何気ない風景とひとり言

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公郷町周辺の庚申塔-(2)

2022年01月19日 | 石仏巡り

【神奈川・横須賀市】バス道路を南下し、バス停「妙真寺」近くにある妙真寺に。 境内の参道脇に庚申塔が鎮座。妙真寺西側の公郷台アパートの脇のこんもりとした高台に湯山神社が建ち、参道脇に庚申塔が鎮座。 公郷神社近くの民家の一角に横須賀市の市民文化遺産(民俗文化財)に指定されている数基の庚申塔が立ち並ぶ。 その中の1基は、約390年前の江戸時に造立された市内で最も古い庚申塔。

■妙真寺境内に佇む庚申塔■
公郷町に鎮座する妙真寺は、創建年が不詳の単立寺院。 境内の参道脇の石垣の上に、紫陽花を挟んで2基の石碑と2基の庚申塔が佇んでいる。

△無雑作に置かれたようにみえる傾いた庚申塔

△延宝八年(1680)造立の駒型文字庚申塔(3猿)で「奉勧請南無帝釈天王加護処」の陰刻/享保十年(1726)造立の円頭型文字庚申塔で「南無妙法蓮華教奉勧請帝釈天王」の陰刻....「天王」がはみ出していて輪郭に刻まれている

■湯山神社参道に佇む庚申塔■

建ち並ぶ公郷台アパートの傍の木々が生い茂るこんもりとした高台に湯山神社がある。 石段下の狭い参道の脇に3基の庚申塔が佇んでいるが、まるで公郷台アパートに住む人たちを見守っているかのようだ。 それにしても3基の庚申塔には台座がなく、いずれも地面に突き刺さったように立っている。

△公郷台アパートの住民を見守るように佇む3基の庚申塔....いずれも地面に突き刺さっているようだ....右は宝暦四年(1754)造立の隅丸型文字庚申塔で「庚申供養塔」の陰刻

△造立年号不明の舟光背型青面金剛庚申塔(3猿)/文政十年(1827)造立の駒型文字庚申塔で「青面金剛塔」の陰刻

■公郷神社近くに佇む庚申塔■

公郷神社近くの路傍というより民家の一角に8基の庚申塔が整然と佇んでいる。 傍に「横須賀市指定 市民文化遺産 公郷町の庚申塔群」の案内柱が立ち、「市内最古の庚申塔(左端)を含む八基の庚申塔群」と記されている。 左端の板碑型文字庚申塔がそれで、江戸時代初期の寛永十二年(1635)11月の造立。 市内最古というより三浦半島最古の庚申塔なので、一見に値する。 最古の庚申塔に「帰命山王庚申大権現」と陰刻されているので、平安時代から広まった猿を神使とする日吉大社の山王権現の「山王信仰」と、室町時代後期から広まった「庚申信仰」の「申」が猿を意味することから結び付いたものだろう。
最古の他に7基あるが、造立元号不明の1基を除いていずれも江戸中期の明和二年(1765)までに造立されたもの。 4基は刻像塔で、合掌する険しい顔の青面金剛像が浮き彫りされている。

△左側4基の庚申塔....左端の板碑型庚申塔は横須賀市内最古

△横須賀市内最古の庚申塔....江戸初期の寛永十六年(1639)造立の板碑型文字庚申塔で「帰命山王庚申大権現」の陰刻,塔高は117cm....「帰命山王庚申大権現」と陰刻されていることから山王信仰と庚申信仰の結び付きを示す/延宝五年(1677)造立の笠付型文字庚申塔(日月瑞雲、3猿)....陰刻は不明

△造立年号不明の自然石型文字庚申塔で「庚申塔」の陰刻/元文三年(1738)造立の板駒型青面金剛庚申塔(日月瑞雲、1鬼、3猿)

△右側4基の庚申塔

△明和二年(1765)造立の板駒型青面金剛庚申塔(日月瑞雲、1鬼、3猿)/享保十一年(1726)造立の板駒型青面金剛庚申塔(日月瑞雲)

△寛延四年(1751)造立の板状型文字庚申塔(3猿)....「奉納庚申塔」の刻/享保十五年(1730)造立の板駒型青面金剛庚申塔(日月瑞雲、2鶏、1鬼)

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