【神奈川・逗子市】安土桃山時代天正十五年(1587)、豊臣秀吉の小田原城攻めの際に諸堂を焼失するも、薬師堂は文禄三年(1594)に徳川家康により再建、その後、他の堂宇も再建された。
江戸時代に入っても幕府の寄進を受けて寺勢を保持し、明治初年まで山岳信仰の寺院として、長い間女人禁制だった。
それにしても、神武寺の境内は起伏が激しい。
本堂前のかなり急な崖の上に、柱に精緻な龍の彫刻のある華やかな鐘楼が立ち、更に一段高いところに、古の面影をとどめる楼門と薬師堂が建っている。
六地蔵の左手の苔生した石段を見上げると、左甚五郎作と伝わる重厚な朱塗りの楼門が迫ってくる。
石段を上って楼門に....山間の境内に約400年前に徳川家康により再建された古色蒼然とした薬師堂が佇む。 陽を浴びて眩しい薬師堂....室町時代の建物の雰囲気を色濃く残していて、荘厳で崇高さが感じられる御堂だ。
苔生した石段の上に左甚五郎作と伝わる楼門..宝暦11年(1761)の建立
重厚な朱塗りの楼門は入母屋造銅板葺
薬師堂..文禄3年(1594)頃の再建、慶長3年造立上葺棟札があるとか
宝形造銅板葺の薬師堂の本尊は薬師三尊..薬師如来像と日光・月光菩薩像が鎮座
薬師三尊の他に十二神将像、行基菩薩像も安置
薬師堂の蛙股
薬師堂の右隣りにひっそりと建つ地蔵堂
板碑越しに眺めた地蔵堂 唐破風付墓石(久明親王墓か?) 石仏が鎮座する供養塔
薬師堂のある境内の手水鉢
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