サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

元祖スキャンダル女優/藤間紫(日本舞踊)/85歳

2009年03月28日 | 毎日がメメント・モリ

藤間紫さん死去…猿之助の妻日本舞踊界の大御所


3月28日8時0分配信 スポーツ報知


わかいわかい

 女優で日本舞踊の紫派藤間流家元の藤間紫(ふじま・むらさき、本名・喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんが27日午後5時26分、肝硬変による肝不全のため、東京・千駄木の日本医科大付属病院で亡くなった。85歳だった。通夜は29日、密葬は30日、いずれも上野・寛永寺輪王殿第1会場(時間未定)で喪主は夫の歌舞伎俳優・市川猿之助(69)。4月末に葬儀、告別式を行う。

 波乱万丈に生き抜いた人生とは対照的に、紫さんは眠るように静かに息を引き取った。数日前から意識がもうろうとしながらも、夫・猿之助の励ましの声に、反応していた紫さんが、とうとう力尽きた。最期は猿之助、猿之助一門の弟子、紫派藤間流の弟子など多くの人が見守った。

 関係者によると猿之助は最愛の人の死去にショックを受けながらも気丈に振る舞い、亡くなってからも紫さんの体をさすって声をかけ続けていたという。くしくも入院していた日本医科大付属病院は、父・河野勝斎さんが理事長を務めた病院だった。

 紫さんが体調不良を訴えたのは2月中旬。一昨年秋には食道静脈瘤(りゅう)手術を克服していたが、2月15日の国立劇場「第52回日本舞踊協会公演」の出演を最後に3月に入院。だが、同月15日に行われた紫派藤間流の名取式には着物を着て出席した。

 “元祖スキャンダル女優”として激流のような人生でもあった。12歳で藤間流6世宗家・藤間勘十郎に入門し、21歳で24歳年上の6世勘十郎と結婚。その後、2児を設けたが、60年代から猿之助と生活を共にするようになった。猿之助は浜木綿子と結婚しており、ダブル不倫状態。85年には離婚騒動で、裁判ざたとなり、勘十郎側から長男が新国劇・辰巳柳太郎の子供であると主張され、決着前の90年に勘十郎(当時・勘祖を名乗る)が亡くなった。並行するように、87年には藤間流を離れ、紫派藤間流を創流し、“藤間流スキャンダル”として話題を呼んだこともあった。

 2000年猿之助と晴れて入籍。03年に脳こうそくで、その後、肝機能障害を患った夫・猿之助を献身的に支える一方、猿之助一門の指導はもちろん、女優としても舞台「西太后」での女帝ぶりは高く評価され、代表作に。不死鳥のように人生を生き抜いた紫さんは、猿之助一門の行く末を気にしながら、天国へと旅立った。

 ◆藤間 紫(ふじま・むらさき)1923年5月24日、東京都生まれ。父は元日本医科大学学長・河野勝斎氏。30年、藤間章吉に入門。幼少時より舞踊の才能の片りんをみせ、天才少女と呼ばれる。35年に6代目宗家の藤間勘十郎(後に勘祖)の内弟子となり後に結婚。新派や新国劇を始め「父の詫び状」「西太后」、映画「三等重役」などに出演。91年菊田一夫演劇賞大賞、94年第1回読売演劇大賞最優秀女優賞など受賞。孫の藤間貴彦はジャニーズJr.で活動中。

家の近くの駅前路地に、朝方までやっているBARがあるのだが、そこのママの姪っ子が、よくお稽古事の帰りに店を手伝っていた。
藤間紫の紫派藤間流のお弟子さんであった。
若い彼女からみれば、藤間紫は天上の人であったかもしれないが、尊敬し心酔している様子を、熱心に語ってくれた。

藤間紫・・・美しい名前であるし、実際、美しい人であった。
天才少女が21歳で「名取」となり、「紫」の名を授けられる。
そして24歳年上の宗家6代勘十郎の妻となるのだ。
しかし、13歳年下の市川猿之助と同棲することになり、猿之助にはそのとき浜木綿子と結婚していた。
勘十郎とようやく離婚できたのが85年であり、猿之助と入籍したのは2000年のことである。
「スキャンダル女優の元祖」ともいわれたりした。
梨園という特殊な世界で、藤間紫は自分を貫き通した人だったのだろう。
舞踊家としても、芝居の役者としても、女優としても、そして猿之助一門の指導者としても、存在感に溢れていた・・・合掌!


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-06-26 22:24:10
まだ生きてる藤間麗基代は若い弟子に入れ上げてますよ。そのためならどんなことも平気。さすが芸能人89698969
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