
ネット販売アルアルなのだ
れている個体だった。
振り分けてクランク左右
とメインエア導入部に2ス
トオイルが供給される方
式だ。
着されているので、キャ
ブにある2stオイル導入部
のホース接続ニップルが
剥き出しのままになって
いた。
てオイルホース取り回し
も旧方式にする方法だが、
簡易な迅速対策としては
現状のままでキャブの余
分な2stニップルを対策
部品を作って塞ぐ方法が
選択肢としてある。
する。

バイク”博物館”に大感動!
懐かしの名車天国!
来た、ホンダコレクション
ホール!
ここはいいね~。
ホンダの歴史の集大成が一堂
に展示されている。
ちなみにホンダを宗一郎さん
と共に創った藤沢さんは私の
高校の先輩。
ことしも、もう残り11ヵ月
になろうとしている。
時の流れが早い。
あと三日後の2月3日は立春
だ。
今、受験生たちは一番大変
な頃。
受験生だけでなく学校も塾
も、先生たちも大詰めの頃。
妻と二人で実写映画版の『美
味しんぼ』(1996)を観ている。
世間では評価の低い作品だが、
私は好きな作だ。
学生の頃、後輩の実家が持つ
六本木のビルの屋上のペント
ハウスに住まないかと勧めら
れた。
立地条件も物件も場所からし
たら格安賃料も最高だったが、
六本木の街のど真ん中のビル
なのでバイクを駐車する場所
が無いのでやむなく諦めた。
もろにこの映画で山岡士郎が
住んでいるペントハウスのよ
うな物件だった。
映画の中の「山岡さんの家」。
1996年時点の撮影だが、現在
は隅田川の永代橋が見える永
代河岸通りに面したこのペン
トハウスのある建物は取り壊
され、2025年現在はマンショ
ンが建っており、現存しない。
1996年はついこの前のような
気がするが、もう29年も前の
事になる。
当時は私はまだ都内新宿区在
住だった。
オートバイのスロットルグリ
ップはギュッと握り締めない。
日本刀の手の内と同じく、し
なやかに柔らかく保持する。
ただし、ダートなどではある
程度ハンドル保持をしっかり
しないと手が離れたらすっ飛
ぶ。
だが、ギューッと5指で力任
せにふん掴む事はしない。
締める所は締めて、緩める所
は緩める。
モーターサイクルのハンドル
保持操作法と真剣日本刀刀術
における手の内はかなり共通
する部分がある。
1976年頃には少年たちの間
では「とっつぁんバイク」
とか「トロバイ」と呼ばれ
ていたが、私はこのモデル
は味のある二輪だと思って
いた。
速度だけを求めるのではな
い、という点で。
私は74年製を持っていた。
大学進学の為に手放すという
千歳烏山の2才年上の人から
譲ってもらった。商談交渉の
際にはご自宅に訪問してお父
様も交えて商談をした。有名
な進学校に在籍する人で、家
も厳格な風だった。有名私立
大学附属に通っていたが、別
な大学を受験すると言ってた。
やはりマッハSS350と比べる
と比べ物にならない程遅かっ
た。ヨンフォアも正直いって
遅い二輪だったが。
しかし、25Tは吸排気を弄っ
て、TT100を履かせて、乗り
方次第ではそこそこに走らせ
る事もできる車だった。
ただし、最高速はまるで出な
い。吸排気をいじって出ても
たかが知れていた。
当然、その10数年後の2スト
250のように200km/hオーバ
ーなどは到底不可能。時代な
りの二輪だった。なんせ原初
は1973年設計だから。
それでも、パワーバンドを使
えば峠でも充分2スト程では
ないにせよ、よく走った。
(高校1年)
この個体は気に入っていて、
高校時代は他の車を手放し
ても、これは大学時代に後
輩に請われて譲るまで所有
していた。
なので一時期RZ350とこの
CBと2台持っていた。この
CBの後にはチョイノリ通学
用にセカンドバイクとして
カワサキAR50を新車で購入
した。自分にとって初めて
の新車は発売当年のRZ350
だった。
バイクを買うのは16才の時
からすべて自分の金でまか
なっている。
カフェレーサーというスタイ
ルがまだ国内では殆ど知られ
ていない(ほぼ皆知らない)
時代に、私は英国ロッカーズ
スタイル(タイムリーに英国
で隆盛衰退の数年後)に一つの
憧憬に似た個性の突出性の輝
きを見ていた。
それは、決して「ブーム」や
「流行」という概念とは別次
元の二輪乗りの魂の表現、在
り様として。「抵抗者」とし
てのレジスタンス性に惹かれ
た。
16才の時には英国ロッカーズ
にそれを感じていた。
バイク雑誌で報道さえされな
い時代、洋書で英国ロッカー
ズの存在を知った。
私は馬とピースメーカー以外
は、アメリカンスタイルには
あまり興味は無かった。
オラオラジャイアンみたいな
のは今でも好きではない。
これは個体だけでなく、集団
的地域性においても。
基本、ホンダの25Tはブリテ
ィッシュ・トラディショナル
なスタイルのオートバイだっ
た事だろう。
この英国車のような。
後年、後継機種のホークCB
250Tがバブと称されて珍走
団に愛好されてチンドン屋
仕様に改造されたのは、か
なりマシンの方向性と指向
性が違うと私個人は思える。
CB25Tをここまで改造する所
さんには脱帽だ。
(1970年代当時はニーゴー
ティーと呼ばれていた)
世田谷ベース CB250T
ロードのシチュエーション
によっては、スクーターで
もこういう乗り方はごく普
通。
コーナー手前のフルブレー
キング直前から倒し込みの
体勢を取っておく。
グリファス2024年現行車
ヤマハがグリファスをリコール
申請した。
自動車(二輪を含む)の製造にお
いては、リコール申請は結構
多くある。
リコールまでいかないものと
して「サービスキャンペーン」
という意味不明な不具合個所
無償修理処理もあるが。
リコール制度は事故を未然に
防ぐ事が目的で、PL法(製造物
責任法)と併せて、消費者に損
害が生じた場合に製造業者が
責任を負う事を定めた法律。
但し、PL法では損害が発生し
た被害者が車両の欠陥、被害
との因果関係、損害の原因が
車両の欠陥によるもの等を立
証しなければならない。
リコールは、事前にメーカー
側が自主的に国に申請して
欠陥部分を補正して適正運用
できるように事故防止する事。
だが、対象車両全てに無償改
良を施すので莫大な費用がか
かる。
二輪車も四輪車も特装車も、
メーカーは実に細かいバージ
ョン変更を発売同年内にも
行っているが、それは製品
の事細かい不具合を自主的
に改善しているためだ。
そして、メーカーの設計は
製品開発設計と品質維持向
上の為の改善設計の二つに
仕事の中味が大別される。
設計部は暇ではなく、毎日
箱詰めの設計室で製品を見
ている。
だが、設計室勤務の者は設
計室から一歩も出ないので
はなく、製造現場や製品自
体もよく視察する。
設計室から出ない設計者は
仕事姿勢が良質とはいえな
い。
(リコール制度について)