
6月12日のヒッタイトの遺跡ボアズカレの都「ハトゥシャシュ遺跡」です。
上の説明書きでもわかるように(分かるわけはないよね(^_^;)、とにかく、なんたって都1個分の遺跡なので本当に広いのです。
この場所を、また暑いとか言いながら、または足が痛いとか言いながら歩いていたように思います。
だけど口ではそんなことを言いながらも、素敵だなぁと心は弾んでいました。
なんたって、雲は白く空が青い。
この広い広い緑の遺跡にぴったりで、その美しさを際立たせていたのですから。
都1個分の遺跡ー。
よその国に出掛けて日本に無いものを見るべきと思ったら、もちろんその国の歴史的な物または文化もそうだけれど、この「広さをそのまま維持」と言う所も、それに値するのではないかしら。
そして何もないんだよ・・・・・・。
あまりにも遠い昔の都ゆえに、そこにあるのは大地と石の都の残骸だけ。
この都にも遥か彼方の昔には、多くの人が様々な思いを胸に秘めながら行き交っていたのです。だけどその中の誰が、はるか東の国から中年の女と男がやって来て、自分たちのいなくなった、いいえ、自分たちの一族が途絶え消滅してしまった都の廃墟を、笑いながら歩く者たちがやって来るなど、想像する者がいたと言うのでしょうか。
なんだか天使のような雲が舞っています。それとも鳥の様な・・・・
雲って面白いですよね。↓
この記事にまたも副タイトルをつけるとしたら、「それは気分次第。だけど役に立つ。」です。
そう言えば、下のこれは何だっけなあ・・・・・
キッチンだっけなあ・・・・。
やっぱ、忘れたなあ・・・・。
またもそう言えばなのですが、ここにはパワーストーンならぬグリーンストーンと言うのがあるんですよ。
つるつるの四角い石。
なんでか写真が無くて・・・・
きっとニコニコしながら触っていたからだと思います。
この時、ガイドさんが子宝祈願とか言ったような・・・。それで、皆さんもう本当に素直に、子供がいまさら出来たら困るわと手を出さない人も多かったような気がするのですが、素直すぎますよね。
長い長い年月、どれだけの人がその石を触って来たかと思うと、それだけでワクワクしちゃうじゃないですか。そりゃ、私はニコニコとナゼナゼしちゃいますよね。
ここは広いので、そこからまたバスで移動して、ガイドブックなどでも有名なライオンの門の所に行きました。
今回の旅行は本当にノンリサーチだったのですが、このライオンの像くらいの画像は見たのです。
だけどもしも次に旅行に行く時は、やっぱりもう少し調べて行きます。
下のライオンさん、お顔が左側は綺麗でしょう。右側と明らかに違いすぎます。でもなぜか人って綺麗な方に惹きつけられるんですよね。添乗員さんが映してくれると言うので、そちらの綺麗な顔のライオンの前での写真会が、次から次へと始まってしまいました。私と星子さんも最初の一枚は思わずそれです。それはそれでも良いのかも知れません。
だけど、なんだかそちらのライオンさんが可愛そうねと自分で言ったのか誰かが言ったのか忘れてしまいましたが、その言葉で冷静になりました。危うくレプリカの前でご満悦写真を撮って満足してしまう所でした。サササと移動して劣化したお顔のライオンの前での写真を撮れて、私はやっぱり良かったなと思ったのでした。
ライオンの顔は、これだけ違えば気が付くと言うものですが、下の画像は「ヤッチマッタナ感」が少々漂いました。
やっぱりノンリサーチはダメですよね。ガイドさんは言ったのだと思うのですが、(言ってないんじゃないのかな?)、またバスで移動して行ったスフィンクス門は両方ともレプリカなんですってね。ネット検索で知りました。
《現在この世界遺産で見られるスフィンクスはレプリカで、左側のスフィンクスはボアズカレの博物館に、右側のスフィンクスはイスタンブールの博物館にあります。》https://skyticket.jp/guide/99926
しかしレプリカであったとしても、この角度はダメでしょう。スフィンクスなのですから。
告白すると、この人たちを変なおじさんの守り神ぐらいに思っていてどうでも良かったのです。と言うのは、この時ガイドさんが言った言葉で強く印象に残ってしまった言葉は、「次の移動する場所までこの後トイレはありません。」だったのに、なんだかその時私は徐々に不安に・…てな感じで、気もそぞろ。
星子さんの写真にイイ角度のはないかなと思ったけれど、私より真正面からで、しかも二人でニコニコとポーズ撮って映っていました。でもこの時の私の脳内メーカーがあったら(懐かしい言葉ですね。)、『トイレ』と言う言葉がそこには隠れていたと思います。
そんな感じで、いい写真が撮れるか否かは気分次第なんですね。
だけど写真はありがたいです。トルコに行ったのは6月の7日で、早くも2か月が経とうとしていて、記憶の風化も始まろうとしているのだと思います。
私は自分でも写真を撮りすぎているのではないかと思う時があります。もう少し自分の目だけで見る習慣をつけた方が良いのではとか。
だけど今「ヒッタイトの遺跡に行ったなあ。」と思っても、目を瞑って思い出すのは、あの広い石ばかりの場所や、ライオンの門ばかりです。
やはりこんな風に写真を今見直すと、そこからいろいろな記憶が引きずり出されてきて、ああ、確かにここに行ったと言う気持ちになるのです。
美しい写真を撮りたいとも思いますが、記憶保持ツールとしても、私には写真を写す事は大切な事でもあるのだなと思うのでした。
下の画像。端のオジサンを編集できるのは簡単な事だけれど、あえて切らない私。
このオジサンは、「この風景を共に見る人」だから。
「先生、ヒッタイトの遺跡はいかがでしたか ?」
(あっ、そうそう。他にも気になっていた人がいて、トイレの件はその後解決しました(^_^;))
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