愛は・・・・高慢になりません。(Ⅰコリント一三・四)
このことばは、生まれながらの我々の性質をなんと手きびしく言い当てることか!
我々はまるで、そう、食用蛙のようにふくれあがる忌まわしい性質を持っています。
・・・自分の生活に飾り窓を付け、そこから人々がのぞき込んで、我々の立派さに目を見張るようにしたい、と思うのです。
他人より抜きん出たいと願います。若い人は力を、年寄りは苦労を、それぞれ自慢の種にします。
「愛は高慢にならない」こんなきよい愛を持つためには、我々は内的な大変化を経なければなりません。
「高ぶり欲」は神の前に罪だということが明らかにされなければなりません。そうしたのち聖霊が我々の内に住むようになると、
そのとき初めて、我々は「互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」(ピリピ二・三)というパウロのことばがわかるようになるのです。
ある祝福されたキリスト者の埋葬にあたり、一人の人が言いました、「彼と一緒にいるのは楽しいことでした。彼は決して自分を人よりも上に置こうとせず、
いつも謙遜であったからです」。
主よ!我らの転倒した、ふくれあがった性格を滅ぼしつくしてください。アーメン
ヴィヘルム・ブッシュ著 「365日の主」より
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