渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

PMC風

2017年10月31日 | 文学・歴史・文化・科学


PMC風。

あくまで「風」である、あくまで。
つーか、ちょいマジ話をすると、銃と装備を持たずに、これに不燃性
素材の裾の長いヤッケかロングコートを着たら、もろに俺の
大学の時
の街頭指揮でのカッコなのだが(笑)
俺さぁ、中東にいる実物PMCの動画や画像見るたびに可笑しくて仕方
がないのよ。
だって、格好がまんま大昔の日本のキャゲキ派のウンドのにーちゃん
たちにクリソツなんだもの(苦笑)
こういうキャップは、テッパチの配給場所のドッキング合流地点に来たら、
後ろ前にして被り直すんだよ。内帽としてこのまま使うの。

第5コマンドの諸君の訓練風景。
我々のいつもの野試合の対戦相手は、第4コマンドもしくは第8コマンド
だった。新潟や宮城や福島や静岡の諸君は弱すぎて話にならなかった(笑)。
桜田組だけでなく神奈川と空警は強かったね~。のたうちまわるほどに
徹底的に打ちのめされても立ち上ろうとしてきたので、結構根性あったよ。
うん。なかなか見所ある。アッパレ!をあげよう。


場所は中野での訓練のようだが、しかし、この訓練はなってないぞ、
諸君。
鉄パイは斜めに先をカットして、対戦相手のテッパチのバイザーの
側面の連結部を正確に狙うんだよ。

それにこの黒皮のままだと滑って仕方ないだろ?保持部分は錆び
させるんだよ。素手で握ったら手の皮が剥がれるほどに錆びさせる。
滑り止めはそうやって作る。
使い方は、まず横面を正確に打ち込んでバイザーを飛ばす。
そして、顔面を突くべし!突くべし!なんだよな。鉄パイは叩いたら
すぐに曲がるので、叩くものではない。鉄パイは突くのである。
ただし、前面最前線の長物ランサーズの役目はとにかく上から叩き、
突く。それ。
そうして、相手のフロントラインに隙間ができたら、次にサブロク物を
持った斬り込み隊が一気に突入して近接乱戦戦闘で徹底的に白兵戦
をやる。
逃げ返る自軍同部隊員を殴り倒すためには督戦隊が脇差ほどの鉄パイ
を持って後衛ラインに控えていて、逃げ返る友軍の奴を張り倒す。
カクテル瓶の登場は、最初か最後だ。
押し引き囲い込みの機動戦は指揮官の
軍配差配次第。野試合での
雌雄を決するのも指揮者次第ということだ。

俺が現役プレーヤーの頃は一応全戦全勝だった。悪いな、勝ち逃げで。

彼ら本官諸君も根性はある。実際に火の海を乗り越えて来る。


部隊士気高揚のためのプロパガンダにも事欠かない。
実際の野試合での画像を使って自チームの応援歌を作ったりしている。
コピーもなかなかのハイセンスだ。本官諸君は我々が金を払って食わして
いるチームの連中だが、広報部は宣伝センスもあるようだ。


国内最強、桜田組第4コマンド。洗脳もしくはロボトミー手術でもされて
いるのだろう。無慈悲に強い。老人・女・子供関係なく軍靴で踏みつける。
ほんとに容赦なく顔面だろうと踏みつける。ニタつきながら。
だが、彼らの強さは本当の「強さ」ではない。


いや、史上最強は神奈川県警だ。
この謀略部隊の作戦を見よ!これは・・・誰もこれには勝てない。
戦意を喪失させるこの入念な計算された作戦。神奈川県警恐るべし。

神奈川県警のふしぎなおどり


神奈川県警のオリジナル曲&振り付けである。
真面目な話をすると、この曲はきっかりと和調音階のセオリーを
踏襲しており、イントロと間奏にその秀逸さが垣間見られる。
名曲である。
また、歌う女性本官君も非常によろしい。
これもアッパレ!をあげよう。張本さんならきっとそうする。

しかし、判る者は判るだろう。曲の中にところどころ見られる独特の
特徴的なフレーズを。
このたくろう独特のコード進行のフレーズアレンジにより、この曲を
作った者が私とまったく同世代の人間であることが読み取れるので
ある。
一点突破の全面展開を指揮するには、状況と情報を正確に読み取る
ことが欠かせないのである。

 


ミニ

2017年10月30日 | バイク・車



可愛いなぁ。
色は違えど私が長年乗っていたのと仕様もそっくり。

この色はミニ独特の色で、「アーモンド・グリーン」といいます。
オリーブドラブじゃないよ(笑)。


ベレーのかぶり方

2017年10月24日 | 文学・歴史・文化・科学


【ブリティッシュ・ミリタリー・スラング解説】
・THE RECRUIT・・・新米
・THE TOM・・・くそったれ(英軍兵士のこと。TOMMYとも)
・ALLY・・・気障野郎
・THE SENIOR・・・老いぼれ

英国人のサイトで、非常に英軍の特徴をよく捉えたイラストを発見した。
このサイトは他にもとても興味深くも面白い記事が満載されている。
洋物文化で、こうしたポンチ絵的なものは勿論日本の漫画のルーツに
あたるものだが、客観視して社会事象を正しく捉えるという視点は、文化
の成熟度が高い国であるからだと思える。
民度や文化的成熟度が未発達だと、どうしても人民が一元的な国家元首
の言いなりの飼い犬となる。
漫画を馬鹿にはできない。
独立した芸術と娯楽の領域の一角を占めるだけにとどまらず、描画による
社会性の表現の在り方は、社会の成熟度の一つのバロメーターにもなる。

ベレー王国の英軍でも、新米野郎はベレーかぶりがミョウチクリンな忍者
ハットリ君になってしまうのだなと笑えた。
あと、口汚い表現は、これは英国独特の毒づき方であり、それが人びとの
笑いを誘うのは『ミスター・ビーン』でおなじみだ。
ビーンの性格とかって、最悪だから(笑
なのに、大真面目にけしからんとはせずに、笑い飛ばす。
一種、京都人にも通じる、底意地の悪い笑いが英国文化にはあるとも思える。
ただ、この手の笑いを日本で初めて確立したのは北野たけしだった。
それまでは関西風に、自分がアホになり切って笑いを誘ういわば「おもらい
笑い」であったのに対し、たけしは徹底的に毒づいて他者を貶すことで笑い
を取りに行くということを初めてやった。「いじめ」の先駆者がたけしだ。
これは世の中に「いじめ」がまだ存在していなかったので(企業や運動部での
パワハラはあったが、陰湿ないじめは稀有だった)、かなり強烈でインパクト
があった。
京都の意地悪さと違う点は、京都は文化としてそれとなく遠まわしに何でも
表現してそれを感じ取らない者たちを田舎者として大層馬鹿にして見下す。
たけしの場合は直接に言うのである。「このくそばばあ、早くおっちね」とか。
そして、勘違いしてはならないのは、たけしが確立した1980年代初期のあの
笑いの手法は決して「良質な笑い」ではないということだ。無論京都の感性も
人として良質なものでないことは言うまでもない。また、決定打として助から
ない事象として、京都人は偏執的なプライドの塊であるので、自己客観視して
己の人となりを良質に持って行くことはできない。岡山が非常に似ている。
非常に依怙地で底意地が悪い。
英国の場合は、毒づいてもそこには自虐的な笑いが含まれているのである。
この機微は人として非常に重要だ。
上掲のイラストのように、英国人が英軍の特徴を汚いスラングで言うのにも、
そこには本気でとことん馬鹿にして見下す心はない。だからこそ人気ドラマの
ミスター・ビーンのように、人々の明るい笑いを誘う。
1980年頃のたけしのは・・・申し訳ないけど、同じ東京人としても笑えなかった
なぁ。新規性はあったが、笑いの質が大阪のような人間的なところには立脚して
いなかった。
今のたけしからは想像できないだろうけど。


ステージガン

2017年10月23日 | 映画・ドラマ・コミック


映画やドラマの撮影では、実弾を発射できない撮影用のステージガン
という模擬銃を使用する。
オート式銃器では、銃身の途中を細く絞ってガス圧を高めて機関部を
作動させる構造に改造された銃器を使う。
日本では改造する実銃所持が法的に不可能なので、モデルガンや専用に
ワンオフで製造されたステージガンが撮影に使用される。日本では、
電着で仕込んだ火薬を発火させる電着式が使われているが、これは排莢
しないために、カートリッジを排出するためには、別な機構を内装しな
ければならない。
モデルガンや実銃ステージガンを使う方がガンエフェクトは楽である。
ではなぜモデルガンが多用されないかというと、火花が実銃のように
激しく出ないためだ。
また、モデルガンから出る火花は実銃とは大きく異なる。実銃はまるで
火炎放射器のような火焔が出るのだが、モデルガンの合法火薬では線香
花火のようなショボい火花しか出ないのである。

そして、実銃の銃身を改造したステージガンには、空砲で機関部を
作動させるためのチョーク=絞りが必ず銃身に設置されている。
そうでないと、実弾弾頭がないため、ガス圧が抜けてしまって機関部が
作動しないからだ。
なので、実銃での空砲射撃訓練では、必ず銃口にブランク・ファイア
リング・マズル・アダプターを装着する。

空砲




ブランク・アダプター





こうした半閉塞加圧装着を銃口に装着することで初めて空砲で機関部を
自動作動させることができる。
しかし、これでは映画の撮影はできない。
なので、銃身の中に絞り込みを備えた銃身に換装するか、途中を絞った
パイプを挿入圧着ボルトオンして、撮影の外見上不自然さがないように
するのである。
だが、前方からの撮影では、銃口(マズル)からその装置が見えてしまう
ことがあるので、注意を要するのだが、有名な映画でもC級映画でも
結構内臓パイプが写ってしまっている。


映画やドラマでフェイクを本物のように見せるということはかなり
大変な事なのだ。
極端に判るのが日本刀を使う時代劇で、アップシーンでは真剣を使う
こともあるが、ほとんどが金属製模擬刀や木製刀身に銀ぱくを貼った
殺陣用の道具を使う。
撮影の殺陣は安全のために絶対に真剣は使うべきではないが、真剣
だろうが模擬刀だろうが木製竹光だろうが、話にならないのは役者
が刀の扱い方を知らない場合で、これは演技にさえならないために、
撮影の絵が撮れない。
役者でもそういうことが多くあるのだが、自称古流武術を僭称する
ニセ詐欺団体では、オモチャ刀を抜刀の際に横にテンションをかけ
まくっているので、非鉄刀身が大きくよじれ反ったりしている。
しかし、俺様大将天下一、大名もひれ伏したぞ!なので、それを
恥ずかしい事であり、武技として成立していないことを自覚しない。
フェイクの演技にさえなっていないというのはしょっぱくてお寒い限り
なのだが、厚顔無恥とはよく言ったもので、でかいのは顔だけでなく
面の皮も厚いので、恥ずかしいと思わないどころか、それこそ江戸時代
からの伝統であるかのように自己盲信して、さらにそれを世間に宣伝
する。

それでも、嘘は嘘であり、実力が無い現実は実力が無い真実なのである。
つまり、不存在。
不存在を「ある」と言い張る嘘を続けて人を騙して集客して集金する
のがニセ詐欺カルトの常套手段だが、まあ、騙されるほうも悪い。

映画やドラマは、ドキュメンタリーでない限りは作品を楽しむもので、
エフェクトの齟齬やミスは「不完全」な事象として見ることができるが、
許容できる「不完全」ではなく、「不存在」を「ある」として嘘を
言い張り続けているのは見苦しい。
さらに、例え嘘でも技量抜群ならば瞠目もできるが、肝心の武の技術が
レベルが低すぎてお呼びでないとしたら・・・。
それは見るものがない、ということ以下となり、もはや何の取り柄も
ない。一つもない。
では色物かというと、寄席の音曲色物は、あれは立派な芸であるので、
芸を馬鹿にしてはいけない。武芸とて武の芸である。
その芸が無いということは、「芸が無い」という言い回し以上に、救い
ようがないのだ。武芸者を名乗っていながら芸がない。それは、役者で
ありながら演技ができないという事よりももっと強烈で、運転手を
名乗っていながら車が運転できないとか、絵描きだと言いながら
絵が一つも描けないような、そんなイカサマさなのだ。

映画やドラマのガンエフェクトでの今回紹介したような映り込みは、
これは撮影上の「ミス」であり、ニセ詐欺自称古流仮装団体が行なう
技術的にも実もなく、心根に誠実さもない取って付けた上辺だけの
竹光踊りとは別次元のことである。


ドZ

2017年10月22日 | 映画・ドラマ・コミック


開始後2分でドZ級映画であることが読めた(≧∇≦)

これは久しぶりに、かなりひどい・・・。

フランス映画『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』

2017年10月20日 | 映画・ドラマ・コミック



(『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』
(原題 MISTER BOB/ 製作年度 2011年/上映時間103分/フランス)

無料動画 こちら ⇒ チャンネルギャオ(無料配信11月15日まで)

フランス作品なので、我々日本人に馴染みの深いアメリカ映画とはかなり
タッチが異なるが、1960年代初期のコンゴの情勢を知ってから観ると
結構面白い。

誰でも編集できてしまうウィキペディアだが、齟齬や作為的表現があろう
とも、それも含めて読み取れば、ある程度概要は浮かんでくる。
1960年代初期のアフリカ・コンゴは非常に混乱の極みであり、アフリカの
混迷そのものを代表する具体例だった。
特徴的なことは、「コンゴ現地&侵略宗主国ベルギー側 vs 米国+ソ連+
国連」という図式で第一次コンゴ動乱があったことだ。
戦後の冷戦体制の中にあって、米ソが手を組み国連軍を動かして特定国
を封じ込めようとする動きは、地球上の歴史の中で非常に珍しいことだった。
その後の第二次コンゴ動乱では米ソは敵対勢力となり、代理戦争として
第二次コンゴ動乱は進行した。



インドシナ戦争から続くベトナム戦争のように分かり易い構図の戦争では
なく、アフリカの独立と独裁、大国先進国の経済権益(コンゴはレアメタルの
宝庫だった)の自国誘導の思惑が複雑に絡んでコンゴ紛争は泥沼化した。
「アフリカの年」と呼ばれた1960年から始まったアフリカ全土の独立戦争は、
コンゴ(ザイール)の動乱にこそ特徴的な動きと流れが見られた。
「アフリカの悲哀を知るならコンゴを見よ」なのだ。
それはちょうど1960年から1965年までの第一次・第二次コンゴ動乱その
ものを見る事で、その後から現在にまで延々と続くアフリカの貧困と飢餓と
暴力と圧政と解放の歴史が見えてくる。
映画『ワイルドギース』では主題歌でその気持ちが歌われた。
" What more can we do ? "
私たちはもっと何ができるのだろうか。



映画をご覧になりたい方は、「コンゴ動乱」と第6コマンド隊長の傭兵「ボブ・
ディナール」と第10コマンド隊長「ジャック・シュラム」について、前知識で
さわりを把握されてからこのフランス映画『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』
をご覧になると映画の表現したい世界がより一層よく見えて来ます。
この作品は、第二次コンゴ動乱での傭兵部隊隊長ボブ・ディナールの軌跡
を描いた作品です。出仕から昇進、抑圧から裏切りと解放へ。ディナール
の苦悩を克明に描いています。
後半に第10コマンド隊長のジャン・シュラムと組んでかつての雇用主の
独裁者モブツに叛旗を翻してカタンガの独立解放に決起するあたりからが
佳境。

コンゴ動乱(以下、クリックでwikiへ)

ボブ・ディナール(第6コマンド隊長)本人


ジャン・シュラム(第10コマンド隊長)本人




1960年代から1980年代初期頃までは世界中が「傭兵の時代」でもあった。
日本では傭兵活動のために海外に渡航することは、刑事犯罪に該当するため、
すべて禁止です。また海外での傭兵募集に応じることも犯罪となります。

-刑法第93条-
(私戦予備及び陰謀)
第九三条 外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀を
した者は、三月以上五年以下の禁錮に処する。ただし、自首した者は、その刑
を免除する。


漫画『隠密包丁』

2017年10月19日 | 文学・歴史・文化・科学



『隠密包丁』(原作:花形 怜/作画:本庄 敬)

本作は、主人公の幕府隠密宮村惣右衛門が市井の料理屋の料理人として
身を隠しながら江戸市中の情勢を探索する物語だ。
その話の中で、惣右衛門の見合い相手、火付盗賊改秋本忠弥の娘「いと」
と大川端の屋台で天麩羅を食するシーンがある。その一件について
これより吟味致す。

てなことでもないんだけどね。
まあ、百歩譲って歴とした武家の女が川沿いの屋台で立ち食いで天麩羅
をつまむなんてことが万が一にもあったとしてもだ、このようなはした
ない食し方をする武家の女などいる訳がない。

作品自体は、テーブルと椅子が江戸期に市井の料理屋にあったり、
武家の屋敷に表札がかかっていたり、将軍を将軍様と呼んだり、諱(いみな)
で武士の名を呼ぶし、武家の
男女が仲良く並んで町を歩く等々、時代考証に幾多の齟齬ある誤認表現
描写が見られる。
しかし、料理に関しては食材から料理法までかなり正確であり、何よりも
江戸人情話を主軸としているところが江戸物時代活劇として良作である。
要するに読んで読者の心が温まる作であり、こうした表現作品はどの
ジャンルでも良質だ。
芸術は自己満足の世界ではなく、人の感受性を意識した対人に関する
未必の故意的な要素が存しなければ、ただの自慰行為でしかなくなる。
人里離れた山で大声で叫ぶのが歌ではないように、内的感性の発露が
技巧的術性を伴って発現され、それに接した人が感受を得て初めて
芸術は芸術たり得るのだ。
まさに芸の術であり、アーティストはそうした術性を常には対人意識と
して前面に出さずとも、内在的に無意識下に「自分と人」「人と人の
心の結節点」を認識している。
それ無き表現は、芸術とは呼べない。

さて、そもそも、男と並んで連れ添って町中を歩くなんてことが江戸時代
にはまずありえなかったし、それを平気でやり始めたのは土佐の坂本龍馬
が江戸期史上初と言われている。
江戸期に女と一緒に人前を歩くというのは、今でいうなら町中を
キスしっぱなしで歩くようなものだったのだろう。

そして、食し方である。
このいとの無作法な食べ方を現代でもあたかも礼儀正しい食事作法かと
大間違いしてやらかしている人を多く見かける。
人様のお宅訪問の番組で、居宅に上がる際に、玄関で尻を向けて靴を
そのまま脱いで尻から人様の家に入るのが礼儀だと勘違いした俳優が
主演の番組が何十年も放送されていたくらいだ。日本人の礼儀作法
などは、とうに世間では消し飛んでいる。
日本のお辞儀の仕方も、今では韓国式に両手を前で合わせ組んでバウ
している。そんなお辞儀の作法は日本には存在しない。
それらと同様にこのいとの仕草はある。武家だからやっては駄目という
のではなく、日本人ならばやってはならない食事作法なのだ。
この手で受け皿を作ることは、迷い箸や刺し箸と同じように、食事の際
には無作法この上ない仕儀なのである。
日本人の食事作法が大きく崩れつつある現代にあっても、箸を置く
際に、茶碗の米に真上から箸を突き立てておく人はまずいないだろう。
それだけはかろうじてマナーとして残っている。
だが、口を開けてクチャクチャと食する日本人や肘をテーブルに着いて
箸を口に運んだりする者は意外と多い。

「何をやっても自由」という日本にはなった。
しかし、行儀作法は戦後大きく崩れた。
何しろ、江戸初期から続いた幕臣武家の武芸流派であると称する
古流流派(あくまで自称)の宗家が、ガムをクチャクチャ食いながら
一礼もなく道場に入って来て、開始礼も終礼もなく飲食私語自由勝手
気ままに「稽古」を行なうようなご時世だ。
江戸期ならば絶対に赦されずあり得ないことだが、現代においても
さすがにそれは赦されようはずもない。
それなのに、海外に出かけて日本人の伝統を演舞してくるという。
まさに世も末。
そのうち、道場に唾を吐き捨てても、「当流ではそれが武士の伝統
として残っています」とか言い出しそうだ。
すでにそれに近い所作を二、三、「武士の作法」であるとしてその
イカサマ流はやり始めている。
もしかしたら、ニセお辞儀が現在多くのマナー教室で教えられ、JR
をはじめ航空会社の客室乗務員があたかも正しい日本礼法であるかの
ようにそのお辞儀をしているように、そのニセが今後武芸の世界で
普及してしまうかも知れない。
事実、学校教育の延長でも、就職活動のマナー教室ではニセお辞儀
の仕方を「正しいもの」として教えていて、就活する大学生はその
大嘘を正しいことと誤認したままやらされている。
だが、これが日本の現状である。
ニセ自称古流武術流派は、今のようなご時世だからこそ、大嘘をかまし
たまま、ニセモノであるのに本物のような顔をして、本物に成りすまして
ほくそ笑んでいるのである。
それだけではなく、自分らこそ本物であり、本当の本物たちをまるで
ニセであるかのように論いながらそれを広め、ぬくぬくと過ごして
いるのだ。
今そこ。

そのうち、道場に唾を吐き捨てても、それが作法であり、昔から
言い伝えで残っていた伝統作法である、とか本当に言い出しかねない。

日本人であるなら、日本の文化を正しく大切に守り抜いてほしい。
亡失はあるだろう。
無知もあるだろう。
だが、知らなければ知ればよいだけの話だ。
生まれたばかりの赤児は何も知らない。
しかし、子どもに何も躾も教育も施さねば、全ては野生動物のように
なり、単なる二足歩行するだけの生物でしかなくなる。
人がヒトであるという生物学的なことの向こうには、「人」としての
社会性というものを帯びた知的な高等生物であるという特徴がある。
社会規範や規律や戒律やマナーは、人が人として、人と人の社会を構成
する上で編み出した社会を
円滑に運営させるための潤滑油なのだ。
唾をペッペと飛ばしながら大声で話しながら食事をして、周囲の者たち
が心地よい筈がない。そうしたところから食事作法も生まれてきた。
そして、最低限の「やってはならないこと」を定めてそれを躾として
教育することで、社会的な礼儀作法、行儀作法という暗黙のルールで
人々の暮らしが円滑に営めるようにしたのだ。
作法というものは、人間が考えて編み出した多くの英知のうちの一つ
なのである。

作法なき日本人。
それはもはや日本人としてのアイデンティティを捨て去ることだ。
今の日本、もっと、捨て去るべきものは多くあることだろう。
大切なものを捨てて、自分らの文化と歴史を破壊するものを後生大事に
抱え込もうとする。
それは間違いだ。
間違いは間違いと気づいた時点で、自らを正せばよいだけのことだ。
存外、難しいことではない。
心が素直に、清く澄むことを自ら求めればよいだけのことだ。
人は電流火花で動くロボットではない。人には良心回路を神が与えている。
人は自浄性を誰もが持っている。


伝説の番組「キイハンター」

2017年10月18日 | 映画・ドラマ・コミック

ダウンタウンDX 【千葉真一】 懐かし映像 【野際陽子との仰天結婚生活】





(≧▽≦)


謎の円盤UFO

2017年10月18日 | 文学・歴史・文化・科学

謎の円盤UFO 日本版オープニング OP (1970) 


丁度この『謎の円盤 UFO』が放送されていたから見間違えたという
ことではないが、私がUFOを日中に初めて目視したのが1970年の
冬だった。

ここで見た。横浜駐留米軍通信隊基地の上空あたりをジグザグに
飛行
する銀色に輝く飛行体を確認した。(1970年11月)


そこの現在(グーグルマップから)。


この高台の空の上を飛行していた(現在時点の画像)。
隣りの家屋は撤去され駐車場になったようだ。



その年は結構未確認飛行物体を見た。
初めて目視したのはその年の夏の富士山キャンプであり、夜空に下降して
空中でUターンしてまた上昇して停止、パッと横に飛んで消えたUFOを集団
で見た。丁度キャンプファイアを囲んで寸劇をやっている最中で、会場からは
どよめきが起きた。

イギリスのテレビドラマ『謎の円盤 UFO』は、日本ではかなりの視聴率だった。
少なくともクラスの男子は全員が観ていた。
英語原本の番組ではオープニングナレーションは無いが、日本語吹替えバー
ジョンでは軽快な音楽と共に地球防衛組織シャドーを解説するナレーションが
入る。
「1980年、すでに人類は地球防衛組織シャドーを結成していた」
この始まりのナレーションは非常に記憶に鮮烈に残っている。

実際の1980年には、地球防衛組織で人類が結束するどころか、東西冷戦
対立の最高潮段階だった。
米国自体は、長年のベトナム戦争で疲弊しまくって、国力回復のため国際戦争
を停止していた時期だった(局地紛争には介入していた)。
ベトナム戦争終結が1975年であり、1990年の湾岸戦争開始まで米軍は次の
戦争準備のために国力回復に充てていた中間次期が1980年の年だった。

この間、米国がやったことは、日韓への軍事力強化の強制であり、日米韓軍事
同盟の再構築だった。そのために環太平洋合同演習=リムパックも開始
し、
ベトナム戦で敗北した後に「世界の憲兵」の地位を再構築しようとしていた。

日本が飛躍的に軍事大国国家になったのは、そうしたベトナム戦争後の世界
情勢下に
よる米国からの要請に規定されたものだった。

1980年、韓国では光州事件が起きた。
1979年に朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領が手駒であったKCIA職員に暗殺
されたが、それにより
軍事政権が崩壊して韓国に民主主義が訪れる機運が高まり、
やっと
韓国の軍事独裁政権による永く暗い時代が終わり、雪解けと民主主義的
社会建設の春の到来と云われた。民主主義体制を求める国民の運動は
最高潮
に高まった。

だが、軍幹部だった全斗煥(チョン・ドファン)は、クーデーターで韓国軍の実権を
握ると韓国全土に戒厳令を敷いた。そして、M16A1小銃に着剣武装した特殊
部隊を全羅南道光州市に進撃させ、民主人士の国民市民を大虐殺しまくった
である。妊婦は銃剣で腹を割かれ、赤子や嬰児が串刺しにされた。多くの
市民
が銃弾に倒れた。

市民は警察武器庫を襲い、自主武装民兵となって武装蜂起して市民殺戮部隊
の軍に抵抗した。
だが、やがては軍事力で制圧され、軍隊による暴虐の凄惨なシーンが光州市
で繰り広げられた。

1980年。
すでに人類は地球防衛組織シャドーなどは結成していなかったのである。
そして、その光州市民を大虐殺した韓国軍事クーデーター政権を支持したのが、
日本政府であり米国政府だったのだ。
私が大学1年から2年にかけての時のことだ。
当然、対岸の火事などではない。日本人が人間としてどうであるかが突き付け
られた。心ある学生・労働者・市民は、それなりに自分の立場で自国日本の在り
方を問い、
行動したのだった。
1980年。それは1970年代のラストの年。揺れ動く激動の70年代という時代
だったが、25年後
に国内に悪臭を放って悪性のカビのように湧きはびこるネト
ウヨなどのような埒も
ない最低の人種は登場すべくもない、心ある人々がまだ
日本にも多くいた時代
だったのである。


「秋の夜長はワイルド・ギース」

2017年10月17日 | 文学・歴史・文化・科学



表題通りのメールが刀工康宏友の会「游雲会」メンバーから送られてきた。

ひゃっは~!変態さん、いらっしゃい(≧▽≦)

ガッツリ、しっかりと入手してますね(笑)
映画『ワイルド・ギース』は、ボーナストラックでポテチー食いながら大与太
の大馬鹿発言連発の馬鹿女がくっちゃべってる東北新社のDVDではなく、
ブルーレイ版がおすすめです。
製作秘話やロジャー・ムーアの音声解説、映画作品の軍事アドバイザーの
マイク・ホアー本人のインタビューまであります。超貴重な日本語吹替え
まで入っている(これがまた最高にいい!)。

あと、プチトリビアとしては、カジノに隠れるショーン中尉(ロジャー・ムーア)を
かばって悪党に殴られて怪我するカジノのブラックジャックテーブルのディー
ラーの若い美人は、映画プロデューサーの実娘が演じています。
その実母はサンディ曹長(ジャック・ワトソン)の奥さん役で、フォークナー
大佐(リチャード・バートン)がサンディの自宅を訪ねた時に出てきます。
この作品はカメオ出演も多い遊び心のある作りとなっています。
リチャード・ハリスとリチャード・バートンという二人のリチャードがいたので、
R1、R2と撮影中はスタッフたちは呼んでいたそうです。
奥さんや恋人たちを職場である撮影現場に呼ぶのは西欧人の俳優たちの
習慣のようですが、この作品でもR1、R2や他の人たちも奥様や恋人を
現場に呼んで一緒に寛いでいます。
なんというか、あの雰囲気は、1970年代の世界グランプリロードレース
での「コンチネンタル・サーカス」の雰囲気にとてもよく似ていると感じた。

秋の夜長、なんだか私の周辺では、ワイルド・ギースと傭兵ドキュメンタリー
作品がちょっとしたブームのようです。
(映画作品は良作です。役者が十二分に演技しており、見所多数)


映画『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』

2017年10月14日 | 映画・ドラマ・コミック



『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』
(原題 MISTER BOB/ 製作年度 2011年/上映時間103分/フランス)

明後日からチャンネル・ギャオで無料配信だが、有料配信で観賞した。
戦争映画というよりは、あの1960年代コンゴ動乱以降のコンゴのどろどろ
した政治劇を描いたような映画だ。

一番気になったのがキャスティングだ。
コンゴのフランス系傭兵「第6コマンド」を率いたフランス人傭兵ボブ・ディナール
役の俳優があまりにも実在のディナール少佐に似ていないのだ。

映画




実在の本人。


実在のボブ・ディナールは長身で伊達男であるが、映画の俳優はとても
背が低くずんぐりむっくりしているし、顔も丸すぎる。イメージがかけ離れ
過ぎているのである。
例えば、チェ・ゲバラやヒトラーが映画に出て来た場合、風貌が似た俳優
もしくはメイクで似せるように演出する。ある映画に出て来たレーニンなど
は本物以外には見えなかった(『レッズ』だったかもしれない)。
まだ顔はメイクでなんとかなるが、身長だけはどうしようもない。長身の
ディナールを身長が低い俳優に演じさせるのはどうかと思う。
逆に、第6コマンドのディナールをけちょんけちょんに無能だと罵っていた
第5コマンド「ワイルド・ギース」隊長のマイク・ホアー中佐は身長が低いの
で、仮に映画でホアーを演じる俳優さんがジェームス・コバーンやイースト
ウッドのような高身長の俳優だったらまったくイメージが合わないだろう。

一方、コンゴ動乱の後、クーデーターで実権を握ったモブツ大統領はどうか。

映画


現実


黒人だったら配役は誰でもいいという訳ではないだろうに、と思ったり
する。

映画のモブツはガリガリに痩せている高身長の俳優で、これまた実物
とは
似ても似つかない。むしろ役者のほうはモブツが裏切るように逮捕
拘束して死亡させたアフリカの統一を願っていた指導者ルムンバの容貌
に近い。現実のモブツはアフリカの暗黒面を代表する凶暴な独裁者だ。

似ても似つかない俳優がまるで役柄が憑依したように演じて観客を
魅了するのは歌劇などではよく見られる俳優の演技力なのだが、この
お話はそうした舞台劇
ではなく部隊劇である。容貌にリアルさを欠いて
いては、ストーリー以前に人物像のイメージが重ならない。
たとえば、チェ・ゲバラの役がマツコ・デラックスだったらイメージが沸か
ない。


また、俳優のみならず、現実世界の戦争のプロたちは、場面場面で
その表情が大きく異なるので、キャスティングにはそうした細かい所
まで演じきれる技量を持つ俳優のキャスティングという配慮が必要に
なってくるだろう。
例えば、有名なコンゴの傭兵隊長のマイク・ホアーだが、まったく別人
のような面持ちを見せている。


これなどは眼光は鋭いが、オフタイムの公認会計士のホアー氏の雰囲気、
兵士ではなく冒険家であり作家であった氏の雰囲気がよく出ている写真だ。

だが、戦地でのこれなどは、まさに「マッド・マイク」(殺しまくるので共産主義
者たちからそう呼称された)そのものの顔である。


コンゴでのホアー中佐(のち大佐)。


第5コマンド ”ワイルド・ギース”


映画『ワイルド・ギース』では、マイク・ホアーの役をリチャード・バートン
が演じたが、最高の演技だった。




ホアーそのもの、生き写しであり、この映画作品の出来栄えのうち、名優
リチャード・バートンの演技には軍事アドバイザーで作品製作に参加した
ホアー氏自身も大変に満足していたとのことである。
バートンの凄さは、モノマネではなく自分の演技なのだが、ホアー独特の
どもりがちに早口で言うところや、舞台劇がかった大仰な言いまわし等を
細かく超リアルに再現していたところだ。それをモノマネなどではない俳優
バートンの演技として演じていた。文字通りの名優の名演が見られるのが
映画『ワイルド・ギース』なのである。
特に『ワイルド・ギース』の中でバートンの演技がキラリと光って見えたのが、
契約の際に銀行王の富豪との別れ際「もう二度と会うことはないだろう」と
富豪が言ったことに対して、バートンが演じるアレン・フォークナー大佐は
ニカッと不敵な笑いを見せるのだ。この笑いこそ、まさに人殺しの戦争屋の
笑いであり、全く同じ笑いは劇画『ワイルド7』の中で主人公飛葉大陸が
敵の口の中に銃口を突っ込んで射殺する瞬間に見せている。
そして、この「笑い」は戦争屋の笑いであるのだ。戦争屋にしかできない、
戦争屋しかしない「笑い」なのだ。
それをリチャード・バートンは台詞のない一瞬の演技で演じきった。
私はそれを観て、心底唸った。

ほかにも、ロジャー・ムーアの普段の素と変わらぬオトボケぶりや、リチャード・
ハリスのこれまた名演ぶりも『ワイルド・ギース』では、観られる。俳優が充分
に演技をしている良作が同作品の特徴だ。

リチャード・ハリスの台詞回しにリズムがあるのは、彼が歌手であったから
かもしれない。ただ彼の演技の真骨頂は『ハリーポッター』でもなく、まさに
『許されざる者』でのイングリッシュ・ボブの役どころでの名演だ。
映画『ワイルド・ギース』の製作においては、二人のリチャードがいるので、
チャーリー1、チャーリー2というあだ名で製作中は皆によばれていたとの
ことだ。チャーリー1がバートンである。

実物マイクホアーの自著。イラストが妙に似ている。
 


さて、映画『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』なのだが、邦題というのは
どうしてこういつもダサいのだろう(^^;
特に西部劇がひどすぎる。「荒野の~」をつければ西部劇(笑
まるで「殺人事件」をつければミステリー小説になる、というくらいに
安直でテケトン大魔王を日本人はよくやらかすのだ。
そして、洋画の題名を邦画タイトルで決定する時のその題名の陳腐さ
といったら、どう言えばいいのか、どうしようもないほどに手抜き作業の
ような題名が多くつけられる。「底抜け二丁拳銃」なんていうのはまだ
スパイスが利いているほうだ(笑
『ワイルド・ギース』が「野雁」とかにならなくてよかったと思っている。
この『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』の題名もダサすぎる。
原題は「MISTER BOB」だ。フランス語ならばムッシュ・ボブ。2011年
のフランスのテレビ映画なのだが、原題がムッシュではなくミスターに
しているのだからそれはよいとして、「ザ・指揮官 第6傭兵部隊」という
のさすがにセンスがない。
この映画作品は、ボブ・ディナールの苦悩を描いた作品だからだ。
現実世界ではホアー中佐からは毛嫌いされていたディナールだが、
映画ではそのディナールの1960年代末期のコンゴでの心の葛藤を
描いているのである。
実際のディナールは、その後某国の実質的支配者として君臨したが、
後にフランス国家によって逮捕され起訴されている。
判決の翌年に家族に見守られながら高齢で息をひきとった。認知症
がかなり進んでいたとのことだ。
だが、「消息不明」になるのが傭兵の常であるのに、家族に見守られ
ながらベッドの上で息を引き取るなどというのは、まるで幸せな人生を
送った一般人と同じであるので、なんだか似合わない。
有名な傭兵でも多くは「消息不明」になっている。それはまるで、剣豪
塚原卜伝や柳生十兵衛の最期がまるで不明で「行方知れず」のままで
あったのに似ている。歴戦の「戦闘者」の本当の最期は、いつのまにか
ひっそりと人知れず死んでいくのが一番似合っていると思う。

この『ザ・コマンダー 第6傭兵部隊』を無料配信前に観ようと思ったのは、
FALがやたら出てくるからだ。装備はかなりリアルで、テレビ映画にしては
相当に気合いが入っている映像作品だ。









このシーンだけ、何故か裏焼き。カメラワークの失敗だろう。
こうやって裏焼きにして瞬間的に方向性の整合性をつけるごまかしは
『クイック・アンド・デッド』の決闘シーンでもみられた。
だが、違和感ありありだ(笑
それは、ベレーの向き、銃の左右の向き、服の前合わせが逆等々、すぐ
に一瞬で看破できることだからだ。
銃の排莢口の向きとボタン合せの向きをちゃんと見れば、ビリー・ザ・キッド
が左利きであったなどという世迷言の迷信は流布されなかっただろうに。
日本の幕末には、当時の写真が逆焼きなので、あえて着物の合わせを
逆にして、刀を右腰に差して撮影したのが読めてしまう写真もある。
見抜き方は簡単だ。違和感を右脳で感知すればいいだけ(笑
それから左脳で詳細に論理的に視察して行く。すると真実が見えてくる。
日本刀の観方と同じである。

この映画での第6コマンドは全員仏軍仕様(似ている物)のリザード迷彩なの
だが、ヘッドギアは後部フラップ付キャップとベースボールキャップの二種類
が使用されている。


主要メンバー(下士官)は白人のフランス人であり、これはリアルだ。
ただ、黒人兵士が少なすぎる。実際の第6コマンドは、黒人部隊だった
からである。軍律厳しかったワイルド・ギースなどに比べると規律は甘く、
戦闘後の略奪は目に余るものがあったと伝え残されている。銭湯で思い
出した「当流の伝承」ではなく多くの記録に。

フランス軍のインドシナ・ナイジェリアでのリザード迷彩ではないことが見える。

ベースボールキャップ型の帽子を着用。これはいささか1960年代末期の
仕様には見えない。銃はベルギーのFN FALである。




やはり、莫大な製作費をかけた劇場映画ではなくテレビ映画なりの
スケールの小ささはある。自主製作映画のような映像作品になって
いるし。

ただ、どうしてもフィリピンで玉撞きとかやっていそうな風貌のおっちゃん
が主役のボブ・ディナールであるというのが似合わなすぎて、ショボーン
なのであるが、俳優さん自身は演技力があるので、どうにかカバーして
いる。まあ主役に抜擢されるだけのことはある。
面白かったのが、モブツの役をやった俳優さんの演技で、これは映画
『戦争の犬たち』で黒人独裁者を演じた黒人俳優の演技とキャラの作り
方にそっくりなキャラクタを演じているところだ。
『戦争の犬たち』でも『ワイルド・ギース』でもモブツと対立するチョンベに
相当する配役は同じ俳優ウインストン・ヌシュナが演じている。

『ワイルド・ギース』でのリンバニ大統領(インストン・ヌシュナ)


『戦争の犬たち』でのオコーヤ大統領(インストン・ヌシュナ)


映画『戦争の犬たち』のオープニングシーン




この時代、世界中がこうだった。
アジアでは韓国で軍事独裁政権が市民を大虐殺し、また東南アジアでも内戦が
激しさを増していた。
日本国内では三里塚において殺し合いの戦いが継続されており、警察も空港
建設反対派学生を射殺し、また反対派も警察官を戦闘中に三名殺害(1個大隊
全滅)していた。

当時の日本の国内状況。
空港反対派を傷めつける国家権力の暴力装置。



老人子供でも容赦なくズタボロになるまでテロを「公務」として実行する機動隊。


機動隊に突撃する抵抗戦線の闘士たち。


この渦中に私はいた。
モロにこの中で「同時代性を獲得した一部」として生きていた。世界の人と
共に。


だが、映画『ワイルド・ギース』で、レイファー・ヤンダース中尉(リチャード・
ハリス)は吐き捨てるようにこう言った。
彼の言葉は、実は真実だ。



「何度裏切られたことか?
救世主のために戦い、人を殺しても、権力を持てばただの盗っ人に豹変する!
この世に善人はいるのか?」 (レイファー・ヤンダース中尉)


10/9 ゲバラ没後50年

2017年10月14日 | 文学・歴史・文化・科学



このアルゼンチン生まれの誇り高きバスク人が死んで10月9日で
50周年が過ぎた。
ロシア革命から100年目。日本幕末から150年目の今年である。

何も起きない。

そういうもんみたい、人の世は。


見つけた。 何を? 海と溶け合う太陽を。 ~地獄の季節~

2017年10月13日 | 文学・歴史・文化・科学



素敵だね、ジュニア。
だが今の君は地獄を知らない。
一度か二度、地獄を見なきゃ。



実は俺の全身は縫い傷だらけという映画ではないシャレにならない
現実状況アリ(≧▽≦)
両手小指は別時期の件で両方とも折れ曲がったままである。
前歯は当然のことのようにすべて無い。
二度や三度ではないがな。北野晶夫君!(笑

まあ、それだけ、転倒が多かったということだよな。
サーキットコースではなく人生で。
命なんてなぁ拾いもんだよ人生は、てなもんで。

浪花節は、あてはよう知らんけどな。


軍用ブーツ ~靴底についての雑談~

2017年10月12日 | 文学・歴史・文化・科学



米軍ジャングルブーツである。
ジャングルにおいてはこれが世界最強最適だと私は思っている。
あるフランス外人部隊出身者もネットにおいてこの米軍ジャングル
ブーツが非常に優れていることを評価していたが、実際に非常に
頑丈軽量で蒸れ知らずの最高の軍用ブーツだ。
米軍においてはベトナム戦争の時に多用された。







私のジャングル・ブーツ(初代)


二代目(ゲームでのタクティカル・スキル試験中)


三代目。米軍ミルスペック。

非常にジャングルブーツの走破性と湿地並びに乾燥地での保護有効性
は高い。私は岩場がある軽登山等にも利用していた。

普段、一番使用しているブーツは国産の安全靴である。私は国産安全靴
を1979年から
使用しているが、この個体が一番使用感が良い。


とてもよく足に馴染む。
国産靴の優秀さは、実用性において品質の高さを如何なく
発揮するところに顕れている。


こちらの軍用ブーツはフランス外人部隊で採用されている2バックルブーツ
の軍用実物だ。非常にしっかりしている。米軍のM43タイプの発展系だ。
戦後、仏軍は米軍装備に頼っていた時期があり、装備も米軍式の支給品
を多用していた。(この個体はソールの修理が必要な時期に来た)

これは新品未使用の仏軍2バックルブーツである。

この個体は新品なので、オイルを摺りこんでかなり履きこなさないと足首部分
が痛くなり、これを使用しての行軍はできない。
だが、過酷な密林地帯等での行動では、米軍ジャングルブーツもしくはこの
仏軍バックルブーツ以外では靴がもたない。最近流行のタクティカルブーツ等
では3日ともたない、とは仏軍外人部隊に所属していた元兵士の言だ。真実を
語っていることだろう。
タクティカルブーツとはあくまで都市部等での短期使用を前提とした軍靴であり、
軍用装備を背負っての行軍走破を前提には作られていない。
実際に日本の自衛隊の空挺部隊などでも、降下作戦には2種類のブーツを
現実的に同一作戦内で使用している。


最高級の皮革がシボ加工されている。


これを履いて、こういうことを継続的に続けないと足に馴染むようには
ならない。これを履いて穴を掘ってもブーツは馴染まない(苦笑)


戦後、フランス外人部隊をはじめ、世界各国の軍隊で採用された軍靴には
キャンバス地と強化ゴムで構成されたブーツがある。
フランス軍などではふくらはぎまで保護するハイカットの2バックル・キャンバス・
ブーツが採用されて来たが、この足首までを保護するハイカット・スニーカーも
ローデシア軍や南アフリカ軍、さらにはインドシナ戦争でフランス軍の影響を
受けた南ベトナム軍やベトコン、中国軍に採用されている。
ローデシア軍等は、仏軍と同じくフランスの航空機タイヤメーカーのパラディウム
社が戦後に製作し始めたキャンバス・ブーツ(スニーカーと呼ばれた)を使用して
いた。

私の実物パラディウム。いわゆる「ハイカット・スニーカー」である。
至高の履き心地。これに勝る「軍用」ブーツを私は知らない。
キャンバス地なので不安定なように思えるが、タクティカルブーツよりも足首の
保護性が高いのが意外である。履いてみれば即座に判るパラディウムの突き
抜けた性能。戦後直後の設計が現在でも十二分に通用するということは、コルト
M1911ガバメントやブローニングやワルサーPPKのように、最初から「完成された」
設計であるということだ。人類史では、こうした突出して優れた物品が時々登場
する。造りだしたのは人類である。人間の可能性の具現化がこうした物品に現出
して歴史に遺されている。
現代世界に住む我々の幸せは、そうしたスグレモノを生み出した生物と同種族で
あるということと、そのスグレモノにタイムリーに接して利用することが可能であると
いうことだ。


普段ばきだけでなく、軍用品であるので、軍需としても、あるいはアウトドア
ユースにも適しているのがフランス製パラディウムのパンパシリーズだ。


ローデシア(現ジンバブエ)軍の兵士。パラディウム・パンパのハイカット・
スニーカー(短ブーツ)を着用している。


軍用ブーツは、最近の傾向としては、「作戦ごと」に運用を変更するという
きめ細かい利用法が現代軍隊では為されているようだ。
ただし、長期間使用という、旧来の、かつオーソドックスな軍靴の使用法と
いう観点からトータルでの総合力として見た場合、個人的に一番優れて
いるのは仏軍が現用採用している2バックルブーツのように思える。
元々は米軍の空挺ジャンプ・ブーツだ。
それにソールをビブラムおよびそれに類する地面への噛みつきが良い物
に発展させたのが仏軍2バックルブーツである。
米軍のM43空挺2バックルブーツは、靴底がすぐにツルツルになる程凸凹
が浅いため、決して野戦向きとは言えない構造になっていた。
友人を登山で亡くしたことからビブラムが発明をして初めて登場させたゴム
底であるビブラムソールの登場は人類の靴に光明をもたらしたが、ソールの
パターンが大普及するのは戦後の1945年にイタリアに生産拠点ができて
以降のことであり、戦時中はビブラムソールは普及していなかった。
従って、軍靴において、戦前と戦後では世界が大きく異なるのであり、無論、
加硫ゴムを使用した戦後の軍靴のほうが比較にならないほどに優れている。

M43米軍空挺ブーツ。戦前に一番優れていたブーツがこれだが、ソール構造
は旧時代のままであることはやむを得なかった。ビブラムが存在しなかった
からである。





M43はローデシアにおいても使用されていた。


だが、この米軍M43は、ソールの質と形状のみ時代性ゆえ立ち遅れていた
とはいえ、当時としては知恵の粋を結集された最新型ブーツだった。
それゆえ、戦後にソールのみを変更したモデルが今でもフランス軍では制式
軍靴として現用されるほどの「完成度」を見せているのである。

ソールのパターンは、ビブラムソールが汎用性が非常に高く、総合力では
勝っているが、泥濘地での行軍には大きなブロックパターンのトレッドの
ソール(いわゆるパナマソール)のほうが適していることがある。
米軍のジャングルブーツのソールもそのように変更が為されてきた。
かといって、平たん地の走破ではブロックパターンが大きいパナマソールは
適さないという現実もある。

ゴムのトレッドの形状や大きさは、大地をいかに捉えるかということで極めて
重要なことであり、そのため、ゴムやタイヤメーカーは開発に余念がないのだ。

仮面ライダーのサイクロン号も、通常路上仕様ではこのようにレース用の
ダンロップTT100をはいているが・・・


野外でのショッカーとの戦闘シーンになると、いつの間にかサイクロン号
までがオフロード車に変身し、タイヤもオフロード用の大きなブロック・トレッド・
パターンのタイヤに変身するのだ!(笑


ゴム底のパターンは大切(^0^)
ちなみに、1970年代までは、レース専用のレーシングマシンであっても
スリックタイヤというものは少なかった。
サイドウォールの剛性がかせげないため、スリックの実用化は1970年
最末期であった。
私が高校の時によくサーキットで使用された本田MT125R(純レーサー)
などは、やはりTT100がレーシングタイヤとして使用されていた。
初めてスリックタイヤを装着したマシンで走った時の衝撃は大きかった。
運動特性がトレッドパターンを持つタイヤとまるで異なったからだ。
サーキット路面の場合、摩擦係数(ミュー)を増やして接地性を増すため
には溝のないスリックが適しているのだが、1980年前後にタイヤ革命が
地球上に起きて、ラジアルタイヤの登場と共に二輪も四輪も一気にスリック
化が開始された。

ただ、靴の底はツルツルでは野外ではグリップしない。
バスケットシューズの底が細かいパターンはあるにせよ平坦であるのは
床がまっ平らな体育館用だからであり、バスケットシューズを履いてグラウンド
でサッカーや野球などはできない。サッカーも野球も靴を「スパイク」と呼ぶ程
に、路面を掴んで食いつくようなソールの構造になっている。
いわば、レーシングマシンのスリックタイヤは、路面がまっ平らである整備
されたサーキットのコース専用であり、スリックを履いて一般道を走破などは
できないのである。また、雨水を除外できないので、雨天では走行不能だ。

靴底のパターンは非常に重要であり、最近でこそシューズメーカーは高度な
研究を経て靴底を開発しているが、ほんの少し前まではスポーツシューズも
「ズック」でしかなかった人間用の靴は、底のパターンが占める重要度が
著しく高かったのである。
だが、ソールが大切であることは今も何ら変わりはない。
それは、人間と大地の接点が唯一靴底であるからだ。「歩く」ためには、靴の
底がどういうものかで大きく影響が出る。
そこでやはりまた、ビブラムソールの突出性を痛感するのである。
ビブラムソールというものは、人類が時々作出する「最初から完成された物品」
の一つだからだ。

歩き方も大切だが、靴はもっと大切。良い歩き方は良い靴如何なり。


新型カローラ

2017年10月12日 | バイク・車



新型トヨタ・カローラ・フィールダーである。

どうやったらこの値段で車が作れるの?
誰か、おせーて(≧▽≦)

これはすごい価格だわぁ・・・。
おいらが生まれた頃は、乗用車は今の金額で6,000万円位した。
自家用車を所有する人たちは「ごく一部」の人たちでしかなかった。

でも、この金額、今の大型バイク位の値段のような気がするのですが・・・。
安すぎる。
というか、バイクが高すぎるよね。今のバイクは。売れないから余計に
高額設定しているのだろうけど。