木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

手話サークルに「声」は必要か?(その2)

2009年04月02日 01時20分40秒 | sign language
手話サークルはどうして「声」をなくす必要があるのか。
(事例1)昨日の総会で私の前の席にちょっと背の高い男性が座っていた。それでちょうど私の席からは報告者の手話が遮られて、報告が「見えない」状態に置かれていたにも関わらず私は報告を「聞く」ことができた。会場が満員だったこともあるけど、私が「ろう」だったら席を移動するとか、前の男性にちょっと左右どちらかに動いてもらうかしただろう。そうしなかった私は「聴者」としての自分に甘えていたことになると思う。報告者の手話が「見えなかった」んじゃなくて「(聞こえるから)見えなくてもいい」という聴者のおごりを肯定してたように思う。それって、なんだかなぁ~イヤな自分だなぁ~と思う。
(事例2)休憩時間になると久しぶりにお会いした隣のメンバーから「『声』をかけられた」。私は「『声』を出しながら、手話をして応えた」。その方は年配の方で、とっさに頭の中で「この人に向かって『声』を出さないで手話をしたら通じないだろうなぁ~」という「配慮」が働いて、『声』が出た。ついさっき活動方針で「手話で話そう」って確認したばっかじゃなかったっけ。どうして手話をしないで『声』だけで僕に話しかけるんだよぉ~!と心の中で思いながらも、『声』をつけて手話をした。ああ、僕って情けないなぁ~。やっぱ『声』があるのがいかん!
(事例3)久しぶりにあったろうの友達から「今度全国大会だろ、常磐線のT駅近くって飲むとこあるの?」と聞かれた。けど、その前後の手話がイマイチ読み取れなかった。でも読み取れたとこだけ答えた。読み取れない自分に見て見ぬふり(わかったフリ)をしてしまった。こういうのって友達として嫌なヤツですよねぇ~。わかったフリを許してしまうような場じゃダメだって思うのです。もっとろう者と聴者がビシバシとコミュニケーションをぶつけ合うような緊張感が必要だと思うのです。なあなあ~で「わかったフリ」を許してしまってはイカンのだ!
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