何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

照恩寺 (国東)

2018年04月15日 | 寺社巡り-大分

【大分・国東市】室町時代の天文二年(1533)、証如上人により開創されたようだ。 南北朝時代、京都での戦いに敗れて西走して国東半島に上陸して足跡を残した足利尊氏の位牌や古文書を保管している。 宗旨は浄土真宗(本願寺派)で、本尊は阿弥陀如来像。
境内に佇む照恩寺国東塔(宝塔)は、鎌倉時代正和五年(1316)の造立。 明治二十二年(1889)に近くの椿八幡宮から移築されたもので、最も優れた国東塔の一つとして国の重要文化財に指定された。 この国東塔は明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈で倒され、椿八幡宮の池の中に放置されていた。

椿八幡宮拝観後、近くにある照恩寺を訪問すると、塀の外に「照恩寺国東塔」の看板が置かれている。 山門がなく門柱から境内に入る....直ぐ正面に、太い竿に「普照燈」と刻まれ、円板状の形をした笠の石燈籠を従えた本堂が建つ。 広くない境内に本堂・庫裡・経蔵・鐘楼が建つ。
鐘楼の脇に約700年前の鎌倉期に造立された「照恩寺国東塔」と呼ばれる宝塔が佇んでいる。 「照恩寺国東塔」は、数ある国東塔の中でトップを競う名品とされているようで、確かに均衡がとれた優美な姿をした宝塔であり、暫し見惚れてしまった。
鐘楼の傍に傷んだ幾つかの石造物が並べて置かれ、塀に「明治初年 廃仏稀釈の遺物」の看板が立てかけてある。 照恩寺国東塔も倒されて放置されていたものだが、廃仏稀釈の嵐で、どれほどの仏像や石造物が破壊されたのだろうかとあらためて想像させられた....合掌。

照恩寺の全景..門柱の両脇に葉を落とした銀杏が聳える

門柱前から眺めた境内..門柱から直ぐの所に本堂が建つ

入母屋造本瓦葺の本堂..本堂新築記念碑があることから再建後間もないようだ
 
正面は白壁とガラス張りの腰高格子戸で古民家風..新しそうな擬宝珠高欄を設けた切目縁を巡らす/質素な造りの流れ向拝..縁に半鐘が下がる

本堂の左奥に建つ入母屋造桟瓦葺の庫裏

鐘楼の傍に佇む照恩寺国東塔(宝塔)..鎌倉時代正和五年(1316)造立で、明治二十二年(1889)に近くの椿八幡宮より移築された(明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈で倒されて放置されていた)
 
国東塔の総高(除く基壇)は252cm、基壇上に三重の基礎、最上の基礎の四面は二区分で輪郭を巻き格狭間を刻/台座は一重複弁の反花よりなえい、塔身は茶壺型で刻銘
 
笠は軒口二重で、四面二区分で輪郭を巻いた露盤上に太い相輪そして火焔宝珠が乗る/非常に均衡がとれた美しい形で、数ある国東塔の中でトップを競う名品とされる
 
入母屋造桟瓦葺の鐘楼..礎石がなく基壇上に直接柱が立っている/本堂右手に建つ経蔵か?..扉に西六条下り藤とみられる寺紋
  
文化二年(1805)造立の石燈籠..蓮花を刻んだ円形中台と円板状の笠/「明治初年 廃仏毀釈の遺物」とある破壊された石造物群/幾つかの石造物のパーツを積み上げたものと思う
 
円錐状の飾手水鉢          苔むした方形状の手水鉢

照恩寺の駐車場から眺めた全景
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