nostalgiaを感じるようになったのも歳のせいでしょう?「開拓の村」にはnostalgiaを感じさせるような雰囲気がたくさんあります。雪道を通行するのは「馬橇(ばそり)」でした。スキーをはいて馬橇の後ろにつかまり遊びましたが、御者の人は時々後ろにつかまっている子供たちに長いムチを振り向けました。でも「危ないぞ!」という程度でのんびりしたものでした。お正月の初荷も馬車でブリキの缶を叩きながらミカンを振りまいていました。電話は町内会で1軒の家が持っているかどうかでした。緊急の場合には借りに行ったり、呼びに来てくれたりしました。除雪用具も木製や竹製でした。時々通る車は「進駐軍」の車で、荷物の移送もトイレの汲み取りも馬車の時代でした。今と比べると不便な時代でしたが、それなりにのどかで楽しい時代でした。
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北海道のオホーツク海側の稚内寄りに中頓別町があります。中頓別はかつて砂金が採掘されたことで有名な町です。明治30年代、砂金の発見とともに、中頓別には一攫千金の夢を追って全国各地から1万人以上の人々がやってきました。また大正5年の鉄道の開通後は交通の要所として賑わいました。「渡辺商店」はその市街地で雑貨屋として栄えました。この建物は大正初期のもので、漆喰仕上げの土蔵造りで耐火と耐寒に備えた建物です。それにしても、店に吊るされた「竹スキー」や「学生帽」はどうですか?私の子供の頃はスキーを持っている子供は少なかったです。ほとんどが「竹スキー」で遊んだものでした。学生帽も夏は白いカバーを被せていました。明治や大正時代から私の子供の時代はそんなに生活環境は変わっていない気がします。関東地方の大雪で飛行機は欠航が相次ぎました。テレビでは「詳しい情報はホームページでご確認ください」というニュースが流れます。ホームページと言われてもどうにもならない人たちがたくさんいます。今は旧世代と新世代が混沌とした文化・文明の時代なのでしょう。
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