肩もストンと落ち、肘もごく
自然に垂らして曲げ、リラッ
クスして上体が脱力されてい
る綺麗な乗り方。
カワサキの広報動画および
配信画像においてとても気
になる事がある。
それは、リラックスド ライ
ディング ポジションと謳い
ながらも、全くリラックスし
ていないモデルを使用してい
る事だ。
ヘルメットの被り方も後ろ
下げ、顎出し。
足はただステップに載せて
いるだけ。しかもカカト載
せ。
仙骨の使い方を間違った骨
盤上の背骨そっくり返り。
背筋直立硬直伸ばし。
全てにおいて駄目だ。
「乗れてない人」であるだけ
でなく、危険載りの典型見本。
こういうモデルを社の広報に
自動車メーカーが使うのはい
かがなものか。
実際に乗れない素人のような
モデルが頑張って前傾姿勢を
取ろうとすると、これまた典
型的なダメダメフォームにな
っている。
上半身はガッチガチだ。
腕立て伏せをした時の姿勢の
ようだ。
足と、爪先と、足指と、内く
るぶしと、腿と、尻と、腰骨
と、背骨と、肩関節と、肘関
節と、手首と、首と、頭部と、
顎の使い方が全て駄目なのだ。
これはひどい。
綺麗な乗り方、正しい乗車時
の身体の使い方というのは、
トップ画像の昔をイメージし
てカワサキが撮影させた二人
乗りの運転者のような乗車姿
勢の事をいう。
一人乗りジェットヘルの女性
乗車員のモデルさんの乗り方
は載り方であり、すべてが✖。
見ていても危ない。
免許さえ持っていない人にオ
ートバイに乗らせたみたいな
状態になっている。
これは、二輪運転としても、
メーカーの広報としてもあか
んやつ。
剣道の武道具の宣伝で竹刀を
左右逆に持っている素人を使
って撮影しているような感じ。
Kawasaki W230
世代を超えて受け継がれる二
輪車というこのコンセプトの
路線はヤマハのXSR700が狙っ
たものだが、カワサキは既に
1989年時点で「原点回帰」と
いう当時の「新機軸」を世に
問う事を開始していた。
そしてダブルファミリーの軸
線はヤマハXSR700は乗り手と
いう人を主体に、カワサキの
路線はモーターサイクルその
ものが世代を超える主体とし
てコンセプト化されている。
同じヒストリカル、同じヘリ
テイジ、同じネオレトロでも
ヤマハとカワサキでは軸線の
主体性に相違を見せている。
前述のように1989年にその
原点回帰路線をカワサキは川
崎重工の二輪製造部門の廃止
か否かの瀬戸際で、背水の陣
として打ち出して、世間の予
想に反して爆発的なユーザー
の支持を得た。
そうして1989年に登場した
ゼファー(398cc)によってカワ
サキは消滅せずに済んだのだ
った。
そして、その後、カワサキが
生み出したネイキッドモデル
(原点回帰)がカウル付モデ
ルを凌駕して世の主軸となっ
た。
世の中、カウル付モデルは廃
れてライトウエイト&ミドル
クラス(400)ではカウル付モデ
ルが全く新車では存在しない
時期が続いた。
するとカワサキはカワサキ自
身が生み出し創生させたネイ
キッド主体の二輪界に新たな
新風を巻き起こすべく、国内
で唯一一社カワサキのみがカ
ウル付モデルを発表した。
それがニンジャ250だった。
また世の中をカワサキが変え
た。
その流れがつい最近まで続い
ていた。「走りそうなマシン」
の復権復活だ。
国産各社はカワサキの模倣を
した。
だが、三度カワサキは新機軸
を打ち出す。
それが2018年発売のZ900RS
だった。
最新技術を投入しながら古い
時代の名車をモデルとしての
全体印象と雰囲気を出すデザ
インという離れ業をやっての
けた。
結果、爆発的に売れ、新車販
売は抽選による形式となった。
そしてその売れ行きゆえ、つ
いに国内最下位だったカワサ
キは天下のホンダを抜いて、
その後も躍進し続け、「カワ
サキ一人勝ち」という状況を
作り上げた。
この動画のライトウエイトク
ラスのヒストリカルモーター
サイクルであるW230は、発生
の軸線はZ900RSに始まる「い
にしえと現代の融合」という
コンセプトの二輪作りの軸線
上にある。
さらに細分化した具体例とし
ては、カワサキはネーミング
もZ900RSと同じ路線で昔の
称号を用いたWシリーズを復
活させた。大型のW800と中型
のW400として。デザインは
1960年代の目黒製作所の人気
機種メグロを彷彿とさせるデ
ザインを踏襲復活させた。
目黒製作所は川崎重工グルー
プの川崎航空機と業務提携し、
大人気のメグロの販売網をま
だ二輪業界に参入して黎明期
だった川崎航空機が使わせて
もらう形だった。
だが、大人気だった目黒製作
所は1960年目前に倒産しかけ
てしまう。
理由は諸説あるが、目黒製作
所があくまで大型(当時最大の
500)にこだわる中、モーター
リゼーションの発達と共に時
代は入手しやすいライトウエ
イトに人気が集中し始めたた
め、というのが時代背景とし
て存在したようだ。
結果、川崎航空機が目黒製作
所を買収する形で吸収し、目
黒製作所はカワサキの一部
=カワサキ自体となった。
その後川崎航空機は川崎重工
に組み込まれて統一された。
つい近年、川崎重工は二輪部
門を分離、別法人化させた。
カワサキは川崎航空機が重工
に吸収されてからずっと「川
崎重工が作る二輪」だったが、
独立して初めて二輪専門企業
として再出発した。
その川崎航空機が目黒製作所
を吸収した頃のメグロのオー
トバイの構造がカワサキのW
シリーズとして1960年代に継
続登場し、それが1970年代に
消滅した後、21世紀の2010年
代末期にWの名を冠して3度目
の登場を見せた。
路線はカワサキが1989年に旧
来のカウル無しのジャパニー
ズスタイルで一世を風靡した
ゼファーによる原点回帰路線
が軸線の基軸だ。
カワサキが今世紀にそれをや
る前にヤマハXSR700が新たな
視点としてそうしたヘリテイジ
と親子の2世代まで受け継がれ
る二輪作りという新構想を出し
たが、大きな背景の原初はカワ
サキが1989年に打ち出した西風
の路線に沿っているものだ。
ヤマハのXSR700の開発コンセプ
トのヒントは私が当時手掛けて
いて発信していた斬鉄剣小林
康宏の引退からの復活プロジェ
クトと私の日本刀に関する所見
が大いに参考にされた。と、
ヤマハの開発総責任者本人が
私に語っていた。
伝家の日本刀のように代々受け
継がれるような存在。ヤマハ
XSR700はそれを目指した。
今、カワサキがW230開発発表
において、それと同じ路線を
展開しようとし始めている。
これは明らかにヤマハXSR700
が初めて打ち出した基軸と同一
線上にあるが、そのベースは
カワサキ自身が作った1989年
の西風=ゼファーの開発コン
セプトにこそある。
開発者の思想性はカワサキ-
ヤマハ-カワサキと受け継がれ
ている。
まさに、時代を超える「遺し
伝える大切なもの」としての
太い背骨が存在しており、そ
の脈々とした連面性は体現
される二輪の開発製造実態と
合致しており、日本のモーター
サイクル史の中で特筆的に面
白く興味深い傾向性として
存在している。
カワサキとヤマハが別々に開
発したヒストリカルモデルは、
奇しくもその開発思想の根底
において密接に繋がっていた
のだ。
その精神的な軸は「日本的」
という塊のコア部分として私
たち日本人のアイデンティティ
をも代弁するものとなっている。
「受け継がれていく大切なも
の」。それは日本であり、日本
人たち自身が主体的に行う良き
伝統や文化や風習であり、日本
刀のように日本を代表する存在
だ。
カワサキとヤマハはその世界観
を、別会社別場所ながら、時期
は互いにずれていても、交差し
ながら獲得するに至ったのであ
る。
カワサキとヤマハの車は、私た
ち日本人の車だ。
開発してこの世に誕生させる車
作りの根幹部分において、日本
人の魂の軸線を丁寧になぞる車
作りをしているからだ。
エンジンのホンダ。
走りのヤマハ。
個性のスズキ。
魂のカワサキ。
こうした旧来の概念は日本の各
社自身によって崩されつつある。
そして多様化を見せながら軸線
の再確認路線をヤマハとカワサ
キは打ち出してきている。
着実に一歩一歩を歩むように。
混迷する現代。日本の二輪界の
そうした我々日本人の魂を揺さ
ぶる日本文化の再生活動の展開
に、今後も大いに期待したい。
コーナーの旋回ではきちんと
フロントを回頭させる。
コーナー出口が見えたら加速。
直線では上体をきちんと伏せ
てしっかりと加速する。メリ
ハリ大切。低速だろうと快速
だろうと、水すましのように
メリハリの無い同速度トロッ
コ走行が一番危ない。サスに
充分な仕事をさせないタイヤ
の表面的グリップ頼りだから
だ。タイヤは直線でも旋回で
も面圧をかけて潰して乗る。
ブレーキング開始ポイントを
見定める。
ブレーキングポイントで上体を
ガバッと起こすと同時にブレー
キング、ブリッピング、シフト
ダウン(適切ギアまで)を全て
同時に行う。ブレーキングしな
がらのブリッピングはレバー圧
が変化しないようにしながら、
かつ任意の狙った速度まで減速
させる。また、減速Gを腕で突
っ張って受け止めてステア機能
を阻害するような事をしてはな
らない。下半身でマシンをホー
ルドし(たとえハングフォーム
であろうとも)、上半身は柔軟
に抜重させる。
フロントブレーキを引きずり
ながらコーナーに進入。
フロントのボトムによりキャ
スター角を立たせたまま旋回
に入る。
ブレーキをリリース。
リリースしてもフロントフォ
ークが浮き上がったり沈んだ
りの上下運動をしないように
旋回Gのフォースを巧く利用
して、前後サスを充分に沈ま
せてマシンを安定させて旋回
する。
旋回。パーシャル状態。
前後サスは充分に沈め、きち
んと働かせている。
クリッピングポイントは旋回
ラインの頂点=コーナリング
エイペックスと同地点ではな
い。
峠では必ずコーナー出口が見
えてから加速する。
コーナー出口が見えないうち
に加速させたりオーバースピ
ード(各人のレベルによる)で
ブラインドコーナーに入るの
は厳禁。
それをやると大抵は死ぬ。
公道で大切なのは速さではな
い。
大切な事は、正しい認識と的
確な判断に基づく正確な車の
操作と適切な操縦だ。
それこそが二輪車両走行の安
全を担保する。
「道交法を守るのみ」などと
いう上っ面の場当たり的な合
わせ行動は意識段階において
既に危険を招く。
真に正しい適切な操作と操縦、
状況を正確に読み取る人間力
こそが安全を確保する。
40km/h道路を40km/h以下で
走っていさえいれば安全かと
いうと、そのような事は絶対
に無い。物理的に無い。
すべては適切正確な二輪の
操作操縦と乗り手の判断力、
識別力にかかっている。
皆様も真の安全運転でよろし
くどうぞ。
なお、「ご安全に」という
誤った日本語は私は使いま
せん。
その造語を使用する習慣を
あえて作った建設業界にい
るならば「業務用語」とし
ては使うでしょうが、一般
社会では誤用ですので、私
は使いません。
最近バイク業界にも「ご安
全に」という誤った日本語
が無思慮に使われ始め、拡
散しています。
それは、私は日本人の認識
力、識別力、思考力の低下
の象徴がバイク界にも押し
よせたと捉えています。
正しい判断と識別と思考が
できない。
これは、オートバイという
物を乗る時に極めて危険
素因となります。
ただの言葉では済まされな
い。
死亡中という言葉が無いよ
うに故障中という言葉も無
いのですが、無思慮に間違
った日本語である「故障中」
が現代では大蔓延している。
それと同じく、「ご安全に」
という間違った日本語が二輪
界に蔓延り始めています。
それは無意識で使うならば、
認識力と識別力と判断力と
思考を停止させた危険なス
タンスだと自覚しましょう。
二輪乗りならば特に。
「これでいいのかな?自分
は正しい道を進んでいるの
かな?」という自己切開は
二輪運転では絶対必須事項
です。
無頓着の無思慮が一番危険。
それと意固地で自分を見つ
めないような思考回路。
それらは二輪走行ではてき
面に危険誘発素因として浮
上し現実化してきます。
自分に気をつけてください。
乗り方については、この車両
解説動画が分かりやすい。
特に走行動画で追走しての前
走車の操縦の仕方が具に見ら
れて視覚的に何をやっている
のかが理解しやすい。
NSR250R vs KR-1
こちらはサーキットでの走り。
公道とは共通部分もあるし、
全く異なる部分もある。
操作操縦については公道もコ
ースもオートバイは全く同じ。
乗り方は同じ。
コースと公道が異なるのは操
作ではなく走行方法と進路だ。
グランプリライダー
福田照男の生きざま!
kawasaki KR-1
モーターサイクルのスロット
ルを操作する右手はこんな感
じ。走行中も。
ふんずと鷲掴みにして手首を
グルンと回して回転上昇によ
るツキを待つような事はしな
い。濡れた筒状に丸めたハン
カチを静かに絞るような感じ
で操作する。
力任せの握り締めは絶対に
やってはいけない。
これは2ストだけでなく4スト
でも同じ事だ。
手首グルンのドンガバチョで
ツキを待つと、不適切量の燃
料を送り込み不燃状態を発生
させてしまいエンジン回転と
アクセルが同調しないだけで
なく、駆動系にまで及ぶいろ
いろなよろしくない不具合を
運転手が発生させる事になる。
それを「操縦」とは呼ばない。
スロットルを開いて燃料を送
り込む事をパワーオンとも呼
ぶが、二輪のスロットル操作
はスイッチのようなオンオフ
ではない。
これはブレーキについてもい
える事だ。
ブレーキもオンオフのスイッ
チではない。
適合速度までの減速を獲得す
るための操作レバーが前輪の
ブレーキレバーである。
KAWASAKI KR-1
全開走行後の排気管
こんなもんだろう。
私が2ストモデルに乗ると
こんな感じ。
これは原付2ストスクーター
でも同じだ。
ベッタリと不完全燃焼のオ
イルを排気管に溜めるよう
な事は無い。
排気管はカラカラに乾いて
いる。
なぜこういう事になるか。
それは右手。
なぜこういう事にならず
に不完全燃焼で被らせた
り、燃え切らないオイル
を排気ガスと混ぜてネト
ネトにさせてチャンバー
内や排気管にベッタリと
こびりつかせるか。
それも右手。
すべての答えは右手にあ
る。
備後国安芸国の古墳状況を
俯瞰して見てみる。
すると、大阪や埼玉の平野部
の古墳とは明らかに設置状況
が異なる事が即見て取れる。
古墳は墳丘墓であるとされて
いる。
一方でただの墳丘墓ではなく、
周辺の農地開拓目的の灌漑用
水確保の為の掘割や溜池を造
った時の土砂の集積場所であ
るという「古墳灌漑事業説」
が存在する。
だが、それは大阪や埼玉の例
と合致しない地形状況の地方
にはその説は当てはまらない。
山肌部分やもろに山の中に古
墳が造営されている地区が多
く存在するからだ。
田園の中に古墳がある大阪や
埼玉の大古墳群とは全く異な
る場所に古墳があるのだ。
古墳灌漑事業説は古墳のある
一面性を特定場所に限り解析
しようとした説に過ぎない。
【高速道路】110キロで
転倒しました。海外でバイク
事故のリアル現場
【 04 #ふぐオーストラリアツーリング】
何があった、ねこかず?!
いつにもない真面目な語りの
ねこかず君だ。
襲って来たのはウォブルか?
シミーか?
あるいは彼の癖にどんなバイ
クに乗っても右手を必要以上
に回してからツキを待つ悪い
癖があるが、それを加速させ
ようとしてドンガバチョとや
って後輪にトラクション増大
が急激に発生し前輪が蹴られ
て一気に揺れて横ぶれ過大が
制御できずに転んだか。
原付でさえドンガバチョを
やると同じ現象が大なり小な
り発生する。ツキが遅ければ
モワッと不完全燃焼で被るだ
けで、ツキが早ければドン突
きを発生させて特定速度で発
生するシミーやウォブルをさ
らに誘発させやすくなる。こ
れは直線でさえも。
通常のじわりとした適正燃焼
と同調させるスロットルワー
クでの適正最速加速や高速度
パーシャルクルージング状態
では一切発生しない。
110とは言ってるが、たぶん
120あたりだったのでは。物
理的によく発生する領域。
別な要素でも多くの何かが
ある120km/hだ。本当に120
界隈には何かがある。
別要素の一例では、インカム
は120を超えたあたりから通
話に雑音が多すぎて使えなく
なる。風切り音が一挙的に増
大するのも120からだ。
峠などでは、80km/h旋回レベ
ルのコーナーを抜けて立ち上
がりでスロットルを開けてす
ぐに来る速度領域。
また、峠で中高速コーナーで
は突っ込んで旋回して行く時
の速度域だ。
サーキットでは120は低速域
(ヘアピンの70km/hは超低速
域)だが、公道の峠では120
の速度での旋回は中~高速域
になる。
(あくまでも類別的物理特性
の話。道交法云々の別問題の
話などはしていない)
前輪が揺れ始めた時(一瞬であ
っても)、全身を巧みに使った
抜重とパワーオンで前輪を持
ち上げて対処するテクニック
が使えないモデルはクリアが
きつかも。
1980年代のWGPではよくト
ップライダーたちが前輪を軽
くリフトさせるシーンがある
が、あれはミスリフトではな
い。多くはウォブル対策で立
ち上がりで揺れ発生時直後に
瞬時に前輪荷重を抜くために
やっている。ハイサイド発生
直前の時のリア抜きと同じよ
うな対処法の理論的技法を使
って。
ウォブルやシミーの時にスロ
ットルを戻したら大変。
フロントは一気に大揺れにな
って足払いを食らったように
前からすっ飛ぶ。
私もコースだけでなく公道で
も何度かなった事があるが、
記憶に強く残っているのは
桜田通りで五反田を上りで
坂を抜けての高輪左コーナー
で1984年秋に発生させた大揺
れだ。振り落とされそうにな
った。それはフロントリフト
でクリアした。
次に大きなウォブルで記憶に
あるのは2019年6月のR182の
右コーナーから高速左コーナ
ーへの切り返しで発生した。
これも荷重を抜いてフロント
を少しリフトさせてクリアし
て次の高速左に入って行った。
その他小さなウォブルやシミ
ーは結構しょっちゅうある。
トロトロと左側にそってトロ
ッコ走りをしていたらそうし
た現象は起きない。
私の親友のMCメンバーもよく
行く近所の峠でZ900RSでウォ
ブル発生。どうにか抑えて転
倒せずクリアしたが、ハンド
ルエンドのウエイトが片方す
っ飛んで行方不明になってい
た。本人もよく転倒しなかっ
たと語っていたが、昔コース
ライダーだったから対処でき
たのだろう。
コースでは微細なものから多
少大きなものまで本当にしょ
っちゅうある事だからだ。
怖いのは、マシンのステム周
りとホイールベースとスイン
グアームの設計的同調が取れ
ていない「不完全」な機種で、
ドン突きによってフロントが
一瞬暴れて即足払いで転倒す
るケースだ。
というか、最近の国産二輪の
レーサーはほぼそれ。
多分、最近の公道市販車の設
計フォームも同じ設計思想基
軸なのではなかろうか。
ねこかず君、たいした怪我が
なくて本当によかった。
たぶんNSRで発生したら対処
できていただろう。
感染症を防ぐ為にも、消毒液
とヘモスタパッドは海外では
持参したほうがよいと思われ
る。国内でもあったほうがよ
いが、海外で一番恐ろしいの
は感染症。特に野外では。
(山陽自動車道上り線)
日帰りツーリングや長距離走
では深夜の走行になる事も多
い。
だが、その深夜走行はそれは
それでかなり面白い。
特に高速道路での弾丸快速は
楽しめる。
首都圏と違って地方の高速道
路は照明が殆ど無いけどね。
高校生の時、日光那須までの
クラスメートたちとの一泊ツ
ーリングの帰りの深夜、関越
自動車道に照明が全く無いの
に驚いた。
それまでは高速道路は首都高
しか走った事がなかったから
だ。
(首都高)
首都高は高校・大学時代には
タイヤが擦り切れる程(笑)走
ったが、一般高速道路は高校
2年まで未経験だったのだ。
真っ暗な関越をバイクで仲間
と走った時、え?高速道路で
こんなに暗いの?と本当に驚
いた。
だが、首都圏に入るに従い照
明が設置されているのに気づ
いた。
それと、SAが近づくと地方の
高速道路でも照明が設置され
ているのを初めて知った。
今でも地方路線の高速道路を
日が暮れてから走る事も多い。
高速道路は面白い。
道路を走るのはどこでも面白
いが、高速道路は格別だ。
都内ってさ、夜景がいいのよ。
特に首都高環状線周回ナイト
クルージングは最高だ。
高校時代から毎週のように
何度も行ったここは京浜島
と並ぶ隠れた夜景スポット
だ。
This is my city.
このメトロポリタンが私の街
だ。
ソウルタウンはYOKOHAMA。
マイホームシティはTOKYOだ。
ここが故郷。
Beause I was born in this city.
And I raced through this city
like a rocket at mach speed.
バイクが大好きだったが、ある
事情で長年バイクに乗れない人
がいた。
だが、最近大型二輪免許まで取
得して再びバイクに乗り始めた。
一緒に走ってみた。
走りはまるで25年前に戻ったよ
うな若い多少やんちゃな走りだ
が運転がかなり上手い。
四半世紀ぶりの復活でも最初か
らきっちりと乗れている。
良い。
乗っている姿も、下りてからも、
バイクが好きで好きで堪らない
感に溢れている。
引き締まった面持ちと心からの
満面の笑顔。
一緒に走るどんな機種にも興味
を示し、どんな二輪にも敬意を
以て真摯に接する。
彼は「オートバイ乗り」だ。
「SR400の何がいいのかわか
らん・手放した」って言われ
たら・・・皆さんはどう思い
ますか?
どう思うもこう思うも無い。
このコメント者には
「お前は電動原付にでも乗っ
てろ」
というだけの話。
その機種を選んだのは自分な
のにネガ部分として自分の不
適合の資質をバイクのせいに
する。
オートバイ乗りでもなんでも
ない。
電動バイクどころか二輪など
乗るな、というだけの話。
論外。
「音が迷惑」と言ってる点に
すべての人的感性が集約され
ている。
いわゆる、コンプラ正義マン
のカスだ。
バイクなど乗るな。
乗らんでよろし。
モーターサイクルはすべての
機種ごとにすべて味が異なる。
そのように設計段階から目的
意識的に作られているし、そ
ういう存在だ。
「味噌汁などは何が良いのか
まったくわからん。あんな物
はすぐに食べるのやめた」と
いう奴が料理の事を語るのが
論外であるのと同じ。
二輪に関与するのはやめなさ
いね、このたぁけ。
てだけの事。
人の専門機種動画サイトにわざ
わざ行ってコメントしている点
がさらに人間としての外道慮外
ぶりを露呈させている。
牛丼屋に自分から行ってるのに
「牛丼なんてどこがいいのか」
とあえて発言するようなもので、
どれほど非常識な人間の非常識
な自己感性をあたかも常識であ
るかのように展開する。
最近多い社会のクズだ。
事故って死ぬ前に二輪などは
やめたほうがいい。
事故って死んでも自分の勝手
だが、それこそ人には迷惑か
けるな。
人のサイトにあえて行って下
劣な資質コメントをしていい
気になっている時点で本物の
迷惑行為だと気づいていない
本馬鹿。二輪世界からは消え
たほうが社会の為になる。
大阪府や埼玉県の古墳群は
平地にあり、古墳灌漑用水
説も説得力を持つ。
古墳は陵墓であると同時に
広大な土地を開墾する為の
土木事業の土壌集積建造物
であるという説。
環濠仕様の前方後円墳だけ
でなく、古墳の周囲には必
ず人工池と田園地帯が存在
する事もそれに符合する。
だが、福岡県行橋(ゆくはし)
市の古墳群のように、山岳
丘陵地帯に古墳が群として
存在するケースもある。
山の中に古墳があるのであ
る。
これらのケースは「古墳灌
漑事業説」では説明がつか
ない。
わざわざ池や農業用水用に
掘った土を山の中に運ぶ理
由が不鮮明だからだ。
「古墳=灌漑用水説」は日本
各地の古墳のある一面性につ
いては説得力を持つが、国内
の全古墳に該当する全面的に
妥当な説とはいえない面もあ
ると思われる。
(福岡県行橋市の古墳群)