【広島・福山市】明治維新後に神社制度の改変があり、明治五年(1872)に現東御宮を「延広八幡神社」、現西御宮を「野上八幡神社」に改称されて郷社に列格、昭和三年(1928)に県社に昇格した。
終戦後の昭和二十六年(1951)に施行された宗教法人法により、神社本庁所属の宗教法人「延広八幡神社」そして宗教法人「野上八幡神社」となり、さらに昭和四十四年(1969)、両神社の法人格を合併して社号を「福山八幡宮」とした。
◆西御宮の横を進んで境内北西に鎮座し、福山藩初代藩主・水野勝成を祀る聡敏神社に。 聡敏神社は元々東西御宮の間に鎮座していたが、中央拝殿の建設に伴って現在地に遷座した。 少し大きめの吹き放し造りの拝殿があり、奥に瑞垣で囲まれた中に、福山城を築城した福山藩初代藩主・水野勝成を祀る流造の社殿が鎮座している。
聡敏神社から福山八幡宮の後方に鎮座する境内社に向かう。 低い石垣の上に、計19祭神を祀る6棟の社が福山八幡宮に向かって鎮座している。 境内社拝観後、西御宮の随身門に向かう。 随身像と狛犬が鎮座する随身門をくぐり、石造りの階を下り、両部鳥居をくぐって少し進むと左手(西側)に西参集殿が建ち、そして惣門がある。 確かに東西両御宮が同一形式&規模の造りであることを実感した。 「両社八幡」と言われる福山八幡宮だが、同じ八幡神が二つの同一規模・形式の社殿に鎮座しているとは少し贅沢な神様だな~という気がした。
△西御宮の西後方(北西側)に鎮座する聡敏神社....元は東西御宮の間に鎮座していたが、中央拝殿建立に伴って移築された
△福山藩初代藩主・水野勝成を祀る聡敏神社....拝殿前左右に標柱が立ち、狛犬が鎮座
△社頭に鎮座する足をピーンとたてた姿勢がいい狛犬
△入母屋造銅板葺の拝殿
△拝殿は吹き放しの造りで、殿内に額絵馬が掲げられている
△瑞垣に囲まれて鎮座する聡敏神社社殿....二軒繁垂木で柱上に出組がのる
△流造銅板葺の社殿....正面三間側面二間で、正面は中央間は「抱き沢瀉」の神紋を入れた桟唐戸で脇間は格子窓、正面と側面に擬宝珠高欄付き切目縁
△本殿がある瑞垣内に立つ弘化二年(1845)造立の石燈籠/瑞垣の外に佇む文久三年(1863)造立の石燈籠/狛犬の傍に置かれた舟形状の水穴を設けた手水鉢
△聡敏神社の社頭から眺めた西御宮と合祭殿の両本殿
△西御宮社殿後方に鎮座する流造銅板葺の境内社3社....手前から荒神社(奥津彦神他3神)、稲荷神社&柿本神社(宇迦之魂神&柿本人麻呂)、和霊神社(山家清兵衛公頼命)
△境内北東の東御宮社殿後方に鎮座する境内社2社
△流造銅板葺の境内社(5社)....天神社(大己貴神他1神)、厳島神社(市杵嶋姫神)、神明宮(天照大御神)、思兼神社(八意思兼神)、猿田彦神社(猿田彦神)
△明神鳥居を構え、石造り階の上に鎮座する鍛冶神社
△木立の中に鎮座する鍛冶神社(火香具土神他3神を祀る)
△鍛冶神社は製鉄を始め鉄鋼・金属を扱う人々の守護神
△鍛冶神社と並んで右手に鎮座する松尾神社/流造銅板葺の松尾神社(大山咋神他1神を祀る)
△西御宮の切妻造銅板葺の随身門....東御宮のものと同じ造り
△正面左右の格子の中に御幣と随身像が鎮座
△正面の左右に椅座の随身像が鎮座....左は衣冠束帯姿の若相の像、右は衣冠束帯姿の老相の像
△随身門の社殿側(北面)に安置されている木製の狛犬
△西御宮の両部鳥居....社号額「八幡宮」は近衛左大臣基熈の筆
△手前西御宮の両部鳥居、奥に東御宮の両部鳥居
△西御宮の参道脇に建つ西参集殿 殿前の参道脇に立つ石燈籠
△惣門は薬医門の形式....門柱に「福山八幡宮 西御宮」の木札が掛けられている
△西御宮の切妻造本瓦葺の惣門....東御宮の惣門と同じ造り
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます