渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

試刀

2018年03月31日 | open



刀術をきちんと修行した経験のない方が
あてずっぽうに真似されても
非常に困る
のだが、刀術者の行為のジャンルの中に、
武家目利きと
いうものがある。
そのためには刀の利鈍と刃味、切れ味、
切り味を
客観的に吟味する試刀という
ものがある。別名「様(ためし)」。

刀身自体の開発過程においては、刀工
自らもしくは刀術の実力を
備えた優秀な
テスターが「荒試し」という方法で
耐久試験を行なったり
する。
これは、江戸期にあっては、幕末の国情
不安な時代的な政治
状態の中で、幕府の
みならず各藩で熾烈な荒試しが行なわれ
た。

戦争の趨勢を決するのは火器であること
は、すでに信長の時代に
決定づけられて
いたので、江戸幕府は鉄砲という銃火器
の所有に
ついては極めて厳格な取締りを
施行していた。教科書にも出てくる
「入り
鉄砲に出女」というのがそれで、江戸府
内では飛び道具が一切
禁止され、鉄砲の
携帯のみか、手裏剣の稽古をしても、
それが発覚
したら下手したら切腹だった。
そうしたのが崩れるのは最幕末である。


イクサの勝敗を決するのが火器である
とは解かっていても、日本人
の中の軍事
力独占階級は常時携帯武器として刀剣を
肌身離さずに
いた。それが日本刀だ。
なので、西欧列強及びロシア等の大国が
幾度も日本近海に出没し、
国情不安が
広がった幕末にあっては、国防のため
に各藩が大砲を
海岸線に設置したり、
江戸湾上に人工島の砲台を台場として
築いた
りしたのだが、軍事独占階級たる
武士の一般武器は未だに刀槍で
あった。
特に日本刀は武器としてのみならず、
為政者である武士階級
の象徴として
常時帯びることが義務付けられていた
のである。

二刀の刀剣と袴、これこそが武士の
象徴であり、武士階級以外では
その
装備を為すことは厳重に禁じられて
おり、事実上の軍事力は
「武門」という
血脈主義的階級の武家に属する武士が
独占していた。


その武士が日常的に腰にたばさむ刀剣
は、見せかけの儀仗ではなく、
実際に
剣戟戦闘行為に行使できる実刀=真剣
であった。

刀剣を使用する戦闘状態とは、超近接
戦闘であり、イクサの場合
には最後の
最後の場面となる。これは現代戦でも
まったく同じで、
現代戦闘での歩兵戦
での最終局面は白兵戦であり、そこで
は小銃
に銃剣を着剣しての斬り合いと
殴り合いと超近接での撃ち合いの
殺し
合いが繰り広げられる。
現代軍の場合は、戦闘ではなく軍事的

蹂躙などで非武装の市民などを銃剣で
刺し殺すために小銃に着剣
して殺戮し
まくることは、1980年5月の韓国光州
市での韓国軍の
市民虐殺や、ベトナム
戦争時代の米軍を見ても明らかだ。

刃物は刃物の刃が届く距離でないと
戦闘武器や殺戮凶器としては
用を成さ
ない。

幕末の国情不安の時に武士たちが刀剣
の利鈍や耐久性、強靭性に
こだわって
刀剣の荒試しをしたのは、当然にして
日本刀は武器である
という日本刀800
年の歴史を正しく踏襲しただけのこと
である。

武器として戦争に刀剣を用いるのは時代
遅れであるとか、そういうことは
別な
次元の話であるが、本質においては、
現代戦でも銃剣という剣を
兵士は各自
所持し、いつでも着剣して作戦を遂行
できるようになって
いるのである。
刀剣は今でも戦争の戦闘武器として
生きている。

日本刀が武器として正当に扱われて
いたのは昭和大戦の敗戦時までで、

敗戦時、武器としての日本人が持つ
日本刀に恐怖していた占領軍は、

日本刀を地球上から抹殺消滅させよう
と動き出した。

それをなんとか阻止したのは、志ある
日本人数名の行動であり、GHQ
総司令官
のダグラス・マッカーサーに粟田口吉光
の短刀を見せることで、
日本刀は単なる
武器ではなく、美術品としても日本人
の心を支えた
聖剣であることを説いた。
吉光を見て心が射抜かれたマッカーサー
は、日本刀を廃滅させることを

中断することを英断したのである。
これが後に尾を引く、「日本刀は武器
ではなく美術品」という日本刀生存の
為の
方便であり、敗戦時のウルトラC
としての戦勝国を納得させる「嘘も方便」
だったのである。それは決して全面的
な嘘ではないが、日本刀が持つ美術性
の一点を
強調してマ元帥の心を説き伏せ
たという側面は否めない。
だが、
それゆえ、この地球上から日本刀
を消滅させられる最大の危機は脱する
ことができた。志ある日本人数名が
敢行して成功させた説得交渉の内実は、
まさにウルトラCの手法だったのである。


だが、しかし、「人身御供」としての
スケープゴートが必要だった。

それには、戦時中に実際に武器として
も使用された、軍刀拵を装備した
軍刀
が充てられた。「あれは日本刀では
ありません。あれこそ武器で
しかない
刃物です」という理由で、軍刀を犠牲
にすることで、旧来の工法で製作された
昭和刀や
明治初期新新刀までの日本刀
の切断廃棄処分を免れたのである。

しかし、それにより夥しい数の軍刀が
廃棄処分にされた。また、軍刀という
日本刀と共に多くの旧工法の日本刀が
海外に流出した。

そして、「日本刀は美術品でしかない」
という規定を盛り込んだ新法=銃刀法

の施行により、教育委員会に登録済み
の登録証が付いている日本刀は
誰でも
所持することができるようになった。

だが、戦時中に現代工法で洋鉄で作られ
た刀剣は「日本刀ではない」と
いう全く
以って本当の事ではない敗戦時の急場
拵えの創り上げられた概念
によって、
現在においても残存刀剣が発見されて
も、日本刀としての登録が
困難な状態
になっている。

これは、戦後から73年も経つのに、未だ
に、美術刀剣一辺倒論者が
軍刀という
戦時中の近代工法の日本刀を日本刀では
ないということを
行動で権力の行使と
して実行しているからである。


日本刀は武器である。
だが、現在の法律上は、国民は法で
認められた法執行機関しか武器の
所持
保有は認められていないため、日本刀を
武器(日本刀は元来武器で
ある)である
と法律上規定してしまうと、国民も博物
館もどこも所有できない
ことになって
しまう。

そのため、日本刀は美術品である、と
しているのだ。

だが、実際には、日本刀の登録証は警察
の監視下にある。

新たに古い日本刀を発見したら、まず
警察に発見届を出し、その際に
発行して
もらった書類を持って各地方自治体の
教育委員会が開催する
刀剣登録審査会に
刀剣本体と書類を持参して登録申請を
行なうので
ある。
ここで、戦時中の軍刀身は、「登録
審査員の裁量によって」廃棄
処分にする
のか、もしくは日本刀であると認められ
て登録証が発行される
という分岐点に立た
される。


日本刀が武器であることは本質性におい
ては論を俟たないが、
法律上は美術品と
なっている。

だが、日本の伝統武技である剣技の研鑚
においては真剣日本刀を使用
する。
これは、武器である弓が現代も弓道と
して本物の弓矢を用いて
行なわれている
のと同列にある。

法律的には美術品を用いて剣士は抜刀術
や試斬をしているということになる。

さて、日本刀が刃物であるかぎり、利鈍
や刃味や切れ味や切り味や耐久性を試す
「様(ためし)」がある。
これには一つの定理が作用している。
それは、刃物という物は、外見上の見た
目からは絶対にその利刃性や強靭性は断定
することができないからだ。
刃先が丸まっている刃物は切れ味が良く
ないことは誰でも判る。
だが、刃先が鋭利に、あるいは外見上適切
に研ぎ上げられていても、その刃物が持つ
独特の切れ味(部分的に数値に換算でき
る)や切り味(数値で表すことは不可能。
刃味に近いが刃味は刃先の切開能力の
感知に関することであり、刀身全体を
使っての総合面は補完できない)、およ
び堅牢性や強靭性という耐久性に関する
事柄は、試してみないと判断ができない
のが現実であるのだ。
これは折損しやすい刀剣についても同じ事
がいえる。見た目だけで折れそうな刀か
どうか分かりそうなもの、などということ
を言う者は、刀剣について如何に無知で
あるかを自己表明しているだけなので
ある。
ある程度の「予測」は、経験値によって
推測することは可能だ。
だが、その推測は、実際に多くを試した
という実体験による経験に裏付けされた
ものであり、「見ただけでその刀剣の質性
が分かりそうなもの」というのは根本から
矛盾を前提に論を成すものであり、論理性
が根底から欠落している。

数年ぶりに試刀を依頼された。
かつて1990年代には、ベンツの防弾リム
ジンに乗る大手デベロッパーの社長や、
バブル景気で羽振りが良かったバブルス
ターの不動産王や輸入業者社長からの
依頼で、日本刀の試刀をやっていたことが
ある。かなりの数の刀を試した。
そこで試すのは、耐久試験等ではなく、主
として「切り味」に関してのレポートを
テスターとしての主観的レビューを含めて
行なうことで、同時に結構高度な客観的
現象と連鎖した「見解」を求められた。
今世紀に入ってからは、試刀はほとんど
やっていなかった。
数年前に、東京の友人が私の勧めで購入
した戦時中に製作された刀剣(軍刀だが、
旧工法のため登録済みの合法品)の寝た
刃合わせを頼まれた際に試刀も頼むとの
ことで引き受けて以来だ。
90年代は有料で試刀を行なっていたが、
思うところあって今世紀以降は知己から
の依頼を無償で受けるにとどめている。

今回依頼があった刀は、友人が試斬に
使用していた古刀で、美術刀剣として
は商品価値はほとんどゼロに近い物だ。
だが、無茶をして折損させたりしては
ならない。古い時代の刀は
たとえどんな状態であっても、現代まで
生き残ってきた歴史の証人だからだ。
殺してはならない。
私の試刀は荒試しはやらない。あくま
でも「切り味」の吟味のためにそれなり
のデータ情報取得のために適切な物を
切る、あるいは斬るのである。
それは一般的な試斬や抜刀道とは位置
づけも意味合いもまるで異なる。
ただただ畳表や竹の「切断」だけを目的
とする抜刀道とは特に大きく異なる。
試斬には試刀、腕試しも含まれるが、
試刀は、あくまでテスターとして刀剣の
特性を見極めるために行なうものである
のだ。

届いた刀剣は、曲りが現認された。


それを独特な方法で曲がり直しをした。
矯め木は使用しない。
何故刀を曲げたことがない人間が曲がり
直しができるのか。
それは刀を曲げない、刀が適切に真っ直ぐ
である状態を常に知っているからだ。
その状態にはどうすればそれをキープでき
るのかも知悉しているからである。
要するに「刀を知る」ことがそれを可能と
するのである。

直した。


かなり腰が強い刀身だ。多分であるが餡子
工法で作刀された物だろう。
古刀の無垢は折損には強いが、ともすれば
しなやかすぎてコシの張りが弱く感じ取れ
る刀身も多い。柔らかいというものとも
違う。腰としか表現のしようがない。
最末古刀の備前物などは、腰の張りが非常
に強い物が多く、ピンとしているが、
一度曲がると直すのが大変であることが
挙げられる。そして、矯め木などを使って
何度か曲りを直すとそうした張りの強い
刀身は「腰が抜ける」状態になることが
多い。
今回のように最初から曲がっている刀身は
真っ直ぐに直さないと切り試しをすること
ができないので(少しでも曲がっている刀
で切ると必ず曲がる)、必ず真っ直ぐに
する。
その場合、研ぎ師が研ぎのために曲りを
除去するのとは目的が異なる。美術的に
見栄えがする研ぎができるために曲りを
除去するのではなく、武器特性としての
健全性の回復の為に刀身の曲り歪みを取り
除くのである。

気をつけなければならないのは、矯め木
などで行なうように「点」としての負荷
をかけて曲りを直すことは絶対にしない
ことだ。
それをやると金属疲労が確実に発生する。
いわゆる前述した「腰が抜ける」状態が
発生しやすくなるのだ。
そして、棟側から見て真っ直ぐになって
いても、刃側の刃道がよじれるように
プロペラ状態になっている刀身は、曲がり
直しにも限界がある。焼刃は高硬度で
あるので、その焼刃がよじれ曲がって
いては補正が困難なのである。
曲り直しは、ある特殊な方法で補正作業
を行なって完遂させる。

これならば試刀ができそうだ。


合せであるが、使用に耐える時代柄が装着
されている。




質素だが、真面目な作の金具が着いており、
好感が持てる。
どこかの武士が大切に持っていたのだろう。

鎺(はばき)は庄内だ。





磨り上げ無銘。時代は大永頃か。



この寝た刃を合わせた人はかなり巧い。
刀身を寝かせて行って

光りを反射させ、ある一点の角度でのみ
糸刃の白い極細筋が
見えるのが本当の小
刃付けだ。
洋式ナイフのように幅広にして
しまう
人を多く見るが、それは刀剣の刀身特
性を捨象してしまって
いることに気付
いていない。
あえてそのような刃付けをする場合

あるが、その場合は、総合的な適切な
知見を背景として、目的
が明確に設定
されていない限り、意味のない薄刃に
するだけの
効能しか有しないことにな
る。日本刀だけを知っていても駄目で、
ナイフや大工道具等、刃物全体につい
て高度な知見を有して
いないと、たと
え日本刀であろうと刃物の刃付けはで
きない。



とにかく傷んでいる。試斬稽古等に使う
べき刀ではない。これは所有者も弁えて
いて、私の様(ためし)による所見が
欲しいために依頼してきたのだとのこと
だった。刀剣会の仲間の依頼なので受け
るが、一般では試斬依頼は受任しない。





焼刃が極端に低くなる部分が出る程研ぎ
減っており、この部分を使用
しないで
試すことに方針を定める。



刀身全体を使う刀法で split second
=一瞬でこの刀剣の刀剣と
しての
切り味を感知する。新聞紙は一日分。



右からの左袈裟一閃。


理解できた。私の游雲康宏と非常に似た
特性を示した。



メールにて、切り味の報告と、なぜその
ようになるのかについての
多角的解析
の所見を説明報告した。

所有者も満足できたようだ。
この刀剣は、清拭し、無銘であろうとも、
刀身の記録の押形を採って

私の研究手控え帳に掲載することにする。
目釘を煤竹で削り作って新規打ち込みを
してあげることにした。
この刀身はすぐにお手元に送り届ける。
大永年間頃の平高田と私は観た。
陳腐な表現を使えば良く切れる。
だが、試刀依頼者はそんな回答は求めて
いない。
食レポで「おいしかったです」だけでは
全く食レポにならないのと同じだ。
また、楽器のレビューで、音圧や倍音や
演奏のし易さやその他専門的な解析を
しないで「良い音です」などとするのは、
楽器レビューとしては落第だ。
日本刀の試しも全く同じである。
こうしたことは、ただただ畳表が切断
できたかできないかに一喜一憂している
スタンスでは理解が不能なのではなか
ろうかと思う。
今回の試刀について、私の所見報告は、
かつての1990年代の依頼者たちがそう
だったように、所有者においてはとても
得心の行くものだったようで、私として
も満足している。


※こうした試刀は、長い経験と多角的
解析を可能ならしむ深い経験に
裏打ち
されたものをベースに実行しています。

価格が安価だからと、ネットオーク
ションなどで日本刀を購入して、無茶
な荒試し
をしたり、ペットボトルを
並べて切って「切れた切れた」と喜ん
だり、猟奇
的な興味本位での無茶は
どうかおやめくださるようにお願い
申し上げます。

今回の試刀結果の所見報告を基に、
所有者は刀法の理論についての
考察を
進める方針のようです。

そのような日本武術の錬磨という有益
なことのために、刀身の形状や状態を
鑑みた上で
試刀は行なわれます。
興味本位の試し物はお控えくださる
ように
切にお願い致します。




ビクトリノックス

2018年03月30日 | open



刀友から連絡あり。
お!
やっぱ、刃物遣いはやるね〜!
お揃いだ。ナカ~マナカ~マ(≧∀≦)

意外なとこでは、私の周辺では、ブローニングの277ホールダー
を愛用している人が、どういうわけかめちゃくちゃ多い。かなり
愛用者の人数がいる。
あれはですね、小型ホールディングナイフでは私は一推しです。
凄く使い勝手がいい。汎用性も高い!

このビクトリノックス・センチネルは、これはこれで、開発仕様の
コンセプトが面白くて、かなり楽しめる。
ま、リンゴの皮剥く時とか、トマト切る時とか(≧∀≦)
結構使えます。













トマト熟れ過ぎ(≧∀≦)
トマト切り


ビクトリノックス センチネル

2018年03月29日 | open



最近、気に入ってるナイフがある。
VICTORINOX SENTINEL M3(型番0.8413.M3)だ。
センチネルとは歩哨のこと。軍事基地の番兵のことだ。間違っても
戦地寝るではない(オヤジ!
ベース襲撃の際には真っ先に狙い撃ちされる奴だな(≧∀≦)


ただナイフだけのビクトリというのがいい。

なんと、ビクトリなのにライナーロック!




クリップも付いていて今仕様。
40年前にこの仕様がほしかったなあ。


この輪っかはキーリングなのだそうだ。


スイスメイド。


実はウエンガーが大好きだったが、ウエンガーはビクトリノックス
に吸収された。今、スイスアーミーといえば、ビクトリノックスの
ことになる。

これは、何かの意味があるのだろう。切先は丸い仕様なのだ。
レスキューナイフなどがこのような仕様らしい。


ナイフのみで工具なしのビクトリノックスだが、
それでも、爪楊枝と
ピンセットとキーリングは付いている。


可愛くてしかたない。


ただし、大きさはちとでかい。
ブレード86ミリで、82ミリのドリフターよりも大きい。ブレード
の厚みはは2.6ミリで、ビクトリノックスとしては厚めだ。


フラットグラインド。ストレートブレードライン。かなり使える。
本山合さで仕上げ、革砥でストロッピングして使っている。
無茶苦茶切れる。
研いだ感触では、ロックウエルで57位だろう。
高硬度だけが切れ味を決定づけないという一つの現実がここにある。
これは多分、刃物界で云われている「あま切れ」というものだろうか。
まあ、なんてのか、ヌーッと気持ち悪いような鋭い切れ味です。
カミソリのような(笑)。
ただし、硬度は高くないステン包丁と同じ程度なので、刃持ちは悪い
だろう。研ぐのが前提。
もっとも私はどのビクトリノックスでも研ぎまくっている。
スーベニアなどは研ぎ減ってブレードが箸くらいの幅になって
しまったし、クラシックなんて、楊枝みたいになっちゃった(笑)。
一番使ったのはスーベニアだった。
新品未使用のスーベニアが一丁あったが、山飯仲間がいいな~と
言っていたのであげちった。今手元にスーベニアはない。あれ、紐に
通してペンダントのように首にぶら下げておくのよ。アウトドアでは
何かと便利です。研ぎ上げたブレードはマスをさばくこともできて、
ロープ切りだけでなく汎用性は高かった。それと細かい作業に向いて
いるね。ビクトリノックスのブレードは。
だが、このセンチネルは、多少ヘヴィデューティーさも加味していて
面白いコンセプトのナイフだと思う。人を傷つけないように切先は丸め
られているので、ポイントスティングはできないけれど。

ビクトリノックスはまだあるが、とりあえずよく使うのは今はこれだけ。


一番使ってるのはかみさんの一番下のですな。
食パンの焦がしこさぎでかみさんが使うのよ〜。
しょっちゅうなんだよ、うちの。おいら何も言わずに「またかー(≧∀≦)」
と笑ってるだけだけどさ。
なので、結構研いでる。
原型と相似形になるように研いでるので、あまり研ぎ減ってるように
見えないでしょ?(笑)





金具緩みは心の緩み

2018年03月11日 | open


私の刀は全部鍔の緩みは一切ない。
押しても引いても捻ってもビクともしない。
これは、初心者の頃から師匠からきつく教え伝えられたことである。
金具の緩みは心の緩み。
剣士が使う武具たる刀の金具に緩みがあってはならない。
理由は明白。武具として用を成さなくなるから。
刀を返した時に鍔がカチャカチャ鳴るなどというのは、それだけで
剣士としては論外、と。

それはそうだと思う。
車のタイヤのホイールのネジが緩んだまま走ろうとするなんて、そんな
馬鹿げたことは普通の人ならやらない。

ところが、危険な状態にある現状を分かっているはずなのに緩みを
直さずにそれで走ったり走ることを人に指導しようとしている者が
いたりする。
いかに大ニセモノ、大贋物であることか。
自らそのデタラメぶりをネット公開して悦に入る。
剣技がどうの以前に、存在が危険だ。
危険なことを普及させる動き。これは行為が危険であるのだ。
武具の不備で事故を惹起させる人災を起こす可能性がある不心得は、
伝統武芸とは一切無縁である。