気ままな老いカメ

平均寿命を超していますが、まだしばらくは頑張れそうです。

開拓の村 旧浦河公会会堂

2014-02-05 | 日記
明治13年、神戸にて北海道開拓会社「赤心社」が設立され、明治14年・15年に浦河に団体移住があり、本格的な開拓が始まりました。「赤心社」の指導者達が熱心なキリスト教徒であったため、開拓移民の精神的な支えの場として「「浦河公会会堂」を建設したそうです。この建物は明治27年に建てられた2代目の建物のようです。
      

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開拓の村 三〼河本そば屋

2014-02-04 | 日記
石川県から小樽に移住した河本徳松という若者が、「そば屋」で修行をし「三〼そば屋」ののれんを継いで店を開いたそうです。建物は明治42年頃建てられたもので、小樽の街の中で最も栄えた場所にあり、食事や宴会をする人々で賑わったようです。煉瓦の煙突、階段の作りも豪華です。
      

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開拓の村 本庄鉄工場

2014-02-03 | 日記
明治30年頃に石狩市に建てられた建物のようです。漁具や漁船の付属品や農具などを作っていた「鍛冶屋」さんです。それにしても「仕事場」は前面ガラス戸で部屋も炉で暖をとっていたのでしょうか?冬は厳しい生活だったことでしょう。
      

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開拓の村 来正旅館(2)

2014-02-02 | 日記
旭川は冬にはマイナス10度以下になることがよくあります。私が小学生の頃はマイナス15度になると学校は10時始まりだったような記憶があります。とにかく寒い所です。台所は水道がない時代でポンプでした。各家にポンプがあるわけではなくて、外にある共同のポンプからせっせとバケツで水を運び、台所の水がめに貯めて置いたものでした。冬の朝はその水がめの水が凍っていました。私の子供の自分の風景です。でも草鞋やカンジキではなく長靴でした(*^_^*) それよりも古い時代ですから、「火鉢」で暖を取るだけでは寒かったことでしょう。宿泊客が多いときにはこのような狭い場所で雑魚寝でもしたのでしょうか?でも「籐のテーブルとイス」とはモダンですね。
        

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開拓の村 来正旅館

2014-02-01 | 日記
開拓の村の入り口の建物は明治41年に建てられたJR札幌駅を復元したものです。少し規模が小さくなっているようですが、現在は管理棟として使われています。ここを抜けると「来正旅館」があります。この建物は大正8年に旭川市永山(上川郡永山村)に旅館兼待合所として建てられ、宿泊する人たちや列車の待ち合わせをする人たちで賑わったそうです。
        
 

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