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【茨城・桜川市】平安時代初期、嵯峨天皇の御代の弘仁十二年(821)の夏に大旱魃に見舞われた時、天皇自ら写経・奉納により雨乞いをしたところ霊験があり、国中が大雨に潤って五穀が実ったことから、勅命により楽法寺の山号を「雨引山」と定め勅額を下した。
鎌倉時代の建長六年(1254)、第六代将軍・宗尊親王が300貫文を寄進し、観音堂・多宝塔(当時は三重塔)・仁王門・鐘楼堂・上動堂・地蔵堂・御供所・客殿の七堂伽藍が再建された。
●多宝塔の左手の石段を上っていくと、大きな木々を背にして聖見堂が建つ。 楽法寺のHPでは、聖見堂の本尊は足利将軍尊氏寄進の大日如来と記されているが、堂前に辨才天女尊像が鎮座し、案内板の「大辨才天女尊の霊験」には「聖見堂には主尊として大辨才天女を奉祀」とあり、混乱した。
振り返えって境内を眺めると、多宝塔に隠れるように南方に筑波山が見える。 石段を下って弁天池の前に鎮座する丹塗りの鬼子母神堂に....床下を含め身舎の側面と背面に鮮やかな彩色彫刻が施されていて華やかだ。
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△多宝塔の西側・弁天池の上方に建つ聖見堂....室町様式の建造物
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△宝形造銅板葺の聖見堂....平成七年(1995)の建立で、楽法寺のHPでは「本尊は建武年中に足利将軍尊氏寄進の大日如来」とあるが、堂前の案内板には主尊大辨才天女尊と記されている
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△室町様式の建造物で、軒廻りは一軒繁垂木....三間四方で中央間は格子戸、脇間は白壁の小脇羽目、内法長押上は白壁の小壁
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△堂前の小さな池の脇に鎮座する大辨才天女尊の霊像/正面中央間に「聖見堂」の扁額
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△聖見堂から眺めた多宝塔の白色漆喰の亀腹
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△南側の遠方に見えるのは筑波山(らしい)
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△放生地とみられる池越しに眺めた多宝塔 池の中に佇む琴柱燈籠
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△池の傍に鎮座する鬼子母神堂越しに眺めた多宝塔
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△流造鉄板葺の鬼子母神堂....建武二年(1335)、京都進攻にあたって開運祈願した足利尊氏が御所権現として祀られている
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△丹塗りの鬼子母神堂の各部に彩色彫刻が配されている....向拝虹梁上や身舎の妻飾、貫上、小脇羽目、側壁,脇障子、床下等
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△拝に三つ花懸魚、妻飾りは鳳凰彫刻に隠れていて分からず....側面いっぱいに獅子、床下に彫刻され持ち送りがあり亀の彫刻/向拝の虹梁上に向き合う2頭の龍の彫刻....観音開きの黒塗りの扉に足利尊氏の家紋「足利二つ引き」を配す(大棟の鬼板にも)
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△鬼子母神堂の背面に相撲力士の彩色彫刻が施されている....後方の池(弁天池?)で子供たちがアヒルに餌をやっている
●鬼子母神堂にほぼ向かい合うように、徳川吉宗公寄進の薬師如来を安置している六角堂が建つ。 堂内を覗くと、中央に置かれた厨子に如来立像が鎮座....しかし、薬壺を持っていない。 よく見ると、厨子の後方に円光の一部が見えるので、厨子後方に本尊が鎮座し、厨子内の立像はお前立では....と勝手に想像してみた。
境内の西側には、高床式の渡り廊下で繋がった客殿の奥の院、本坊そして日華殿が建ち並んでいる....が、こちらの堂宇を拝観する参詣者は少ないようだ。
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△六注造銅板葺で鉄筋コンクリート製の六角堂....絵馬堂の右隣りに建ち、周囲に木造の擬宝珠高欄付き縁を巡らす
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△本尊の薬師如来像は、享保八年(1723)徳川八代将軍吉宗公が養女竹姫の眼病平癒祈願のため仏師円哲に彫刻させたもの....厨子後方に円光が見えるので薬師如来像は厨子の後方に鎮座しているとみられる
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△六角堂に鎮座する不動明王像....室町時代の永享十年(1438)、将軍足利義教公が関東鎮護の本尊として謹刻させて納めたもの/厨子の中に鎮座する薬壺を持たない如来立像はお前立の薬師如来か?
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△境内の西側に建ち並ぶ堂宇は奥の院(右)と本坊(左)....奥の院の西側の旧書院跡地に日華殿が建つ
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△入母屋造本瓦葺で鉄筋コンクリート製の本坊....平成二十三年(2011)竣工
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△奥の院の東側に連なる寄棟造桟瓦葺で白壁の建物は、文政三年(1820)に笠間城主が城内にあった書院を移築寄進したものか?
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△奥の院(客殿)と前庭に鎮座する千手観世音菩薩像....奥の院の創建は鎌倉時代の建長六年(1254)
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△寄棟造桟瓦葺の奥の院(客殿)....寛政四年(1792)、幕府旗本鈴木氏による再建(現存)....入り口の柱に「雨引山客殿」の木札がさがる
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△奥の院の左脇間に庇を設け白壁に3つの花頭窓を設けた建物は勝手口か?
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△奥の院と日華殿と本坊を繋ぐ高床式で吹き放しの渡り廊下
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△日華殿境内との仕切り門のように、渡り廊下と兼ねて建つ唐破風屋根の門/奥の院の前庭の参道脇を流れる小川
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