木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

books115「外国語学習に成功する人、しない人」白井恭弘著(岩波書店)

2008年09月08日 22時28分38秒 | books
外国語学習に成功する人、しない人―第二言語習得論への招待 (岩波科学ライブラリー)
白井 恭弘
岩波書店

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実は、「英語習得の『常識』『非常識』」よりもこっちの本を先に読みました。この本は「過去40年くらいのあいだに第二言語習得研究が明らかにしたことを、なるべくわかりやすく伝えることを目標とし(7ページ)」ています。
いくつか面白かったところを記しておきます。
■30ページ
「学習者の外国語能力がまだ一定のレベルに達しないうちに、無理に話させると、結局学習者は母語に頼って、その母語の文法に適当に第二言語の語彙をくっつけて、なんだか変な外国語をしゃべる、という状況になります。場合によっては仕方ないのですが、それをどんどん続けていくと、それが固まってしまうということがあるのです。ある程度の基礎もないうちから、どんどん英語でコミュニケーションすると、いわゆるブロークン・イングリッシュになってしまうということです。」
これって、「英語」を「手話」に置き換えてもまったく違和感がない。この章は「日本人はなぜ英語が下手なのか-その2 母語の影響」というタイトルで、「母語の影響」は「言語転移」と呼ばれているそうです。そして
「外国語を読んで訳すという「文法訳読方式」中心で教えているところでは転移が起こりやすく、それに対して学習者の母語を使わず、主として学習対象言語によるコミュニケーションを通して教えているところでは転移が起こりにくいということがあります。」 なんだそうです。これもまさに今の手話講座テキストの多くが「訳読」方式中心になっているため、どうしても日本語中心な発想になってしまう、つまり音声日本語に引っ張られた手話になってしまうことと一致します。
(つづく)
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books114「英語習得の「常識」「非常識」白畑知彦編著(大修館書店)

2008年09月04日 23時42分35秒 | books
英語習得の「常識」「非常識」―第二言語習得研究からの検証
白畑 知彦,須田 孝司,若林 茂則
大修館書店

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ちょっと変わったタイトルの本ですが、手話の勉強をしていく上で参考になることがいくつもありました。まあ、それはそもそも英語の勉強で僕が「常識」だと思って、手話の勉強でもあてはまるもんだと思い込んでいたというたぐいのものなのですが。
【検証5】繰り返し練習すると外国語は身に付くのか?
これって「常識」でしょ。手話の勉強でも「繰り返し」が足りないからなかなか覚えられないと思っていました。
でも・・・
(1)学校環境における機械的な繰り返し学習には、一時的な効果しかない。
とバッサリ。オウム返しなトレーニングで身につくのは所詮”一時的な効果”ってなんかうなづけるものがあります。
【検証8「多読で英語力は伸びるのか?】
これも「常識」でしょ?でも・・・
(1)辞書を引くことなく、書物をいくらたくさん読んでも、読むスピードは向上するだろうが、語彙力が増加したり、文法能力が高まったり、発音能力が良くなったりはしない。
とのこと。
この本はこのようにこれまで「常識」と思われてきたことを設問にして、それを主に「非常識」なのだと種明かしするような形で進んでいきます。
(2)多読を行う際には、語彙のレベルを気にするのではなく、学習者の興味に合った読み物を扱う必要がある。
私も最近DVDとかの手話をいろいろ見ているのですが、「興味に合った」って大切ですね。でも、残念ながらまだまだそんな手話DVDはほとんど市販されていませんよね。それこそ車好きなろう者が自分の愛車について語るとか、スポーツの極意を話し合うデフリンピック出場者とかのDVDがあると面白いですね。そうやって考えると男性で、同年代で、自分の好きなことについてあれこれ話せるろうの友達っていないなぁ~と寂しく感じます。まあ、若い頃は好きな女性のタイプを話題にしていればそれなりに盛り上がれましたが、近頃はそういう話題にはまるで縁がない。
コラム3「第二言語習得と第二言語教育」
実は、外国語習得のメカニズムを探る「習得研究」と、外国語の勉強や教育の方法を考える「外国語教育研究」とは別のものなのです。

私は、来週神戸で開催される手話学会に初めて参加する予定なのですが、言語学研究の成果と、手話教育研究とは「別のモノ」なんですねぇ~。
これを読んで私は、以前に受講した手話指導者研修会で情文センターの石原茂樹さんが「手話学の研究成果が、もうそろそろ現場の指導内容につながってくれてもいい時期に来ている」というお話を思い出しました。手話の場合は、まだまだ「手話学」→「手話習得研究」→「手話教育研究」というレベルには至っていないように思います。特に真ん中の「聴者はいかに手話を話せるようになるのか」「なぜいつまでたってもろう者の手話を読み取れないか、その仕組み(ネック)は何なのか」という「習得研究」ってほとんど聞いたことがないように思います。
地元の手話奉仕員養成講座を担当していて、近頃このことをしばしば思います。視覚的に得た「どう手話表現するのか」という情報を、簡単に自分で再現できる人と、手の向き一つでさえなかなか同じように真似られない人がいます。その違いっていったい何なんだろうとつくづく感じるのです。
【検証21】本当に「言語習得の臨界期はある」のか?
これもずっと「9歳の壁」って教わってきたから「常識」だと思ってましたが、そうでない見方もあるんですねぇ。驚きました。
(15年という)長期にわたる臨界期が、生物種としての人間に本当に備わっているものなのかどうか、もう一度考え直してみる必要があると思います。
とのこと。この本では臨界期と呼べるのは生後ほんのわずかの期間しかないのではないかと主張しています。私も自分がとうに臨界期を過ぎてるから覚えられないんだという言い訳はし辛くなりました。
【検証22】「英語耳」や「日本語耳」という区別はあるのか?
この本では「そんなものはない」という立場で結論をまとめられていました。
<2008/9/8追記>
私は、「手話アイ(眼)」を身に付けることが大切だと思っていたので、この説はちょっとショック。でも、手話の場合は、同じ言語と言っても視覚系の比重が大きいと思うから、やっぱり音声言語を扱う脳とは異なる部分が活性化されなければ、永遠に「CLとフローズン」とか「張りとゆるみ」なんぞ見分けられないような気がするのです。

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