何気ない風景とひとり言

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満昌寺の磨崖仏

2020年11月28日 | 石仏巡り

【神奈川・横須賀市】鎌倉時代建久五年(1194)の創建とされる満昌寺の寺領の山腹にある磨崖仏。 焼場谷戸を入っていくと、満昌寺裏の矢部山の崖上に、凝灰岩に線刻された磨崖仏が整備された覆屋に護られて鎮座している。 磨崖仏は鎌倉時代末期に彫刻されたようだ。
「三浦一族研究会」発行の小冊子によると、「三浦半島唯一のもので、阿弥陀如来、観音、地蔵像などが線刻され、納骨穴もあり、写経石らしき川砂利が残され、墨書痕、木枠をはめた痕跡もある」とある。 また、案内板には、「岩肌に合計三面あり、そのうち二面に仏像が、他の一面に直線的な溝が彫られている」、「左側の面に七体の仏像、中央の面に高さ約40cmの阿弥陀如来立像一体が線刻....」と記され、線刻された阿弥陀如来立像の写真が載っている。

急峻な階を上って磨崖仏へ。 正面に金属柵を設けた覆屋の左側に凝灰岩の大きな岩があり、岩肌に直径20cmほどの円内に線刻された蓮華座に坐する仏像7体が横一列に並んでいる。 目を凝らして像容から尊名を知ろうとしたが....。 一石に七体の仏像が並んで彫られているが、もしかすると「七観音」か? 
案内板によると、「中央の面に高さ40cmの阿弥陀如来立像(来迎仏)一体が線刻されている」とあるので、白壁の中のごつごつした岩壁を目視で探したが....。 ファインダーを通し岩壁をズームアップしてみると、方形に掘り窪めた平らな面に線刻されている阿弥陀如来立像の姿が薄っすらと見えてくる。 撮影した写真を大きく拡大すると、鎮座する阿弥陀如来立像が少し鮮明にみえる。
磨崖仏はいずれもかなり風化が進んでおり、摩滅も激しいので、像容や尊名を知るのは難しそうだ。 その他、岩壁の右下に納骨用の小さな窪みが、また、その前には写経石らしき川砂利が残されている。 線刻仏像を中心としたこれらは、まさに三浦半島における鎌倉期の仏教文化を伝える貴重な史跡といえる。 (参考:2016年10月19日投稿「満昌寺(横須賀)」)

△鎌倉初期の建久五年(1194)創建の満昌寺....源頼朝の忠臣で衣笠城で戦死した三浦大助義明(89歳)の追善供養のため建立された

△満昌寺境内の裏山の矢部山の中腹にある磨崖仏/整備された覆屋の中に鎮座する磨崖仏

△覆屋の左側にある凝灰岩の大きな岩/右側の白壁の中に納まったような凝灰岩のごつごつとした岩壁

△岩肌に7つの線刻石仏が横に並ぶ....仏像は直径20cmほどの円内に蓮華座に坐す

△金属柵の中にカメラを入れ、凝灰岩の岩を左側から撮影

△左側3つの線刻石仏

△右側4つの線刻石仏

△左端の線刻石仏                     左から2番目の線刻石仏

△左から3番目の線刻石仏                左から4番目の線刻石仏

△左から5番目の線刻石仏                左から6番目の線刻石仏

△右端の線刻石仏                     凝灰岩の岩を右側から撮影

△右側の岩壁の前に写経石らしい川砂利が残っている

△右側の白壁の中に埋もれたような凝灰岩の岩壁....これが中央の面で阿弥陀如来立像の線刻が彫られている....右下の窪みは納骨用の穴とのこと

△方形に掘り窪めた平らな面に線刻された阿弥陀如来立像が薄っすらと見える/写真を拡大すると少し鮮明に見える

△案内板に載っている線刻された阿弥陀如来立像の写真
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