今日の朝日新聞の読者投稿覧にこんな記事を見つけました。
タイトルは「思い切り泣いてほしい」
投稿者は60代の女性で、阪神淡路大震災の体験者です。
あの過酷な日々をどんなに苦しくても、
彼女は、泣かずに乗り越えてきたそうです。
「震災にあった時点で、泣きたいだけ涙を流せばよかったと、
今も悔やむ。ワッと泣かなかった分、喪失感と心の傷が私を苦しめる。
以前のように楽しいことを楽しいと、感じることができない心になった。」
さらに、、彼女はうったえます。
「今回被災された方々は、大人も声に出して泣くことだ。
愚痴ったらいい。混乱してもいい。怖かったこと、つらいことを、
人に聞いてもらうことで癒やされる。・・・
タオルがぐしゃぐしゃになるくらい、思い切り泣いてほしい。」
先日、赤十字のスタッフが避難所の被災者一人ひとりに声をかけ、
彼らの話に耳を傾けている様子をテレビで放映していました。
ある女性は、「不安な気持ちを聞いてもらえて言葉で表せないほどうれしい。」とホッとした表情で言い、
また、ある老人は、今まで抑えていた感情が一気にあふれて泣き崩れていました。
一昨日、仙台のいとこに電話をしました。
話しているうちに、ワーッと泣き出しました。
電気も水も戻った今、少しずつ緊張感がうすれ抑えていた感情が外に出てきたのでしょう。
泣いた後、声に力が戻りました。
感情は、出さないとたまっていきます。
自分では、忘れていても、
怒り、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安・・・
外に出さないかぎり、そのほとんどが確実に残ってしまいます。
震災直後は、まだ、元気です。
笑顔も出ます。
でも、そろそろ、心身ともに限界ではないかと思います。
それなのに、彼らはテレビカメラの前で、努めて明るく言い切ります。
「頑張るからね!」
それを見て、ホッとするのは、暖かく安全なところでテレビをみている私たちです。
「きっと、大丈夫だよ。きっと、頑張れるよ。」
と私たちは安心し自分を納得させ、
そして・・・やがて、忘れていくのです。
これから頑張らなくちゃならないのは、私たちのほうです。
頑張って彼らのために何らかの援助をすることです。
被災者はもう、じゅうぶんに頑張ってきたのだから。
タイトルは「思い切り泣いてほしい」
投稿者は60代の女性で、阪神淡路大震災の体験者です。
あの過酷な日々をどんなに苦しくても、
彼女は、泣かずに乗り越えてきたそうです。
「震災にあった時点で、泣きたいだけ涙を流せばよかったと、
今も悔やむ。ワッと泣かなかった分、喪失感と心の傷が私を苦しめる。
以前のように楽しいことを楽しいと、感じることができない心になった。」
さらに、、彼女はうったえます。
「今回被災された方々は、大人も声に出して泣くことだ。
愚痴ったらいい。混乱してもいい。怖かったこと、つらいことを、
人に聞いてもらうことで癒やされる。・・・
タオルがぐしゃぐしゃになるくらい、思い切り泣いてほしい。」
先日、赤十字のスタッフが避難所の被災者一人ひとりに声をかけ、
彼らの話に耳を傾けている様子をテレビで放映していました。
ある女性は、「不安な気持ちを聞いてもらえて言葉で表せないほどうれしい。」とホッとした表情で言い、
また、ある老人は、今まで抑えていた感情が一気にあふれて泣き崩れていました。
一昨日、仙台のいとこに電話をしました。
話しているうちに、ワーッと泣き出しました。
電気も水も戻った今、少しずつ緊張感がうすれ抑えていた感情が外に出てきたのでしょう。
泣いた後、声に力が戻りました。
感情は、出さないとたまっていきます。
自分では、忘れていても、
怒り、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安・・・
外に出さないかぎり、そのほとんどが確実に残ってしまいます。
震災直後は、まだ、元気です。
笑顔も出ます。
でも、そろそろ、心身ともに限界ではないかと思います。
それなのに、彼らはテレビカメラの前で、努めて明るく言い切ります。
「頑張るからね!」
それを見て、ホッとするのは、暖かく安全なところでテレビをみている私たちです。
「きっと、大丈夫だよ。きっと、頑張れるよ。」
と私たちは安心し自分を納得させ、
そして・・・やがて、忘れていくのです。
これから頑張らなくちゃならないのは、私たちのほうです。
頑張って彼らのために何らかの援助をすることです。
被災者はもう、じゅうぶんに頑張ってきたのだから。