対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

対立物の統一

2005-01-24 | 学問
 トランプを使った実験があります。トランプのカードを見せて、それを当てさせる実験です。そのトランプの大部分は普通のカードですが、すこしだけ変則的なカードが混じっています。たとえば、スペードの赤の6とか、ハートの黒の4とかが混じっているのです。

 実験をすると、最初は、変則的なカードも、普通のカードとみなされるといいます。たとえば、「ハートの黒の4」に対していえば、スペードの4か、ハートの4とみなされるのです。形と色の違いが、気付かれず、普通のカードに見えるのです。
 しかし、変則的なカードを多く見せていくと、被験者はためらい始め、変則性に気付いていくといいます。

 これは、『科学革命の構造』(トーマス・クーン)に紹介してある実験ですが、わたしには、あれが「変則的なカード」だったんだなあと思える体験があります。
 
 「対立物の統一」を、わたしは「止揚」のことだと思い込んでいました。許萬元の『弁証法の理論』を最初に読んだときも、読み返しているときも、そうでした。他の文献を参照しているときも、間違いなく、「対立物の統一」を「止揚」と解釈していました。弁証法の新しい理論を作るという問題を立てたときも、そうです。

 いろいろな文献を見ていくうちに、「対立物の統一」を「矛盾」と考える立場があることに気付きました。マルクス主義の考え方です。わたしは、自分がマルクス主義の立場で考えているものと思っていましたから、ガクゼンとしました。 もちろん、改めて見直せば、許萬元も「対立物の統一」を「矛盾」と考えていたのです。
 不思議な気がしたものです。これまでわたしは何を見ていたのだろうかと。

 「対立物の統一」は「ハートの黒の4」です。それが、わたしには、ずっと「ハートの4」(止揚)に見えていました。しかし、これを「スペードの4」(矛盾)と見ていた人もいたのです。
 
 「対立物の統一」は、自分を振り返り、足元を見直すきっかけになりました。しかし、「対立物の統一」は、やはり「止揚」です。「矛盾」ではありえません。これが「対立物の統一」に感じた変則性を自分なりに深めてきた結論です。
 「対立物の統一」を「矛盾」ではなく「止揚」と考えることが、ヘーゲル弁証法の合理的核心をつかむ出発点になっていくと思います。