人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

なぜ神はこのようにたえず強い圧迫をわたしたちに許したもうか。

2012年03月08日 | お気に入りの言葉

  荒野の泉 カウマン夫人著より
  なぜ神はこのようにたえず強い圧迫をわたしたちに許したもうか。
これは第一わたしたちが圧迫と試みから除外されるよりも、
これによって神の十分な力と更に多くの恩寵が与えられるためである。
「宝は土の器にある。これ大いにすぐれた力がわたしたちから出るのではなく、
神から出るためである。」
このことが神に対するわたしたちの依存を更に強く自覚させる。
神はたえずわたしたちに神に対する依存を教えようと試み、わたしたちを絶対にみ手の中に保ち、
そのご愛顧によりかからせようとなさるのである。
これこそイエスご自身が立ちたもう場所であり、わたしたちを立たしめようとなさる立場である。
これは自ら築き上げた力ではなく、彼のみ手に寄りかかる信頼、
ただ一歩でも自分ひとりであえて踏み出さない信仰の立場である。
これはわたしたち自らに信頼を教える。
試練による以外に信仰を学ぶ道はない。
生活をたのしむよりも、神を頼むことを学ぶことははるかにすぐれて善いことである。
一度学んだ信仰の教訓は永遠の獲得であり、造り上げられた永遠の財産である。
信頼がなければ富すらもわたしたちを貧しくしてしまう。

  コリントの信徒への手紙二 4:7-9
  ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、
虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。