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晃石山

2013年01月15日 | 山歩 - 北関東



- 謙信平からの眺め -

栃木県南部、安蘇山塊の晃石(てるいし)山です。

空気は冷たかったのに、何故か遠くの眺めは霞んでいました。

歩程 【 大平下駅~謙信平~太平山神社~太平山~晃石山~桜峠~清水寺~大中寺~大平下駅 】

JR両毛線の大平下駅を基点に歩きます。

まずは、客人神社から謙信平を目指します。



冬枯れの道を登って行きます。




何回か歩いたことのある道ですが、石の祠の存在に初めて気がつきました。




左手には馬不入山・晃石山が望めます。



謙信平まで上がってきましたが、付近には茶店が並んでいます。



その謙信平からの眺めです。




謙信平から三毳山方面の眺め



謙信平から石段を登って行くと太平山神社です。

境内は人で溢れています。まだ、初詣なのでしょうか。

人込みを抜け、太平山に向かいます。

太平山山頂には富士浅間神社が鎮座していますが、展望はありません。

休まず先に進みます。



小さな登り下りを幾つか繰り返すと、やがて晃石山の山頂です。



晃石山山頂




木の間から北に日光の山々を望むことができます。




少しアップで日光の山々(白根隠山・男体山など)




さらにアップして、男体山・大真名子山・女峰山




こちらは、晃石山山頂から三毳山・馬不入山方面の眺め

山頂は狭く、既に数人の人が休んでいるので、ここでは休まず南に少し下ります。





山頂の南下には晃石神社があります。

休む場所はあるのですが、日の当たる適当な場所がないのでここでも休まず進みます。



明るい尾根の小さな登り下りが続きます。







途中のちょっと開けた小ピークで休憩です。

以前は無かったのですが、今回は「青入山」と書かれた綺麗な標柱が立っていました。



その青入山からの眺め





青入山からも同じような道が続きます。




山が低いので花の時期に訪れる気はしませんが、コウヤボウキがたくさん ・・・。



桜峠へは一気に下ります。



以前は展望は無かったのですが、峠の西側が伐採され、諏訪岳方面が望めるようになりました。

桜峠からは清水寺に下ります。



桜は当然として、水仙の花もまだのようなので清水寺は門前を素通りです。

そして、晃石山の南麓を大中寺に向かいます。



途中で見上げた晃石山の山肌




こちらは振り返って見た馬不入山方面の眺め



最後に人家の間の参道を少し登って行くと大中寺です。









栃木市観光協会のHPによると ・・・

「 大中寺 七不思議が伝わる曹洞宗の寺

太平山南麓の山懐につつまれた名刹大中寺は、はじめ真言宗の寺として久寿(きゅうじゅ)年間(1154~1155)に建てられたが、その後、衰退していたのを快庵妙慶禅師(かいあんみょうけいぜんし)が延徳(えんとく)元年(1489)に曹洞宗の寺として再興したという。
戦国時代、越後の上杉謙信は関東管領職を受けて、北関東に進出すると大中寺の6世住職快叟(かいそう)が叔父であったことから、この寺を厚く保護し、永禄4年(1561)、当時、焼失していた伽藍の修復を行っている。永禄11年(1568)、謙信が北条氏康と和議を結んだのもこの寺である。
その後、火災にあって焼けているが、天正3年(1575)、七世天嶺呑補(てんれいどんぽ)のときに再建、九世柏堂(はくどう)の天正19年(1591)には、関東曹洞宗の僧録職を命ぜられ寺領100石を与えられた。徳川家の信任厚く曹洞宗の徒弟修業の道場として栄え、大正初期まで参集する雲水でにぎわったという。
山門は、皆川城の裏門(搦手門(からめてもん))を元和2年(1616)に移築したものといわれており、古建築物の一つとして貴重なものである。
上田秋成の「雨月物語」にある青頭巾はこの寺を舞台として書かれたものであり、また、この寺に伝わる七不思議の伝説も有名である。 」

と、あります。

これにより、「謙信平」の名前の由来も容易に想像がつきます。

七不思議 : 根なし藤、 油坂、 不断のかまど、 馬首の井戸、 開かずの雪隠、 東山一口拍子木、 枕返しの間



その七不思議の一つ「油坂」



大中寺からは、出発地の大平下駅に戻ります。



道は中山の東麓を進みます。

大平下駅に戻って歩き終わりです。
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