
【京都・上京区】平安時代の弘仁十年(819)、弘法大師空海が開創したと伝わる。 鎌倉時代、東大寺を再建した俊乗坊重源上人が中興し、真言宗から浄土宗に改宗された。
江戸時代初期の慶長十九年(1614)に再興されたが、享保の大火で焼失。 本堂の本尊石造地蔵菩薩立像は、空海が唐から持ち帰った石に自ら刻んだと伝わり、「苦抜地蔵」と呼ばれた。 「釘抜地蔵」の名は室町時代の伝説に由来し「苦抜き」が転じたものとされる。
本尊は地蔵菩薩像だが、開山堂(観音堂)には弘法大師像と行基作と伝わる観音菩薩像を祀っている。
千本通りに面した山門をくぐり、左手の大きな釘抜きのモニュメントを眺めながら参道を進んで中門へ。 中門には「釘抜地蔵尊」と「釘抜地蔵大菩薩」と大書された大きな提灯が犇めくようにぶら下がっている。
正面に地蔵堂が建ち、堂前に円柱基台の上に大きな釘抜のモニュメントが鎮座、また、堂の正面軒下と側面と後方の壁にはおびただしい数の釘抜の絵馬がびっしりと掛っていて壮観だ。
地蔵堂の後方には石造りの阿弥陀三尊像などが鎮座しているが、特に鎌倉初期造立の阿弥陀三尊像は光背を含めて1石から彫り出された石仏としては日本最古とのことで感慨深いものを感じた。
境内左手に開山大師堂が建つが、唐破風をくの字に変形させたような向拝の屋根が少し気になった。
参拝を終えたであろうご老人たちが、額絵馬が掲げられた東屋に腰かけて楽しそうに談笑していたが、ほのぼのとした光景に癒された。


千本通りに面して建つ切妻造桟瓦葺の山門..「家隆山」の額が掛る/山門から中門への参道脇に置かれた大きな釘抜

切妻造本瓦葺で小さな袖塀を設けた中門


中門に「釘抜地蔵大菩薩」と「釘抜地蔵尊」の提灯が下がる

山門から眺めた地蔵堂..石造地蔵菩薩立像(弘法大師作と伝わる)を安置

石像寺の境内..額絵馬が掲げられた東屋でご老人たちがのんびりと談笑している

露盤宝珠が乗る宝形造桟瓦葺の地蔵堂



地蔵堂前に巨大な釘抜のモニュメントと常香炉が鎮座/地蔵堂向拝に下がる真っ赤な「釘抜地蔵尊」の提灯群


本堂(地蔵堂)に奉納された約1000枚ある八寸釘と釘抜の絵馬群

境内左手に建つ入母屋造桟瓦葺で妻入りの開山大師堂(観音堂ともいう)


開山大師堂には弘法大師空海と観音菩薩像を祀る..観音菩薩像は行基作と伝わる/開山大師堂の前にある手水舎



地蔵堂の右手に立つ十一面観音像..左手に水瓶を持つ/境内に建つ小さな地蔵堂/境内の庭に立つ見事な松

本堂右奥に鎮座する守護神

地蔵堂の後方に建つ入母屋造桟瓦葺で妻入りの小堂

小堂には石造阿弥陀三尊像を祀る

石造阿弥陀三尊像..鎌倉時代元仁二年(1215)開眼


中尊の阿弥陀如来像..高さ約120mで梵字を刻んだ光背まで1石から彫り出した石仏としては日本最古/脇侍は蓮花を持つ観音菩薩像(右)と合掌する勢至菩薩像(左)

境内の隅に鎮座する地蔵尊像と不動明王像
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