渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

城のある町

2014年06月27日 | 文学・歴史・文化・科学

これは備後福山城である。三原城の東隣りの城だ。
幕末には日米ポコペン条約を結んだ阿部家が治めた。


奥に見えるのが再建天守だ。
江戸期の天守は戦災で消失した。


三原城に次いで、駅から近い城全国二位だろうか。
全国一位は三原城だ。
何せ城の真上に駅がある。城址公園へは駅の構内からでないと入れない(笑

中世までの三原の海岸線

2014年06月26日 | 文学・歴史・文化・科学

中世までの三原の海岸線を見てみる。

これは三原市施設に掲示されていた中世までの海岸線の図である。


この海岸線を基に広島県立民俗歴史博物館に展示してあった遺跡地図に海岸線を引く。

すると、ほぼ「旧石器時代」「弥生時代」「古墳時代」の遺跡の位置と
ぴたりと符合する。
つまり、縄文時代を除くこれらの遺跡は、海沿いに面して何らかの
人の活動の痕跡があるということだ。その理由は?
生活用水としての河川の淡水資源と海路との関係性があったこと
だろう。
縄文時代は縄文海進があったので、この海岸線よりももっと内陸部
に遺跡がみられる。

これを基に現代地図に大まかに海岸線をざっくりと引くと以下になる。


つまり、三原は戦国時代末期まで海だった。
さて、ではなぜ戦国時代に急激に沼田川(ぬたがわ)の土砂が堆積
してデルタ地帯→肥沃な穀倉地帯と化したのだろうか。
縄文海進は自然現象だが、戦国末期に河川に土砂が堆積してして
いった理由は、人為的な何らかの上流部での掘削によるものではないか。

河口部における埋め立ては、江戸期に入ってから盛んに行なわれた。
しかし、これは河口部周辺である(現在の市街地)。
もう少し数キロ西の現在の田園地区が海から陸地に変化したのは
何に起因するのか、私はそこに着目したい。

余談だが、縄文海進といえば、関東のモデル図がよく出てくる。
そういえば、小学校のときに習ったよなぁ。

ネットで見つけたシュミレーションのモデル図がある。
これが、海面0m、つまり現在の姿。


縄文海進の平均値10mでのシュミレーションではこうなる。すげぇな、こりは。


これが、最大の14m海面上昇だとこうなってしまう。あうあう。


をひ。
房総半島は島だよ、島(笑

シュミレーションは →こちら
結構面白い(^^)

ちなみに、富士山のふもとの沼津市はこのようになるらしい。
(現在)


(縄文時代)


ふんがぁ~・・・。


ところで、ここでもう一度広島県三原市の中世の海岸線の図を出す。


これは縄文海進ではなくその後海面が下降した時代の海岸線を斜線で
示した。
縄文海進について引用したのは、「三原=大昔から陸地としてそこにあった」
という前提に立っている刀剣研究者がほとんどなので、「昔は海だった」という
ことをイメージ化して空間で把握してもらいたいためだ。
瀬戸内海が生まれたのは今から7,500年前の縄文時代とされている。
この図は、そうした縄文時代のことではなく、海面下降が安定しての縄文時代
以降の戦国時代末期までの海岸線を描いている。縄文海進が終了しても、
現在の三原地区は海の中だったのである。

ということで、鎌倉時代末期から南北朝にかけて存在したとされている
「古三原」の刀鍛冶はどこにいたの?
というのが私の命題なのよね。
今の戦国末期の城がある三原ではないことは確実なのだが、いたと
したら、現三原市糸崎の古代名「長井の浦」の海沿いか、あるいは
もっと内陸部のどこかでしかない。
はたまた、全然ここらあたりではなく現尾道市や福山市のどこかだったり
してね。
「三原」という地名(陸がないのだから地名はなし)が存在しなかった
時代にいた刀鍛冶を称して「古三原」と呼称するのは、名称としても
概念としても絶対におかしいように思える。その頃の三原って海だし。

これが長井の浦。古代においては、西に向かう海路の給水地だった。


映画『蘇るヒーロー 片山敬済』

2014年06月25日 | 映画・ドラマ・コミック

蘇るヒーロー 片山敬済(1984年8月25日公開)


youtubeは→ こちら

このドキュメンタリー映画の中で、片山さんが世界チャンピオン
フレディ・スペンサーはじめグランプリライダーたちと話をしている
シーンが好きだ。

ホンダワークスのチームメイトと。
片山さん、ロン・ハスラム、フレディ・スペンサー。
片山さんが怪我をして、新開発の背骨プロテクターについてフレディに
尋ねたら、フレディは予備があるからいつでも使ってくれと言う。


フレディは普段から早口でまくしたてるような喋り方はしないが、
このシーンを観て、彼があえてさらにゆっくりとはっきりと
話して意思疎通をしようとしているのが判る。フレディにこんな
気遣うところがあったとは驚いたが、GPライダーがみんな
「相手に分かるように話す」という特徴があることがこの後の
シーンで判明する。
マシンとコミュニケーションできる能力がある人は人に対しても
「対話」ができなければならないという基本中の基本を彼ら世界の
トップライダーたちに見ることができる。
一方的に早口で自分の言いたいことだけをまくしたてて、コミュニ
ケーションを成立させないような人間はグランプリシーンにはいない。

これは、かつて世界チャンピオンを何度も取った、イギリスのバリー・
シーンだ。サーの称号を持つ。

ここでもバリーは片山の怪我の具合などを気遣っている。
そして、ゆっくりと穏やかに話している。
若くして病気で亡くなってしまったのが悔やまれる。
ドナルドダックが大好きで、ヘルメットのデザインはドナルドの
絵が描かれていた。チャンピオンになってもゼッケンは7を
使い続けた。成績を無視して自分のナンバー7を使ったのは
彼が初めてで、現在MOTO GPではケビン・シュワンツの34番
と共に永久欠番となっている。私も大好きなライダーだった。
とにかく、紳士だった。タバコはヘビー・スモーカーだけどね。



片山さんはカメラを自分で持って、どんどんパドックのレーシング
ライダーを取材する。

アメリカのランディ・マモラ。日本でもファンの多い人だ。
すんでのところで毎年チャンピオンになれず、無冠の帝王と
の異名がある。アグレッシブな走りの彼は、GPの中で一番
陽気な人だった。日本4社、イタリア1社というGPワークスすべて
に乗ったのは世界広しといえども彼だけだ。


片山さんとのやりとりも陽気だ。














誰もがフレンドリーである。
国を超えて、国境を越えて正々堂々と戦う彼らは、たとえ対戦者で
あっても、レースを終えたパドックにおいては家族のようなもの
だった。スポーツマンの心をごく自然に有している人たちの姿が
そこにある。

それは、世界グランプリが「コンチネンタル・サーカス」と呼ばれた
ように、モーターホームやテントでサーキット内で集団生活しながら
世界各国を転戦していたからだろう。

だが、1990年前後から「コンチネンタル・サーカス」は消滅して
いった。
サーキットに寝泊まりせず、ホテルに宿泊したり、他の者とかつての
人たちのように交流をしようとしないライダーが増えていった。
人の意識も生活様式も移り変わっていったのだった。
F1にしてもオートバイの世界GPにしても、コースの安全性などに
ついて、ドライバーやライダーは真剣に討議して主催者に交渉
したりしていた。
ところが、だんだんと抜け駆けで和を乱すような選手も出てきた。
豪雨で危険なためボイコットを呼びかけたのに、ポイントがほしいが
ために和を乱して参加したり、あるいはレース場面でも、ライバルの
ポイントを潰すためにわざと突っ込んで転倒させたりとかする
ライダーも出てきた。
それまでもラフファイトはあったが、それは互いの正々堂々とした
競技の駆け引きの中で行なわれていたのだ。だが、やがてそれらも
消滅し、安全性も放棄して、己のことだけを考えるGPライダーも
出てきたのである。『バリバリ伝説』のタコ根沢のようなのが現実に
出てきたのだった。
時は流れた。遠い彼方へ。

コンチネンタル・サーカス-
それは、遠い昔の熱く温かく、そして冷徹な勝負の世界に生きる
者たちが帰って行く故郷のようなものだった。
今は、もうない。
この映画は、かつて30年前には存在した、現在は失われたひとつの
「空気」を今に伝える貴重なドキュメンタリー作品だと私は思う。


バリ伝知らずにバイクに乗るな

2014年06月25日 | バイク・車



とまで俺は言いたい。

なぜならば、『バリバリ伝説』(しげの秀一作)は、単なるバイク漫画
じゃないんだよね。
『巨人の星』、『あしたのジョー』と並ぶ日本の歴史の中の金字塔とも
呼べる作品であって、社会現象を引き起こした稀有な漫画作品の
一つだからだ。
読売ジャイアンツの原監督も江川卓さんも「『巨人の星』があったから
こそ野球をやった」と熱く語っていた。
『あしたのジョー』に至っては、ボクシングファンのみならず、倒れても
倒れても立ちあがるジョーに多くの人が心を熱くした。1970年前後
には大学生の卒論テーマで「ジョーは死んだのか」についての考察
を取り上げるのも流行ったりした。特に「倒れても立ち向かう」という
ジョーの姿は、当時の若者の世相を反映して爆発的な人気を得た。

そして1980年代は『バリバリ伝説』だ。
これが単なるバイク漫画・レース漫画だったら『キラーBOY』のように
一部のマニアに受けただけの作品で終わったことだろう。
同時期の人気漫画で『ふたり鷹』(新谷かおる)というバイク漫画が
あったが、こちらはフィクション風味全開で、それは新谷ワールドで
面白いことは面白いのだが、あまりにもリアルさに欠けた。
『バリバリ伝説』が他の作品と異なっていたのは、登場するマシンの
ディティールの正確さ、走行シーンのリアルさと共に、主人公巨摩郡
(こま ぐん)を中心に登場人物の成長を克明に描いた点だった。
傷つき倒れ、そして立ち上がり新たな境地を自らの手で切り拓いて行く。
若者は熱狂した。
1983年から週刊少年マガジンに連載が開始された当初、主人公グンは
高校2年生17歳だった。私が22歳だから、タイムリーな同世代としては
5歳年下ということになる。
そして、連載終了の1991年はグンは25歳のグランプリライダーと
なっていた。
この漫画の特筆すべき点は、グンと恋人や友人の成長記を描いて
おり、多くの作品がその途中で未来を見つめて終了する作が多い中、
世界グランプリの頂点、世界チャンピオンになるところまでをきっちりと
描いていることだ。一般的な作品では含みを持たせて終わらせるケース
が多い。
それでも、一つの(しかも余人には掴み得ない)頂点に達したとはいえ、
さらにグンの挑戦はこれから始まる、というラストにしている。
最大限の期待に応え、そしてさらにそれ以上の希望を読者に持たせる。
これが人気がでない筈がない。
爆発的人気のまま足掛け9年、実質8年間にわたり連載が続けられた。
むさぼるように読んでいたのは若者だけではない。
当時、昼休みに喫茶店などに行って昼食を取ると、サラリーマンのおじさん
たちも食い入るように『バリ伝』を読んでいた。私よりも年が6歳も10歳も
上の人たち(=『あしたのジョー』世代)が食い入るように読んでいた。
間違いなく、『バリバリ伝説』は時代を作った金字塔とも呼べる作品だった。

『バリ伝』が社会に及ぼした影響はすごいものがあった。
おりしも、世界中、つまりこの地球上では全世界(といっても先進国)に
おいてグランプリレースの人気が沸騰しつつあった。
ヨーロッパを中心として各ラウンドごとに各国を転戦するオートバイの
ロードレースである世界グランプリは世界最高峰に位置するバイクの
レースだった。
そして、その世界選で戦われるトップを走るマシンは、すべて日本製
だったのだ。
日本は日本刀の国、バイクの国である。
だが、何人もの日本人がこれまで世界GPに挑戦しても、単独ラウンドで
優勝することはあっても、世界チャンピオンになった日本人は一人も
いなかった。1977年に日本からのエントリーで片山敬済が350ccの
世界チャンピオンになったが、片山選手は帰化手続きをしておらず、
国籍は韓国のままだった。

(ホンダワークスマシンNS500のポジション合わせに余念がない日本代表
の片山選手/1984年 世界GPパドックにて。最高峰W
GP500ccに全戦フル
出場の日本選手は1977年の
350cc世界チャンピオンの彼だけだった)






劇画の世界とはいえ、『バリバリ伝説』の主人公グンは1991年(作品中
では年代をあえて不明にしている)に世界最高峰WGP500ccクラスの
世界チャンピオンになった。
その2年後、まるでグンのように、原田哲也という若者が世界グランプリ
全戦初参戦の年に250ccクラスの世界チャンピオンを獲得した。

ここに歴史上、初めての日本人チャンピオンが登場したのである。
その後は各クラスで何人も日本人のチャンピオンが出た。
ただ、惜しむらくは、世界最高峰クラスでチャンピオンになった日本人は
一人もいない。
一番可能性があったと思われたのが、歴戦の世界チャンピオンを後ろに
従えて鈴鹿を誰よりも早く走って転倒した阿部典史選手だったが、成績
不振でWGPの最高峰クラスからスーパーバイククラスに転向を余儀なく
され、活動を続けている中、一般道での交通事故で残念ながら亡くなって
しまった。
現在、MOTO GPと名前を変えた世界グランプリだが、歴代チャンピオン
獲得数の世界記録を塗り替えている現役GPライダーのイタリアのバレン
シーノ・ロッシは子どもの頃に阿部選手にあこがれてレースの世界に
没頭した。阿部の大ファンで「ろっしふみ」とひらがなでヘルメットに
ペイントしてWGPを走ったりしていた。
阿部選手も『バリバリ伝説』の大ファンだったことは有名だ。
彼だけでなく、バイクのレースをする選手ライダーはすべて『バリ伝』を
読んでいたといっても過言ではない(どころでなく全員が読んでいただろう)。
バイクに乗らない人も乗る人も、日本人の多くが『バリバリ伝説』には心を
奪われた。
そして、私もその一人だった。

『バリ伝』の作品の中では好きなカットがいくつもあるが、意外と
ほのぼのしたところで、オリジナルコミック15巻カバーに使われた
この絵は私は気に入っている。


この雰囲気、とても親近感があるからだ。

そして、マイナーなカットだが、この絵もかなり気に入っている。

マニアックな『バリ伝』ファンならば「あ、どこどこのどの時のシーンの
カット」とすぐに判るだろう。
この時のグンの様子というのは、コースを走っていた人間には
とてもよく理解できるカット割りだ。言葉はいらない。
この絵を見ただけで「うっ」とこみ上げるものがある。

ただ、私の中で、グンの恋人の一つ年下の伊藤歩惟(あい)ちゃんの
イメージはやはりこれ

が強いので、二人の成長を描いているとはいえ、WGPに
行ってから時を追うごとに「女性」になって行く歩惟を見ていると、
なにかどんどん遠くに行ってしまうような寂しさを覚えた。
(梅井のそれとは違うけどね)

こういう「女」になった歩惟ちゃんは、私の中ではなかなか
受け容れられなかった。


といっても、登場人物でいうなら、俺は個人的好みでいったら
絶対的に一之瀬美由紀のほうが伊藤歩惟よりもいいけどね(^^;

おもしろい考察をしているブログをみつけた。

→ 『バリバリ伝説』を実写化するなら・・・

おお~。伊藤歩惟ちゃんのイメージは、確かに大昔の
この人だとイメージに合うかもしれないけど、ノダメの
印象が強すぎて難ありかな(笑


それに、最近は実写化流行りだけど、コケる作ばかりなので、
『バリバリ伝説』の実写化だけはしないでほしい。
期待した『ワイルド7』においても、主人公飛葉のキャラクタが
まるで別人になっていて、原作者望月先生の飛葉の銃ウッズマン
へのてこ入れがあった映像化とはいえ、あまりに飛葉が飛葉で
ないのでかなりガックリきた。メンバー自体もまるでチンピラの
集まりみたいで、原作の「リーダー飛葉に絶対の信頼を置く」
という一番大切なところがズッポリと抜け落ちていた。
『バリバリ伝説』については、
1980年代のGPマシンでの実写など
まず不可能であるし、
現行MOTO GPの4ストマシンでの実写化
などはグンのマシンの
「シマザキスペシャル」やグンの走法その
ものを再現できない。

タイヤが暴れ出したら「カレーライスにして食っちゃうぞ」という
のがグンなのだから(笑
原作のディティールやキャラクタを活かさない実写映画化ほど
駄目な映画作りはないと思う。


ただ、スライド・ドリフト走法については、1984年の段階で
かつての世界チャンピオンだった片山敬済氏のメカニックを
勤めた経験を持つ
柳沢雄造氏本人が私に語っていた。
「これまではフレームのしなりでよじれさせながらグリップを
得る走法が主流だった。スライドがあったとしても慣性スライドだ。
だがタイヤのサイドウォールとフレームの剛性を上げて、あえて
滑らせてそれをコントロールする走法が今後出てくるのでは
ないだろうか。だが、現段階ではそれをすると転ぶだろう。トータル
としてのとしてのセッティングがまるで雲をつかむような段階だ
からだ。いや、たぶんまず転ぶね。フレディが使いつつあるが、
まだ他の者は完成されていない」と。
雄さんが俺用にシリアルナンバーではなく俺の名を刻印した
チャンバーをくれる数年前の頃の話だ。


『バリバリ伝説』が連載されている頃は、街中は主人公グンの
レプリカヘルメットであふれた。いわゆるグンヘルだ。グンヘル
だけでなく、レーシングライダーのオリジナルデザインのレプリカ
は人気があった。
(グンヘル)


ただし、俺は俺であるので俺は俺のオリジナルデザインに
ペイントしたヘルメットを被っていた。
コースを走る者は、例えノービスだろうと世界チャンプだろうと、
すべて同じ土俵に立つ者という意識があったからだろうか、コースを
走る者は、全員が自分のデザインのヘルメットを被っていた。
そこには、ある種の独立心という「走る者」の矜持があったように思う。
本気でコースに出る者どもは、誰かの真似でレースをやっているの
ではない。己自身をかけて己がレースに臨んでいた。仲間と共に。
ケニーロバーツ・レプリカやフレディ・スペンサー・レプリカなどを
被っている者でレースをやる人間などいなかった。はぁ?なにあれ?
と思われるのがオチだ。サーキットを走る者は、コスプレでレースを
やっているのではない。
一度こういうことがあった。
1977年か78年か失念したが、富士スピードウェイで某漫画家が
コースを一定時間借り切って独占し、自分の四輪車で走行しようと
していた。ボンネットには大きく「サーキットの狼」と書かれていた。
別ピットにいた一般レーシングライダーや関係者たちは「はぁ?」と
声をもらした。
「どれ、幻の多角形コーナリングを見せてもらおうじゃないか」と
パドック裏から直下のヘアピンを眺めた。
そのロータスヨーロッパは超遅かった。大八車が走っているのかと
思うくらいに遅かった。

ただし、スポンサーや広告としての関係から他者のデザインヘルを
公式レースでライダーが被ることは例外として時たまみられた。
グンヘルにしても、雑誌「ベストバイク」のオサ坊のヘルメットであった
のだが、『バリバリ伝説』で主人公のグンのヘルメットとして有名に
なってしまった。まあ、しげの先生とオサ坊の関係が劇画原作者と
アドバイザーという関係だったからデザインを劇画の中で使われたの
だと思うが、いつの間にかグンのオリジナルというように世間では定着
してしまった。これはフレディのヘルメット・デザインは実はフレディが
考えた物ではないというのに似ている。
このあたりをくすぐるエピソードとして、グンが大学に入ってから、
グンヘルを被っていたら、それをグン本人と知らない学生から
「君もグンヘルを真似たのか。でもちょっとラインが違うんだよね~」
みたいに言われて、グン本人がずっこけるシーンが描かれている。
ちなみに、清水国明氏は鈴鹿4時間耐久のレースに出るときに、
赤色部分を水色に変更したグンヘルを着用していた。

そういえば、唯一の最大の謎として、『バリバリ伝説』には、当時の
実在GPライダーが多く登場するのだが、この不世出の世界チャンピオン
だけは登場しなかった。
あたかも実在しないかのように全くこの男、フレディ・スペンサーを
作品内に登場させなかったのは、走りがあまりにもグンと被るからかも
しれない。



わが青春の『バリバリ伝説』。

レジェンドは私の中でまだ続く。

RIDE FREE!
だけど、皆さんもオートバイは安全に乗りませうね。



ちなみに、ピットでサインボード出してくれていたのが
今の俺のかみさんになってる(笑)
ただ、あまりに辛いことが多かったので、当時のことを
振りかえることは二人ともあまりない。
本気でレースをやると、ピクニックや「みんなでワイワイ」
とかいうのとは全く違う世界になるからだ。
コースにはボロボロのつなぎを着て、日々カップラーメンで
かろうじて命をつなぐ亡霊のような連中が多くあふれていた。
それが現実だ。

1991年、島田紳助は『風、スローダウン』というほろりと
良い映画を作った。ほろ苦く悲しい映画だけどね。


この映画作品の中での五十嵐いづみがとても良かった。
仮に『バリバリ伝説』を実写化するならば1991年だった
ならば可能だったことだろう。それはグランプリシーンが
タイムリーに原作と重なる時代としても、いくばくかの可能性
はあった。
そうすれば、『バリ伝』の「みぃ」こと一之瀬美由紀のイメージは
五十嵐いづみがぴったりだったように思える。


荒れるにまかせる三原城

2014年06月25日 | 文学・歴史・文化・科学





夏を迎え、いよいよ凄いことになってきました。
植物の力を侮ってはいけません。
とんでもないことになったりするのだから。
三原城石垣がこんな状態まで放置されるのは初めて見たが、
崩れなければいいのだが・・・。

このシンガポールのような計画的な植物移植でない場合、直接
壁面に自生させたら、確実に構造物の劣化を招くんだけどね。




もしかすると、このまま放置してグリーンウォールのようにしたら、
三原城跡はごく近い未来に崩落するかもしれない。
緑の壁にしても、あれは意図的に蔦類を茂らせているのであって、
野生の植物の自生にまかせているのではない。文字通り根本が違う。

三原城、なんとかならないのだろうか。
現市長になってから三原城の景観が変わった。
現市長は「箱物撤廃主義」を掲げ、市立小学校新校舎・幼稚園・福祉
施設建設計画を就任直後に一方的に強圧的に中止宣言し(その後
議会の反対により従来通り計画実行、現在は幼・小・福祉施設・武道館
は完成した)、さらに広島大学附属三原学園(幼・小・中)の廃校を叫んで
いる。
現三原市長になってから、三原城跡はまったくメンテナンスがなされず、
荒れるにまかせる放置状態にされている。
行政手続きがどうなっているか私はよく知らないが、国史跡にせよ、
管轄市町村からの申請や上申等によって保護管理作業が着手され
るのではなかろうか。
とにかく、三原城がこんな状態のまま放置されるのは過去に例がなく、
現市長就任後にこの状態が起きているのはなぜなのか。

三原市長は、この状態が見えているのかいないのか、あるいは見えて
いても知らんぷりなのか、はたまた意図的にこのような状態にして
将来的に崩落させようとしているのか。真意は見えない。
ただ、目の前に姿を見せている現実だけが真実だ。


家紋

2014年06月22日 | 文学・歴史・文化・科学

家紋はこれ。今メインなのは丸に抱き茗荷だ。


他に2つほど替え紋があるが、今はあまり使っていない。

なんというか、別にこれでもいいんだけどね。
村上源氏の笹竜胆(りんどう)。


ただ、これが清和源氏の紋と誤解されていることが世間では
起きているし、歴史書もそのようなことになっているし、時代劇
なんかでもそうなっている(苦笑
まあ、でも来歴とかは結構テケトーなもんで、うちも途中から
別系をたどると村上ではなく清和系義光流で先祖が新羅三郎と
なってしまう。いい加減なもんだよ家譜なんて。
でもって源平は末代まで敵味方かというと、決してそんなことは
なくて、うちの家系でも平家末代と婚姻して平姓になっているのが
江戸時代にいる。こういうケースは各地であったようだ。
そもそもが、源平合戦で滅亡した平家の末裔が江戸期にまで残って
いることがおかしいでしょう?
ところがおかしくない。平氏は女系で残っていたんだよね。
だから、家紋の場合、平氏の揚羽蝶は女系の女紋だから残っていた
ともいえる。男性紋だと、本家から分家や分離したら紋が変化する
ことが一般的だから紋は残らない。コロコロ変わる。だから源氏系
などは家紋が多岐にわたった。だが、平氏末代(女性の生き残りが
血を伝えた)は女紋として残したから、江戸期の平姓名のリは
古の揚羽蝶をそのまま保持してきた家が多い。もちろん平姓でも
別紋の家も多くあったが、源平を比べると、圧倒的に平氏は自家紋
をそのまま後世に伝え、源氏は家紋が多岐にわたったという歴史
がある。これは男系・女系の家紋に関する風習と源平の血筋の
男系・女系の別が合体した現象なので、当然といえば当然だ。
そして、源平の決戦から数百年も経つと、源平同士の婚姻も
ごく普通に行なわれてきた。
こうしたことを知らない石頭は、世の中、子々孫々の末代までも日本は
紅白饅頭で対立反目しているかと思い込んでいたりする。それはねぇから(^^;
家同士の対立というのは直近の歴史での対立というケースが殆どだし、
武家なんてのは「昨日の敵はきょうの友」とかその逆だったりが当たり前
だったのだから。
ただ、毛利家が270年の恨みを幕末に晴らしたというのは、なんだか
執念深いよなぁ・・・。こわっ。

とか書いても読む人読まない人いろいろあるね(笑

記事を読んでる読んでないに似たことで、こういうことがあった。
ある人が、ものすごく観たいからというので俺は映画のDVDを貸した。
数か月後に俺もまた観たくなったから返してねと言ったら、
「すごく面白かった」と持ってきた。
で、しばらくして、数人でその映画の話題になったとき、その人は
まったく噛めなかった。マニアックな映画なのだけど。
つまり貸した映画は観ていないことモロばれ・・・。
それをあえて突っ込まなかったけどね。観る観ないは自由だから。
だけど、観てないのを観たとかなんで言う必要があるんだろう。
あと別人も観たいから貸してと言われてDVD貸したら、やっぱり
数か月返ってこない。これもその前の別人のも、あまりそこらで
売ってない作品なので「まあ、いいや」で済まさずに返してもらったの
だけどね。DVDやビデオが返ってこないことって結構過去にもあった。
本人たちは返したつもりなのかもしれないけど、未返却です。明らかに
あげたのは別だよ。あと保存用に焼いた物を半永久の長期貸与とか(笑)。
これは業として販売ではなく、自分用の保存焼きをたまたま貸している
というやつで(苦笑
そうではない「貸した」原本DVDは「返して」もらいたい作品もある。

で、その二番目の別な人は返してもらった時に「これ、私には作品が
古過ぎて、観る気がしない」とのことだった。はぁあ?
もう二度と映画の話題をこの人とするのはやめようと思った。
そういうのが二度ほど続くと、絶対にもう今後はその人たちに貸し出しするの
やめようとかも思うよな。
物の貸し借りで人間関係がこじれるのは嫌なもんだけど、根幹は「嘘」が伴う
から、真実の関係が消失するのではないかな。

あるいはいろいろな資料映像や画像のデータ集を作ってCDに焼いて渡した
のに一向に観ていない人とかもいるね。本人希望だから渡したのに。時間
かけて作ってさ。
そういう人って結構いる。
正直言うと、そういうのとまともにつきあうのはどうかねと思ってしまったりも
する。
「やり甲斐が無い」というか、そういうのが甲斐性なしというのではなかろうか。
その人のためになにかをしてあげようとかいう気持ちを無くさせるような人の
ことを甲斐性なしと。甲斐性なしてのは男女の関係のことではなく。養ったり
支援したりの太っ腹ではなく、男女間での精神的・経済的なケチンボを甲斐性
無しと呼ぶことが多いが、本来は「甲斐」を「無くす」のが甲斐性無しなのでは
と思う。
かなりね~、そういう人だと知ると、がっくりくるよ。いや、がっかりかな。
例えば、物頼まれて、こっちはよっしゃわかったやってみようとやって、
だけど相手は「ふ~ん」てな感じでまったく興味を示さない。
こういうのって、やっぱし正直にいうと「おい。それはなんなんだ?」とかに
思うよ。
男女関係では言い寄ってきてこちらが振り向くとプイと袖なんて女は
大勢いるから、そういうのは見抜けるけど、恋愛感情抜きにした一般人の
場合、なかなか見抜けなくて、こちとらが一肌脱いでも対応がなんのこっちゃ
それは?みたいなケースは多々ある。
手作り弁当作っても、喜んで笑顔見せて持って行ったのに実は通勤通学の
途中で捨てていたとか、ファンからチョコもらっても感謝の笑顔で受け取って
いながらゴミ箱に捨ててたとか、そういうのに似てるのではと思う。

話戻ると、それと、また別な人は、やはりぜひ観たいというので映画DVDを
貸した。

すると、「観た?」と訊くと「観た、観た」と答えるし、観てはいるようなの
だが、どうにもその作品の話が合わない。
すると、時間の空いた時に1日あたり10分~20分ごと観ているとのことだった。
あのね・・・どんなに自分に都合のよい理由つけて言い訳しても、それは
映画の観方じゃないから。

案の定、ストーリーについてはサッパリだった。
そして、途中で男女が肉体関係で愛情表現があるシーンで「なんだこれは!」
となって突っ返して送り返してきた。「こんなふしだらな物を見せるなんて」と。
あのね・・・。
一度首絞めたろか、こいつら・・・。


とは言っても、腹を立ててはいけません。
適当な接触しかしていないのに、あたかも積極的に接しているかのような
態度で自分を売り込みたい人がかなり多いのが不思議でならない。
あれ、なんなんすかね?
これ、男でも女でもいるんだよね、そういう感じの人が、かなり。
恋愛感情とは別なところで、そのような不思議な接触方法を採る人たちが
いる。
「いつもブログ見てますよ」と言ってるのに全然読んでなかったりてのもその
類で、それで本当は読んでなければ、言葉の上ではそうは言っても、内実と
しては社交辞令にもなっていないし、こちらは別にそういう態度を求めても
いないのにそのように接してくる。
よくわからんなぁ・・・。
俺個人は、そういう感じで人に接することはまずないから。
見たものは見たし、見てないものは見ていない。
なぜ嘘ついてまで、その嘘をつくことを以って自分を相手に売り込もうとする
人たちがいるのだろう。
なんというか、DVD観てもいないのに観たとか、そういうのって、あんまし
透明感がないというか、美しくないんだよね。

むしろ濁ってばっちい感じがする。
だけど、本人たちはちっともばっちいことしている自覚はないから、他人の
俺がばっちいと言うと揶揄非難になっちゃうんだよなぁ。
なんだか釈然としない。
だって、別段、おべっかというか、そのような接触なんてこちらからは望んで
ないもの。
変なの。

ああ、あれか。
京都のお茶出しの二度目の「もう帰れ」と一緒か。
実はやっている行動や言葉とは腹の本音は裏腹(お。これ文字通りじゃん)
だったりするやつ。
こうなると、どちらが本物でどちらが本物ではないかが自分でも判別
つかなくなるので、事実認定としては「虚偽」を本人は発言して人と接触
しても、悪気がなくなるのだろうなぁ。

日本の「文化」てのは、京(というのは天皇がいる都のこと)が発信地と
いう歴史性があるから、表面笑顔で腹の中は般若とかみたいな分離構造が
日本人的な事柄なのかも知れないね。本音と建て前とかも日本的だと
よく言われるし。
おれ、フランス人だからよくわかんねーけどさ(笑

でもさ~。
嘘は嘘だっぺ。
おら、穴掘って言っちゃうだよ。
「王様の耳はロバの耳~」って。


海苔(のり)

2014年06月19日 | 文学・歴史・文化・科学

海苔が好きである。
ただし、アサクサノリはほとんど食べていない。
ブツがなくなったからだ。
「江戸前」である浅草海苔は、私が生まれた2年後に消滅過程が
始まった。
なぜならば、東京湾開発による埋め立て工事のために、1962年に
大森・品川などの古来「江戸前」と呼ばれた地区での漁業権放棄が
決定し、海苔養殖は生産に終止符が打たれることになったからだ。
今ある海苔は、浅草海苔とは種類からして異なる。
浅草海苔は何も浅草で採れたからではないだろう。
加工して後、販路を確立したのが浅草ではなかったか。


日本人にとって日本発祥の海苔は親近感があるが、天然の海藻としての
「海苔(のり)」は海の苔として奈良時代から食されていたことが判っている。
今のような紙状に加工したのは和紙すきの技術からだろうともいわれ、
日本固有の物である。
しかし、韓国あたりはなんでも韓国起源説で海苔についても韓国人が
考案して作ったとしている。これは例によって例の如しなので話にならない。
なんせ、自分の顔を改造してねつ造するのさえ当たり前の文化国なので、
なんでも
韓国起源説は韓国起源説そのものが改造人間好みの物だからだ。
嘘はいけねぇよ、嘘は。

ただ、「韓国海苔」も日本の真似したにしては美味いことは美味いけどね。
味に深みはないけど。そんで、
最初から塩ふりかけるな、という気がしない
でもないが。


こちら日本の伝統的な浅草海苔作りの様なり。

クリックで拡大


こちら色つき。上の図と同じ場所ですね。



地方地方の食文化を否定するのはよくない。
好みで好き嫌いはいいだろうが、「そんなんありえへんわ」と自分中心の
食文化しか認めないという感性でいると、「大阪民国人(だいはんみんこくじん)」
と別地域から揶揄されることにもなりかねない。
所変われば品変わる。それぞれを楽しめばいいではないか。
ただし、ブツそのものが存在しないというのは、けっこうガックシだったり
することがある。
それについて話す。


東京の場合、「海苔巻」と言ったら、主として「かんぴょう巻き」のことを言う。
全般的に海苔で酢飯ネタ入りを巻くのをノリマキともいうが、それは巻物
と言ったほうが東京は通りがよいと思う。
よく昔のマンガなどで酔っ払いのサラリーマンのお父さんが包んでお土産に
持って帰る図のあのぶら下げた包みはいわゆる「ノリマキ」である。
崎陽軒のシウマイである場合もあるが(笑)


だが、しかし!
関東の人たちよ、驚くなかれ!
かんぴょう巻きの海苔巻というのは、西日本には存在しないのである。
このことを関東人に言うと「ええ~?うっそお~?」と言う。
大体からして蕎麦屋がめったにないのだから西日本は(^^;
食文化が違うのよ。
蕎麦はあってもカツブシで出汁取るのでなく昆布だしね。
白味噌あっても赤味噌なしだし。最近でこそ出回ってるが。
だから味噌ラーメンなんてのも本物は西日本には存在しない。
「味噌ラーメン風」だ。
味噌ラーメンは私が幼稚園の頃に札幌で発明された。

でもって、あの美味いカンピョウ(瓜の親戚のような植物)の
煮込み方が西日本で普及していないのかと思いきや、カンピョウ
自体は「太巻き」に入れる。だからカンピョウがないわけではない
ようだ。
しかし、これまた西日本(とりわけ関西)の人にかんぴょう巻きの
海苔巻のことを言うと「かんぴょうだけ巻くん?」とか訊き返される。
おめ、助六なんか関西にはねぇのか?とこちらが訊きたくなるが、
ねぇんだろうなぁ。最近はコンビニに置いてあるようだが。
元々歌舞伎でのオハコ記念弁当だからなぁ。
やっぱ、サクッと行くファーストフードは稲荷寿司に海苔巻の
詰め合わせだよ。本当は揚げ巻きの洒落だけどね。
それでも大層贅沢なもんだった。最近は巻物が太巻きになっち
まったのが多いが、それは×で、本物はカンピョウ巻きだ。

本物の助六寿司

でも今はコンビニで安い助六寿司が買えるよね。
助六なんてのは、関西の人の口にも合うと思うけどなぁ。
というかコンビニのは大抵は太巻きだから、ナンチャッテ
助六寿司なんだけどね。

(本物はこれが助六)


そもそも握り寿司ってのは江戸が発祥地だから。
作ったのは残念ながら日本人だよ、そこな韓国の人たち。
ただ、コハダが西日本にはなくて、無いということはシメる技術も
なく、魚が無いから技術がないのか、技術が無いから魚を
獲らないのかよくわからないが、とにかく無い。美味いコハダ(より
本当はシンコがいいけどこれは贅沢)握りがないのではなく、
コハダの握りそのものが西日本には存在しない。
俺は西日本に引っ越してその現実を知って、とてつもなく落胆
したよ。
 ・蕎麦屋がない
 ・コハダがない
 ・海苔巻がない
 ・富士山が見えねぇ
これらは落胆四天王だったが、一等最後のはまあ仕方ないよな。
一番上もあるにはあるが別物だし、蕎麦屋に行くのに何十キロも
走らなけりゃないというのはベラボーなこったい。でも走ればある。
しかし、二番目三番目はかなりこたえた。存在自体が無いのだ。
そもそも江戸前握りそのものが無いのだが、まあ刺身寿司でも
よしとしやしょうや、この際。
そんでも寿司屋にコハダ握りと海苔巻が無い。
これね、かなりショックですよ。
江戸前握りにカニやシャケが無くてもいいけど、知らずに寿司屋に
行って、コハダとノリマキが存在しないのはかなりガ~ンだよ、いや
ホントに。
そんとき、おれぁ悟ったね。
地方色を楽しむ、地方の珍しい料理を楽しむというのは、どこにでも
無い物があるということが楽しみに繋がるのであって、あるものが
無いのは地方色として決して楽しみの要因とはならないどころか、
落胆への誘いにしかならないね、と。
(無いことを楽しむという仙人的な境地には、おいらはなかなか
行けない)
西日本は
刺身乗っけたシャリを握り寿司と呼んでるから、醤油は
すべてタマリ
の刺身醤油だしよお。サラッとしたムラサキにサッと
つけるか、
あるいはネタに仕込み(加工)してあるから何もつけない
のが
本当の江戸前握りなんだけど、まあ、醤油に関してもしかたない
といえばしかたない。醤油があるだけまだいい。
だけど、品目そのものが存在しないのは、かなりこたえたよ。
蕎麦屋なんて、蕎麦湯頼んだら「うちはそういうのは出しません」
とかだぜ。あっそ、そうなんだ、ふ~ん、てなるよ。そのくせどういう
訳か西日本の飲食店は多くが態度でけえし(特に岡山から三原に
かけての吉備地区がそうだが、広島市内もしでーもんがある)。


さて、数年前、三原市内に回転寿司が出来たのだが、そこが
なかなか気が利いているのよ。


なにかってーと、「関東風醤油」と「関西風醤油」と

両方置いてくれているのさ。

別に辛くはないんだけどね(苦笑
関西が関東に負けてるなぁと思うところに、「しょっぱい」という
味覚を表す単語そのものが存在しないことが挙げられると思う。
関西はすべて「辛い」で済まそうとする。
「しょっぱい」と「辛い」は違うし、「しょっぱい」は「塩辛い」こと
でもない。
こうした細かい味の区分けが無い関西というのは、不思議に
思うが、現実問題として無い物は無い。その現実に文句言っても
始まらないが、問題は別にある。
言葉が無いから、その味覚についての
概念も無い。
「しょっぱい」てのは「すっぱい」や「失敗」の親戚なんだけどね(嘘
本当は「塩っぽい」の転化だろう。辛い云々ではなく、塩味のことだ。
御新香に醤油をかけようとしたら大阪出身の奴に「いや、十分
味は辛いと思うけどな」と言われた。いや、いや、いや。
さらりとした醤油を一・二滴垂らして醤油の味を加味したい
だけなのだけど、それが解らないらしい。第一、その友人宅
には醤油がなくて、奥から探して出してきたもの。煮物とか
朝の海苔とか納豆(そこんちは納豆は食べてた)とか、どうして
んだろと思ったけど。岡山の奴も俺が醤油を漬け物とかにかけよう
としたら、「いやいやいや、それは野暮ってもんでしょう」なんて解った
風なことを言ってたから「東京で飯食ったことない奴が野暮なんて
言葉使うな」とか思ったりもした。
つまり、自分たちの周囲に「存在しない」ことを基準として、世の中に
「存在するもの」そのことを認容しようとせずに否定していくという
文化性というか感性を俺は問題視している。これはすべて自分たち
が文化の中心であるとする中華思想ともちょっと違う感性について
言ってるのだけど、おわかりいただけるだろうか。

こうした排除の感性が普遍化していくと、マイノリティー排撃を集団でやる
ようなところに繋がるように思えるんだよなぁ、俺は。
これって、結構大切で、物のある無しでもそうだけど、プラス3と
マイナス3は数値的には0からの両サイドへの振りの指数は同じ「3」だけど、
実はマイナス3はプラス3とはまったく別次元なことなんだよね、人間社会
においては。
つまり、人を3回殴ったから自分も3回殴られればいいのかというと
そういうことでもない。両方ともマイナス3のことにしか結果的にならない。
では逆に3回殴らないことをすればそれで3回殴ったやつとおあいこかと
いうとそんなこともない。
つまり、数値的な即物性に立脚していないんだよ、人間社会は。
「お前が馬鹿野郎と言うから俺も馬鹿野郎と言ってそれでお互い様だ」
という定式はないんだよね。
世の中のことはすべて数学で説明がつく、という理系の人間は多いが、
説明がつくだけで人間社会の問題解決にはベクトルが向くかというと
そんなことはない。
俺の言いたいのはそこいらあたりでね。
でもって、存在しないということは「絶対ゼロ」であって、零(れい)の
概念ではない。零(れい)というのは、「零細企業」という言葉もある位で
「ごく少数」という概念も含んでいる。ところがゼロはゼロだ。
そのゼロが人間社会ではマイナスとして作用することもある、という
ことを言いたいのよね。無いことを基準にそれを自慢げに思いこんで
どうするのよ、と。
食物や料理は、薬に置き換えて概念化するといいかもね。
無いよりあったほうがいいに決まってる。
歴史性があるから無いものはしかたないけど、そこを出て別な場所に
行ったらあるのだから、無いことを基準にそれを自慢げに思うというのは、
いかがなものかと思うのよ。かき氷が食えなかった江戸時代じゃないん
だから。
「うちには『無い』という事柄が『ある』」てのは駄目だぜ。そういうのは詭弁という。


おう、そうだ。
「オシンコ」という言葉が無かったんだぜ、西日本は。つい最近まで。
オシンコと言ったらまったく通じなかった。
最近でこそ吉野家のおかげで「オシンコ」が通じるようになったけどね。
西日本ではすべて「漬け物」と呼ぶ。
まあ、なんというか、水が穴に流れ込むのは南半球のように逆回りに
でもなるんじゃねぇかと思うくらいにすべての文化が東と西では異なる。

そして、三原にできたこの回転寿司屋さんのいいのが「海苔巻=
かんぴょう巻き」があることだ。
これにはしびれたね。広島に引っ越して10数年、はじめて西日本で
かんぴょう巻きを食べることができるようになった。

普通の寿司屋に行って「かんぴょう巻き巻いて」と言っても
「うちはやりません」という店ばかりだったんだよ。わかるでしょ?
無いことよりもその態度にむかついたりするんだけどさ。
ガンとして自分たち中心で「無いこと」を自慢げに胸を張るのが、
なんともねぇ・・・。おいらは「へ~、そうなんだ」と思うけどね。
かんぴょう巻きががないのもそんな感じだが、2年ほど前に近所にできた

回転寿司のほうがよっぽどそこらのオタナ寿司屋より気が利いてらあ。

これ。



ということで、握りの締めはおれはいつもノリマキと決めている。
最初の一発目はコハダかな、やっぱ。
その三原の回転寿司にコハダは無いけどね。
東京の寿司屋では最初はコハダ、しめノリマキとしてる、俺は。


でね~。
アサクサノリは最近その種としても生産されてるみたいなんだけど、
場所はともかく、品種としての浅草海苔で巻いてくれる寿司屋と
いうのがあちこちにできるといいなぁ、なんて思ってる。
ノリマキは安いものだが、一気に値が上がりそうだけどね(笑
美味い海苔が食えるなら、俺は金に糸目はつけねえ(嘘


斬釘截鉄(ざんていせってつ)

2014年06月16日 | 文学・歴史・文化・科学



-斬釘截鉄(ざんていせってつ)-

禅語である。
『碧巌録』(へきがんろく)という11世紀の中国の仏教書に出てくる。
『碧巌録』は禅宗の臨済宗において代表的な公安集であり、宋の
時代、1125年に中国で編集された。
日本では平安末期で、鳥羽天皇が院生を敷くあたりで、だんだんと
武士が台頭して国情がドンジャラとなってくる前夜といった感じの頃だ。
その31年後の1156年に保元の乱が起こる。そうなるとね、もう武士が
朝廷の尖兵ではなくなって実権をだんだん握ってくる。


(『碧巌集』)

「斬釘截鉄」の四文字熟語としての意味は、毅然とした態度で
きっぱりと決断することを意味する。
「斬」、「截」はともに断ち切ることであり、鉄釘や鉄棒をも断ち切る、
何があっても己の筋を曲げないという意味である。
禅語としての意味は、煩悩や妄想などをきっぱりと己自身が断ち切る
ことを表している。
禅の場合、与えてもらうのではなく、自ら能動的に向かう宗教であり、
他仏教のような他力本願での大悟は求めない。
禅は自ら悟りを開くことを自立的に求める仏教であり、自分の心を鍛え、
自分を頼りに、仏法を拠り所として生きていく為の修行をする。
これを称して、「自力本願」という。
多くの武士が他の仏教よりも禅に親近感を持ったのは、そうした
禅のありかたが、自らの手で道を拓くという自立的精神性を求めた
武士と精神世界がマッチしたからかもしれない。
後年「剣禅一如」といった武士の剣技が禅宗と結合して行くのも、禅宗が
持つ自立性に主眼を置くという境地が、違和感なく武士たちに受け容れ
られたからではなかろうか。


日本においては剣禅一如を思想的背景とする新陰流において
業の一つに採り入れられた。
新陰流の表太刀の『三學圓太刀(三学円の太刀)』の中の二本目
の業に、「斬釘截鉄」という業がある。

『三学円の太刀』は、上泉伊勢守が新陰流を創始した頃の古い太刀を
伝える勢法で、甲冑の隙間を狙って攻める剣法で、首、手足、脇下、内股
への斬、顔、首、肩への突きの太刀筋としてある勢法のことだ。
新陰流の業は常に思想的な背景を伴うのだが、術技としては『三学円の
太刀』は、「上からの遣い」、「
下からの遣い」の各五本から構成されている。
新陰流においては、「三學」とは仏教で言う「戒」「定」「慧」に相当し、術技
では
「身構」「手足」「太刀」の三つを学ぶことを本旨としている。
三學においては、自分が「待」となり、相手の動きに応じて勝つ心持ちを
稽古することを主眼としている。


(『新陰流兵法目録事』:奈良女子大学所蔵)

(クリックで拡大)

柳生が継承した上泉伊勢守が興した新陰流は実に奥が深い。
術としてはきちんと学べば誰でも一定のレベルの剣士になれる
ようなプログラムが組まれており、それに禅の精神性が合体し、
私なども学んでいて「さすがは天下の剣」と強く感じた。
思想的な教えは学のない私には難しくてサッパリだし、術も
ヘッポコな私にはサッパリと
いう体たらくだったが(^^;
宮本武蔵などは「太刀数が多い」と批判していたが、新陰流の
学習体系というのは凄い物があると学んでいて実感したのは
確かだ。
この「斬釘截鉄」も、簡単そうで難しいのなんのって(^^;
まあ、私がヘボなだけですが。

江戸期の新陰流の伝書は貴重で、「鐡」という正字が「鉄」という
字に江戸初期にすでに変化していることを現代に伝えてくれて
いる。「金の王哉」が「金を失う」に変化している。
実は、この文化的な漢字用法の遷移は、私はこれは時代的な
鋼の質性の変化をも示唆していると読んでいるのであるが、
これについてはいずれ折をみて。


「斬釘截鉄(ざんていせってつ)」。
刀のなかごに切る座右の銘としても、よい言葉だと思う。

「おねえちゃん。あちきと遊ばない?」の浮浪(ハグレ)なあたし
なんぞは、
なかごには「游雲」なんて銘を切っちゃったけどね(^^;
いや、まじで。



プウ~ッ。

他の新陰流の書籍は本棚にあるのだけど、俺の『正伝 新陰流』
どこに行ったのだろう・・・。みつかんねぇす。誰かにあげたか?
ま、いっか。


井戸茶碗

2014年06月16日 | 文学・歴史・文化・科学



昨年のこの時期、私は都内に出たが、一生悔やまれるのは
根津美術館を訪れなかったことだ。
私は茶碗の中では井戸が一番好きだ。

過去記事→「井戸の茶碗」(2013.2.9)

↓古典落語の名人芸を堪能したい方はぜひどうぞ。
『井戸の茶碗』 (名人五代目志ん生)
出囃子は「一丁入り」だ。ビートたけしが落語を演じた時(たけしは
立川談志の弟子)の出囃子を「一丁入り」にした時、私はうぬぼれ
にも程があると思った。

この志ん生の『井戸の茶碗』が最高です。
途中金勘定を間違ってるけどね(笑
「天保二枚」のあたり。
息子の名人志ん朝の『井戸の茶碗』は、くすぐりが多すぎて、
あれはいけません。
それに、千代田卜斎がクズ屋清兵衛に生活苦から金が欲しいと
漏らすところや、金が欲しいと言わせて自分をみじめにさせないで
くれとするところなどは、てんで駄目です。
駄目どころか、この『井戸の茶碗』の千代田卜斎の清廉さや矜持
を踏みにじってる。あれでは武士ではなく、ただの見栄っ張りの
爺さんでしかない。
志ん朝はおやじと並んで名人と呼ばれたけど、てんでわかって
ないね。1938年生まれだから士族のはずだが、まったく武士の
心が解っていない。戸籍なんてなぁ関係ないという見本だね。
(古今亭志ん生・志ん朝は幕府槍術指南番の幕臣旗本の直系
である)
まあ、親父さんの志ん生も、てんで武士っぽさがなかった生き様
だったが、噺の中での侍らしさを出すのは上手かった。

『井戸の茶碗』の噺は、五代目古今亭志ん生に限る。

江戸落語が凄いってのは、ここで出てくる正直清兵衛さんという
のはクズ屋だから、いわゆる「賤民」階級なんだよね。クズ拾いや
クズもらいは、江戸時代には弾左衛門配下の者しか業として成す
ことは許可されていなかった。
清正公前に集まる行商人の「下鉄屋(したがねや)」なども金属
廃品回収業者で、「賤民」なんだよね。
だけど、なんの差別もなく噺の中では構成されているでしょう?
それどころか「正直者」の主人公として描いている。
細川家の若い武士高木は清兵衛を侍長屋の建物内まで上げ
ている。
千代田卜斎に至っては、「くず屋さん」として丁寧に接している。
実際のところは、こういう感覚が江戸期の人々の感覚だったの
ではないのかなぁ。行政的なことや慶弔での差別はあっても。
だって、十手持ちの親分などもいわゆる「賤民」だったしね。
階級はあっても、ことさらに差別を前面に出して差別のために
差別するというのは、それは明治以降に痛烈になったのでは
ないだろうかと思う。あるいは農村部では江戸期でも近現代と
同じ差別状況があったか。
江戸古典落語は、人が人を差別してこの野郎と足蹴にする
ような思想性は皆無だ。
少々トロくて頭が弱い与太郎がいても、いじめて仲間外れに
したりもせずに、「ったくあいつぁしょうがねぇなぁ」とか言いながら
仲間に入れて一緒に遊びに行こうとしたりする。
そして、登場人物たちは、権威を笠にきるような連中には徹底的
に抵抗する。
創作による希望の表現なのかも知れないが、歌舞伎と並んで
本当の意味で大衆芸能だったのだと思う。
この『井戸の茶碗』の古典落語の演目は、心が清純同士ゆえ
歯車が合わないという3人の登場人物が織りなす話だが、聴き
終わると清々しい気持ちになる。
江戸庶民が何を心の中では求めていたのかがよくわかる。
でも、これは「噺」だけの世界ではなく、結構江戸者には多いよ。
損得勘定抜きで動くという人間が。
「生き馬の目を抜く」とも言われてるけど、江戸の商人って、
すべて上方から来た人たちだからね(笑
まあ、落語に出てくる自分の事さえほっぽらかして人のために
動いて損をするというのが江戸者には多い。
ケチを嫌うのさ。シケたケチくさい根性を嫌う。
ちょいと頭が弱いとこあるけど、サッパリしてて気持ちいいもんさ。


小栗旬主演 映画「ルパン三世」実写版 予告編

2014年06月13日 | 映画・ドラマ・コミック













あららら。こいつぁ少し頑張ってるかも(笑)

小栗旬主演 映画「ルパン三世」実写版 予告編 【HD】


ルパンはファンが目が肥えているので、どこまでコアなファンを
納得させられる仕上がりになるかが決め手のように思える。











ルパンは、リアルにワルサーP38のトリガーガードから指など外さずに、
西部劇風にトリガーガードの中に人差し指突っ込んだままのほうが
よかったね。安全なんて関係ないよ。トリガーガード外しはオマワリが
やりはじめたことだから、アウトローは指を外してたらおかしいぜ。



それと、五エ門の斬鉄剣が太すぎ(笑
峰不二子はこの女優さんしかいないだろうなぁと思っていたが、さてどうか。
ルパンのP38と共に、次元のS&W M19コンバットマグナムだけは絶対に
こだわってほしいな。

これのちょいデカ版M29がダーティーハリーの銃だぜ(笑
世界中にマグナムブームを引き起こしたのはイーストウッドの『ダーティー
ハリー』だった。

しかし、ダーティーハリー(1971年12月米国公開。日本は1972年)よりも
ルパン三世(アニメは1971年10月)のほうが世に早く登場している。
ハリーキャラハンよりも次元大助のM19マグナムのほうが早いのだ。
これ、ある意味
すごい。








『ルパン三世』は原作が発表されてから46年が経つが、いまだに
人気が高い。
特に1971年にアニメ化されてからは不動の地位を譲らない。
小林康宏の「斬鉄剣」という当時東京の一部の使用者で広まっていた
鉄が斬れる評判からつけられた刀の俗称もアニメ化の時にパクられ
ちゃったしな(笑

(原作『ルパン三世』コミックの五エ門の刀は「流星」という)



不二子については、俺は今回のキャスティングに文句はない。
ただ・・・バッキャロイ!レッグホルスターではなく、ガーターのストッキングに
不二子の銃ははさむんだよ!という気がする。もしくはおパンツか。

レッグホルスターは黒のレザーバイクウエアの時だぜ(笑

このあたりの甘さで映画がコケる可能性も大。


『ルパン三世』は各人のキャラ立ちがどれくらい出るかが勝負なので、
『ルパン三世 念力珍作戦』(1974年)から40年ぶりの実写化には
期待している。

悪い女ほどかわいかったりする。


こちら原作コミックの不二子と黒木さん。いい線いってると思うよ。


おれは第1シリーズの宮崎監督が描く不二子が好きだけどね(笑


ちなみに原作コミック『ルパン三世』のヒントとなったのはイタリア映画の
『黄金の七人』(1965年)だ。(続編の解説はこちら
日本では1972年4月5日から放送が開始された日テレ「水曜ロードショー」
の第一回放送作品だった。俺はそれを観た。小学校6年の時だ。


いや~、これはエロかった。
小学生ながら異様に萌え!だったぜ。
おかげで、このタイプがトラウマになっちまった(笑

エロとアクションとアイデア。凄かったね、このシリーズは。
モンキーパンチ先生は峰不二子のモデルとしてこのジョルジャ(ロッサナ・
ポデスタ)からヒントを得たというのは事情通なら誰もが知っている。
可愛いし、エロいし、金と宝石にしか興味がなくて、男をたらしこむ
謎の女(笑




いや~、こういうのがいいよ俺は(笑
さだまさしばかり聴いてるような地味な文学少女じゃなくて(笑
いや~、イタリア人、エロいわぁ。

さて、こちらはイタリアのファンが製作した自主製作映像。
この完成度の高さは世界一だ。
ルパン三世 実写 LUPIN III The fan-movie

なんだ?このこだわりようは(^0^)











やっぱ、ルパンはこれがねぇとな(笑)


長尺版も結構見せるぜ。
世界中で人気の『ルパン三世』だが、イタリアのファンは熱いね~。
LUPIN III - The Fan Movie (2010) HD
[ENG SUB] 17分 英語字幕付

ラストのエンディングなんかも泣かせる。
曲は日本語の例のテーマ曲を使ってるよ。



本家本元、日本の実写版も負けれられないぜい。

ということで、


夏祭り

2014年06月11日 | 文学・歴史・文化・科学

気がつけば田植えの季節か。
田植えの風景を見ると、劇画『子連れ狼』の「黒南風(くろはえ)」の
話を思い出す。

『子連れ狼』の劇画全巻は私の宝物です(^^)
こんなあり得ない画もあるけどね↓


拝一刀の胴太貫は尾張の清水甚之進信高(実在)の作だった!
いや~。これには中学生の時に騙されましたよ。
肥後同田貫とは別物の架空の刀という設定だったのを知らなかったから。
右の刀は柳生連也が好んだ秦光代の鬼の包丁というこれまた実在の
脇差を政勝という名の尾張藩士が好んで清水甚之進に作らせた物。
つまり左右両方とも清水甚之進信高の作という訳なのです。なんと~(^0^)
この図は旧版では掲載されていますが、新版のコミックスでは削除されて
います。残念だね~。

『子連れ狼』は原作が最高です。不朽の名作、金字塔とはまさにこれ。
時代劇ファンの方はぜひとも全巻お読みください。
本物の武士道というのがあれほどまでに描かれている作品はないかと。
主人公は武士道を捨てているのだが、周囲の武士たちより武士らしい
というその反骨の設定が多くの大切なことを読者に語りかけます。
つまらん巷間溢れる「武士道」説教書籍よりもずっといい。
これは電子書籍ではなく、ぜひともペーパーで揃えてほしい。
できれば大版で。

夏には三原城下では「やっさ祭り」という祭りがある。
浴衣で多くの人が繰り出す。
俺は喧嘩屋右近のような浴衣が欲しいんでぃ。(なんでぇ、右近も茶髪じゃん)


こんなキモノはねぇだろ、普通(笑)。
というか、これは二重で浴衣ではない。特注だろうなぁ。


やっさ祭りというのは、戦国末期に三原城が完成したときに庶民が
それを祝って踊りまくった「ええじゃないか」のような踊りで、阿波踊りの
原型ともいわれている。

三原やっさ祭り

ナレーターさん、鼻つまってる。風邪か?(^^;)

一般的な神社系の祭りというのは「神事」であり、ルーツ由緒をたどると
「服従か死か」というドラスティックな古代史が見えてくる。
恭順の意をしめ縄で示し、古代王権に服従するのが神事としての
祭りであり、マツリは祝いであり祝いはホフリとも読む。日本の「ハレ」
の文化は「ケガレ」概念と密接な関係にあり、とりもなおさず、古代から
連綿と続く人民統制史は差別の歴史でもあった。神事としての祭りは
仲間内(垣内)にするか、それともハブって差別して排除するかという
古代から中世の人々の行動が祭礼化したものがほとんどである。
ネブタもそうであるし、神輿も山車もそうである。
しかし、権力サイドからではなく、民衆の側から湧き興ったカーニバル
的な祭りもある。
三原やっさ祭りもそれで、三原城築城に携わった石工その他の職人
たちが踊り始めたとも云い、彼ら渡り職人がその数年後の阿波徳島城築城
の際に駆り出されて築城後に同じように踊り、それが阿波踊りとなった
という説もある。事実、三原やっさ踊りと阿波踊りは瓜二つだ。
やっさ祭りは現在は三原のみならず、神奈川県の湯河原と千葉県の東金
にも存在する。阿波踊りは東京高円寺で盛んに行われている。高円寺の
阿波踊りもリオのカーニバルのように熱い。元々これらの祭りのルーツは
渡り職人の仕事上がりの祝いの饗宴だった。

「渡り」ということで気づくだろうが、城を造る石切りなどの職人は被差別
「賎民」であり、「渡り」そのものが「エタ」と並ぶ差別名詞として存在して
いた。
また、踊りというのは歌謡を伴い、一般民ではなく賎民階級が専らと
した芸能であり、歌舞伎、能楽、猿楽等、すべての芸能体現者は、いわゆる
「賎民」階級に属するものがほとんどだった。(歌舞伎については江戸期
に提訴により弾左衛門の支配から脱して非人階級からの脱賎を果た
した。それを喜び祝った演目が『助六』であり、演目書きは箱に入れられて
大切に保管されたため演目十八番「助六」は「おはこ」と呼ぶのである)

踊念仏のような大衆的デモを除けば、集団踊りそのものも「芸能」と
深く結びついたものだった。念仏踊りの末葉が盆踊りであり、これは宗教的
な意味合いが強かった。
そもそも諸芸能、諸技能の担い手で日本の歴史に大きな貢献をしてきた
「エタ」と呼ばれた「賎民」の起源は、「恵止利」「餌取」と呼ばれた「恵みを
止めて利用する者(祝詞を唱えつつ神に捧げる供物を刃物で戈り取る
)」という意味だった。戈とは刃を垂直に取りつけた古代のホコであり、
これで斬ることを「かる」と言い、「狩り」の語源ではなかろうかと思われる。
「恵止利」は「餌取り」(古代兵部省鷹司に所属し鷹狩に使う鷹の餌=
生き餌=を供給した官職で、原初は被差別民ではない)の概念をも
含んだ単語だったが、鷹狩の鷹に生肉を提供した官吏だった「餌取」と
神事として生贄を神に捧げる獲物を狩った「エタ」という宗教的門徒、
つまり武力官吏+寺社隷属宗徒が「エタ」の実態を表す語の起源だった
と思われる。(なお、現在は歴史用語として「エタ」と発音するが、中世
の辞書によると「エッタ」とふり仮名が振られた文献史料も存在する)

中世までの被差別民は職業的に社寺とも深く関与し、巫女や僧兵は
「賎民」階級であったし、社寺の維持管理をする清掃人も「賎民」階級に属した。
「清め」に従事する者はほぼおしなべて「賎民」階級だったといえる。
また、人が生まれる時の産所(産婆さんが赤子を取り上げる場所)や
人が死亡した時に埋葬を担う隠坊(おんぼう)など人々の生死に関与する
職は被差別民そのものを表す代名詞ともなっていた。
祝い事では家々の門戸に立ち祝い口上を述べる「門付(かどづけ)」も
「賎民」そのものを差す言葉として存在したし、勧進などもそうだ。
五木の子守唄の二番の歌詞に出てくる勧進(カンジン)の箇所はこうだ。

おどま勧進勧進
あん人たちゃよか衆
よか衆ゃよか帯 よか着物

勧進とは乞食のことである。
乞食がなぜよい人でよい帯を締めてよい着物を着ることができたのか。
ここでいう乞食とは「食うに食われぬ身の上の物乞い」ではないことに
注目する必要がある。
「乞食」は誰もができるわけではなく、特権的行動として認められた者
しかできないことだった。そして、食うに食われず困っての金員物品
供与授受ではなかった。そこには門付祝い口上や読経などのなんら
かの芸能あるいは宗教的行動が付帯したのであって、傷痍軍人が
ただ立っているのだけでなくアコーデオンを弾いたことと似ている。
そして、「興業」を手掛けた「賎民」階級は中世から江戸幕末までは決して
経済的に貧しい階級ではなかった。職業的独占が存在したため、かなり
裕福だった者も多かったといえる。「よか帯 よか着物」なのである。
また、祭りの踊りとしての願人(ガンニン)は、伊勢や熊野信仰普及のため、
村回りの芸人として各地を巡り歩いた人々のことで、これも芸人である
以上、「賎民」階級に属したことであろう。
とりわけ、日本の歴史の中では、白拍子などにみられる芸能文化の
担い手の主力は「賎民」階級という社会的に「異なる者」とされた人々が
中心だった。行者たちもその階級に属する者たちで、原初的にはそうした
後世に賎民と呼ばれた人たちは畏敬の念をもって大衆から見られていた
ことだろう。差別的処遇はあったにせよ、各種の史料からは安土桃山以降
の強烈な差別待遇と差別意識の制度的固定化というものはみられなかった。
日本国内のあらゆる産業と芸能文化を支えてきたのは武士でも農民でも
なく、まさしく「賎民」と呼ばれた階級の大衆だった。彼らなくば、神社仏閣
の運営もままらならず、また出生死亡の際に関することもままならず、
さらに病気の治療もままらなず(医師・薬師はすべて「賎民」階級だった)、
城郭建設さえもままらなず、武具生産さえもままらなず(武具の鎧、刀剣に
必須の皮革類は「賎民」階級が生産技術を有していたし、刀鍛冶も元来は
「賎民」階級だった)、敷衍すれば日本という国は「賎民」階級の職能技術
なくしては成立していなかった歴史があるのである。
それが、歴史的には江戸期に入り「賎視の確定」がなされてきて、あたかも
忌避すべき存在であるかのような差別観を以て扱われるようになった。
そして、明治維新により、旧被差別民のすべての職業的特権を一気に
取り上げることによって、旧被差別民の経済的困窮が開始され、ろくに
教育さえも受けられないような劣悪な状態が明治以降に開始された。
明治維新により、部落差別は意図的に強調が開始されたといっても
過言ではないだろう。
解放令などはおためごかしであり、明治五年式の壬申戸籍には差別的な
身分事項が記載され、おおよそ「新時代」とは程遠い疑似近代国家の
仮面がついこの前まで継続してきたのが明治以降の日本の体制だった。
1975年頃まで他人の戸籍を勝手に閲覧謄写ができたのであるから、
いかに日本という国は制度としても意識としても「後進国」であるかという
のが理解できよう。今の中国や北朝鮮のことを「非民主的」として非難する
ことはできないのである。ついこの前まで人権意識が制度的にも異様に
低い国が日本だったのだ。

ただ、これらの歴史は教科書で教えない。
私はたまたま中学の時に学校で習い、高校時代は自習し、また大学時代
は研究会で学習し、地域の地区にも入って活動したから、教育を受けなかった
人よりは多少「真実を知る」機会を得た。
同じ国の人間が同じ国の同種族の人間を差別するという日本特有の差別
問題については、あたかも、いわゆる「賎民」とされる階級の人たちが
差別を受けていただけのようなことしか学校の教科書では教えない。
実態としては、日本の芸術文化の主たる担い手であったことなどは一切
教えようとはしない。
それは戦国末期から江戸期にかけての「賎視の確定」以降、「大衆では
ない者たち」として、戦国末期までとは異なる強烈な「排除行動」が開始
されたからだった。「エタ」に代表される「賎民」たちは「賎民」という概念では
ひとくくりにできない存在であったのに、固定的に「賎民」という概念を代弁
する集団として確定させられたのである。
そもそもの起源は権力と密着性の位置にあった人々が権力からも大衆からも
排除させられていった歴史が戦国末期から開始されたのだった。
しかし、後世に「賎民」と呼ばれた階級が、古代から日本の芸能の担い手
であり、出産や死亡などの人々の慶弔に深く関与して日本人を支えてきた
のは揺るぎない事実なのである。
「賎民」と呼ばれた存在は奴隷という存在(奴隷的存在は古代から明治まで
存在した。江戸期にも常に人身売買の禁止令が出たが、一向に無くならな
かった)とは全く異なる存在なのである。原初は職能集団だったのであり、
これは神話の時代から明治まで連綿と続いている。陰陽師なども「賎民」で
ある。武士なども元々は「賎民」であったが、武士はその成立期のごく初期
の時期に脱賎している。
武士が持つ日本刀が「俘衆の剣」である蕨手刀を参考に発展したことや、
狩りの技術に長けた「俘衆」からの戦闘技術を積極的に武士が採り入れた
こと、つまり俘囚に対して抵抗感をまったく示さなかったのは、己らの存在
ルーツが同種の階級だったことに起因していると思われる。
江戸期に入ると武士と「賎民」は明白な地位的差異が生じたが、軍事力を
以て治める警察力としては、武士と「エタ」は階級は大きな差があるが、社会
の統治機構の実効力の内実としては同一地平にあった。

歌舞伎図巻(江戸時代)

ここに出てくる演者奏者の人々は全員が今でいう「部落民」の人たちだ。
日本の伝統的諸芸能の担い手とはどんな人たちだったかを歴史の教科書
では正確に教えようとはしていない。
城を造ったのも、街道を守ったのも、慶弔の祝い弔辞を述べるのも、神社
仏閣の維持運営も、祭りの運営も、諸芸能の興業も(相撲興行を含む)、
日本の歴史のなかでほとんどの「アクティブ」な活動は「賎民」と呼ばれる
人たちが実質的に担ってきた。幕末に咸臨丸を操船したクルーは全員が
「賎民」階級である。こうしたことさえ教えない。「『権力者』と『大衆』が賎民を
差別した」という一面的事実しか伝えようとしない。彼らの活躍なくば、城
さえ建たなかったというのに。

三原城の築城祝いのカーニバルである「やっさ祭り」には例年30万人ほどの
人出がある。
見ていると勇壮で、まるで都市騒乱状態のようだ。
そのためか、江戸期には武家がやっさ祭りに参加したり、見物に出ることを
三原藩は禁じていた。
そもそも、武士が町人や農民の祭りを観に行くという事自体が憚られるべき
ものとされていた。
祭りもそうだが、歌舞伎や芝居などの観劇も無作法で武士の行ないではない
とされた。そのくせ能楽については演者を呼びつけて屋敷で能を舞わせたり
していた。侍なんてのはつまらん生き者だったと俺は思う。
だが、侍だろうが「賎民」階級だろうが、出生は自分では選択できない。
自業自得ならばいたしかたないが、自分で選択できないどうしようもない
ことを以て人的規定を為すことは、現代においては絶対にあってはならない
ことだと私は強く思う。それは出自のルーツが過去の封建時代までのどの
階級に属したかとか、性別であるかとかだ。人がそれらによって差別される
ような社会の仕組みや人的規定概念を人が心に抱くことは絶対にあっては
ならないことなのである。

三原の「やっさ祭り」は、市民の老若男女が踊り狂って楽しむ。
うちの娘も小さい時からハッピ着てやっさ祭りに参加していた。
小学校でも三原は全員が参加する。「やっさ祭りなんて嫌だ~」などという
子どもたちは一人もいない。これは強制ではなく、自ら進んで祭りに参加
している。三原の人たちはよくあそこまで踊れるなぁと思うくらいに踊り猛る。
阿波踊りの台詞にあるが、「踊るあほうにみるあほう 同じアホなら踊らにゃ
損損」というのは、現場にいると本当にそのような一体感に包まれる。
だからこそ封建時代の権力者は警戒したのだろう。民衆暴動がいつの時代
でも一番権力者が恐れていることだろうから。現代でもそうだよね。1968年に
新宿騒乱があった時のように。
しかし、「騒乱罪」、これは祭りには適用されない。

古代権力と結びついた神事としての祭りではなく、やっさ祭りのような
大衆カーニバルの祭りのほうが俺は個人的には好きだよ。
まあ、でも神事としての祭りも、もう発生起源の意味をはなれて、どの
祭りもカーニバル化しているからいいのだけど(^^;
浅草三社祭りなんて、ああた、取り締まりで機動隊が出てくるから萌えだったり
するのだけどさ(笑
吉田たくろうの『祭りのあと』という曲は、まさに1960年代末期の「異議
申し立て」の季節が終わってしまったことを歌った歌だけどね。中島みゆき
の『時代』もそうだ。
今でも芸能関係者や芸能そのものを賎業と見る差別観を持つ人間がいるが、
そうした感性や人間そのものが前時代の悪しき残滓だと俺は確信している。
芸能を馬鹿にするやつはお笑いTV番組観たりとか落語聴いたりするなよ。
ギター弾いたり洋楽聴いたりしてもいけねぇぜ。整合性がねえだろ。自分で
持っている差別観と。
「差別者たち」は、本気で一度自分の社会概念を自分に刃を向けて自己切開して、
自己批判して検証するこった。自己総括というやつだ。
自分に自分で刃(やいば)を向けられない武士なんてのはいなかった筈だぜ。
日本刀や武士語りが大好きな人間たちに限ってそれができないから助からん。
つまらん武士ごっこしてないで、祭りにでも行って汗流していたほうがずっといい。

三原やっさ祭り

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時代劇茶髪考

2014年06月10日 | 映画・ドラマ・コミック



6月8日の時代劇ドラマ『みおつくし料理帖』で主演の北川景子の
髪が茶色いからと、わかったようなふるまいでピーチクパーチクと
ネット上での非難が散見される。
俺に言わせりゃ、半端もんのさえずりだね。
髪が赤く見えるのは、昆布やわかめの栄養が足りてないからだろ(笑

まじな話をすると、普通状態でも髪の毛が茶色い日本人はいくらでも
いる。
第一俺がそうだった。
高校の時は脱色(当時茶髪という単語はなし)しているのかと疑われる
くらいだった。特に髪洗ってからドライヤーでブローした直後などは今で
いう茶髪。ノーマルで茶髪。だから油をつけて黒く艶をつけていた。

中学の時の同級生の女でも髪の赤い子がいた。この子は色も真っ白で、
しかも、目の色も外人のような色だった。純粋な日本人だ。この子は
俺なんかよりもずっと髪が赤かった。栗毛というより外人のような赤毛
だった。
完全に色素の問題だ。
俺の赤い毛の高校時代の写真をアップしてもいいけど、アップしない。
高校の時のつきあっていた彼女も色が真っ白で髪の毛がノーマルで
栗毛色だった。白人のように亜麻色ではないが。目の色も外人のように
薄くて透き通っていた。彼女は俺と同じく日差しが苦手だった。こちらの
彼女の写真も当然アップはしない(笑


「髪が黒くなければ日本人ではない」感覚で時代劇についてさもわかった
ように言う連中は、さも「時代考証的におかしい」というような観点で物を
語って
いるから、それこそおかしくて笑いが出る
ならば、既婚者はなぜオハグロ(鉄漿)にしない?
それを指摘しない?
眉を剃り落としていないことを指摘しない?

女性の髷が元服前と元服後で島田であるかないかをなぜ指摘しない?
また、女性の髪形は江戸と上方で元服後はまったく異なることを
なぜ指摘しない?表現している時代劇はほとんどないのだが。

要するに、よく知りもしないことを中途半端な思い込みだけで(その思い
込みを
正しい知識だと思っている)偉そうに上から目線で論を展開して
いるのがお
かしくてヘソで茶を沸かしそうだ、と俺は言っている。
ろくに時代考証について研究しているわけでもないのに、わかったように
適当なことを分別くさく論じて自己満足に入る。
パカ?パカなの?

日本人の髪の毛は、心理状態によって一気に白髪化することもある。
脱色して行った黒髪は赤くなる。
また、栄養状態でも色は左右される。要するに一様ではない。
そうした厳然たる事実を直視しないで、先入固定観念で、しかも誤った
認識に基づいて論を為そうとする連中は俺は大嫌いだ。
馬鹿馬鹿しくて話にならん。

時代劇で茶髪が出てきても、実は当然なのだ。日本人の髪というのは
そういうものなのだから。漆黒の黒だけでなく、ブルネットも多くいるのだ。
ただ、黒髪が上質とされた文化があったから、幕末の新選組の原田
左之助を称して「艶やかな黒髪がとても美しく」というような伝言が明治期
まで目撃者によって残っているのだ(八木家の話)。
しかし、現実は日本人の髪の色は真黒だけではない。
そんなこと、普通に小学校や中学校の時に周り見れば判るだろうに、
もうね、観察力のなさというか、現実を見る力のない奴らに限って『みおつくし
料理帖』の北川さんや製作者を分別顔で非難したがるんだよな。

勝海舟のおやじのように、若い時にカブキ者だったから髷の先を金色に
染めていたとかいうのは特別な例としても、普通に暮らしていても
髪の色
が薄い日本人は現代においても存在するのである。
髪の毛の
色や目の色が薄かったり青かったり(白人と同じような青い瞳の
日本人は東北地方にいる)したからと、
異端視するのは、その人間が
どのような視点で社会を見ているかの
バロメーターになる。中身の芯は
差別的な人間だろう。もしくは差別にたいして無頓着か無知か。
差別問題に関しては無知は差別していることと同列になることさえも
知らないのだろう。
だったら、ぴーちくと物を言わないで眠ってろよ。


時代劇でも茶色い髪の登場人物は多い。
これは俺が個人的にOKかどうかを論じる以前に、日本人の髪としても
OKなのである。「そういうのもあるだろう」ということで。
私はマイノリティ迫害につながるファシズム的発想を自覚しない連中が
とてつもなく嫌いだ。

以下、時代劇で茶色い髪の作をいくつか見ていこう。






(これはハーフという設定)




これは幕臣。


おはうち枯らして栄養状態が悪いのを演出するとこうなる。

拝一刀の旗本時代の髪は真黒であるので、意図的な
演出であるといえる。
当然の手法として、42年前から茶髪は使われていた。
というか、白髪になる途中では赤くなるのだってば(苦笑
わかってねえタコスケばかりだなあ。

こちらは田村の拝一刀。栗毛色系。


田村正和が眠狂四郎を襲う薩摩藩士に扮した作もある。

狂四郎襲撃まで相当苦労されたようで・・・(笑
つか、これもハーフの設定だったか。

女性も茶髪は普通に使われていた。




織田さんも真黒ではない。


天下のNHKだが、これは髪の色を取り上げる前に髪形に問題アリ。


元服後には本当はありえない髪形。しかし「劇」だからありだろう。
時代劇はドキュメンタリーではない。劇だ。だから微妙な線引きで
楽しむものだ。さすがにスカイツリーが出てきてはいけない。

この髪形にしても「本来はあり得ないよ」という指摘はいくらでも
してよいだろうが、これの演出を全否定で駄目だとするならば、
女性のオハグロと眉落としがないことをも指摘しないと手落ち
である。また、女性の髪形についての指摘もないと主張に整合性
がない。

本来ならば、時代劇に登場する既婚女性はみなこのような感じに
歯を染めることになる。
ただしこの髪形を見ると・・・さて、どうしてこの髪形なのにオハグロ
で眉を落としているのか(ニヤリ)。茶髪に文句たれてた連中は
サッと説明できるよな?



てか、知らないんだべ?よく。
だったらゴチャゴチャ言うんじゃねえよ、と俺は思う。

これは原作通りに「異人さんみたいな髪の色」にしている。
眠狂四郎と同じような設定か。


つきつめていくと、こういう髪の色もありか(笑
ま、これはエンターテイメントだろうけど。目の瞳まで金色だったしな(笑

俺は今は本当は髪が真っ白だ。
確かに、白髪になる時、それでなくとも薄い色の髪の黒が抜けて
赤(ワイン色風)になり、その後一時期金髪様になったが、人に
よってこの座頭市のようにまで全体的に金色になるのかどうか、
それはよくわからない。わからないことはわからないので、わかった
ふりをして言うことは俺は一切しない。

ただ言えるのは、よく知りもしない、わかりもしないことをさもわかった
ような態度で「あれはあかん」と言うような連中が多くてね。


仕事着

2014年06月09日 | 文学・歴史・文化・科学

料理人の仕事着は、和洋どちらもカッコイイと俺は思っている。





ところが、どうしても解らないことがある。
和食の料理人、なぜネクタイをしているパターンがあるのだろう。


首回りがきつくて仕事しにくいように思える。とっても思える。
だって、事務作業するときでも、ネクタイというのは適さないもの。
ネクタイは基本的に前かがみの姿勢の時用ではなく、直立時の
フォーマルウェアだと思う。

ノーネクタイのほうが仕事着としては適しているように思えるのだが、
日本料理の謎の一つに料理人のネクタイ着用がある。




やっぱ仕事着はこれだぜ!これが決定版だぜ!

「祖母の割烹着で」って、あんたそれは明らかにウソだったでしょ。
スタッフと会見の前日に一緒に店に買いに行ってたやん(笑

しかし、小保方ちゃんはかわいそうだよなぁ。
ただの天然メンヘラ女子のパー子ちゃんを理研も学者もマスコミも散々
利用した挙句、都合が悪くなったら全員がテノヒラ返しでケチョンパだ
もんなぁ。
特にひどいのがヤラセまで仕掛けておきながら、ばれそうになったら
魔女狩りのようなことでつるしあげだものなぁ。
マスコミ関係の報道番組もさも正義の味方ぶっているコメンテーター
ばかりで、気持ち悪くて嘔吐しそうだぜ。

まあ、仕事でネクタイがあろうがなかろうが、要するに仕事の
良し悪しは衣装格好ではないということを証明してくれたのは
「ありまぁ~す」という具合で大正解だった。



椀から食すのが俺は好き。てか、本膳会席では普通か(笑

あ~、でも身だしなみがだらしないのはてんで駄目だね。
特に料理する人は。


イギリスなんてのは、戦争中の戦場での仕事着もネクタイだったり
するけどね(笑


砂糖

2014年06月09日 | 文学・歴史・文化・科学



江戸時代、日本の金の海外流出を防ぐために徳川吉宗は砂糖の
国産を国策として推進した。
昭和時代になり砂糖は完全に国産のみでまかなえる量となった。
だが、江戸時代にも大坂の儒者中井履軒のように砂糖の害を述べて
砂糖亡国論を唱えた者もいた。

ウィキペディアによると砂糖には以下の健康的問題が指摘されている。

(以下引用)


健康問題

砂糖は多くの病気・疾患の原因になる食品として問題視されている。
1978年に、英国の生理学者ジョン・ユドキンは、「純白、この恐ろしき
もの - 砂糖の問題点」という本を書いた。また「砂糖は毒」であるとして
米国の小児科医師たちが、社会への悪影響を挙げ、砂糖の害はたばこ
や酒と共通しているとして、同じように税を課すべきである との指摘を
英科学誌ネイチャーに発表した。またこの事に対し砂糖や飲料の業界
団体が一斉に反論する事態となった。
砂糖を有害物質として規制すべきと一部の専門家たちが指摘し、それは
砂糖は高カロリーで肥満をもたらすだけでなく、タバコやアルコールなどと
同じで含有する成分が内分泌系に悪影響を与え、心臓病や心臓発作、
2型糖尿病などを連鎖的に引き起こすリスクを高めると指摘されている。
また砂糖に関しては砂糖依存症が科学的に示されており、ほかの食品
とは違った過剰摂取が起こる。

WHO/FAOは、レポート『食事、栄養と慢性疾患の予防』(Diet, Nutrition
and the Prebention of Chronic Diseases WHO/FAO 2002年)と
いう報告書において、慢性疾患と高カロリー食の関連を指摘し、食事中の
総熱量(総カロリー)に占める糖類の熱量を10%以下にすることを推奨して
いる 。なお、日本人の食事摂取基準(2005年版)推定エネルギー必要量
の10%を糖類をすべて砂糖に換算した場合、成人で約50—70g程度の
量(3gスティックシュガーで17—23本分)に相当する。

2014年には、世界保健機関は肥満と口腔の健康に関するシステマティック・
レビューを元に、砂糖の摂取量をこれまでの1日あたり10%以下を目標と
することに加え、5%以下ではさらなる利点があるという砂糖のガイドライン
のドラフトを公開した。砂糖では、2000キロカロリーの10%は50グラム、
5%は25グラムである。

アメリカの消費者団体CSPI(Center for Science in the Public
Interest)は、「消費者は、糖分を多く含む食品の摂取を控えなければ
ならない。企業は、食品や飲料に加える糖分を減らす努力をしなければ
ならない」と主張し、FDA(米国)へソフトドリンクの容器に健康に関する注意
書きを表示し、加工食品と飲料によりよい栄養表示を義務付けるよう請求
している。アメリカでは肥満対策のため、公立学校で砂糖を多く含んだ飲料
を販売しないように合意されている。アメリカでは、マクドナルドやペプシコ
など11の大企業が、12歳以下の子供に砂糖を多く含む食品など栄養価
に乏しい食品の広告をやめることで合意している。イギリスでは2007年
4月1日に砂糖を多く含む子供向け食品のコマーシャルが規制された。

う蝕(虫歯)と砂糖との関係はよく知られているが他にも砂糖と疾病との
関係が指摘されている。
・高カルシウム尿症の尿路結石症患者は砂糖の過剰摂取をしないように
 勧告されている。
・膵癌との関連が指摘されている。
・虚血性心疾患に関してはアメリカ心臓協会の2006年の生活指針は、
 砂糖の多い食べものを減らすようにすすめている。
・注意欠陥・多動性障害 (ADHD) と砂糖との関連を示す小規模な研究報告
 が継続的に報告されている。2006年には、5000人以上と規模の大きい
 研究で砂糖の多いソフトドリンクの摂取量とADHDとの相関関係が観察
 された。ただし、砂糖の原料となりうるテンサイのベータブルガロシド
 (betavulgaroside)類には小腸でのグルコースの吸収抑制等による血糖値
 上昇抑制活性が認められた(詳細はサポニンを参照のこと)。


我が家は家庭で作る料理に一切白砂糖を使わない。一切である。
実は私の母(別居)も使わない。
私の家は平成元年から料理に一切砂糖を使用していない。
理由は、砂糖の害悪について知ったからである。
毒は食べない。それだけのことだ。
と言ってもケーキは食べるのだから矛盾はあるが。
居合をやり始めた頃、医食同源について居合同門でカイロのセンセを
やってる
同級生から砂糖の害について詳しく教えてもらった。
以降、家庭内料理においては一切白砂糖を使用していない。
結婚してからも、家庭内料理は砂糖を使用していない。

外食ではいたしかたないが、砂糖を多用している料理はすぐに分かり、ベチャ
ベチャで箸が進まなくなった。健康云々以前に味がてんでうけつけなく
なった。
これが本来の舌だと思う。

日本料理でも、意識性の高い板前がいる料亭や和食の店では砂糖を使わない。
私がリンクを貼っている「手前板前」のサイト主の板前さんも、ご自分の店では
砂糖は基本的に使っていないようだ。→リンク砂糖有害論を考察

私の家での食事は、基本的に病院食のようなもの(笑)

うちでは、これにお椀が必ず付く。
友人がやっている店で出す食事がとても美味いのだが、椀物、汁物を
まったくつけない。訊くと「なぜ汁物がいる?」という感じだった。
和洋にかかわらず、椀物なしは俺個人はどんなに味が良い料理でも画竜点睛を
大きく欠くと思っている。


昨夜の時代劇ドラマ『みおつくし料理帖』では「キュウリを武士は食べない」と
いうのが
出てきた。これは切り口が徳川の御紋に似ているからというのが
理由で、実際に江戸期にあった文化だ。
これと同じで、うなぎも江戸は腹から割かないで背割りにする。ハラキリは
不吉だからだ。
タクアンも何切れ出すかが大切だ。一切れは「ひときれ=人斬れ」で×。
三切れは「みきれ=身斬れ」でこれも×。従って、江戸ではタクアンは二切れ
を出す。
キュウリの切り身は江戸では忌避されたが、叩きは確かに江戸期からあった。
キュウリの叩きはうちでも家内がよく作ってくれる。

ただし、時代劇『みおつくし・・・』の中で砂糖を使ってタレを作っていたのは
いただけない。砂糖を使わずとも美味しい叩きの酢醤油タレは作れる。
タカノツメは必須だ。



どんな料理でもうちは一切砂糖を使わない。
こういう炒め物(六宝菜)でも砂糖はもちろん使わない。


玉子焼きなんてのは、逆立ちしても砂糖を使わない。それでも甘く
焼き上げることができる。(新宿『古茶』おばちゃん直伝)


正月の雑煮でも一切砂糖は使わない。この出汁のツユがめちゃイケる。
餅は家で年末についた餅だ。江戸風四角餅でないところが気に入らないが
まあよしとする。



添え物の煮物ももちろん使わない。甘みは砂糖以外で出す。


極めつけが、うちでよく作る魚の煮つけだ。
これ、結婚してから長年かけてかみさんが極めてくれて、
てめえの女房自慢はタコ助だと知ってはいても、かみさんの
魚の煮つけは絶品だと褒めたい。店に出しても恥ずかしくない
味を出している。

これも当然砂糖は一切使わない。このアコウ(キジハタ)は
幻の魚と呼ばれている高級魚だが、サクッと三原の湾で
釣れちゃうのだからたまらない。これも美味かった。


ポイントは釣れたらすぐにシメルこと。シメて血抜きをする。
そしたら料亭向け素材として出来上がる。怠けるとただの
魚屋で売ってる魚の死体になる。


こういう料理が毎日食べられたらなぁと思う。

ここまで手をかけなくとも、これのミニ版でいいから、和定食のような
食事が毎回できるといいと思う。

本職の研ぎ師でも料理人でもないが、家庭用包丁を常に戦闘態勢に
整えておくには、最低でもこれくらいの砥石は必要。
砥石無しというのは、論外。料理以前にトラブル(支障)を抱えている。
包丁が家にあるなら砥石も買いましょう(^^)
それだけでメシが美味くなる。切れる包丁だとメシが美味くなる(いや、
これほんと)。これを逃す手はない。

あと必要なのは、面出しの下駄のような砥石ね(笑)

ささやかながら、家で食べるごはんがおいしいというのは、
こんな幸せなことはないと思う。
家族が「共に生きる」というのは、まずは食事からだと思う。


『みおつくし料理帖』 感想

2014年06月09日 | 映画・ドラマ・コミック



思いのほか、よかったよ。
ドラマの筋書きはともかく、細部の演出がきめ細やかだった。
時代考証、けっこうやってるねぇ~(^^)
料理屋でのシーンなども、卓と脚(などは存在しない)ではなく、
座敷に盆というごく常識的な江戸の料理店の様子を再現して
いてグッドだった。
ただ、吉原の全景のCGはひどかった。全景は出さないほうが
よかったように思える。普通ならばラッシュの時にチェックして
大幅削除だろうと思われる。


そして、心配していた北川景子さんの包丁さばきだが、細かい
部分では問題あるにせよ、相当稽古したことが見て取れる。
良かったよ。女流剣術家の役などより100倍も良かった。
(あの剣術家の役は技術が伴わなくてひどすぎだった)
きちんとした板前さんに就いて学習したと思われる。




江戸はこのネギだぜ!いわゆるネギ。まあ、なんつーか千住ネギだな。
俺は薬味のような文化ネギ(中国地区で一般的な細ネギ)はネギ料理
にはいらん!
「ネギラーメン」を広島県で注文して文化ネギの円切りスライスが山盛り
で出てきた時にはかなりショックを受けた。中国地区は白ネギを食う
習慣があまり無いから、当然「根深汁」などというものも一切存在しない。

根深汁。江戸庶民の御馳走だった。単なるネギオンリーの味噌汁
なのだが(苦笑
こちらもご覧ください→池波正太郎『剣客商売』のレシピ『鴨飯に根深汁』

白味噌が中国地区では一般的であるのだから、白ネギは白味噌にも
合うので味噌汁にも根深のように白ネギをザクではなく細めの短冊か
サキガキのような細切りにして入れるとマッチするのだが(浅草飯=アサリ
ぶっかけ飯のネギ仕込みのように)、あまり中国地区ではそうした味噌汁
も見ない。うちでは白味噌ではそれを作っているが。
(赤味噌にはネギは太巻きネギマのようなのが不思議と合う。いわゆる
画像の切りタイプ。味が強めの赤味噌だと、ネギを細くすると、ネギと
味噌が喧嘩して味噌が勝つからネギ太目が定番なのではなかろうか。
ネギを細かくした赤味噌の根深汁ほど素朴な食材の良さの引き出し方を
わきまえていないものはない)
中国地区は「ネギといえばこれ(文化ネギ/細ネギ)」という固定観念から
抜け出そうとはしない。もったいないような気がする。
だけど、すき焼きにはこの東京ネギ(いわゆるネギ)を中国地区でも
使うのにね(^^;
まあ、すき焼きは横浜生まれだから、あちらもんとして白ネギをしぶしぶ
受け入れているだけかもしれないが。
あと、チェーン店の焼き鳥屋では「ネギマ」でネギを使っているけど(^^;


北川景子さんは、なんだか関西弁がまったく違和感ないなぁと思って
いたら、考えたら
この人、バリバリの神戸だよな。
しかし、役どころの大坂の言葉=船場言葉ではなく、ときどき
神戸発音が混ざっていたのはやむなしか。
東京の人間は聞き分けができないだろうが、京都弁/大阪弁/
神戸弁は全部違う。
大阪弁も「大阪弁」などというものではくくれず、大雑把に言うと
細かい集合地域によって言葉が違っている。大阪といっても、
摂津、和泉、河内の各国でそれぞれ異なるし、さらに細かい地区
ごとに言葉が違う。
東京でも旧江戸(=ほぼ山手線内)の下町と山手(小石川や
紀尾井町等)では言葉がまったく違うし、現代では23区と都下
では言葉が違う。
京都弁と大阪弁(全体)ではまるっきりイントネーションが異なる
ことが多くて、それは私でも聞き分けられる。

それでも、北川さん、関西弁での台詞の演技初めて観たけど、なんか
いいねぇ。関東弁の標準語の役よりもずっといい。
ナチュラルな感じで、
とっても、かわゆす♪(^^)

いいわぁ。


『ダッシュ村』は三原特集だったけど、知り合いがいっぱい出てて、

かみさんと二人で観ていて笑った。
あの試作品で失敗作としていた「たこ入り麺」は、社長さん、あれ
「焼きそば専用麺」として売ればいいように思うのだけど・・・。
TOKIOの0円食堂では、味は大成功だったんだから。汁ラーメンの
麺としてはボツでも、三原焼きのモダン焼きそば入り専用麺とすれば
イケると思うのだが。
「やっさラーメン」のほうは、尾道ラーメンとは一線を画していて、
なかなか美味いと私は思うっす。
三原というところは、海も山もあって風光明媚だし、魚介類や鶏や野菜
は極上に美味いし、いいところだよ。人は食えないのばかりだけど。