
【愛知・稲沢市】鎌倉時代の建久年間(1190~1199)、大塚村に居住した長谷部源政(大塚城初代城主・長谷部信蓮三代の孫)が開基となり、真言宗の僧良敏上人(尾張熱田大宮司家の出身)を開山として中興した。 多宝塔は建長五年(1253)、良敏による建立と伝える。
その後、北条時頼・足利尊氏・織田敏定・浅野長政(安土桃山時代の武将)、江戸時代に入って松平忠吉(江戸初期の武将、徳川家康の四男)、初代尾張藩主・徳川義直(家康の九男)の庇護を受け、代々の尾張藩主より寺領が寄進された。
多宝塔を拝観した後、境内右奥に東面で鎮座する本堂へ。 本堂側の境内には、方丈と庫裡が渡殿で連なって南面で建ち並ぶ。 向拝が唐破風の本堂は総柿葺で、緩やかな軒反と真反があって趣があるが、大棟と唐破風の棟部が瓦造りで、大棟端に鯱を乗せているので屋根が重々しく感じる。 三間の正面は、中央間に両折両開の桟唐戸、脇間は蔀戸で飾り気のない簡素な佇まいだ。
本堂と渡り廊下で繋がり生垣に囲まれて方丈が建つ。 石灯籠と生垣の間に設けた棟門を構えた方丈....裏桟付き板戸を設けた門をくぐって前庭に。 方丈の正面は全て腰高格子戸で、長押の上は全て小壁で質素だが、洗練された建物のように感じる。
方丈に連なって右手に白壁の庫裡が建つ。 庫裡は妻入りで、瓦屋根の上に大きめの瓦葺屋根の煙出しを設けていて風情がある。
本堂の後方には、お椀を伏せたような形の「大塚古墳」があり、本堂の軒先ほどの高さの古墳に上った。 「大塚古墳」は性海寺に隣接する「大塚性海寺歴史公園」内にある。 「大塚性海寺歴史公園」は性海寺の敷地に造営され、平成四年(1992)に開園した文化財を楽しみながら散策できる公園とのこと....だが、次の訪問先への時間が迫っていたので、多宝塔の左後方に鎮座する三宮社に。

△多宝塔の右奥に東面で建つ杮葺の本堂

△本堂に連なって方丈(と思う)と庫裡が建つ

△入母屋造杮葺の本堂(重文)....慶安元年(1648)の再建....本堂須弥壇に弘安四年(1281)の墨書が

△三間四方の本堂....周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす....大棟に鯱が乗る....本堂前に佇む「四国八十八ヶ寺」や「百観音霊場」等を刻んだ霊場石標と巡礼者像

△本堂正面の中央間は桟唐戸で内側に腰高格子戸、脇間に蔀戸

△唐破風の向拝....向拝柱上に連三斗、水引虹梁の中央に本蟇股、上の梁上に大瓶束

△両折両開の桟唐戸....母屋柱と向拝柱を繋ぐ大きく反った海老虹梁


△母屋の円柱の上部に粽がある/中央間の中備は脚間に輪宝を配した本蟇股、上の梁に大瓶束

△軒廻りは二軒吹寄垂木、組物は出三斗で中備は正面が脚間に輪宝やクロスした五鈷杵を配した本蟇股、側面は蓑束

△本堂の裏手にある円形の「大塚古墳」....古墳時代中頃の豪族の墓(推定)で、幅7m、深さ1mの周溝を伴う古墳....幾つかの埴輪が出土した

△本堂と方丈が簡素な渡り廊下で繋がっている....銅板葺の渡り廊下は途中で屋根が切れている

△石燈籠と簡素な門を構え、生垣に囲まれて南面で建つ方丈(と思う)

△入母屋造桟瓦葺の方丈

△切妻造銅板葺の門....内側に低い控え柱を設けた棟門のようだ

△起り屋根で、扉は桟唐戸(裏桟付き板戸?)、本柱の外側に脇障子のような衝立を設けている

△正面は全面が腰高格子戸で、縁は切目縁

△軒廻りは一軒疎垂木で組物は舟肘木....長押の上は全て小壁

△霊場石標と巡礼者像越しに眺めた方丈と庫裡

△方丈右手に連なって白壁の庫裡が建つ

△切妻造桟瓦葺で妻入の庫裡....屋根に瓦葺屋根の煙出しがある
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