かつて手話サークルで仲間だった若者が手話通訳者として新聞に紹介されていた!
2011年2月17日付
北陸中日新聞「popress」【Work】仕事選び、就職活動に役立つ情報
-北陸で働く若い人の姿を通じ、さまざまな仕事のやりがい、難しさなどを紹介します。-
#5 手話通訳者 酒井一さん(34) ろう者の言葉 体当たり紡ぐ
大きく手を動かし、表情豊かに手話通訳をする酒井さん=金沢市高岡町で
【裁判員制度など高まる需要】
表情豊かに両腕、手、指を動かす。2月初旬、金沢市内で開かれたアートイベントの授賞式。参加したろう学校の生徒のため、司会の言葉を表現していく。手話が分からない人にとっては、目で追うのがやっとなほどのめまぐるしさだ。
一仕事終えると、いつもぐったり疲れる。健常者、ろう者間の円滑な意思疎通を助けるために「脳と手指をフル回転させる必要があるから」。
手話に出会ったのは、高校時代。ボランティア活動で接したろう者が、まだ手話言語として存在していない言葉でさえ、独自の身ぶり手ぶりで伝える。その表現力に衝撃を受けた。
卒業後、各地でボランティアや農業を経験してから、福祉の道に進み障害者作業所などで働いた。手話はサークル活動などで続けていたが、8年前に故郷の石川に帰ってくるまでは仕事にしようとは思っていなかった。ただ手話通訳をできる人が不足している現状を知り、この道で生きることを選んだ。
とはいえ、手話通訳は技術的に難しい。単語は覚えられても、手指の動き以外に身ぶりや顔の表情すべてで表現しなくてはならない。
仕事では責任も生じる。いっときとはいえ、人の言葉を預かる仕事。「ろう者が丁寧に話しているのに私が稚拙な言葉で伝えてしまったら、その人へのイメージを損ないかねない」
タフな精神力が求められるが、乗り越えた時の喜びは大きい。
病院に入院中のろう者と看護師の間に入った時のこと。双方、ここぞとばかりに質問してきた。「ガスの元栓が気になるから帰宅したい」「転んでは大変だから勝手に出歩かないで」。そんなささいな意思の疎通もうまくいっていなかったのだ。
納得し合う様子に達成感を味わうとともに、恐ろしくもなった。逆に、言葉の通じない環境で医療行為を受けるのはどんな気持ちなのだろう-。「通訳がいて、思いが通じるのは素晴らしい」。そう思った瞬間だった。
近年、手話通訳の需要は高まっている。権利意識の高まりや、ろう者も加わる可能性がある裁判員制度の開始などによってだ。以前は正規雇用の就職先が少なかったせいか女性が多く、男性が特に不足しているという。
この仕事は「多くのことを気付かせ、自分を成長させてくれた」。ろう者は実生活での不自由さを強いられる上、聞こえる人と同じ世界に入れない孤独もある。「それを理解し、周りに広めることも仕事の一部」と話す。
「ろう者を手助けするのは『通訳者だけ』という風潮になってもいけない」と前置きした上で、「通訳とまでいかなくても、手話を話す人が増えればうれしい」とほほ笑んだ。 担当・辻紗貴子
【自己評価表】
■休みはきちんと取れる? 取れます。週休2日で祝日も休みです。ただ土日に研修が入ることも度々あります。市の仕事とは別に個人で手話通訳としての仕事に出向くこともありますよ。
■拘束時間はどのくらい? 基本的に午後5時45分の定時で上がります。週末に仕事の準備で長引くことはありますが、残業はほとんど無いです。
■職場の雰囲気は 職場には4人しかいないので和気あいあいとしています。忘年会は、普段仕事で接することも多い市の通訳さんや、ろうあハウスの職員の人たちと合同でやったりします。
さかい・はじめ 石川県羽咋市出身、1976年生まれ。羽咋工業高校を卒業後、福祉関係の職場などを経験しながら、手話サークルにも参加し、ろう者とのかかわりを持ち続ける。2009年からは金沢市聴力障害者福祉協会に所属、同市の委託を受け、さまざまな現場に赴く。10年、手話通訳士の資格試験に合格した。
※【ポ】ホの手の形を上に動かす【プ】フの手の形を上に動かす
2011年2月17日付
北陸中日新聞「popress」【Work】仕事選び、就職活動に役立つ情報
-北陸で働く若い人の姿を通じ、さまざまな仕事のやりがい、難しさなどを紹介します。-
#5 手話通訳者 酒井一さん(34) ろう者の言葉 体当たり紡ぐ
大きく手を動かし、表情豊かに手話通訳をする酒井さん=金沢市高岡町で
【裁判員制度など高まる需要】
表情豊かに両腕、手、指を動かす。2月初旬、金沢市内で開かれたアートイベントの授賞式。参加したろう学校の生徒のため、司会の言葉を表現していく。手話が分からない人にとっては、目で追うのがやっとなほどのめまぐるしさだ。
一仕事終えると、いつもぐったり疲れる。健常者、ろう者間の円滑な意思疎通を助けるために「脳と手指をフル回転させる必要があるから」。
手話に出会ったのは、高校時代。ボランティア活動で接したろう者が、まだ手話言語として存在していない言葉でさえ、独自の身ぶり手ぶりで伝える。その表現力に衝撃を受けた。
卒業後、各地でボランティアや農業を経験してから、福祉の道に進み障害者作業所などで働いた。手話はサークル活動などで続けていたが、8年前に故郷の石川に帰ってくるまでは仕事にしようとは思っていなかった。ただ手話通訳をできる人が不足している現状を知り、この道で生きることを選んだ。
とはいえ、手話通訳は技術的に難しい。単語は覚えられても、手指の動き以外に身ぶりや顔の表情すべてで表現しなくてはならない。
仕事では責任も生じる。いっときとはいえ、人の言葉を預かる仕事。「ろう者が丁寧に話しているのに私が稚拙な言葉で伝えてしまったら、その人へのイメージを損ないかねない」
タフな精神力が求められるが、乗り越えた時の喜びは大きい。
病院に入院中のろう者と看護師の間に入った時のこと。双方、ここぞとばかりに質問してきた。「ガスの元栓が気になるから帰宅したい」「転んでは大変だから勝手に出歩かないで」。そんなささいな意思の疎通もうまくいっていなかったのだ。
納得し合う様子に達成感を味わうとともに、恐ろしくもなった。逆に、言葉の通じない環境で医療行為を受けるのはどんな気持ちなのだろう-。「通訳がいて、思いが通じるのは素晴らしい」。そう思った瞬間だった。
近年、手話通訳の需要は高まっている。権利意識の高まりや、ろう者も加わる可能性がある裁判員制度の開始などによってだ。以前は正規雇用の就職先が少なかったせいか女性が多く、男性が特に不足しているという。
この仕事は「多くのことを気付かせ、自分を成長させてくれた」。ろう者は実生活での不自由さを強いられる上、聞こえる人と同じ世界に入れない孤独もある。「それを理解し、周りに広めることも仕事の一部」と話す。
「ろう者を手助けするのは『通訳者だけ』という風潮になってもいけない」と前置きした上で、「通訳とまでいかなくても、手話を話す人が増えればうれしい」とほほ笑んだ。 担当・辻紗貴子
【自己評価表】
■休みはきちんと取れる? 取れます。週休2日で祝日も休みです。ただ土日に研修が入ることも度々あります。市の仕事とは別に個人で手話通訳としての仕事に出向くこともありますよ。
■拘束時間はどのくらい? 基本的に午後5時45分の定時で上がります。週末に仕事の準備で長引くことはありますが、残業はほとんど無いです。
■職場の雰囲気は 職場には4人しかいないので和気あいあいとしています。忘年会は、普段仕事で接することも多い市の通訳さんや、ろうあハウスの職員の人たちと合同でやったりします。
さかい・はじめ 石川県羽咋市出身、1976年生まれ。羽咋工業高校を卒業後、福祉関係の職場などを経験しながら、手話サークルにも参加し、ろう者とのかかわりを持ち続ける。2009年からは金沢市聴力障害者福祉協会に所属、同市の委託を受け、さまざまな現場に赴く。10年、手話通訳士の資格試験に合格した。
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