渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今宵の月

2022年12月10日 | open


不気味な月である。

ラージリビング

2022年12月10日 | open


象牙。
クリーミー!

タイガー新樹脂。
ホワイティー!
まっちろけ。

野球の投球練習ができそうな位
の広いリビングで驚いている。
世の中、いろいろある。

ステーキ

2022年12月10日 | open





うまし!

お招き

2022年12月10日 | open


本日は、ビリヤードテーブルが
ある個人宅にお招き頂いたので、
身だしなみも整えて、これを
って行こうと思う。







きょうは、象牙先角で撞く。
社交撞球。
品位ある綺麗な玉を撞こうと
思う。

タイトリスト・コンバージョン

2022年12月10日 | open



フルスプライス本ハギのキュー。
ベースは70年ほど前のキューだ。
ブラジリアン・ローズウッドを
使用している。

ボロボロだった物を私がリペア
した。



このキューは、エンドキャップを
真っ白いデルリン®に交換したい
と思っている。タイトリスト・
コンバージョンのように。

だが、製作当初の原状を保つのも
ありかと悩んで
いる。
ホワイトデルリンの魅力はオールド
キューファンが持つ憧憬にも似て
いる。
やはり、エンドは白樹脂でないと、
という妙な感覚がオールドキュー
ファン全般にあるようだ。

ただ、このキューにはウエイトボル
トが装着できない構造だ。
そして、デルリン®等のPOMは
接着不能であるので、エンドキャッ
プ本体と樹脂に接合の大ネジを切ら
ないと締め付け密着ができない。
デルリンを接着剤で着けただけの物
は、呑み込みの距離を取っても、
そのうち確実に緩んで外れる。
そのため、バラブシュカはボルトで
固定する方法を採用し、TADコハラ
はキューエンド本体木部とデルリン
エンドキャップにネジ切りをする
事で締め付け固定する方法を採った。
ペシャウアーなどが別樹脂でもネジ
切り固定しているが、それはキュー
のパーツの緩み防止の為の手間を
かけた製作法だからだ。

デルリンの単純接着は無理。
表面を特殊専用加工しない限り、
接着剤では木材に接着できない。
ウエイトボルトを締め付けネジと
して兼用させる以外の方法は、
デルリンのエンドキャップ固定
はTADのようにネジ切り加工する
ほかは無い。
それには専用旋盤とビットと高度
な加工技術が必要になる。
むしろバラブシュカタイプのよう
にウエイトボルトねじを木部に
切ってデルリン装着のほうが簡単
だ(私のオリジナルキューはそう
した構造にしてある)。
いずれにせよ、デルリン®等の
POMの装着は簡単にはいかない。

私のオリジナル・コンバージョン。
Luke Landwalker Model No.6。
エンドのデルリン®の装着方法は
バラブシュカ方式にした。
製造手法はタイトリスト・コンバ
ージョンだ。全長59インチ。


私の自作オリジナル。
Luke Landwalker Model No.7。
友人だったリペアマンがくれた
デルリン®の丸棒素材を使用し
た。装着方法はバラブシュカ式。
ブランクは30年かけて私が削っ
た。メープルの突き通し無垢木
一本物。

曲がり一切無し。
撞球性能と撞き味、オールド
TADに近似。全長60インチ。


ブランズウィック・タイトリスト・コンバージョン

2022年12月10日 | open

1950年代のタイトリストを
コンバージョン改造した作。
70年以上前のキューを使える
キューとして蘇生させる。
1950年代や60年代にはそれが
「現代キューの仕様改造」で
しかなかった。そして、それが
当時の最先端オリジナルキュー
の手法だった。
しかし、21世紀の現代にあって
は、日本刀の戦国期の古刀研ぎ
上げによる差料の一口(ふり)
を整備して完備する、というの
に近い位相となる。
「使える」物にするのだ。
骨董品として錆びさせたまま死蔵
するのではない。

コンバージョン製作者が銘を記し
ている。カスタムキューによく
ある手法だ。


リアはウイリー・パピーのタイプ。


随分ごついウエイトバランサー
が装着されている。


それには理由がある。
このタイトリスト個体原本は
15オンスだったからだ。
プールキューとして使える重量
にするには19オンスあたりまで
は持って行かないとならない。
4オンス113.4gを付加させるの
は容易な事ではない。
たぶん、金属ウエイトをセンター
コアに仕込んでいる筈だが、
日本のアダムのウエイト130mm
長の物でも重量は54.4g=1.92
オンスしかない。
このキューが総重量19オンスまで
増量させているとしたら、見え
ない内部に何らかのウエイトを
仕込んでいると思われる。
つまり、コンバージョンとは
ウエイト配分までを適正化さ
せて行く「キュー製作」なのだ。


70-80年過ぎて色あせた本ハギの
ベニヤも、クリア塗装をする事で
ある程度色あいは蘇る。
クリアコートにより光の屈折が色
を識別できるまで反射するからだ。


コンバージョンは、キュー製作
の入門としても、高度な技術を
持つ職人の挑戦技としても面白
いと思われる。
ただ、出来合いのブランク入手
が容易な21世紀の現代にあって
は、1940年代~1960年代のブラ
ンズウィックの古い個体キュー
を入手する事自体が困難だ。
ブランズウィック社製で別ディ
ーラー販売ブランド名の製品は
まだ入手がわりと簡易にできる
のだが、それがブランズウィック
社製であるとは多くの人は知ら
ない。
米国Palmer社の製品は膨大な数
(たぶん世界一。最大月産400本
程)のプールキューを廉価で製作
販売したが、それは組み立て屋
としてのシステムだった。(その
パターンの先駆者だった。後に
乗用車の業界がそのパターンを
実行した)
Palmer製のキューは製造元の
ブランク仕入れがブランズウィ
ック社だけでは追いつかない
ので、個別のビルダーたちから
もブランクを入手して製造し
まくった。
バートン・スペインなども供給
していた。
それほどに、プールキューを大量
生産しても「売れた」時代だった
のだ。
なぜならば、それまでは米国内
ではブランズウィック社しか
ほぼプールキューを作っていな
かったから。
それが個人ビルダー的な製作者が
登場するのは、ハーマン・ランボー
あたりからであり、1961年以降は
有名なジョージ・バラブシュカが
巨星として輝いた。
バラブシュカ以降は多くのビルダー
が自作キューを製作した。
まだ世の中に「カスタムキュー」
という名称も概念も存在しない。
「カスタムキュー」という位相
が成立するのは1990年代以降だ。
そして、ランボーもバラブシュカ
も、ブランズウィックのキューを
ブランク原本としてコンバージョン
改造をする事でオリジナルキュー
としていた。

バラブシュカのキューがなぜ性能
において「名品」であるのか。
それは、使い倒されたハウスキュー
であったり、長年使われて育って
来たキューをベースにしていた
からだ。
つまり、最初から元の素材が枯れ
て適切に育った木材だったからだ。
なので、今でもソリッドシャフト
のキューにおいては、バラブシュカ
が突き抜けて撞球性能が良いのは、
内実として特上素材を使っていた
から、という決定打の要因がある。
こればかりは、いくら技術力が
高くとも超えられない。
日本刀において、古刀と同じ日本刀
が現代においてまず絶対に造れない
のと同じだ。それは鋼と作り方が
違うから。一番大きいのは素材たる
鉄がまるで異なるからだ。
ビリヤードのキューもそれと同じ
「歴史性」に左右される要素が
強くある。
そもそも、バラブシュカが使う
素材の木は、日本の歴史では戦国
時代あたりに芽を出して数百年
育った樹木だ。それを伐採して、
物によっては数十年も寝かせて、
そして気乾比重も整えて少しずつ
削ってストックを繰り返して製作
された。(木はただカラカラに
乾燥させればよいのではなく、
安定領域を長期保持できる状態
にしないとならない。その揺れ
の「動き」を止めさせるのが
シーズニングの本旨だ)

現代でも日本のアダムや三木は
ストック&シェイピングの繰り
返しを実行しているが、材料種
によっては強制人工乾燥を施した
り、曲がり防止の硬化剤のスタビ
ライザーであるネルソナイト漬け
にしたりしている。1960年代の
旧工法をそのまま実行してはい
ない。
バラブシュカはストラディバリウ
スと同じで、バラブシュカを超え
る物はバラブシュカしか無いのだ。
古刀粟田口吉光を超える物は吉光
以外に存在しないように。

それらの状況と内実はキュー製作
会社の人たちは十二分に知悉して
いた。
そのため、それらの材料と経年
変化がもたらす良質性の担保と
いう状況を突破するために大革命
である大発明が試みられた。
それが、材料枯渇問題を打破し、
個体差を無くす目的で作られた
「ハイテクシャフト」だった。
それまで木材の経歴と素材の
良質性の如何に大きく依拠して
いたビリヤードのキュー作りに
対して、ハイテクシャフトの
登場は歴史的な大革命、ビリヤー
ドの産業革命とも呼べるものだ
った。

だが、しかし。
いつからかハイテクシャフトは
爆発的に売れたがゆえ、妙な
「新製品連続爆売り商業商品」
として製作者が利用する「金の
卵」となってしまった。
本来の目的も亡失された。
また、大衆たちは大きな勘違い
をし、ソリッドノーマルシャフト
を「ノーマル」として見下す事
で自らの無知蒙昧に覆いをかけた。
それが今世紀初頭の日本全国で
の社会現象だった。
非常に愚劣な発想と態度を多くの
撞球人たちが実行していた。
バカバカしくて話にならない。
ビリヤードキューの歴史と真実
の姿をきちんと捉えている人は
日本においてはごく僅かだった。

そして、今は、ハイテクシャフト
が飽和状態になったので、次なる
ドジョウ狙いで出て来たのが
真っ黒いカーボンシャフトだ。
それと手袋。非道に高いチョーク
とタップ。
業界人の基幹全員が金儲け第一
主義でぶっぱしっている。
そうした情勢では、「良い物」も
「良い者」も生まれない。
それは人類史の定理だ。
武井壮さんが日本の堕落腐敗した
ビリヤード界の現実を知って、落胆
し、「玉撞きやめた」となるのも
一理ある。
汚れ切った業界の実態と業界人
たちのさもしい心を見たからだ。

それでも私は玉を撞く。
だって、自分が小汚くならなければ
いいのだから。
腐った連中やその潮流には与しなけ
ればよいのだから。
しかし、武井さんは「プロになろう」
としたので、見たくもないものが
見えてしまったのだろう。
腐った協会や団体や個人の実態を
見てしまったのだろう。

おいらはね、キューとそれを作り
出す職人の魂が好きで好きでたま
らないからキューを手に取る人で
いようというのがある。
キューなんて何でもいいよ、では
ないのであって。
だから本当はビリヤードが好きな
のではなく、「キューを使うスポーツ
であるビリヤード」が好きなのかも
知れない。自分の場合は。
他の人の事は知らない。
ただ、いえてるのは、モノヅクリに
まい進する人への敬意は私の中では
消滅しない。
私のそうした敬意の最たるものは
「料理を作る人」へと向かう。
男も女も老いも若きも関係ない。
料理を作る人というのは、心が無い
と「料理」は作れない。
(逆に作らない人には心が無いと
は言わないが、料理を作る事を
小馬鹿にする人たちは心が至らない
心無き人によって占められている
という現象は存在する。「男子厨房
に入らず」などと言ってるドたわけ
は寿司食うな、という話)
心と共にある料理というものは
モノヅクリの基本だが、それは
ビリヤードのキューも同じなのだ。