渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

アメリカのお笑いホームドラマ

2013年06月26日 | 映画・ドラマ・コミック

Full House Moments - Danny Hustles Jesse at Pool


アメリカのドラマから。
めちゃくちゃ笑った。
完ぺきに映画『ハスラー』と『ハスラー2』のパロディである。
ハスラーとは、調子こいている相手に対して下手を装って勝負に引きずり
込んで、
賭け金をアップして巻きあげるゴト師のことをいう。ハスラーとは
英語では
ビリヤードプレーヤーのことではない。詐欺師のことだ。
ハッスルというのは頑張ることではなく、隠語では詐欺をかますことを指す。

日本語で誤用している「ハスラー」にあたる英単語は「プール・シャーク」と言う。
このドラマのこのシーンが面白いのは、設定や台詞やショットまでもが
映画『ハスラー』『ハスラー2』に出てきたものを再現しているところだ。
そして、「ミネソタ・ファッツ(ミネソタのデブ)」と言う代わりに「ミネソタ・スキニー
(ミネソタのやせっぽち)」
と言っている。
劇中、観客が笑っているのは、当然『ハスラー』と『ハスラー2』をほとんどの
人が観ているからだ。
ビリヤード・スカラーシップ(撞球奨学生)経歴の撞球師にハスラーかまされて
勝てる訳がない(苦笑


作品としては、映画『ハスラー』が特に良い。濃いよ、とても。
残念ながら公開の年は『ウエストサイドストーリー』にオスカーを持って行かれ
たが、映画としても名作と呼べるだろう。

日本人でも玉撞く人で『道頓堀川』は観ていなくても、『ハスラー』は観たこと
ない人いない・・・・てか、沢山いるか(笑
申し訳ないが、観てない人はこのホーム・ドラマのパロの面白さは解らない。
日本では巌流島の決闘のパロをドリフあたりがやったら誰でも理解できる
だろう。それと同じで、こうした米国でポピュラーなお笑いは向うでは普通に通じる。
そして、日本人の映画ファンや撞球師の中でもいろんな映画を観る人には
通じる。
「マサオ。玉撞きはバクチや。バクチや言うた筈やぞ。どけ。どかんかい。」ってね。

『道頓堀川』は映画としても、原作を逸脱し過ぎている点からも、作品性としては
失敗かもしれないが、あれはあれであんなロクデナシな話はない、というところで
あれも映画としてアリだと私は思う。
15年生きて死んだうちの犬は「小太郎」という名前にしていた。『道頓堀川』に
出てきた犬の名だ。見た目もよく似ていた。
映画『道頓堀川』に憧れて、生まれて初めて道頓堀に行った時、それらしき
ビリヤード場はなかった。
後年DVDを買って観てみたら、あの映画の屋内シーンはすべて調布のセットだった
と知って、愕然とした記憶がある。
映画『ハスラー』については、80年代末期に何百回と観たので、ほとんど台詞を
覚えている(笑
だが、俺だけがマニィのではない。俺の玉撞き仲間もまた店のマスターもそうだった。
だから、店に入った時は相棒がまず「クワィエット。」と呟く。そして俺が「ヤァ。ライク 
ア チャーチ。チャーチ オブ ザ グッド ハスラー」と言う。
さらにマスターの所に行き、「エニー テーボー?」と訊くようにしていた。
マスターはすかさず「エニー テーボー。」と答える。そこで俺が「ノー バー?」と
訊く。するとマスターは「ノー バー、ノー ピンボールマシーンズ、ノー ボゥリング
アレィズ、ジャスト プール。ナッティング エルス。ディス イズ エイムス、ミスター。」
と答えるのである。
そして俺は相方に「ディス イズ エイムス ミスター。」と呟くのである。
そこから夜が始まる(苦笑

まあ、話がマニィ(マニアックな)内容ですまん。
解る人にしか解らない。
まあ、『ハスラー2』の原題は『ザ カラー オブ マニィ』というくらいでして。



くわえ煙草は現在は厳禁だが、1980年代初期あたりまではアメリカでは平気でやってた。
エフレン・レイアスでさえ、くわえ煙草で試合をやったりしていた。


今は全世界的にくわえ煙草は禁止ですから、夜露死苦。
てか、プール(ポケット)ではやってたけど、キャロム(ビリヤード)では
禁止だったんだけどね、大昔から。
プール業界はバクチの世界だったので、行儀が悪かった。


街の風景

2013年06月24日 | バイク・車


広島県のとある地方都市の街の風景に溶け込むバイク。
今はもう都内ではまず見られなくなった風景だ。
都心部は歩道に停めておくのさえも全面的な駐車禁止となったからだ。
ほんの少し前までは、このように歩行者の邪魔にならないように
バイクを停めておいても問題はなかった。
1980年代の某大学の前の歩道にはなぜか建設省が「駐車禁止」のバリケードを
張っていたりしたが(笑
1980年代の某大学はバイク通学もOKだったし、狭いながらも駐輪場もあった。
バイク・サークル「井戸端会議」が学内でバイク通学許可の運動をしたから
認可されたのだ。
現在は一切バイク通学禁止となっている。
リベラルな学風かと思っていたが、世の中と一緒でつまらん大学になったもんだ。
だいたい学生が自分らのこと「生徒」と呼ぶくらいだから、「生徒」たちにも問題がある。




しかし、このRGV250ガンマ、なんだか映えるなぁ。カコイイ!
喫茶店の前に停めて、窓から街とバイクを見ながらコーヒーなんて
最高だね。もう東京ではできなくなったけど。


原宿表参道はまだいいよ。専用駐輪場が参道にできたから。
でも、都内ではバイク専用駐輪場は圧倒的に少ないし増える気配もない。
バイクが売れなくなったのは、実はバイクに乗りたい若者が減ったのではなく、
どこに行ってもバイクを停められる場所がなくなったからではなかろうか。
そのくせ、駐車禁止でバンバン警察に取り締まられるしね、今の時代。
じゃあ、どこに停めるあるか?
おせーてほしい。
たまにバイク駐輪場があったとしても、そこから数百メートル歩かないと
目的地に行けないというのでは・・・誰もバイクに乗らなくなるよなぁ。
世界中で断トツトップの性能と生産量を誇った日本のバイクだったが、現在の
日本のモーターサイクル事情は、今明らかに後進国のそれとなり果てたようです。
「箱物行政を改革する」なんて美辞麗句言ってる前に、現実的な受け皿という
設備を整えないと八方ふさがりで日本の産業がどんどん終息していくのに。
このバイク事情の最悪状態に関しては、完全に政治と行政のせいだね。
乗れない環境ならば人は乗らないし買わない。買わなければ売れないから
国内4社はどんどん生産量が下落していく。会社経営もおぼつかない。
川崎重工のように「バイク部門やめちまおうか」という企業まで出てくる。
橋下君にしたって、「俺はハーレー乗りだ」と息まいていたのに、大阪では
バイク事情を改善する行政手腕はついにみられなかったしね(笑
石原爺にしても、八丈島でロードレース開催を企画したりするくらいなら、
都内のバイク環境についてどうにか手立てを考えればよかったのに、
まったくノータッチだったし。
今、日本ではモーターサイクルではない二輪車が流行しているけど、オランダ
あたりから真剣に学ばないと、そろそろとんでもない状況になると思うよ。
日本は明らかにヨーロッパよりも80年以上は行政側のバイク(モーターと人力両方)
事情は遅れているのだから。

というか、二輪車の性能は世界最高峰であるのに、それを作っている国自体の
道路事情や環境がお寒い限りという状態なんだよな。日本はモーターリゼーションを
真剣に捉えていなかったフシがある。急激な高度経済成長化で。
今、当時のトンネルが剥げ落ちたり、ビルがオワタ状態になったりアスベストで
失敗など、いろいろな当時の膿がでてきている。
ただ、ほとんど、バイクを取り巻く環境は最悪のままで進歩しない。
世界に冠たるオートバイ立国のような日本国内で、公立高校が地方自治体と一体と
なってバイクの3ない運動やっているのだから世も末だ。
3ない運動とは「バイクの免許取らない、取らせない、バイク乗らない」というものだ。
以前からこうした法律違反の弾圧行為は私立高校においてはみられたが、以前は多少
トーンが違っていた。昔のは
「3ない運動=バイク乗らない、買わない、買わせない」
だった。免許取るのは16才以上なら誰でも取れるという法律があるので、その法律
までを犯そうとはしてなかったが、最近は法律なんて関係ないという違法行為を10代に
教育側が押しつけてくる。
教育者側がこれなのだから、これでは若者に「法律を守る」という精神が育つ訳がない。
バイク環境を見ると、この国はほとほと駄目だなというのがよく解る。
良い面も沢山あるのだけどね。災害救助とか。
だけど、ことバイクに関してはまったくボツです、日本。


タッド・コハラ

2013年06月23日 | 文学・歴史・文化・科学

Aca Hall Of Fame Award Tad Kohara


タッド・コハラが一昨年前にキューメーカーの殿堂入りを果たした。
現在は高齢で歩けなくなって車椅子での移動だが、まだ元気だ。
タッド・コハラは間違いなく歴史に名を残したキュー職人といえる。



オヤジ、いい顔している。
娘さんから「お父さん、笑って」と言われてもはにかむだけのオヤジ。

これはオヤジが作ったタッド・キュー。1995年頃の作か。


2年前リフィニッシュされて戻ってきたばかりの時の写真。
今も状態はこの時の輝きを保っている。








オヤジが作ったこのキューは、愛刀と同じく、私の宝物である。
カスタムキューは作者の顔が見えるのが良い。
プレーする時には、精魂込めてこれを作った作者と共にある、
という感慨がある。
これは日本刀にとてもよく似た感覚だ。
作品には作者の心が映し出されている。
カスタムキューと日本刀は本当によく似ている。


NHK 『酔いどれ小藤次』 ~ロケ地~

2013年06月22日 | 映画・ドラマ・コミック



NHK BSプレミアムで放送中の『よいどれ小藤次』のセットがしっかりしているので、
ロケ先はどこだろうと思っていたら、NHKが独自に保有する大規模オープンセット
施設だった。一般にも公開されている。

NHKワープステーション江戸

これはすごい。すごすぎる。サイトを見ているだけでも楽しめる。
人気民放ドラマだった『仁 -JIN-』もここで撮影されたようだ。


NHKドラマ 『酔いどれ小藤次』 ~研ぎ師田村慧~

2013年06月21日 | 映画・ドラマ・コミック


研ぎ師 田村慧 氏

本日夜20時からNHK BS 3チャンネルの時代劇『酔いどれ小藤次』に
刀工小林康宏専属研ぎ師でもあった
田村慧氏が監修した研ぎのシーンが
出る。
主演の竹中直人さんは何度も鎌倉に刃物の研ぎ方を習いにきたそうだ。

先ほど刀工小林康宏師から私の携帯に連絡があった。
番組表が公表されただけなのに、鎌倉の骨董屋さんだかのサイトに
それが紹介されているのをネットで見たとのことで、すでに刀の研ぎの
依頼が2件来たとのことだ。

「まだ放送前なのに、インターネットってすごいね」
康宏師は言っていた。

先生、メールのやり方覚えたかな?(^^)

お時間のある方は、NHK BSの時代劇をどうぞ。
放送作品の殺陣師は車邦秀先生です。

番組スタッフのブログ

酔いどれ小藤次 公式サイト

 


三原城の遺構を見た ~三原城~

2013年06月19日 | 文学・歴史・文化・科学



戦国時代末期に毛利一族である小早川隆景が築城した三原城。
江戸期に入り、福島正則が安芸広島城に入封してからは安芸・備後の2国が広島藩領
となった。福島家は49万8000石の太守となっている。

その後、広島城無断改修との罪で福島正則は改易になり、紀州から浅野家が広島入り
して明治維新まで広島藩主となった。この時に備後福山は別藩として分割され、徳川家康
のイトコにあたる水野勝成が10万石で備後福山に入封した。

三原は浅野家広島藩42万6000石のうち家老職が三原の地を治め、3万石を領した。
「三原藩」という藩はなく、城内城下に居住する家士は家老の陪臣を除きすべて広島本藩
の浅野家中であった。三原の城下町の人口は江戸期は変動が少なく、約1万人であった。

今、この浅野家家老の居城である三原城で遺跡発掘調査が行なわれている。
三原城は戦国末期の小早川が築城したのみではなく、江戸期に入っても福島正則が
改修した跡が見受けられ、江戸初期の城郭史や日本史の学術面で重要な研究資料と
なりうる。








しかし、その本丸石垣遺構とは別な場所に遺構が発見されたのを通勤途中に見つけた。
一般の住宅を撤去してみたら遺構らしきものが出土して建築業者が扱いに困っている、と
いった風情だ

ここには、確か細長い住宅が建ってた。



画像左側の狭い路地が江戸期の道である。車が停まっている画像右の二車線道路は
昭和50年代に拡幅された。元々は明治26年に鉄道が敷設された際につけられた線路
際の小道である。



気をつけて見ないとただの溝のように思えるだろう。
しかし、これは明らかに戦国末期から江戸初期の三原城の都市計画によって
築かれた城郭の一部だ。

掘割として明治以降利用されていたのだろうが、つい最近までは暗渠のように
なって隠れていた。






三原城と同じような石鑿の加工痕が残っている。


城郭石垣独特の工法もみられる。ここは現在も水が流れ、水路として活かされている。




まさか、ここを埋め立ててなかったことにしてしまうというのはないでしょうね。
三原市さん。(やりそうだからなぁ)

この石垣の場所は赤矢印のあたりか。






侍ファイトの効果音 ~映画~

2013年06月17日 | 映画・ドラマ・コミック



映画における武闘シーンで効果音は有効な演出だが、無知から
来るリアリティに欠けた出鱈目な効果音をつけている場合が実に
多い。
特に米国映画で日本刀を鞘から抜刀する際に「シャーッ、シャリン」
という音がする。
これは大きな間違いなのだが、戦時中の軍刀の金属鞘から抜刀
した時のイメージが強いために、江戸期の日本刀も
すべて鞘から
刀身を抜く時にはあのような金属がこすれ合う
音がするとアメリカ人
は思いこんでいるのかもしれない。

知らないということは恐ろしい。
日本人もアメリカ映画や出鱈目な邦画を見ただけだと、日本刀を鞘
から抜刀するときにはシャリーンという音がすると思っている人も増え
て行くのかもしれない。実際には音はしない。音をさせるのは下手
(げて)でありヘタっぺな者だ。それであってもシャリーンという音は
しない。シューッという朴(ほう)の木を金属でこする音である。それが
空洞の鞘の中で響くからこもった音がする。
また、銃声に関しては、
日本人は銃器の発射音が爆竹に似た乾いた
高い破裂音
だと知らない人が多い。一度、国内のある街でパンという
射撃
音がしたので私はすぐに伏せた。しかし、周りは誰も伏せずに
怪訝
そうに私を見ていた。だが、行動がおかしいのは周囲の平和ボケ
の連中のほうである。実際に実包射撃の音だった。
射撃音がしたのにボケッと突っ立ったままで、跳弾その他流れ弾に
当たらなかったのが幸いだっただけだ。
銃声は機種によって明確に音が異なるのだが、その差まで把握する
必要はないにせよ、射撃音がどんなものかは平和な日本国内に住む
日本人でも知っておく必要がある。


映画における効果音でひどいのは、作品のプロットからして
下作といえる『ラストサムライ』がある。
この木刀のぶつかり合う音を聴いてほしい。
映画『ラストサムライ』(←埋め込み無効のためクリックでyoutubeへ)

これは木刀が弾き合う音ではなく、材木がぶつかる音である。
本物の樫や琵琶や黒檀やスヌケの木刀がぶつかり合う音を
製作者は知らないのだろう。
これは家内と一緒に観て、家内でさえ「これひどいね。私でさえ
木刀の音は知っている」と言っていた。

音響効果については、こちらがかなりリアルである。
振り下ろした時の音も本物の木刀の風切り音のようだし、ぶつかり
合う音も樫木刀独特の音のような音(本物を使うことはほとんどない)
を効果音として入れている。

映画『雨あがる』


ただし、実に惜しいのが、大刀の下げ緒さばきに関する時代
考証で、江戸期の武士にはありえなかった現代前垂らし右横
結束の大刀下げ緒さばきでの武士が登場している。この下げ
緒さばきの方法は幕藩体制時代には存在しなかった。


「多少リアルでそれをデフォルメして最大限に増幅させた音」と
しては、この作品が音声に関しては成功している。
映画『座頭市』(北野たけし版)


CGで後被せの飛沫血潮が少しリアリティに欠けるが、音声演出と
してはデフォルメ具合がよくできている。

だが、この映画の最大最悪の部分は、たけし自身があまりにひどい
演技と演出で、作品自体がウルトラ爆発超駄作であったことだ。
「キタノブルー」などと海外でもてやはされているブルー色調に
感光するフィルムも、実は初めて使用したのは角川春樹だ。
それは『汚れた英雄』において初めて使われた。
さらに『私をスキーに連れてって』においては、やはり『汚れた英雄』
と共にオープニングのシーンからブルー感光フィルムの色の冴えを
前面に押し出していた。「キタノブルー」などというのはたけしのオリジナル
では全くないので、ブルー感光を以て北野映画をもてはやすのは実に
珍妙で的外れなことである。
いずれにせよ、ビデオもDVDもなかった高校時代に年間200本くらい
映画を見ていた私にとって、北野『座頭市』は、生まれて初めて「上映
途中で
外に出た」映画となった。あまりにひどいしつまらなすぎて耐え
きれな
かったのだ。フロアで一服してから気合いを入れて再度劇場に
戻った。

観るのに気合いを入れて観ないとならない映画というのは、その時点で
終わっているように思える。


無銘

2013年06月17日 | 文学・歴史・文化・科学


私のこの切れ味のよい愛刀は作者を特定できない。
詳しく解説すると、作者特定はできるが、部位により製作者が5

いるので、その意味で「誰の作」というくくりでの規定ができない。



こちらも作者は特定できない。
(姿と鉄味から寛文~延宝頃の作であろうことは「推定」できる)





これは作者本人が誰か判らないという意味で特定できない。
つまりこれである。(落書き風に書いてみた)


キューも刀も同じ無銘だが、現時点では位相が異なる。
ただ確かなことは、キューのほうは、仮に私が死んでしまったら、世に残った私の
キューは私が来歴でも書き残しておかない限り「一体誰の作だろう」ということ
になるだろう。
そうなると、後世の人にとっては無銘の刀と同じ位相にシフトすることになる。
現に今でもタッドのようでタッドではなさそうだし・・・とのことで、どこのキューか
よく尋ねられる。
私は鍛冶平(かじへい)こと幕末明治の稀代の偽銘切り師であった刀工直光の
ようなイタズラ心でこのキューをキュー職人に依頼して製作した。有銘物のフル
コピーではなく、要所によく見れば別物と判る意匠を配し、だが一見すると「?」と
なる物にした。
外見のコンセプトはそれだが、内部構造は徹底的に実用性にこだわり、不正振動
の減衰性向上のために樹脂含浸材をセンターコアとして共振点に部分的に配した
バット構造としている。ソリッド感を残すために、リング以外のパーツはデルリンの
バットエンドからセンターコアに至るまですべてネジ切り構造とした。
硬すぎず柔らかすぎず、振動の振幅をディフレクションというキュー特性上の不要
要素にするのではなく、玉の前進や回転運動に転換させる構造に設計してある。
先角も芯と先角内部の形状含めて独自開発の構造の物を装着している。
外見全体は私が考えた私のオリジナルデザインなのだが、もちろん銘は入っていない。
一般的にはキューも刀と同じで、どこかしらに必ずメーカーのロゴが入っているもの
なのだ。カスタムなどはシリアルナンバーさえ入っている場合もある。

刀もキューも無銘でも大切なのさ。
ブランドを愛でるのではなく、本体を愛すのだから。


怨念がおんねん ~信長の逆襲と大殺戮~

2013年06月13日 | 文学・歴史・文化・科学


和歌山県秋葉山公園。
ここが公園として整備される50年前まで、ここは怨念の場所として存在した。

恐怖のリポートはこちら→「信長の怨念」。

いやあ、怖い。信長による老若男女1万人以上の殺戮ねぇ・・・。
比較は良い事案でするもので、悪い例を比較してもせんなんきことではあるが、
ポルポトの300万人やスターリンの数千万人自国民虐殺という狂ったどす黒い
アカどもの所業に比べたら信長の虐殺は数としては少ない。
しかし、質としてはどういう訳か、古今東西虐殺者というのは殺した人間の数の
多寡にかかわらず手口や発想が似るようだ。できるだけ残虐な手口で人を殺し
たがる。
もちろん織田信長もポルポトやスターリンとなんら差異はない。

信長の血を引く別姓(江戸期に織田家から養子入り)の家の末裔の人とつきあって
いた
ことあるけど、やはり狂気がぞぞぞっと恐ろしかった。
「このままだと俺は寝ている間に殺される」という恐怖感が凄くあった。
戦闘で死ぬかもしれないのはなんともないように思える経験もはるか昔に
積んだが、人生の中で一番あれが怖かったねえ。ひたひた迫る人間の本物の
狂気に触れた時の恐怖。戦闘による修羅場を生き延びた後のPTSDはさほど
ではなかったが、こちらのほうのPTSDは後後まで強烈に長引いた。

や~、こやぁ~(福山弁)



でもって、毎晩うなされる日々だったし(苦笑
昔を思い出して夜中にうなされるなんて最悪だよ。
家内が「なんかすごくうなされてたよ。隣りの部屋でも聴こえるくらい」と言ってた。
信長の末裔の人物の怨霊がとりついたようになって、1週間で6キロ痩せた(笑
その時の恐怖体験の夢の日記は削除したけど、データ残っているので、再アップ
するか検討中。
それをかつて読んだドキウコリーダーのTOMOは「なんすか、これは・・・」と言ってた。
そう。怨念がおんねん。
うちの直系家系は信長とは直接一戦交えてないし、遠戚の三好が絡んだが、まあ信長と
俺とは関係ないだろうと思っていたら、
意外なところでギョエ~となる密接な繋がりが
あったのがその怨念女の周辺環境で
判ったけど、これは現在の生活環境で差し障り
出る人も出てくるので公表は差し
控える。
そう。怨念がおんねん。

ハードディスクに保存していた夢の画像が出て来たよ。
でも当時の日記の文章は掲載しない。
かいつまんで言うと、グワシャッと頭に衝撃を感じたので目覚めたら、俺の
上に跨って立っている女が無表情で重いヒキダシを俺の頭にパッと放して

落下させるんだ。
「なんで死なないのよっ」とつぶやきながら・・・何度も何度も。
そのうち俺は脳症が噴き出して目の前がゆっくりと暗くなっていく。






ネジ

2013年06月10日 | 文学・歴史・文化・科学


小学生の時から使っている私のねじ回し。

現代社会でも大活躍している人類最大の発明はネジではないかと思う。
他にも紙や火薬なども挙げられるだろうが、ネジは現代でも建築や構造体
の構築には必要不可欠なものだ。

私が愛用するドライバーと呼ばれるねじ回しを含むツールキットはKTCの
セットだ。自分専用の工具セットは1980年代初期に購入した。当時で10万円程
だったと思う。1970年代の高校の時からサーキットのピットやアトリエ(練馬区内
にあるレーサー整備兼保管場所として借りていた部屋をこう呼んでいた)で
レーサーを
いじる時にはKTCを使っていた。スナップオンよりも日本製のKTCの
ほうが好きだった。


画像の物は、ドライバーと呼ぶよりもねじ回しと呼んだ方がふさわしい感じが
する。
主にモデルガンの分解組み立てに使用していた。SAAなどはこれ一本で
どうにかまかなえた。使い勝手は絶妙に良い。
ただ、ピッチが合わないネジはネジ山をナメルことがあるので、現在は
あまり使っていない。
木製のグリップのドライバーなんて最近見ないよなぁ(^^
ねじ回しも40年以上使っているなんて、我ながら物持ちは良い方だと思ったりする。
ビリタマのキューも1986年製のを愛用しているしね(^^)
高校時代の革ジャンもあるけど、標準でワイド画面設定になったのでもう着れない。
勿論、1980年代のレース用革ツナギなどは、逆立ちしても着ることができない(笑

だが、2日半玉を撞いただけで3キロ痩せた。食事後に量ってそれだから実質は
もっと痩せたのかもしれない。
でも、体重の上下って結構すぐだからね~。
サーキット全開走行すると体重2キロくらい落ちているなんて信じられないでしょう?
あと、驚いたのがボクサーで、試合前の検量が終わったら試合までにカロリー摂取
するから一晩で7キロくらい体重アップするんだって。すご。
ビリタマで痩せたと感じるのは腹周りだ。明らかに腹がへっこんだ。
やはり、前傾姿勢をずっと取るのは腹筋と背筋と腰回りの筋力使うからかもしれない。
片手を伸ばして支えているけど、あれはキューを支えるためで、体重をそこに
預けているわけではないから。下半身はどっしりと構える必要がある。

今はドライバーのねじ回しなどもホームセンターで安く買える時代になったけど、
昔は工具そのものが貴重だったのではないかなぁ。
画像の工具はKTCのようなレーシングユースに応えられるような高級工具では
ないけれど、使い勝手はよく考えられている。
値段が安い物でも、よい「物作り」の時代ってあったんだよね。
なんというか、使う側のことを考えて、製品に作り手の「心」が反映されていた。

そういえば、マイナス・ネジって、今ほとんど見ないよね。
使っているのは銃器くらいではなかろうか。
プラスはドライバーでないと回せないけど、マイナスならば他の物で代用できる
からね。銃器、特に軍用銃はマイナス・ネジでないとならないのよ。


漢字と文化

2013年06月10日 | 文学・歴史・文化・科学



昨夜、食事後に娘が横で筆で私が試し切りした紙に落書きしているのを見たら、
筆使いが
出鱈目で鉛筆のように傾けて持っていた。字も変。
「おまい、その字、せんだ、いや、あいだみつをかよ」と言ったら
「うひゃひゃひゃ」と笑いながら「人間だもの みつを」と書いた。

ふと思ったが、日本語は現在の形でほぼ固定なのだろうか。
そのうち「~は」「~を」「~へ」というのは、「~わ」「~お」「~え」の表記に
統一されていくのではなかろうか。すでに正式仮名である「ヱ ゑ」「ヰ ゐ」
は事実上使用が停止されている。「ちょうちょう」が「てふてふ」でなくなり、
「いう」が「いふ」でなくなってからは久しい。現在の「~へ」は「~え」であった
日本語表記の時期もある。たまに、お祝いの花輪などを出す場合に「○○さん江」
「○○さんゑ」の「え」が残っているが、これはその文字を使用するのは慣用墨守
とは別な意味があるのだから例外ともいえる。

幕末明治から昭和の中頃までの間に日本語の表現・表記は大きく変化
してきた。これは「国語」が時代とともに急速に紆余曲折しながらも
変遷が生じた歴史を表している。

戦後何十年も経った私が子どもの頃にも「国語」に変化があった。
「おこなう」の送り仮名は「行なう」でも「行う」でもよいことになった。
「おこなった」の場合は「行なった」でも「行った」でもよい。
ただ、「いった」なのか「おこなった」なのか判別がつきにくい文脈の
場合もあるので、私は「行なった」と記載するようにしている。正式には
「行った」だが、国語の慣例から「行なった」でもよいのだそうだ。
平仮名の「そ」などは二種類の書き方がOKだった。仮名フォントのような
「そ」と、最初の一画を「、」とするような文字を全二筆で書く「そ」だ。



片仮名も平仮名も万葉仮名も変体仮名も、元々は漢字だった。
表意文字である漢字は外来の文字であるとはいえ、これにさらに日本が
発明した「仮名」を組み
合わせて表記するのが日本語の文章の特徴だ。
漢字の読みに関しては、大和言葉の訓読みをさせるのが日本語の独特の文化で、

外国人はとまどうようだが、私個人は日本独自の面白い文化だと思っている。
そうした現在の日本語表記の原型は7~8世紀に成立してくるので、案外新しい。
日本の列島に北方南方から人々が移住してきたときから言葉を話していたの
だから、もともと「言語」はあったのに、3世紀の卑弥呼の時代には文字さえ
なかったのだから、日本という国は外来文化の集大成で成立してきたような
ものともいえる。アメリカ合衆国の古代版のような。

考えると、漢字という文字そのものが日本の場合は外来だし、国家制度や
文化輸入というものは古代から行なわれてきた。むしろ、外来文化を独自の
手法で加工して国風にして自分たちの物にするのが日本の昔からの特徴とも
いえる。鉄器や刀剣もそうだ。普段食っている米自体がそうだ。
刀剣などは、大陸半島から伝来した物が、
やがて日本刀という日本固有の
製法と構造と形状に結実していった。


一方、お隣の朝鮮では、戦後原理主義的な国粋主義が台頭し、外来文字で
ある漢字を制式文字から廃止して朝鮮独自のハングル文字で表記する
ことが推進された。
ハングルは言語学という学術面では非常に整理された優秀な表音文字である
のだが、漢字を捨ててしまうという発想は極端すぎて、それをやってしまう
ところに驚きを禁じ得ない

日本語で例えると、すべて平仮名か片仮名で表記するのと似ているので、
かなり厄介に思えるのだが、それで意味が通じているのだから、脳の作り
替えが成功したのだろう。
ただ、漢字排斥が「外来の文字を廃し朝鮮(南北朝鮮)の固有文化である
ハングルを使用するため」という国粋主義に基づいているとしたら、私と
しては何だか嫌だなぁと強く思う。もし仮に日本がそうした観点で漢字を
廃止もしくは排斥するようなことになったら、
非常に嫌悪感がある。歪んだ
国粋主義のように思えるからだ。

日本にしろ朝鮮にしろ、古代の強大な超国家であった中国から外国文化を
採り入れてきたという歴史は動かし難く、それを否定してもしかたないと
思うのだ。
もっとも、日本は南北朝鮮のように同様の形での国粋原理主義というのは
起こらないし流行らないだろうけどね。日本人は元来硬直脳ではなく柔軟だから。
そこらあたりは南北朝鮮の人たちとは異なる文化風土があるように思える。
時たま、日本人でも頭硬直しているのがいるけどね。
私に「あんたキリスト教?外国の宗教じゃないか」と詰問ぎみに言った奴に
宗旨を訊いたら仏教だって。仏教は外来宗教じゃないか。ねえ(苦笑

思うに、漢字を捨ててハングルだけにするということは、南北朝鮮は筆文化を
捨象していくということだろうか。
なんだかなぁ・・・。
でも、「筆は韓国人が発明した物」とか言い出しそうだ。
いや、これは韓国人を揶揄するために言ってるのではなく、そういう何でも
韓国起源説があまりに多すぎるので。
ト学会(トンデモ説を研究する洒落の学会)の会報に載りそうな韓国起源説
は沢山あって最早ギャグにさえならないのだが、その中での真骨頂は、
イェスや英国人も「韓国人である」としているところだろうなぁ(笑
何でも韓国起源説のような発想は、歪んだ国粋主義が行きつくところのように
思える。
そもそも「国粋主義」が「良いもの」と思っている時点で大きな間違いを犯して
いるのだけど。
日本でも、ことさらに「日本が、日本が」と言ってる奴に限ってろくなのはいない。
もっと弾力的に柔軟な発想で自然体で振る舞えばいいのに。
そもそもは、それこそが日本の古来からの日本人の適応力の高さという文化の
伝統なのだから。
伝統文化を愛するならば、それの持つ良質な部分の本質を体現した方がよいのに、
硬直することだけが「国粋」とか「愛国」とか思っている時点ですでにアウトと思えるよ。

これは、我が国における「日本刀」の時代的発達という歴史を無視して、戦時中の
軍陣刀を「日本刀ではない」とする体制側やそれにひれ伏す権威筋の硬直姿勢に
しても然り。
製作法や材料は歴史と共に変化してきたのがまさしく日本刀であったのに、その
歴史性をすべて否定して、戦時中の軍陣刀のみを日本刀とは認めずに登録許可
しないとするなんて、とてつもなくおかしなことをやっている。
ふつ~に考えればとても珍妙で度し難い非常識なことを「常識」と捏造して定着させて
きた。
どうかしてるぜ。
軍刀も日本刀。江戸時代のも日本刀。勿論、戦国時代以前の太刀も源平の頃の太刀
も日本刀。ただ、どれも時代と共に作り方や材料が変化してきただけのことだ。
ちなみに、「現代刀」のみは鑑賞目的の美術品で、幕末の製造法で幕末の材料を
模した物を使用するのが前提となっている。それが「これこそ日本刀」とされている。
それ、「日本刀の一時代の一形態の模写」でしかないのに(苦笑
「日本画とは浮世絵のことです」と言われると誰でもおかしいと気づくけど、刀の場合は
「気づかされないように」と洗脳教育が戦後続いたからね。
そろそろ本当のことに目覚めましょう。

というか、刀のことを全く知らない人は、軍刀も古刀も同じ「刀」として認識する。
光って長くて切れる刃物、と。
でも、実はその感覚のほうがまともで、「いえいえ、軍刀などというものは日本刀では
ないのです」などとねじまがった作為的な捏造を吹き込むほうが間違っているのよ。
刀は刀。それでしかない。「いえいえ、岡山県人は日本人ではありません」なんて、
そういうのはおかしいでしょ?
いろいろ素性や特性の違いはあっても同じ日本人であることに変わりはない。
日本刀がまさしくそれだ。
捏造した別な意味合いや位置づけをしようとするのは、別な意図があるからだ。
だが、緩やかだけど、だんだん、日本刀については本当のことを言える人が増えて
きたみたいな傾向を感じる。これは業界情報として。
民主主義の時代になったのに、こと日本刀に関しては本当のことが言いたくても
言えないというのは、実におかしな歪んだことであってね。アンデルセン童話の
裸の王様みたいなのは、やはりおかしなことなのよ。正直に本当のことを言った
子どもの目が純粋にまっすぐ真実を見ていたように、また、それに誘われて大衆が
真実を口にしたように、大切なことは何かということなんだよね。
権力者に好き勝手させない、まっとうな世になることを切に願う。

でも、この童話がアンデルセンではなくグリム童話だったら、「その子どもは、王様に
よってお腹を割いて石を詰められて川に沈められてしまいました。おしまい」とかに
なりそうだけど(苦笑
私は、ブラックな寓話が示唆する暗黒封建時代の絶対主義という亡霊の復活を望む
ために日本刀を愛顧しているのではなく、現代民主主義の時代にあって歴史的な
存在意義が無視されて捏造された歪んだ構造や洗脳を押し付けている状態が嫌でね、
日本刀の本質的存在、認識への回帰を求めているのです。
軍刀好きな人の中には日本刀を愛しているのではなくて、軍国主義の時代への
体制的・国家思想的回帰を望んで日本刀である軍刀を自分らの政治やイデオロギー
思想の主張のために利用して偏愛している人がいるけど、私の場合は立ち位置が
180度異なる。
民主主義の時代に、日本の民主主義国家体制にそぐわない絶対君主のどこかの
近くの国のような専横(しかも捏造の大嘘)がまかり通っているから、それおかしい
でしょ?と言うのよ。
軍刀偏愛者は、軍国主義の一時代を愛しているのであってそれこそが日本だ、
などと言う。
でも、それって、「日本刀とはこういうものだ」として幕末工法を指す現代刀剣界の
権威筋と何ら変わらないのであってね。やはり狭窄していると思わざるを得ない。

日本語の文字表記や表現が時代と共に生きてきたように、固定観念の硬直した
認識を絶対化することは自然の摂理に抗うことだと思う。
まして、意図的に作為で「認識」や「規定」が創作されて国民に押し付けられるとしたら、
実に恐ろしいことだ。
ある意味、現代の権威筋による日本刀の歴史の中の一時代(江戸末期工法)に
固定しての「日本刀の概念規定」は、日本の歪みと機能不全そのものの象徴と
いえるかもしれない。
そういう意味では、現代刀は現代日本を代表する日本刀、といえる。
なんという皮肉だろう。
正宗が墓の下で泣いているように思える。


居合斬りでブルースなビリヤード

2013年06月07日 | 映画・ドラマ・コミック

世の中、居合剣士でミュージシャンで撞球師という人は探せばいるようだ。

居合斬りブルース 和服の袖にハーモニカ!(外部リンク ブログ)

この人とこんなプールホールで心ゆくまで球を撞いてみたい。
ただし、俺は麻雀の待ちと同じで、かなりエグい球筋だからなぁ(苦笑
麻雀では裏筋さえ通らなかったりする。捨て牌に迷彩を施し、カンチャン、ペンチャン、
ヒッカケ、単騎なんでもありだ。
でも、それが勝負の世界の王道だ。Jazzやブルーズやシャンソン、そして撞球も健康
優良児や脚光を浴びて表街道のサクセスストーリーを歩む優等生には似合わない。
健康的なJazzやブルーズほど気持ち悪い物はないぜ(笑)。
国営放送あたりが朝陽の中でラジオ体操のように「さあ、皆さん一緒にJazzで健康を」
なんてやりだしたら頭痛くなるよ。
ロックバンドのロッカーが体制側から表彰されて喜んでるなんてのも、愚の骨頂だ。
武術での武闘だって、本当はそうだよ。綺麗事と真剣勝負は別物だ。
「この勝負に負けたら最愛の女を失う」くらいの真剣勝負してみると解るよ。
でも、勝負に勝っても、そんなロクデナシからは女はやがて去っていくのだけどね(苦笑


くわえタバコは今は禁止だが、1961年当時のシカゴではごく普通だった。
プールテーブルは台の外周のレールが真っ平なので、そこに飲みかけのグラスを
置いたり、
吸いかけのタバコを火を外向きにして置いたりした。
今はすべて禁止だ。ラシャが焦げたら文字通りの台無しだから。
くわえタバコもいけないよ。
そして、人が撞いているときには、座ってそれを黙ってじっと見ているのがルールだ。
だけど、自分に弱い奴に限って目を逸らす。
座って相手のプレーを見るというのは、ヤクザな1960年代のシカゴにおいても守ら
れていた仁義だったことが映画『ハスラー』からうかがい知れる。

朝陽の中で、マイ・バディのタップ交換終了。


Will you cut that sunshine out?
という台詞が「ハスラー」にあったな。ミネソタ・ファッツの台詞だ。


映画『ハスラー』は最高だったぜ。


あの映画の忘れられないテーマこれだ。
「人は皆、負けた時の言い訳を探している。それは負け犬(looser)だからだ」
最初から負けた時の言い訳を探すのは誰にだってできる。
でもそれは、撞球師という勝負の世界の住人とは関係のないことだ。
この教訓は、撞球の世界だけではなく、すべての世界に通じる。

おお、そうだ。
遠方の剣友に『ハスラー』の二枚組DVDを渡さねば。


傷天

2013年06月02日 | 映画・ドラマ・コミック



わが青春の『傷だらけの天使』。
すべてにおいて最高だ。

歴史的名作と呼ばれる傷天のオープニング。

何度も削除されまくりなので、すぐに削除されるだろうが、動画は一応 ここ

youtubeにはトリビュートとして、ほぼ再現でカバーした動画がアップされている。
TRIBUTE TO 傷天


フルコピではないが、かなり雰囲気を捉えていて、なかなかやる。
別ウインドで開いて、音の同期で再生させて両者を並べて比較して観ると
かなり面白い。

カバーの人、バンドマンぽいね。
しかし、よくぞ似たような部屋に住んでたもんだ(笑)。
オリジナルでは代々木駅前の建物の屋上のペントハウスだった。
崩れそうな建物だが、現在も廃墟同然で残っている。(聖地巡礼 代々木会館

実は、傷天オープニングには、隠れた名演として知る人ぞ知るコピーバージョン
ある。
それは、AVのきららかおりバージョンだ(『リアル きららかおり』)。
ワンショットの長回しで傷天のオープニングシーンを決めている。
音楽も、著作権に触れないように少しずつオリジナルから音階をずらしたそれっぽい
新曲を
新たに作って収録してBGMに流している。
バブルはじけた直後とはいえ、まだバブル余波があった92年頃は、いろいろ世の中
金はまだ回っていた。凝ってるよ。製作者、絶対に俺と同じ世代だろうなぁ(笑

秀逸なきららかおりバージョンの傷天OPデータを私は持っているが、当然、アップ
ロードして公開などはしない(笑)

体制や権力にささやかな抵抗を試みつつもそれらに潰されて消されていく主人公たち。
『傷だらけの天使』は1974年のドラマだ。
現在は、こういうドラマは絶対に流行らないだろうし、スポンサーがつかないだろうね。
本当に、芯からつまらない時代となった。
このドラマ作品の最終回で死んだアキラをドラム缶の中に入れて夢の島に捨てに行く
オサムのシーンで、71年の三里塚第一次強制代執行で権力の圧倒的な暴力に
体を張って抵抗する農民たち(少年行動隊の子どもから老人決死隊の老人まで)の
映像(小川プロ映画の映像ではない)が何度もカット割りでサブリミナルのように挿入
されていた。それはこの作品のオープニング映像でのカット割り込み技法のように。
アキラの死体を入れたドラム缶を積んだリヤカーを引くオサムの台詞は
「アキラ・・・。出てけってよ。・・・出てけってよ」
だった。
この最ラストシーンの意味など、今のご時世には理解できる人間は50才以上の
年寄りばかりではなかろうか。今の若い連中は、ステレオタイプの物事の見方しか
できないから。人間の抵抗や権力の弾圧の社会現象や一般的な世の中の事象を
「サヨ、ウヨ」でしか語れないし、そもそも本質を理解できない。知能というか社会的
判断能力が低すぎる。
昔の日活や大映の映画を観ていると、21才でなんて大人なのだろう、と思ってしまう。
だが、最近はネットの発達により、知の能力が低いいい年したおっさん達も普段書き
なれない文章などというのをブログなるもので作文として書いて、そのステレオ脳ぶりを
開陳している。若いもんには負けていない。
共通しているのは、論旨以前に「てにをは」「句読点」「文節、段落」等々が出鱈目で、
日本語(=国語)作成能力が著しく低いことだ。日本語もまともに書けないのに、物事の
意も理も解らないまま、ニッポンニッポンと言いたがる。尤も、文章もおぼつかないと
いうことは、そもそも読解力が常人に悖るのだろうから、必然的に歴史の精査を文献
資料等から考察して読み取ることなどもできずに、その脊髄反応性によってプロパガンダ
やフレームアップに乗せられやすいのだろう。権力を掌中に収める人間たちにとっては
「扱いやすい」人民といえる。
なんだか、浅いよなぁ・・・。幕末のこの国の時局が勤皇-佐幕という一括りでは語れ
なかったように、もっと深い人々の置かれた立場や思念があるのに。今でも。
右か左かだけで、社会現象語れるわけないだろに(苦笑

オマケ。最高の人斬り以蔵。
人斬り以蔵は・・・やっぱ、ショーケン! 1/2


人斬り以蔵は・・・やっぱ、ショーケン! 2/2


『カナダに渡った侍の娘』 土佐英信流17代宗家大江正路の娘の談話

2013年06月01日 | 文学・歴史・文化・科学


『カナダに渡った侍の娘 ある日系一世の回想』
(ロイ・キヨオカ 増谷松樹訳/草思社/2002年第1版)

「話はどうしても、高知のこと、父親のことになった。七十年間も
暮らしたカナダのことやご主人のことを聞こうと思っても、その
ことになると言葉が少なくなり、口も重くなった。父親の話になれ
ば機嫌がよくなり、口数も多くなり、武士道の話になり、切腹の
話になった。」(「訳者あとがき」より)

土佐無双直伝英信流十七代宗家の長女である大江きよ(メリー・
キヨシ・キヨオカ)は結婚後カナダに渡り、100歳まで
生きた。
幕末動乱の時代を生きた父大江正路(おおえまさじ)の思い出を
多く語っている。

再読した。おすすめ。


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