渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

英文にみる日本刀の観賞表現

2016年07月30日 | open



『雨あがる』(1999年東宝)という
黒澤明脚本を映画化した良作映画が
ある。
これは『道場破り』(1964年松竹)と
いう映画のリメイクであり、原作は
山本周五郎の小説『雨あがる』だ。

このリメイク版クロサワ脚本の
『雨あがる』の中で、殿様が主人公
三沢
伊兵衛の差し料を拝見する
シーンがある。

そこでは本阿弥流の刀剣鑑賞表現が
セリフに出てくるのだが、それの

表現の時代考証は別として(設定
時代は元禄~享保頃)、日本刀の
観賞
表現が英文ではどのように字幕
スーパー化されているか見ていこう。


日本語(以下、日)「鍛えは板目肌。
地沸(じにえ)細かく・・・」

英語(以下、英)
「 The forging of fine grain... delicately moistened... 」


地沸(じにえ)がついているのを
「繊細な潤い」と訳している。

なかなかの名訳だと思う。

日「地景(ちけい)が見事に
入っている・・・」

英「 very well drawn groves... 」

地景(ちけい)が入っていること
を「とても良く描かれた木立」と。
だんだん苦しくなってきている。

日「刃文(はもん)は直刃(すぐは)」
英「 a proud blade 」

西洋刀剣には「刃文」は存在しない
ので言葉も存在しない。

いよいよ表現のしようがなくなって、
「誇りに思う刃は」と
いったような
表現になっている。刀身の中に焼き
刃があるというのが日本刀の最大の
特徴だが、ブレードとは刀身を差す
のか、刀身内部の焼き刃を指すのか、
英語には区別がない。

日「春風に吹かれるような爽やかさ。」
英「 has the freshress of a spring breeze. 」

英文では前節からの連続として
表現している。
訳すと、「気高き刀身はほのかな
春風のような爽やかさを帯びてい
る」というようなところか。
こうした抒情的表現においては、
英文でもよく日本語の意図を伝え
る翻訳となっている。

日「匂いも深い。」
英「 and it's perfume.」

これはもう完全に誤りだ。
以前、日本刀を知ると自称する
武道家のブログで「臭い」と書いて
いる人がいたが、それよりはまし
であるとはいえ、根本的に日本刀
の観賞表現の語句を理解していない。
日本刀における「匂(にほ)い」
とは、スメルやパヒュームという
ような物理的なニオイのことでは
ない。
刀の「匂い」とは、沸(にえ)と
いう熱変態で生じたマルテンサイト
の粒とまったく同じ組織のことで、
沸は肉眼で確認できる大きさの粒
を指し、匂いとは肉眼では確認でき
ない程に細かく、あたかも朝霧の
ようにあたりを包むように刀身に
マルテンサイトが浮かんでいる現象
のことを指す。香りや臭いのこと
ではない。
硬度の高いマルテンサイト部分が
微塵に集まっているので、沸出来
の物よりも匂い出来の刀剣のほう
が硬い。一般的には派手な沸出来
の刀のほうが硬くて切れ味が良さ
そうに思われがちだが、現実には
物理的な特性は嘘をつかない。匂い
出来の刀のほうが高硬度である。
見た目の軟らかさに騙されそうだが、
ここは冷静かつ正確適切な認識で
刀剣を見ることが大切である。

日「刀は武士の魂と云うが・・・」
英「They say the sword is the soul of the warrior...」

直訳である。

日「いやあ、実に見事じゃ!」
英「It's really splendid piece! 」

英文では、もう少し感嘆符の部分
も入れて殿様の感激ぶりを強調して
ほしかった(笑)。「いやあ、」の
部分。
Well でも Yap でもない、なにか上品
で良い英単語はないものか。
私はよく分からないが。

ということで、日本語の中でもさら
に特殊な単語と表現を使う日本刀の
観賞表現は、やはり英文に訳す際に
はかなり苦労を伴うということが
映画『雨あがる』の字幕から汲み
取れる。
ただ、絶対に覚えておいてほしい
のは、「沸(にえ)」はマルテン
サイトの粒が肉眼で確認できる粒
のことであり、決して「煮え」で
はないこと。別字は錵だ。
そして、「匂(にお)い」とは、
物理的な香りや臭いのことではなく、
マルテンサイトの粒が肉眼では確認
できないほど細かく朝もやのように
刀身に現れている状態を指すこと。
この2点だけは、刀剣鑑賞の絶対
条件であるので、これだけは
忘れないでほしいと願う。
そして、朝もやのような刀の匂い
だが、もやといってもそれは曇って
どんよりと暗雲がたちこめている
という状態ではなく、清廉と青く
晴れわたる刀身に現れる景色の
一つというところが日本刀の見
どころでもある。

さらに、『雨あがる』の映画の中
でも出てきた「地景(ちけい)」
とは、鋼の熱変態で生じた組織が
黒く光って地刃の中に線状に現れる
刀身の景色のことで、これが光を
強く反射させた組織となると「金筋
(きんすじ)」と呼ばれる物になる。
さらに地景が寄せ集まると地斑
(じふ)と呼ばれる状態となる。
これらの景色は、いかに青く澄み
わたっているか=晴れているか
という全体像の中に現れることが
刀剣の見どころとされてきた。
どんよりとした薄曇りではなく、
明るく冴える晴れた刀身に。
古来、「青き刀は名刀なり」と
呼ばれた所以は、そうした景色が
刀身の中に見られる背景色として
鉄味が青く澄んでいるからで
ある。
三沢伊兵衛が師匠辻月丹から
いただいた差し料も、きっとその
ような一作だったのだろう。
「無銘でございます」と伊兵衛
は殿様に言上しているが、殿が呟く
言葉から来る刀の作柄と、無銘で
あることから、古刀の大磨り上げ
無銘である可能性が非常に高い。
そうしたところまで読み込みが
できると、また一つ映画の中での
シーンの観方が膨らんでくるの
ではなかろうかと思う。

貴方も、日本刀を存分にご堪能
ください。

ただし、映画『雨あがる』では、
映画上の表現描写のため殿様は
刀を見ながらしゃべっていますが、
これはあくまで映画の中での
シーン上の描写です。
実際には現実世界では、刀剣を
見る時には刀身のそばでは絶対に
一言もしゃべってはいけません。
目に見えない唾は凡そ一言で
一万粒くらい口から噴射されて
いることが先日TV番組で実験実証
されていました。
古来より、刀剣拝見の際には息が
かからないように懐紙を口に咥え
たりしましたが、あれは一切の
唾を刀身に飛ばさないためです。
しゃべりながら刀を観ると、後日
確実に刀身は錆びます。目に見え
ない唾が刀身に付着しているから
です。
思わぬ「沈金錆」という悪性の
錆が発生したりするのは、大抵は
しゃべりながら刀身を観て、その
後十分に水分を除去しなかった
ことが原因の一つと考えられます。
刀工康宏の弟子は、来国光の刀を
拝見する際にはマスクをして白手袋
を着けて刀剣を観ていましたが、
それは正しい姿勢かと思います。
現在では美術品として日本刀を
錆びさせないことに注意を払う面が
強調されますが、武人の差料で
あった日本刀は、武器としても
不用意な錆を発生させる無思慮が
あってはならないものだったの
です。

どなた様も、真剣に接する時には
真剣に。