監督:サム・ライミ(1995年)
レビューではない。
以前にも感想は書いたが、本日は少し気になったところを。
この作品は、ガンエフェクトがとてもリアルで、衣装や出てくる
銃にもきっちりとした時代考証がなされている。
それでも、初見のときから気になっていた点を再度見てみること
にする。
まず、レディ(シャロン・ストーン)が決闘大会に参加することが
決まり、参加者が揃い、無頼の市民が町中で銃を乱射して大騒ぎ
するシーン。
矢印のピース・メーカー4-3/4インチ銃身モデルは、最初の一発は
撃発していたが、その後、ハンマーが起きず、ハーフコックまで
起こしてそれで無理やりトリガーを引いて撃ったような演技をして
いる。これを2回。
シリンダーは回っていないので、内部のシリンダーハンドスプリング
が折損したものと思われる。ハーフコックの時にはトリガーロックが
かかるのだが、無理やり引き切ってハンマーの溝をぶち壊してトリガー
を引き切ってしまっているようだ。撮影本番でのトラブルだろう。
これは初見の時から気付いていて、「変なの」と思っていた。
さて、レディは酒場でコート(ラッセル・クロウ)を救った後、酒の
飲み比べて勝ったが、ポーカーではキッド(レオナルド・ディカプリオ)
に敗れてしまい、キッドの家である銃砲店で一夜を過ごす。
にんまりとするキッド。19歳のレオ様。若い!
二日酔いに苦しみながら起き上るレディ。
この作品は、衣装や小道具がかなりリアルな時代考証がされている
のだが、このレディの下着は・・・。西部開拓時代には存在しな
かっただろう。Tだろ?これ(笑)
しかも透けてるし(笑)
だが、『氷の微笑』といい、シャロン・ストーンのプロ女優ぶり
には頭が下がる。オゥ!マイガッ!
しかし、シャロンはこの『クイック・アンド・デッド』については、
かなり気に入らないシーンがあったらしく、一度町を逃げ出してから
思い直して町に戻り、コートと強烈に絡むラブシーンをDVD化に
あたって本人の強い申し入れによりすべてカットさせている。カット
されたDVDで観ていても流れに違和感はないが、町の無法に耐え
きれずに飛び出して墓場で泣く主人公が次のシーンで町に戻ってきて
いて、しかも綺麗な服に着替えている意味が不明となってしまって
いる。とても残念だ。ここは古いビデオでそのシーンと話の流れを
是非とも見てほしい。
このようなDVD化にあたってのカットということは結構あり、スタ
ローン主演の『暗殺者』でも
肝心の最ラストシーンがDVDではカットされてしまっている。あれ
の最ラストは・・・言わない方がいいか(笑)
この『クイック・アンド・デッド』は、レオナルド・ディカプリオが
有名になる前の作品だが、この作品では、まだ少年から青年に変わる
頃の彼の演技が見られるのが嬉しい。心理描写などかなり巧い。この
時すでに後年演技派となる片鱗を見せている。
ジョニー・デップはあまりにデビュー時から演技力が図抜けていたので、
デビュー作品である『プラトーン』(1987)において監督によって
ことごとく出演シーンがカットされてしまった。
理由は「他の主役たちを食いまくっていた演技だから」というものだ。
残された映像作品ではその演技力の凄さが伝わらないような編集と
なっている。
レオの場合、この『クイック・アンド・デッド』では、脇役ではなく、
主役のうちの一人なので、十分に若き日のディカプリオを見ることが
できるのが幸いだ。
ここ数年の彼の演技は素晴らしいと思うし、やはり『ブラッド・ダイ
ヤモンド』以降の彼は演技派の本道を行く俳優として大成していると
私は思う。
そのレオが演じたキッドの愛銃はコルト・ピースメーカーだ。
「ピースメーカー」とはコルト社の販売店が名づけた愛称だったが、
一般的にもその呼称が流行した。この作品の中で、キッドが経営する
銃砲店のシーンでも「ピースメーカー」という呼称が登場する。120
ドルもするピースメーカーが出てくる。いろいろな銃が出てきてマニ
アックに解説したい場面だが、それは次の機会に譲る。
ここではキッドが愛用している銃についてチェックしてみる。
彼の右腰にある銃はピースメーカーの4-3/4インチ銃身モデルのエン
グルーブ(彫刻)入りのニッケルメッキモデルだ。1880年代当時も
高級品で、現在では超プレミア価格帯となる。
ローディング・ゲートのシリアルナンバーは#477である。
プロップガンとして使われているが、完璧な実銃だろう。
グリップはアイボリーだ。
ただし、別な銃のアイボリーグリップを銃砲店で叩いた時の音は
本象牙の音ではなかったので、これもフェイク・レプリカかも
知れない。アメリカ映画は環境団体からの抗議に神経質に配慮
するからだ。『リバー・ランズ・スルー・イット』においても、
「我々はこの作品において一切鱒を殺していない」というテロップ
が最後に流れていた。
弾丸の装填が終わり、シリンダーを回してロックする。ここで各
パーツのシリアルナンバーが見える。
シリンダーのシリアルは#6478だ。
しかし、フレームは#06478であり、トリガーガードは
--#03473である。
つまり、このピースメーカーはすべてのボディ・パーツが
オリジナルのシリアルではなく、各部を組み合わせた一丁
であることが判る。
ピースメーカーにあっては、このようなことはよくあること
なのだが、この銃自体はこの作品のために製作された精巧な
コルト・レプリカであるので、あえてシリアルナンバーを
変えてリアル感を出した演出ではなかろうか。ガン・エフェ
クトを担当したのは、世界一の早打ちマンだった「マーク」
ことセル・リードだ。彼のこだわりの演出ではなかろうか。
ディカプリオが作品の中で使用したシマロン・アームズ製
SAA。口径.45ロングコルト。ニッケルメッキにエングレーブ
が施された精巧な複製モデルだ。コルト・オリジナルの1st
無煙火薬ジェネレーションを正確にモデリングしている。
(バックルが異なるのでリグはレプリカ)
第1回戦の決闘の前のキッド。作品中では実弾で撃ち合う。
逃げたら主催者に殺される。
ダブル・ホルスターの二丁拳銃のキッド。
ホルスターの中でシリンダーが回転させられるように金属板が
入った現代のファスト・ドロウ用のホルスターではなく、西部
開拓時代通りにただの革であることが形状から判別できる。
実にリアルである。
撃ち合いの前のポーズ。まだ19か20歳のディカプリオの表情等
の演技力が光る。
キッドが命をかけて決闘トーナメントに出るのは、普段の態度に
表れているように強くなりたいためではなかった。
父である町の支配者ヘロッド(ジーン・ハックマン)に「こいつ
は妻がどこかの農民と作った子だ。ガンファイターの俺の血筋では
ない」と言われ続けていたキッドは、父親に実の子だと認めて欲し
いがために決闘に出場していた。
そんなキッドをヘロッドはつめたく突き放す。キッドに「お前は
大会に出るな」と言うヘロッドだが、それは子を慮ってのことで
はなく、自分の権力の座を守りたいがためだ。
だが、キッドの本当の心は、親からの愛を求めている。それは作品
のふしぶしに出てくる。
しかし、キッドが大会で勝ち続けることは、破滅へと繋がる道
となっていく。
ラストの対決。レディのピースメーカーが火を噴く。
この時の彼女の銃の演出がにくい。
今トリガーを引いた。
弾丸が飛ぶ様子がCGにより描かれている。あまりに速いので気付か
ないかもしれないが、私は初見から気付いた。
射撃後のレディ。本名はエレンだ。彼女の心の意味は劇中で明らかになる。
シャロン・ストーンが撮影用に使ったSAAはEMF ハートフォード
製.45口径で、アルミニウム銃身を持つ超軽量タイプのニッケル
メッキ仕様になっている。
この『クイック・アンド・デッド』(1995)はC G演出が出始めの
頃だが、作品中では様々な撮影上の試みがなされている。人物が静止
したまま背景のみがグーンとアップになったり、逆に引いて行ったり
する映像はブルーバックによって撮影された人物と、キャメラクレーン
で移動した背景を合成して作られている。この作品で初めて登場し、
以降、映画界では一般化された。
また、撃たれた人物の着弾もすべてではないがC Gが導入されている。
ただし、C Gではなく、実際に親指をふっ飛ばす実写も使われている。
だが、角度によって本物の親指を内側に折り曲げているのが写って
しまっているので、惜しい。親指をすべて隠すような皮膚色のゴム
手袋をはめて撮影した方が良かっただろう。
ただ、これは「ミス」の範疇には入らないだろう。『柳生一族の陰謀』
で、ラストに柳生但馬の右腕が床に落ちた時に、明らかに石膏で作った
腕形のように「ゴットン」という音がしたが、あれはその部分だけは
同時録音ではなくアフレコで「ドシャッ」という音を入れるべきだった
だろう。こういうのは「ミス」だと思う。
アクション映画には映像上の「齟齬」「錯誤」がかなり多い。映像的
につじつまが合わないことがかなりあったりするのだ。山田洋次監督
はそれだけは避けたいと『たそがれ清兵衛』で神経質に配慮したのだが、
肝心の決闘のシーンで大杉漣さんが左手薬指に大きな指輪をしたままで
撮影にOK出してしまったことに気付かなかった。取り直しできなかった
ので、そのシーンはそのまま採用した。
こういうちぐはぐさ、ミスがアクションものにはかなりある。
この『クイック・アンド・デッド』では、ミスではないが、整合性が
ないシーンもある。
それは、唯一、対決者の配置の位置関係からか、射撃者を逆焼き
(裏返し)にしているシーンがあるのだ。本当はあり得ない絵なの
だが、その向きの方が映像的に違和感がなく見えるからそのように
逆に焼いて編集したのだろう。
クイックだったが、お気づきになったろうか。
もうひとつ、日本人には多分解りにくいだろうシーンを。
牧師であるコートが無理やり決闘に引き出されていくシーン。
心無い町の人々は、罵声を浴びせながら彼に石や汚物を投げつける。
コートは無言でなすがままに歩く。
これは、この作品でコートが救世主であることを表しているのだと
思う。
このシーンは、十字架を背負わされてゴルゴダの丘へと歩かされた
イェスと重なり、私は胸が痛くなった。
キリスト者でなくば、あまり意味が解らない演出のシーンだと思う。
単に町の人が牧師に怒声を浴びせているだけのシーンと映るだろう。
だが、このシーンはラストシーンへの布石として宗教的にもとても
意味があるのだ。
この映画、字幕も日本語吹き替えも戸田奈津子ではないのに、かなり
原語と異なり、原語のニュアンスを捉えていない部分もある。
特に、とても大切なレディの回想シーンの惨劇でのヘロッドの言葉の
訳が原語とニュアンスが違いすぎる。日本語吹き替えの声優さんが
すばらしい演技をしているだけに(本当に素晴らしい)、実に翻訳が
惜しい。あのシーンでヘロッドが少女に言った That's close enough.
がどんなにひどい言葉か。翻訳は単に「いい腕だ」となっていた。吹き
替えも日本語字幕も両方ともだ。
さらに吹き替えでは farmer という原語が「どこかの流れ者」となって
いた。
字幕では「農民」。「どこかの流れ者」と、開拓民で土地に定着した
農民では大きく異なる。よくよく西部開拓時代のニュアンスを考えて
ほしいと思う。それなくば、なぜ西部開拓時代には「鉄条網」によって
殺し合いが起き、多くの映画のテーマにもなったのかが消し飛んでしまう。
映画作品においては、原語を原語のニュアンスで正確に伝える翻訳を心掛
けてほしいと私は願う。
なお、この作品はアメリカ映画ではなく、日米合作である。私は佳作
だと思う。
DVDでカットされたのはこんなシーン。
シャロン・ストーンいいわぁ(^^
かっこいい。
ピースメーカーもかっこいい。
マイ・フォーティーファイヴ。
こちらのファスト・ドロウ・スペシャルもいいけどね。