまったく余裕などなかったりで、「後で」はなかったのでした。

 

結局、そこから見た風景は星子さんだけのものになってしまいました。(お互いに手を振りあう私たち)

 

  H

それに私もついて一緒に上っていれば、きっと二人でもっと上まで行ったのではないかなと思うのです。

ガイドさんが「日本語の『せっかくだから』と言う言葉好き。」と言っていたのですが、何気なく使っているその言葉、本当に良い言葉だなと思いました。

旅を倍楽しむポイントは『せっかくだから』を忘れない事なのかも知れませんね。

 

部屋に戻っていろいろやっていたら夕食までの時間が無くなってしまって、いそいそとレストランに向かって坂を上って行く私たち。でもせっかくなので、違った道を探索しながら行きました。

ポチポチと雨が。。。。。

 

下の画像は、その前日、絵葉書を買ったお店です。このお店でレースと石を合わせた可愛いネックレスが売られていました。

2000円だったか、もう少し高かったかそのぐらいだったかな。

それでも私は悩んでしまったのです。凄く悩んだわけではないのですが、なんだか決断が付かないと言うか・・・・。

「また後で来ます。」と私は言いました。

もう一回来たら、私は買ったと思います。だけどホテルのフロント、レストラン横のこのお店に二回訪れる事はなかったのでした。

時間が無かったり、閉まっていたり・・・・・。

H

 

カナダに行った時のスーパーでも、インドの時の雑貨屋でも同じような事がありました。後で同じようなお店があったなら、その時には買おうと思っても、同じようなお店にはなかなか行けないものなのですよね。

だから「旅に『後で』は無い !」と心に刻み付けたいと思いました。

(そう思っても、すぐに忘れてしまう・・・・(^_^;)

上の画像・・・・要らない部分を切って編集したのですが、自分をちょっとだけ残しました。不自然に見える手が私^^

 

夕食。

  

 

そして朝。

 

H

 

お散歩をしながら、またレストランに向かいます。

そしてもうお部屋には戻ることはありません。

ホテル前で。

H

朝食。

ホテルのレストランから映した画像です。遠くに見えるのはエルジェス火山で、富士山に似ていますね。

 

そうして私たちは、カッパドキアを後にしたのですが、カッパドキアでの記事はあと一つだけ書かせてくださいね。

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赤い川のほとりで

2019-07-24 12:43:42 | トルコ旅行記

普通は「その1」とあったら「その2」に続きそうなものですが、「洞窟ホテルの夜と朝 その2」の記事に今から書く事をねじ込もうとしたら無理でしたので、別に先に書く事にしました。

 

6月11日のメイン以外の立ち寄り場所の記事です。

やはりトルコと言ったら、伸びるアイスじゃないですか ?

ガイドさんは「安心」に拘る人で、こういうアイスも「安心」な所じゃなくては紹介できないと連れて来てくれたのが

「クズルウルマク川」ほとりの「MADO」と言うお店。

 

コーンでも食べられるのですが、私なんか絶対に最後に悲劇的な事が起きそうな気がして(ポタポタ垂れるとか、ポロッと落とすとか)カップにして貰いました。

だけどカップの方が、伸びるのが実感できて良かったように思いました。

びよよーんと伸ばしている画像は、私と星子さんが、あまりに嬉しそうにニコニコと真ん中に映っているので、ちょっとお見せ出来ません(笑)

お店の中でも頂く事が出来たのですが、私たちは吹く風も気持ちよさそうな川辺のベンチで頂きました。

 

「クズルウルマク川」と言うのは、赤土の川で、「クズル」は赤を意味し「ウルマク」は「川」を意味するのだそうです。つまり「赤い川」・・・・・・・・・ありゃ、じゃあ、「クズルウルマク川」では「赤い川川」になってしまいますね。 (^_^;)

 

ガイドさんがあれは「赤い川です。」と言った時に、私、ちょっとピーンと来た物があって、家に帰ってから検索したのは実は漫画タイトルでした。

「天は赤い川のほとり」。カッコいいタイトルでしょう。私はあまり結婚してからはいろいろな方の漫画は読んでいなくて、最近では本当に漫画からも遠ざかっていて「ポーの一族」しか読んでいないのです。でもこの漫画のタイトルは知っていたのですよ。何か賞を取ったのですよね。

何かでは申し訳ないので、今調べたら小学館漫画賞少女部門ででした。因みに「ポーの一族」も取られている賞なんですね。

それにしても、そんなにインパクトがあったのかと思ったら、謎が判明しました。この漫画は宝塚でも舞台になっていたのでした。未見ですがタイトルに惹かれて見たいと思ったのではないでしょうか。

もしかしてあの漫画は・・・・と思って検索したら、やはりヒッタイトが舞台になっているものでした。

なんかまだ読んでも居ないのに、凄いなぁと思いました。その着眼が。

もちろんタイトルの「赤い河」は「クズルウルマク」の事です。

 

天は赤い河のほとり 全28巻完結(少コミフラワーコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]
篠原 千絵
小学館

 

今とっても気になっている漫画なのですが、・…うーん、大人買いするとお値段が……買えない値段でもないが・・・・・うーん・・・・

と言う私の悩みなどはさておいて、

その赤土の川の真横を走り抜け、洞窟レストランで昼食を取ることになりました。他の方のトルコの旅行記などを読んでいると、多くのツアーがここで食事を取られているみたいだと思いました。

 

 

 

 

お食事。

 

 

そしてここでは、初めてトルコ珈琲を頂きました。

 好みは分かれると思うのですが、やっぱりせっかくトルコに来たのだから、これを飲まないと言う理由はないですよね。

たぶん私は、これは嫌いじゃないです。なかなか美味しいと感じました。だけど日本のカフェにあっても、たぶん飲まないと思うな^^

 

ここは雰囲気も良くて、お食事も美味しかったです。

だけど帰り間近で、ちょっと面白い事があったのです。このお店の入口には、ちょっとした雑貨や衣服のお土産屋さんになっていたのですが、なんとワゴンに入っていたTシャツが5トルコリラ。つまり100円です。

「どんなのがあるの ?」と群がる女性陣。

まあ、やっぱりそれなりの感じ。

だけど私、コレ、朝の家事タイムに100円ならいいんじゃねって思ったのです。

するとその時に、誰かが「みんな明日は御揃いで着ましょう。」と声がかかりました。

なんたって私たち、意外と結束力みたいなのが付いていて・・・・・急に、みんなでワイノワイノと買ったのです。

 

だけどね、これ・・・・・

東京に着て行けるかって言ったら、行けないよ~。どうするの、明日本当にみんなでこの服着てゾロゾロするのかなあと首を傾げていたら、「安心」に拘るガイドさんが、

「こういうのは良くないもので染色されているから、一回は洗ってから着てね。」と釘を刺したのです。

その釘が効いたのか、翌日、そのシャツを着てくる人はただ一人を除いて居なかったのです。

それは誰かと言うと、添乗員さん。

「皆さんに裏切られました。」と少し怒ったように言ってましたが、申し訳ないのですが、今思い出しても、ちょっとクスリと笑ってしまいます。

だけどそれ、やっぱり制服のように御揃いでは目を引きすぎて、全員そろってじゃなくて良かったと思いますよ~。お揃いで着ていたら、なんか変だったと思います、絶対に。

ところがこのシャツ、みんな御揃いでは着なかったけれど、ちゃんと旅行中にそれぞれ着ていました。

私も星子さんも、ある場所で利用して、買って良かったなと思ったのです。

誰かが着ていた時、ガイドさんがちょっと皮肉っぽく

「あー、100円の匂いがする。」と言っていましたが( ̄ー ̄)ニヤリ

 

どんなシャツかと言うとね・・・・写真を撮ったら、ちょっと洗濯しようと丸めておいたので思った以上にクシャクシャでした。

載せてはみたけれど、やっぱり恥ずかしいレベルのクシャクシャで消しました。

そのうちこっそりと追加しときます。お見せしないと、御揃いでは着られない意味が分からないと思うのです。

今よく見たら、ちゃんと刺繍がしてありました。デザイン的にはどうかなと思うけれど100円ならすべて許せますよね。ちゃんと着てるしね。

で、中途半端感がぬぐえませんが、今日の所は申し訳ありません。m(__)m

 

※ 今日はもっと晴れるのかと思ったら、そうでもなくただ蒸し暑いだけですね。

午後からは気合を入れて、お仕事タイムです^^

 

 

 

 

 

 

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洞窟ホテルの夜と朝 その1

2019-07-22 16:54:37 | トルコ旅行記

カッパドキアでは、「ケープリゾート&スパ」と言う所に泊まりました。

6月10日。「カイマルク地下都市」とか「ギョレメ谷で一般家庭訪問」などをした後、ホテルに荷物を置いて、食事の後に「ローズバレー」にて(見る事の叶わなかった)夕日鑑賞に出る予定になっていました。

「洞窟ホテル」!!

素敵 !! って思うでしょう。

旅行のパンフレットを見て、私も思いましたもの。

「あー、ワクワクしちゃうな。そんなテレビの旅番組でしか見る事が出来なかった所に泊まれるなんて。」ってね。

だけど・・・・の続きはちょっと後から書く事にして、

その日の夕食です。

バイキングではないので、量は適量なのですが、このホテルでの夕食は・・・・・・・本音を言えばイマイチでした。

もちろん、私には合わなかっただけと言う事なんです。とってもヘルシーです。鶏肉は全部胸肉で、たんぱくすぎて、こんな量でも多過ぎに感じました。

 

 

 

ローズバレーから帰って来て、ホテルの小型バスを待っている間に(この先は小型でなければ上れないのです。)撮ったホテルと周辺の画像です。↓ 

 「美しい~ !!」と素直に思いました。

私にとってはのトルコ旅行記の80%はカッパドキアと言うイメージに、今これを書いているからもあって、そんな気持ちになっています。あっ、でもきっと場所を移動した後の記事を書きだしたら、また違うことを言いそうですね^^

そしてあまり美しくは撮れていない、下の写真は上の画像の中の一角にあるバーのテラスで、下の世界を見下ろして撮った夜景です。

私たちがこの旅行で頂いたアルコールは、唯一そこのバーで飲んだビールだけ。

久しぶりに飲んだビールは美味しかったし、接客のお兄さんは本当にイケメンだったし、なぜだか分かりませんが遠くで花火もあがっていたし、凄く気分の良い夜になりました。

 

そして帰って来た、私たちの洞窟ホテルでのお部屋です。

マア、ステキ・・・・!

フンイキアルワ。

「まあ、素敵 !

雰囲気あるわ~!!」ってならない・・・・・。

 

最初にここに案内された時、とにかく端っこでレストランから一番遠かったのです。一応ブーブー言います。

「え~、この坂上ったり下りたりするのぉ~。疲れちゃうぅ~。」

でもそんな事は本当はどうでも良い事だったのです。

だってこんなに素敵な道なんですから。

楽しいですよね、こういう道を歩くって。確かに坂道ではあるのですが。

じゃあ、何が不満なのかって言うと・・・・

 

くっさーい!!!!!

メッチャかび臭いかったんです。

誰か助けてくださいと言うレベル。

 

しかもですよ・・・・。

夕食の為に坂道をフーフー言いながら上っていたら、添乗員さんがお部屋交換のために走り回っていたんです。ツアーのお仲間が気管が弱いだとかで交換を願い出たのですって。

「あっ、じゃあ、私たちの・・・・」と言ったら

「満室で交換はこれが最後です !!!」と釘を刺されてしまいました。

満室じゃ仕方がないなと良い子で引き下がってしまったのですが、これ、後からいろいろ聞いたらそうじゃなかったのですよ。

満室ではなかったし、部屋の状態も見ないで「これが最後」とおかしなことですよね。

 

だけど私たち、「失敗した~」と言う事が失敗ではなかったり、「ダメだわ~」と言う事が、結局は良かったと言う事に結びついていくポジティブ人間の典型なので、この場所でも、なんだかこの部屋で良かったなと思えることが起きたのですよ。

そのお話は、別にもったいぶるわけではないのですが、カッパドキアの最後の記事に書きますね。

 

それに私が「くっさーい!!!」なんて書きこまず、「凄く素敵でした。」と言ってしまえば、もうここは本当に素敵にしか見えないと思います。

早朝散歩で写した風景です。

 

 

そして11日朝の星子さんと私の朝食です。

 

 

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