気ままな老いカメ

平均寿命を超していますが、まだしばらくは頑張れそうです。

黄色の花々

2013-08-30 | 日記
小学生が登下校時に被る通学帽(黄色い帽子)や、幼稚園児の通園バッグや、児童用の雨傘には、黄色一色が用いられることが多いです。これは黄色が「警戒色」の役割を果たしているからだそうです。黄色は視認性の高い色で、特に黒との組み合わせは非常に目立つコントラストとなります。この「黄色と黒」の組み合わせは、交通標識や軽自動車のナンバープレート、鉄道の踏切、工事現場、各種工場などで多く用いられています。そう云えば「阪神タイガース」も黄色と黒の組み合わせですね。生物学的には蜂の黄色と黒の模様のように「黄色と黒」の組み合わせは「警戒色」、俗に「虎マーク」とも呼ばれているそうです。他の動物が避けてくれる効果があるそうです。「阪神タイガース」はどうでしょうか?
        

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紫色の花

2013-08-29 | 日記
紫は寒色系の一つです。「紫」は紫草(むらさきくさ)という植物の名前で、この植物の根を染料にしたことから、染色された色を「紫」と呼ぶようになったそうです。紫(むら+さき)は紫草が群生する植物なので、「群(むら)」+「咲き」が1つになって、このように呼ばれるようになったそうです。紫は気品のある神秘的な色と見られ、また紫草の栽培が当時の技術では困難だったために珍重されました。歴史の中の日本では、紫は高位を表す色とされ、主に皇族やそれに連なる人にしか使用が許されなかったそうです。西洋では巻貝の一種"purpura"(ラテン語)の出す分泌液が紫の染色の原料とされ、この巻貝1個から出る分泌液がわずかであったために貴重なものでした。やはり高貴な身分の人が紫色の衣装を身に着けていたそうです。この語源から英語の「紫」は「purple」なのですね。
            

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秋の気配 ナナカマド

2013-08-28 | 日記
猛暑だ、熱中症だと大騒ぎをしているうちに、こちらの今の気温は18度、日中の気温も24度ほどですっかり秋めいてきました。日の入りもだんだんと早くなり、自然界も確実に秋になりつつあります。もうナナカマドが色づき始めました。ナナカマドは漢字では「七竃」と書くそうです。大変燃えにくくて、7度竃(かまど)に入れても燃えない、と云うことから「七竃」だそうです。ナナカマドの赤い実は冬の食べ物のない時期に鳥の餌にもなり、果実酒にも利用できるようです。 強い火力や火の長持ちで人気のある備長炭の材料としても使われているようです。ナナカマドは秋の紅葉や赤い実が美しいことから街路樹としても多く使われ、北海道では多くの町で「町の木」に指定されています。そろそろ収穫の季節です。
        

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とんぼ&ちょう

2013-08-27 | 日記
「とんぼ」はよく童謡などでも歌われて、赤とんぼや番いのとんぼなど可愛らしく飛んでいます。ところが意外なことにかなり獰猛な肉食性なのです。飛んでいる虫や昆虫など、「とんぼ」でさえも空中で捕えて食べるそうです。脚には太い毛がたくさん生えていて捕えた獲物を逃さないようになっています。口には鋭い大あごが発達しており獲物をかじって食べるそうです。蝶と蛾の区別がなかなかつきません。一般的には蛾は夜行性で夜飛ぶ種類が多く光に反応して集まるようです。蝶は昼行性で太陽が出ている間に飛ぶようです。また止まる時に蝶は羽を垂直に立てますが、蛾は羽を開いて止まりす。でも結論的にはどちらも例外が多く「蝶も蛾も同じ」と考えてもいいという説もあるそうです。最後の写真は「ハイキ―」でデザイン的に面白いかなと思っただけで、写真としては失敗作です(!(^^)!
          

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百合(ゆり)

2013-08-26 | 日記
「ゆり」が咲いています。世界には約130種あるようですが、日本には15種があるそうです。花言葉は花の種類によって、色によって異なるようですが、一般には「威厳」「純潔」「無垢」だそうです。「どこかにカサブランカが咲いている」と感じるほど「カサブランカ」の香りは強いです。これで虫などを呼び寄せているのでしょうか?ところで、「ゆり」は漢字で「百合」と書きます。何故なのでしょうか?食べるユリ根を見ると1枚1枚むけますね。この1つ1つの片がおよそ100片重なり合っているので「百合」だそうです。
        

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白い花(かすみ草)&赤い花(?)

2013-08-25 | 日記
私が一番好きな花は「かすみ草」です。白くて小さくてフワッと心持たない感じが好きです。1つの花を見ると繊細で形もよく清楚で凛としています。花言葉は「愛らしい 清い心、切なる願い、無邪気」だそうです。赤い花は何と云う名前なのでしょう?こちらは真っ赤な装いで凛と空に向かって咲いています。一つの枝に列を作って咲きます。
      

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ご近所の花々 白い花は清楚です!

2013-08-21 | 日記
色とりどりの花々を見ている時に、白い花を見ると目が休まります。白い花はかなり自己主張が強い気がします。色彩豊かな自然の中で白い花はすぐに目が留ります。1枚目の写真はよく見ると花の形と同じ小さな花がシベの所にも見えます。影となって親の花びらに映っているのが可愛らしいです。白の額紫陽花もきれいです。
        

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ご近所の花々 お洒落です!

2013-08-20 | 日記
ご近所の庭にはたくさんの種類の花々が咲いています。皆さんは丹精込めて美しい庭作りをしています。それに答えるように、花もおしゃれに咲いています。若い女の子たちの華やかなファッションや上品なファッションなどと同じように花によってお洒落の仕方が異なります。5枚目の写真は何でしょう?まるで「くくりさる」のようにも見えます。ちなみに京都の八坂の塔の近くの「庚申堂」が庚申信仰の発祥の地だそうです。

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五稜郭の概略 函館市

2013-08-19 | 日記
日米和親条約は1854年(嘉永7年)に江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約です。その条約の締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するため、徳川家定の命により五稜郭は築造されました。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置しています。1857年(安政4年) 工事開始。1864年(元治元年) 組立開始。1866年(慶応2年) 工事完了。1868年(明治元年)佐幕派の大鳥圭介隊と土方歳三隊の両隊が五稜郭を占拠。1869年1月(明治元年12月)箱館政権樹立。1869年(明治2年)新政府軍に敗北し明け渡される。1914年(大正3年) 公園として一般に公開される。1922年(大正11年) 国の史跡に指定される。1952年(昭和27年) 特別史跡に指定される。1964年(昭和39年) 入口付近に五稜郭タワーが建設される。2006年(平成18年)新しい五稜郭タワー(高さ107m)が開館。2010年(平成22年)箱館奉行所の復元工事が完成し、一般公開が始まる。
        

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五稜郭タワーからの眺望 飛行機

2013-08-18 | 日記
五稜郭タワーは函館市の特別史跡の五稜郭に隣接する展望塔です。1964年(昭和39年)に五稜郭築城100年を記念して高さ60mの旧タワーが開業しました。私が住んでいた頃はこの旧タワーでした。その後タワー施設の老朽化で新らしいタワーの建設計画が持ち上がり、2006年4月に新タワーが開業しました。新タワーの構造は五稜郭にちなみ、塔の断面は星形で展望台は五角形としたそうです。展望台で周りを見回していると、すぐ目の前を飛行機が横切り函館空港へ着陸しました。やはり展望台は高いのです。
      

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赤レンガ倉庫 函館市

2013-08-17 | 日記
「金森赤レンガ倉庫」と言うのが函館市にある赤レンガ倉庫群の名称です。大分県出身の実業家、渡邉熊四郎が明治時代に創設した「金森洋物店」が起源だそうです。赤レンガ倉庫群はショッピングモールやビアホール・レストランなどに利用され、函館の観光名所となっています。函館港に面したウォーターフロントは港の眺め、買い物をする人、レストランやカフェーで寛ぐ人など大勢の人で賑わっていました。
        

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函館港の眺望

2013-08-16 | 日記
元町の坂道を下りて行くと港にぶつかります。函館に住んでいた頃は子供を連れて「チカ釣り」へ行ったり、函館ドックの防波堤で釣りをしたものでした。「緑の島」はもちろんヨットハーバーなどはなかったような気がします。その当時はまだ青函連絡船があり本州方面へ行くのに利用しましたが、今では「摩周丸」が「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として博物館船になって係留されています。1枚目の写真の右上に見えます。漁港(入船漁港?)も見えます。
      

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函館山からの眺望

2013-08-15 | 日記
函館山からの夜景は日本の「三大夜景」の一つです。「三大夜景」は函館・神戸・長崎の夜景です。でも昼間の眺望も素晴らしいです。函館市街は、海水により港側と外海側から次第に砂が堆積されて出来た砂州の上にあります。函館山のすぐ下にはカトリック元町教会・ハリストス正教会・遺愛幼稚園・函館西高校のグラウンドや校舎などが見えます。遠くに五稜郭タワーがひと際高く聳え立っています。右に目を転じると立待岬へ通じる道路が見えます。両側はお墓が並び石川啄木一族のお墓もあります。石川啄木夫妻と両親、3人の子どもが眠るお墓だそうです。この狭い道路はお盆の時はお墓参りの車や人たちで大混雑になります。
      

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意富比神社(おおひ神社) 北斗市

2013-08-14 | 日記
函館の隣町の北斗市に意富比神社(おおひ神社)があります。 明治元年(1868)に旧幕府軍は、森町(鷲ノ木)に上陸し、本隊は箱舘(現函館)に向かい、分隊は峠下コースを進軍しました。五稜郭へ進軍の為向かおうとする榎本軍大鳥圭介部隊と、それを阻止しようとする官軍藩兵とが市渡で遭遇戦になり、意冨比神社境内を中心に戦闘が開始されて白兵戦となったそうです。意冨比神社のイチイの木に弾痕があるそうですが、よく判りませんでした。この辺りには江戸時代初期の頃から人が住み始め、この古木はその頃に植えられた木だそうです。
     

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松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡

2013-08-13 | 日記
「松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡」は安政2年(1855年)に幕府の命により松前藩が築きました。形は「四稜郭」で盛り土や空掘りがあって函館の四稜郭と同じようでした。郭内には17棟の建物があり120人程で警備をしていたようです。明治元年の「箱館戦争」の時、相手方に陣屋が使われないように焼き払われたそうです。国の史跡に指定されています。この郭内跡には建物のあった場所に説明板が置かれています。函館の四稜郭と同じようにあまり知られていません。
ところで、余話です。この暑さの中、何処に出掛ける気も起きず、マックのパソコンにWindows8を組み込む作業をしていました。今までは仮想的に入れていたのですが、マックとウィンドウズのそれぞれのパーティションを組んで入れなおしをしました。マックの「Boot Campアシスト」を使うと簡単に出来ると思っていましたが、Windows8のパーティションをフォーマットし直すことが解らずに作業が止まりました。たったこのことを知らないばかりに随分と悩みましたが、WindowsもOffice20113も再インストールし更新や設定も終わりました。パソコンはちょっとしたことが解らないと困るものです。

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