木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

日本手話学会に参加して来ました。(その1 何語で議論するの?)

2008年09月19日 01時08分07秒 | sign language
明石焼きの写真だけで終わってしまっては、「第34回日本手話学会」とはいったい何だったのか訳が分からないですから、今お風呂の中で思いついたことを書いておきます。
手話学会の中でも以前議論がなされたとのことでしたが、それは「手話学会では何語で議論がなされるのか?」というテーマです。
手話学会ですから議論の対象はもちろん「手話」なんですが、その「手話」の定義からして永遠のテーマって感じですよね。今回の発表の中でも中京大学の神田先生が「手話の特定変種に拘泥するような研究や運動ではなく、多様な変種について関心を持つべきであり、それにはピジン言語の研究が役立つと考えられる。」と書かれていたりして、それはそれで大変面白かったです。(いったいそれはどういう意味ですか?と質問をしようとしたのですが、時間がなくて切られてしまった。)
「面白かった」などと不用意に書くとまたお叱りを受けそうですが、「大多数の聴覚障害者は日本手話使用者ではないのだからピジン言語について研究した方が役立つ」という論理っていかがなものかなぁ~。
一方手話には「書記語」が決まっていないので予稿集やパワポなど発表のベースは当然「書記日本語」なわけです。そしてろう者は自ら手話で発表して「読み取り通訳」が音声日本語に訳します。学会の「読み取り通訳」ですから当然ハイレベル・・なんですが、森会長の発表の時などはちょっと??と感じる部分もありました。それは「通訳が間に入ることによるバイアス」と言ったらまた語弊がありますが、「何語で発表するのか?」ってやっぱり大きいなと感じました。通訳を介して発表を「聞いている」人と、直接森会長の手話を理解する人の間には、そもそも議論に最初から「溝」というか「距離」が生じてしまうおそれがある。

もう一つ興味深かったのが、学会後の夜の懇親会です。ここは「日本手話ベース」なのかというと、聴者は「音声日本語」ベースです。私も「議論」できるような「日本手話」の力量がないので、言いたいことを言いたいと思うほど「音声日本語」にシフトしてしまいます。
手話学会の発表はどれも面白くて書きたいことがたくさんあるのですが、それについて論じようとする自分の言語が音声日本語でいいのか?という素朴な疑問(違和感)を感じた次第です。
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