気ままな老いカメ

平均寿命を超していますが、まだしばらくは頑張れそうです。

清水界隈

2014-03-31 | 日記
毎年京都へ行くと必ず清水坂にある「七味家本舗」へ行って、七味唐辛子と陶磁器(?)の入れ物を買います。その陶磁器の入れ物がきれいで集めているのです。清水寺は工事中でした。京都市内は観光客で賑わっていますが、若い人たちの着物姿が目立ちます。最近は彼女に合わせてか、男の人も着物を着ています。梅が咲いていました。ミラレス一眼レフでは望遠ズームではなかなかピント合わせができず、70mmで撮ると引き付けることが出来ませんでした。今回の旅行は失敗のないように70mmだけの写真となりました。最後の写真は新しく買った一眼レフで室内での試し撮りです。
            

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天狗みくじ

2014-03-30 | 日記
「天狗みくじ」は由岐神社がある鞍馬山に住んでいるという天狗にちなんだおみくじです。 天狗のキーホルダーの中におみくじが入っています。このおみくじは由岐神社独自のものだそうです。私は出かける時のデイバッグに着けています。これに気づいた人は「珍しいですね!」と言ってくれます。今回は5個買ってきました。知人に差し上げましたが、運勢はどうだったのでしょうか?

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由岐神社

2014-03-29 | 日記
由岐大明神は御所に祀られていましたが、都の大地震、平将門の乱、天慶の乱など相次ぐ世情不安に、朱雀天皇の詔により鞍馬の地に天下泰平と万民幸福を祈念して遷宮されたそうです。本殿と拝殿は、豊臣秀頼により再建され、拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で、桃山建築の代表的な建造物で、国の重要文化財に指定されているそうです。「鞍馬の火祭」としても知られています。参道脇にある杉は樹齢600年、樹高49m、幹周り6.42mで、 根元には大杉社が祀られています。由岐神社に「天狗のおみくじ」があります。
          

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息つぎの水 & 源義経公背比石 & 冬柏亭

2014-03-28 | 日記
 牛若丸が奥の院へ毎夜剣術修行に通っていたとき、喉の乾きを潤したと伝えられている泉だそうです。でも今は水が出ている様子はありませんでした。牛若丸が16歳の時、藤原氏を頼って奥州に旅立つ時に背比べをしたと伝えられている石ですが、牛若丸の背はこの石と同じ高さだったそうです。「冬柏亭」はかつて東京荻窪にあった与謝野晶子の書斎で、縁があってここに移築されたそうです。与謝野寛と与謝野晶子の歌碑がありました。「何となく君にまたるるここちしていでし花野の夕月夜かな」「遮那王が背くらべ石を山に見てわが心なお明日を待つかな」。「遮那王」とは義経の幼名だそうです。
          

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一眼レフ 鞍馬寺

2014-03-26 | 日記
一眼レフは持ち歩くのに重くなり、軽いミラレスの一眼レフを持ち歩くことにしましたが、ファインダーが付いていないので、例えば一輪の梅の花を写そうと思ってもなかなかピントが合いません。オートフォーカスにすると常にズームが動き電池の消費が激しいです。そこで再び一眼レフを購入しました。何と画素数が3640万画素のカメラです。まだ使い方に慣れていないので、色々と試しています。1枚目の写真は試してみました。ぼちぼちと写しながら慣れていこうと思っています。鞍馬寺ですが、「木の根道」は雪があって歩きずらかったです。その道を上って鞍馬寺の奥ノ院魔王殿へ行きました。太古より宇宙の力が満ち溢れ、その波動が多くの修行者を鞍馬山へと導き、宇宙の真理に目ざめさせたと言われているそうです。僧正ガ谷不動堂(そうじょうがだにふどうどう)の辺りで義経が剣術の修行をしたそうです。鞍馬天狗が牛若丸と出合ったところでだそうです。すぐ向かいに義経堂があり、奥洲衣川で命を散らした義経公の魂は、幼少時代を過ごしたなつかしい鞍馬山に戻って来たと信じられ、「遮那王尊(しゃなおうそん)」としてお祀りされているそうです。
            

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鞍馬寺 鐘楼&阿吽(あうん)の寅

2014-03-25 | 日記
鞍馬寺の本殿金堂(ほんでんこんどう)の左右に阿吽(あうん)の寅がいます。狛犬ではなく寅なのです。牙をむき出して威嚇しているような、恐ろしげな阿吽の寅です。少し上るとこじんまりした「鐘楼」があります。案内板によると、「梵鐘は寛文10年(1670)の銘文をもち、「扶桑鐘銘集」にも紹介される名鐘である。毎年、除夜の鐘を撞く人が列をつくる。」と書いてありました。
        

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鞍馬寺 奥ノ院を目指して

2014-03-23 | 日記
仁王門をくぐって、普明殿とつながるケーブル山門駅から「牛若丸号」を利用して多宝塔駅に向かいます。かなりの急勾配でした。雪の残る山道を登っていくと「翔雲臺」があります。この石は、本殿後方に経巻を埋蔵した経塚があり、その蓋石に使用されていた板石だそうです。平安京の擁護授福のため本尊が降臨した場所とされているようです。本殿金堂は尊天の働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊を奉安する鞍馬山信仰の中心道場とのことです。
            

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鞍馬寺

2014-03-21 | 日記
出町柳駅から鞍馬線に乗って鞍馬寺へ行きました。以前にも何度か行ったことがありますが、今回も「天狗のおみくじ」を買いに行きました。寒い日で鞍馬山はあちこちに雪が残っていました。鞍馬山は義経伝説/牛若丸で知られています。義経は源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と言いました。平治の乱で父が亡くなり鞍馬寺に預けられました。七歳の時に鞍馬寺の覚日阿闍梨の弟子となり、昼間は東光坊で学業に励み、夜が更けると僧正ガ谷で天狗に兵法、剣術を習ったと言われています。「童形六体地蔵尊」は「子供はみんなほとけの子、子供は天からの預かりもの、子供は親の心をうつす鏡」という説明がありました。今の世の中、子供をもっともっと大切にする心がけがほしいです。
            


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河合神社 下鴨

2014-03-20 | 日記
「方丈記」の著者である鴨長明は河合神社の神官の家に生まれましたが、重職に就くことができず世を嘆いて「方丈記」を書いたと言われているそうです。境内に鴨長明が晩年を過ごしたという「方丈庵」のレプリカがあります。河合神社は古くから下鴨神社本宮に次ぐ大社として歴史に登場し、祭神は玉依姫命(たまよりびめのみこと)で、女性の守護神なので女性の美への願いを叶えてくれる神様だそうです。 安産・育児・縁結び・学業・長寿の神様ともいわれています。奉納されている「鏡絵馬」は裏に願い事を書き、表には自分の使っている化粧品などで、自分でお化粧をするという珍しい絵馬です。
          


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下鴨神社とみたらし団子

2014-03-19 | 日記
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)・通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)・通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)があります。賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と呼ばれます。両社で催す賀茂祭が通称「葵祭」です。葵祭は、祇園祭、時代祭と並ぶ京都三大祭の一つとして知られています。5月15日に催されるようです。ところで、賀茂氏というのは、八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏なのだそうです。「上賀茂」と「下鴨」の「かも」の字の違いはどうしてなのかは解りません。元々は「賀茂氏」だったので「賀茂」だったようですが、「上賀茂神社」も「下鴨神社」も通称が定着したようです。1~3の写真は流し雛のない「みたらし川」、4~5の写真はここに流し雛のあった時の写真です。「みたらし団子」を今回も食べてきました。相変わらず店は混んでいました。
            

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彦根の町並み

2014-03-18 | 日記
彦根の町並みは歴史のある城下町らしい、落ち着いた雰囲気でした。「夢京橋・キャッスルロード」は、蔵作りの店が並ぶ風情ある昔ながらのたたずまいのある町並みです。窓の桟が独特で珍しいと思いました。「キャッスルロード」から一歩わき道に入ると「四番町スクエア」があります。大正ロマンあふれるアンティークな雰囲気の市場商店街で、彦根市民の台所になっているそうです。
          

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玄宮園 彦根

2014-03-17 | 日記
旧大名庭園です。4代目藩主の直興が1677年から7年かけて造営した庭です。庭園の名前は中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」と言ったことに由来するそうです。池に突き出るような「臨池閣」・「鳳翔台」の建物や池に架かる9つの橋だど、「回遊式庭園」と呼ばれています。今は池の護岸工事中で水が少なくなっていました。ところで、ミラレスの一眼レフは全体的な写真はきれいに撮れます。手持ちで夜景などを撮る場合は4枚連写で撮り、一番いい写真が記録されます。3月10日の京都駅前の噴水の光の踊りがそうでした。逆光の場合も3枚(?)を連写で撮って一番いい写真が記録されます。ところが梅などの花を写す時に一つの花にピントを合わせるのは無理のようです。ファインダーを覗いて一点にピントを合わせるとの違って、ディスプレイの画面を見ながらピントを合わせるのは無理のようです。前や後ろの大きなものにピントが合ってしまいます。もう少し勉強をしてみます。
        

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「時報鐘」と城内

2014-03-16 | 日記
「時報鐘」は12代目藩主井伊直亮の時代(1844年)に鋳造したもので、現在でも午前6時、9時、正午、午後3時、6時についています。ちょうど正午の鐘をつくところでした。この「時報鐘」は「日本の音風景百選」に選ばれています。戦国時代に造られた城も石垣も堅固なものでした。城内には鉄砲狭間・矢狭間がありました。城に入る手前の「天秤櫓」は重要文化財になっていて、上から見ると「コ」の字形になっています。その形から名前が由来するのでしょうか?彦根城と相対するかのように、石田三成の居城「佐和山城」跡のある佐和山が見えます。城主であった石田三成は善政を敷き、領民から慕われていたため、井伊直政はその威光を払拭するべく、佐和山城を廃城にして、新たに彦根城築城を計画したそうです。彦根城が完成したのは2代目直継の時代になってからでした。
            

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彦根城博物館

2014-03-15 | 日記
彦根城博物館は明治時代に取り壊された彦根城の表御殿を復元したものです。井伊家に伝わる美術工芸品、能、茶器、古文書などを展示しています。表御殿の中央には能舞台があり、春と秋に能が催されているそうです。能舞台に面して鑑賞する人たちの座席があります。また、藩主が日常生活をしていた「奥向き」は、御座の間や茶室・庭園が復元されました。見ごたえのある博物館です。
            

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井伊の赤備えと彦根城

2014-03-14 | 日記
「井伊の赤備え」の「甲冑」はこのようなものだったのでしょうか?井伊直正公の甲冑のようです。長浜城から移築された天秤櫓は重要文化財になっているそうです。石垣やそれを囲む濠がきれいです。
          

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