横浜の山手には大邸宅が幾つも
ある。まるで、サリーちゃんち
みたいな家が。
かつて私が妻と住んだ横浜の高
台の部屋の向かいも洋館の豪邸
で、うちらはサリーちゃんちと
呼んでいた(笑
ハマの山手をバイクで流してい
ても、こんなとこに住む人は何
なのだろう?と思ったりしてい
た。
映画『キリン』の中での一コマ
みたいに。
学生時代、バイト先の古書店の店主の依頼の別口バイト
で引越しの後片付けの手伝い
を頼まれてやったことがある。
向かった先は横浜中区山手の
大豪邸だった。
まさに映画『キリン』の中での
「なんだ?この家」という台詞
そのものの感じだった。
敷地も広いが建物も大きい。
一体、いくつ部屋があるんだよ、と思った。こんな感じ。
広いテラスからは横浜の 港が一望できた。
私と同世代のその家の息子 さんは、モデルガンが好き
だったらしく、沢山持って
いた。
「これとこれも差し上げま
すんで持って行ってくださ
い」とかなり貰った。
ただ、あんなに広い家なのに、
ビリヤードルームは今思うと
無かった。
友人の撞球師に「俺の実家、
プールテーブルは無いけど、
プールはあるぜ」と言う奴が
いる。
世の中、いろんな人たちがいる
もんだ。
人間、起きて半畳、寝て一畳
とか云われるのにね。
でも、半畳一畳では人は生活
はできない。生存さえ難しい。
こうした非現実的な仏教的な
戒めは、それは実のある箴言と
はならない。現実性を持たない
押し付けでしかない。
つまり、それは死んでいる言葉
だ。人の役には立たない。
洗脳の為だけに役に立つ。
私はまやかしは嫌いである。