渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

F1 vs MotoGP 0-350km/h 加速力比較

2017年07月28日 | バイク・車

F1 vs MotoGP 0-350km/h 加速力比較


要するに、バイクのほうがF1よりも速いということね。
ただ、コーナリングの旋回速度はバイクより四輪のほうが
ずっと速いと思うよ。


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『拝啓、父上様』 舞台は東京新宿神楽坂、よい町さ

2017年07月27日 | 映画・ドラマ・コミック

拝啓、父上様 第1話

完璧にショーケンの『前略、おふくろ様』(1975~1977)を下敷きに
している作りのドラマなのだが、倉本聰の世界全開だ。

私はこの町の隣り町に住んでいた。
この新宿区神楽坂は大好きな町だった。
坂だらけだが、もろに江戸であり、試衛館があった場所も歩いてすぐ
だった。
神楽坂の飯田橋向かいには老舗のビリヤードがあったのだが、惜しまれ
ながら数年前に閉店した。
このドラマでは、神楽坂が舞台で、町の様子も多く出てくるのがよかった。
神楽坂は江戸時代の雰囲気を残している。
江戸時代の江戸名所絵図(天保)では私が住んでいた穴八幡から神楽
坂まではひとつの町であるかのように紹介されている。
江戸期の観光案内マップではそういうことになっている。
神楽坂では中華の五十番がある。私は日本一美味い肉まんを作る店
だと思っている。

文京区の高校に通っている時、バイクのレーシングチームでレース活動
をしていた。

16才だったこともあり、当時レース界で著名だった三井さんや三原さん
に可愛がられた。
その時のレーシングライダーの先輩が神楽坂の料亭で働いていた。
その後は転職して練馬に転居するが、3歳上の先輩は板前修業時代は
新宿区神楽坂に住んでいた。
後年私が神楽坂の隣りに長く住むとは思わなかったが、生まれ育った
所でもないのだが、今でもこの界隈は「第二の故郷」のような気がする。
東京生まれの私が、最後に住んだ東京の町が、このドラマに出てくる
神楽坂のお隣りの早稲田だったからだ。
そういえば、神楽坂から穴八幡に向かう早稲田通りには、アメリカの
ラグナセカのコークスクリューの逆バージョンのようなコーナーがあった。
それは牛込天神町の交差点で、ここはバイクでは結構リスキーな
切り返しで面白かった(笑
ただし、神楽坂は午前中は飯田橋方面へ、午後は早稲田方面への
一方通行という全国でも珍しい交通規制だった。
朝は非常に混むので、新宿区西早稲田一丁目の我が家から港区
西新橋二丁目の職場まで車で通うと、たった6キロの距離
なのに、朝
だと45分かかった(笑)。


転職後、今住む土地に転居してから、歳の近い取引先の社長と
「日本一美味い肉まん」を食べに神楽坂に行った。
以前住んでいたのは地下鉄で駅一つ馬場方面の早稲田駅から
徒歩2分の所だったので、住んでいた家も懐かしかったが、その日
は神楽坂限定版訪問だった。
社長と二人で五十番で肉まんを買って、向かいの毘沙門天の横で
社長と二人で座って食べた。岡山育ちの社長は大学は都内だったが、
神楽坂五十番は知らなかったらしく、かなり感動していた。
五十番の肉まんは、原宿瑞穂の大福や東大前の藤むらの羊かんと
同じように私にとっては「なくてはならない東京の物」であるのだ。
ちなみに原宿瑞穂の御主人はある日突然「日本一の大福を作る!」
と宣言して白ヘルメットを脱ぎ捨てて横浜国大を退学して菓子職人の
道に入った(苦笑

都内23区で一番どこが好きか。
それは生まれた区でもあり、社会人になってからも慣れ親しんだ目黒
がまず出てくるが、中高時代に遊びまくった新宿区は私にとっては
かなり濃い。
その新宿区民で都内在住を終えた(今のところ)。
やはり、新宿が私の中ではかなり深い。
それに・・・新宿区って、江戸時代のまんまなんだよね、ほぼ。
町の名前は明治以降いろいろ変わったが、戦前の東京市の頃の四谷区
や牛込区地域は今でも江戸時代の空気をよく残した町の景観となって
いる。
東京江戸散歩では、新宿は外せない。内藤新宿(新宿御苑あたり)
まで行くと江戸ではなく半蔵門を出て初めての宿場町、というような
雰囲気だが、江戸城外堀の飯田橋からすぐ外の神楽坂や馬場下
のあたりは「江戸の外れ」として、古い雰囲気を残している町だ。
個人的にも思い出深い。
毎晩8時に近所の人たちが集まる犬の散歩会&雑談夜会の場所は、
尾張大納言殿の下屋敷跡の大きな公園(戸山公園)だった。
90年代初期~中期の当時はリードなしでOKだったけど、今はもう
だめなのだろうなぁ。
あの界隈は、地元住民たちが非常に人として良質な人たちでした。
ほんとに「良い人」が多い町だった。
東京に住んだ最後の町がそういう良い人たちだらけの土地で、
本当によかったと思っている。ラッキ~♪
俺は結構運がいい。悪運もかなり強い(笑


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1960年代中期アニメヒーローにみる日本の歴史

2017年07月20日 | 映画・ドラマ・コミック



無料動画(第1話のみ) レインボー戦隊ロビン(1966年4月~) ⇒ こちら

いや~。このテレビアニメは大好きでした。
放送開始時はおいら5歳の時。
漫画連載はその前年からで、石ノ森章太郎、藤子不二雄(F・)が作画、
キャラ設定にはつのだじろうと鈴木伸一も参加したという驚異的メンバー
だ。

当然にして、当時のガキどもと同じく、おいらは看護婦ロボットのリリの
ことは大好きだった(笑)。
当時は「リリ」ではなく「リリー」だと思っていた。ロビンもそう呼んでいたし。


ちょっと色っぽくて気の強い大人の女だった。


ベンケイというロボットは鉄人28号(1958年~)に似ている。
こちらは神戸市に降臨した鉄人。
鉄人は大日本帝国陸軍の秘密兵器である。


そして、ロビンが乗るロケットのペガサスはマグマ大使(1965年5月~手塚治虫)
のロケットが似ていた。
(マグマ大使)




TV実写ドラマ版のこのガムのロケットがとてもカッコ良く思えた。

この1960年代中期というのは、日本が敗戦後20年を迎えようとして
いる時代で、「侵略をしない」「侵略者を許さない」「反戦」という気風が
国民に充満していた。もう侵略戦争は嫌だし自分たちはやらないし、
侵略をするのもされるのも拒否する、という気概がテレビ番組等でも
溢れていた。
そして、特徴的なことがUFOと宇宙人ブームだ。
宇宙人は侵略者であり、地球の平和を守る為に地球人は闘う。
そのような空気が日本には満ちていたのが1960年代の特徴だった。
実際には米軍のベトナム戦争介入が熾烈化した頃であり、ベトナム
人を殺す航空機は日本の基地から飛び立っていた。
TVアニメでは。『スーパージェッター』(1965年1月~)、『宇宙エース』
(1965年5月~)、『遊星少年パピィ』(1965年6月~)、『遊星仮面』
(1966年6月~)等々、宇宙物が目白押しで、ストーリーも地球を侵略
する侵略者をやっつけるという内容だった。
地球人は祖国防衛のためには闘うが、異星人の場所は侵略しない、
というのが共通したスタンスだった。これは、アメリカの感覚とは大きく
異なる、戦後日本の土台となる国民意識の総体たるものだっただろう。

スーパージェッター(1965~)


宇宙エース(1965~)


遊星少年パピィ(1965~)


遊星仮面(1966~)


あることに気付かないだろうか。
どのキャラクタも設定も似ているが服装が似ているのである。
それの原形は石森(石ノ森)章太郎のサイボーグ009(原作1964年~)
だと1960年代生まれは思い込みがちだ。




特にレインボー戦隊ロビンなどは同じ石ノ森章太郎なのでよく
似ている。
(レインボー戦隊ロビン)


(サイボーグ009)


だが、これらの侵略に抗する戦士たちの衣裳の原形は『8(エイト)マン』
(1963年~)にあるように思える。
『エイトマン』(1963年11月~)

(1963年の雑誌広告)

このエイトマンは私は3歳の時だったが、TVで見まくった。
その後、東京大阪間に「夢の超特急」と呼ばれた新幹線が開通し、
弾よりも速く走るエイトマンは新幹線を走って追い抜いたりしていた。

このアニメのヒーローキャラの全身タイツ的なユニフォームという
ものの原形はエイトマンではなかろうか。

余談だが、私は戦うヒーローの作品では『サイボーグ009』が
珠玉の名作だと思っている。戦う者の悲哀を初めて描き切ったのが
『サイボーグ009』で、その石ノ森のテーマは不朽の名作『仮面ライ
ダー』に結実し、発展系として『人造人間キカイダー』となって行く。

009のユニフォームについては、私はTVアニメ第一期シリーズ
(1966年~。漫画原作は1964年~)の主題歌の印象が強いため、
どうしても「赤いマフラー」でないとおかしいと感じてしまう。後年の
リメイクカラーアニメで、全員が同じ赤い戦闘服に黄色いマフラーと
いうのは、なんだか別物のように感じるのだ。
やはり009はロビンと同じく白い戦闘服に赤いマフラーでないと、と
いうある種のイメージが確立されている。
しかも、ちょっとマニアックだが、色については最初カラーアニメ映画
が劇場公開されて、その後TVアニメ(モノクロ)が開始されたため、
ユニフォームの色については、モノクロ放送であろうとも、当時の
子どもたちはきちんと色の識別の刷り込みが完了していた。
009島村ジョーは白い服、003フランソワは濃い桃色、他のメンバー
は薄紫色の戦闘服であり、マフラーの着用は、先行の劇場映画版
では赤いマフラーは009のジョーだけなのだ。フランソワは水色で、
他のメンバーはマフラーなしである。





それが先行映画版以降のTVアニメ第一シリーズ版でも反映されている。




サイボーグ9人の戦士は全員がマフラーをなびかせていそうだが、実は
マフラーを着用していたのはフランス人003フランソワ(水色)と日本人
009島村ジョー(赤)だけだったのである。
それが、後年のリメイク作品では、全員が赤い戦闘服に黄色いマフラー
で統一された。私としては個性が捨象されたこのリメイク版のほうが違和感
がある。なぜならば、『サイボーグ009』は、9人各国の民族的軋轢や喜怒
哀楽や確執やわだかまりを悩みながらも超えて行って団結して一つに
力を合わせる、ということが石ノ森章太郎のガン!と中心に据えたテーマ
だったからだ。世界平和を9名の戦士に代弁させていたのだ。
だが、個性を捨てて同じユニフォームにさせるサイボーグ009の9人と
いうのは、私にはただの正規軍の軍隊のように見えてしかたないのだ。
何かが決定的に違うと思う。

(リメイク版)
なんだこれ。1965年に階級制度が廃止された中国人民解放軍か?これは。





そして、何だか公立小学校の「お手手つないで全員で同順位徒競走」を
運動会でやり始めた時代(中国人民解放軍が階級制度を廃止した期間
と重なる)にこのリメイク009が登場(1979~1980)しているのは、時代
流れとは無縁ではないことだろう。
民主主義の金科玉条の綺麗事を掲げた虚飾の「平等」は、実は数の暴力
を根底に置くファシズム
の兆しであると、多くの人は気づかずに今も騙され
続けている。


各国のサイボーグを率いる平和の戦士009島村ジョーは日本人である。
彼さえも、虚飾の平和主義にやがては色を変えられてしまったという歴史
の事実がある。
リメイク作品のサイボーグ戦士のコスチュームに関して、個性を捨てて
金太郎飴化といえる画一化することについて、原作者の石ノ森章太郎氏

が認可を出したのが不思議でならない。
彼らはロボットではなく半人間であり、良心回路を始めから備えているのだ。
その彼らを画一化された機械部品のようなまったく同じ装いにするという
ことは、何かやってはならない大きな誤謬を犯したように私には思える。
コスチュームにおいて、もはや00ナンバーの9人の戦士たちは、軍事
パレードで機械のように同一行動で行進する軍隊の兵士と何ら変わりは
なくなってしまったのだ。
「平和」の名の下に、時代の流れの中でそのように変質させられてしまった
サイボーグ戦士たち。主題歌にもあるように、果たして、彼らは「誰(た)が
ために戦う
」のか。
それの答えは、最新版アニメを観れば一目瞭然だ。あれは人類の平和の
為に戦う戦士サイボーグ00ナンバーではない。明らかに違うのである。


(原作の『サイボーグ009』by 石ノ森章太郎。加速装置で加速するジョー)

解答を示そう。
1964年の石ノ森章太郎の原作漫画も、1960年代劇場アニメ映画も
TVアニメ第1シリーズも「反戦」が完全にテーマだった。
だが、被服が統一された1979年のリメイク版は主題歌の歌詞にもある
ように「戦い忘れた人のため」に戦うというようなことになってしまう。
さらに平成リメイク版では「テロリスト」が敵となり、サイボーグ00ナンバー
のメンバーは、完全にアメリカ合衆帝国のポチ化してしまったのである。
「テロリスト」を倒すという「大義名分」のために国家的なテロルを「正義」
として行なう。
果たして、そこに本当の正義は存在するのか。
その答えは、現実の世界情勢の覇権主義をつぶさに見ていれば解答が
得られることだろう。


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今夜も西部劇 ~背景が絵であること 『続・夕陽のガンマン』~

2017年07月17日 | 映画・ドラマ・コミック



ブロンディ(クリント・イーストウッド)に見捨てられて砂漠を100キロも
歩かされた仕打ちを受けたアウトローのトゥーコ(イーライ・ウォーラック)
は、復讐のために
銃砲店を襲って銃を入手し、仲間を雇い、ホテルに
いるブロンディを
襲撃する。
その時、南軍の大軍の行進が止まり、ホテルの二階に忍び寄る敵3名
の拍車の足音に気づいたブロンディは、コルト・ネービー・コンバージョン
の分解組み立て中だったが、急いで弾を5発だけ銃に装填し、入口から
侵入してきた敵3名をファニング連射で一気に倒し、さらに1名には
とどめの1発をお見舞いする

刹那、窓際から入ってきたトゥーコが拍車を鳴らして銃をブロンディに
突きつけて言う。
「足音にも二つある。入口から来るやつと窓から来るやつ」と。

その時の窓の外の背景、思いっきり下手くそな絵ですがな(笑
しかも歪んでるし(^^;
窓外のテラスの床レベルと窓のレベルもあってない「変な絵」になって
いるし。

スタジオで撮影したシーンであること確定だが、もう少しましな演出は
できなかったのか。つか、絵が下手過ぎ。


こういう手法は映画『ワイルド・ギース』(1978)でもあった。
兵舎の中での傭兵作戦会議の時、室内を移動する登場人物に
合せてキャメラをパンさせたら窓の外の風景が同時に動くのだが、
それが明らかに写真。
動きも手動でやっているのがありありと判るような、カメラの移動と
合っておらずとても不自然なのよね。
撮影上の下手(げて)、拙劣な演出というやつです。
非常に作品の造りが安っぽくなる。
007シリーズなどでも、1960年代などの車のシーンでは、移動中
の車内から外の景色は撮影された景色を合成しているが、非常に
稚拙でチャチだったりする。
いくらCGが無い時代で合成が難しかったとはいえ、日本の円谷
プロの合成技術の高さを今さらながら思い知る。円谷プロの特撮
合成技術は世界トップクラスだったのではなかろうか。


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今夜も西部劇 ~『アウトロー』と西部劇鑑賞法~

2017年07月17日 | 映画・ドラマ・コミック



私と友人の西部劇鑑賞法は同じである。
昨夜、友人からメールが来た。
本来昨夜は『リオ・ブラボー』を観る予定だったのだが、急きょ
クリント・イーストウッドの『アウトロー』に変更したそうだ。
そこで画像送信と共にこう言ってきた。
「二丁拳銃だから今夜は二丁」

・・・・アホや(≧∇≦)


ブルーレイやDVDでどんどん映画作品が出てくるのはよいことだが、
映像が綺麗になりすぎて折角の視覚効果が消える場合もある。
典型的なのは角川映画の『汚れた英雄』で、ビデオでは再現されて
いた世界初の「ブルー感光フィルム」による夜と夜明けの青みがかった
独特の映像美がDVDではただの夜景になってしまって消えていた。
キタノブルーはその角川春樹の手法を真似たものだが、真実を知らない
世界中の人からは「キタノブルー」などと呼ばれるに至っている。角川
春樹の『汚れた英雄』(1983)の劇場フィルムこそが世界初の角川
ブルーであり、劇場で観るとたとえようがない美しさだった。私は劇場
で『汚れた英雄』を6回観た。


この『アウトロー』(1975)でイーストウッドが使用したコルト・ウォーカー
はナショナル・ファイアアームズ博物館(米国バージニア州フェアファッ
クス)に展示されている。





The Outlaw Josey Wales (1975)
Clint Eastwood as Josey Wales
Italian Colt Walker - .44 caliber

This gun, and the similar Walker used in True Grit,
were both used in The Outlaw Josey Wales by Clint
Eastwood. Both revolvers are Italian reproductions
and have been converted to fire five-in-one blanks
for film use. At some point in its rental history a
loading lever catch similar to those used on Dragoon
revolvers was added to the gun. The poster for this
film featured an enraged Josey Wales holding both
revolvers.

Collection of The National Firearms Museum



クリント・イーストウッドは『勇気ある追跡』(1969)で使用された
コルト・ウォーカーの個体そのものを使用していたのだった。
これはなんだかプチ・トリビアだ。

クリント・イーストウッドは1975年作『アウトロー』において、この
ジョン・ウェインが握る個体そのものを使用していた。








この2010年のリメイク版でもコルト・ウォーカーは登場するが、博物館
展示物の個体ではない。こちらのリメイク版の出来は散々で、見るも
無残なものだった。役者の力量というよりも、監督の力量の差だろう。


違いが判る人は即判別できただろう。
NFA博物館に展示されている『勇気ある追跡』でお嬢ちゃんが
使う銃はパーカッションではなくカートリッヂコンバージョンである。
つまり、『アウトロー』の宣伝用ポスターにあるクリントが構える
二丁拳銃の個体ではなく、次に示す
金属薬莢コンバージョンモデル
である、ということ。
そういうところは、映画作品ではお見逃しなく。
宣伝用ポスターやスチールというものは、作品本編とは別物の
ヤラセ撮影用の銃などを使用することも多いのだ。『アルパーサの
決闘』のDVDなどはひどいもので、スペインのデニックスというレプ
リカガン・メーカーの実銃とは似ても似つかないシリンダーを持つ
SAAもどきがDVDパッケージに合成写真で使用されている。

作品は凡作であるが、銃撃戦のシーンは異様にリアルだ。
娼婦でもないのに病的オサセの女性がヒロインという西部劇も
珍しい。結局、この女のせいで男の友情(三角関係ではない)に
亀裂が入って行く。自分の保身のためには敵だろうが誰にでも
媚を売ってシナを作りホイホイ股を開くこの女は、観ていて「死ね
ばいいのに」と思うのだが、この映画はそうではない男同士の
心のやりとりが見所なのだろう。極めて「大人」の男の映画だ。
俺なんかだと、こういうのはグーで女の顔面連打しそうだ。
そして、こういう女は現実世界でもいる。男の体無しでは日常が
過ごせないという女なのだが、誰彼かまわずなので、まあ、なん
というか完全に精神病の類だろう。
漫画家守村大は『あいしてる』の中でそういう女性をマリアとして
描いたが、実際のところ、アブダラのマリアは売春婦であった
可能性もある。だが、売春婦はオサセとは違う。あれは人類で
一番古い職業だ(二番目に古い職業が傭兵)。オサセは麻薬
中毒患者のようなものだ。タチの悪い癖以上のものであり、あれ
は病気なのである。

(『あいしてる』守村大)
カワサキSSマッハの理想形のチューンナップの形。



NFA博物館展示の銃はこれではなく・・・(これはパーカッションのまま)


こちら。


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今夜も西部劇 ~街の今昔 「エルパソ」~

2017年07月16日 | 映画・ドラマ・コミック


『夕陽のガンマン』(1965年)より。

西部劇でおなじみの西部の町にテキサスのエルパソという町がある。
メキシコとの戦争で米国が勝利して分捕ったのがテキサスだが、

この時、国境の町となったのがエルパソで、町が二分されて町中
の一部はメキシコ領とされた。
そのため、エルパソからメキシコに行くには、現在でも出国手続き
も入国手続きも無く、30ドルを払って自動改札口を通れば外国で
ある隣国に行ける方式になっている。パスポートの提示も要らない。
歩いて出られる国境改札口もある。

エルパソの国境(車道)。




現在のエルパソ。人が集まり人口は増えたが、西部劇に出てくる
町が近代化されただけというような埃っぽさを感じさせる。

なんとなく、西部開拓時代のままという雰囲気。ビルが建っただけ、
というような。

こちらは、映画『夕陽のガンマン』に出てくるエルパソ。
イーストウッド扮する「マンコウ」がエルパソにやってくるシーンだ。


スペインロケの『夕陽のガンマン』で遠方に見える山は、このエル
パソの山のつもりなのだろう。これは現在の写真。エルパソは乾い
た土地で赤道にも近いので気温も熱いのだろうが、なんだか景色
が寒々しい。気候は砂漠気候、山は2200メートル級の山である。



夜景は綺麗なようで、なかなかのビューを見せている。


エルパソの大門寺焼き。UFOも時々エルパソの上空には訪れるらしい(笑
日本の大門寺焼きよりも、こちらのほうが規模は大きそうだ。


現在の町中。


『夕陽のガンマン』で出てきた推定1870年代末期のエルパソ。


エルパソは1850年に郡として創設した若い町で、1881年に鉄道が
開通してから町が発展した。
しかし、サンフランシスコやロスアンゼルスのような超大都会となる
ことはなく、今世紀初頭の人口は56万人だ。埼玉県さいたま市の
人口129万人
よりもかなり少ない(笑)。エルパソは、今も辺鄙な田舎
の町、といった
ところだろうか。

映画『夕陽のガンマン』ではエルパソに鉄道は通ってないため、賞金
稼ぎの殺し屋であるモーティマー大佐(リー・バン・クリーフ)は、途中
で列車を強引に停めて下車し、馬でエルパソに向かっている。
ということは、『夕陽のガンマン』は、舞台設定がエルパソに鉄道が
通っていない1881年以前である
ということだ。
出てくる銃はコルトSAAだが、1stジェネレーションの無煙火薬モデル
(1896年~)であるという撮影演出ミス(ハリウッドもほとんどそうだが)
を見逃すとして、SAAの5.5インチが登場
して民間販売もされたのが
1876年以降であることを勘案すると、映画『夕陽のガンマン』での
舞台設定の年
は1876~1880年の間ということになってくる。
さらにモーティマー大佐は18インチならびに9インチ(推定。多くのネット
情報では10インチと出てくるが、4.75インチバレルとほぼ面一のエジェ
クターチューブの長さの2倍以下であり、10インチには達していないこと
から、私は9インチバレルであると読んでいる)銃身を
持つバントライン
スペシャルSAAを所有している。
バントラインスペシャルのコルトシングルアクションは、西部劇小説家

のネッド・バントラインがコルト社に特注して西部開拓に貢献した者5名
に贈られたとされているが、コルト社の記録にはそのような長銃身の
モデルを作ったという記録は一切ない。バントラインスペシャルの存在
は、
小説家と取り巻きの捏造自己宣伝である可能性が高い。
12インチ銃身は使用上はさらに短く切って使用されたというまことしや
かな話まで設えられて伝承されており、バントラインスペシャル自体が
創作であるとしたら、尾ひれはひれが付いた人々の猟奇的興味を煽る
盛り沢山のオハナシとなって
いる。
さらにバントラインスペシャルはワイアット・アープ(16インチ銃身)を
はじめバット・
マスターソンなど著名人5名に贈られたとの話がしっかり
できあがっている。

しかし、実際にはこれを贈ったとされている1877年のコルト社の記録
には製造記録がないのであるから、コルト社では作っていない。銃身
だけを製造するのは、一般鍛冶屋では無理であり、近代機械を有した
銃器メーカーでないと製造できないので、やはりバントラインスペシャル
の存在自体が眉唾ものであると見るのが自然だろう。
そのように歴史事実であるかのように捏造創作することは万国で悪意
ある者によってよく行なわれてきた。現在もよく見られる詐欺行為だ。
だからといって、「記録に無いからと存在しなかったとはいえない」など
と埒外のことを言い出して存在を強引に認めようとする族も出てくるから
始末が悪い。

そうした事実を踏まえたうえで、娯楽活劇として楽しむの中で、多少
考証をするとするのであれば、映画『夕陽のガンマン』の時代背景は、
1876年からエルパソに鉄道が無かった1880年までの物語、という
ことに
なってくる。
なお、SAAは1872年に米軍軍用銃のトライアルに合格し、1873年
から
発売が開始されたが、1873~1875年まではすべて軍が一括
して納品を
受けていたため、民間に販売開始されたのは1876年から
である。いかにハリウッド作品を含む映画やTVドラマの西部劇が
時代考証を無視しているかということだ。特にマカロニウエスタン
では時代考証の無視が甚だしい。


イーストウッドの劇中の台詞「こんな銃は見たことないよ」。


そりゃそうだ。バントラインスペシャルは実在していないのだから(笑)。
ま、映画だからね。映画は映画として楽しまないとね。
ただ、日本でも時代劇を実在の歴史だと思い込んでいるキテレツ
たち
が大真面目にトンチキのチグハグな頓珍漢をやらかしているという、
恥ずかしい日本人たちもいたりする。しかも、詐欺行為で集客集金。
困ったもんだ。バウンティハンターの賞金稼ぎが登場してほしいくらい
だ(笑

映画『夕陽のガンマン』は、遊び心あるマカロニウエスタンなので、
娯楽活劇として見るのが正しいだろう。
突っ込むとしたら、ウィンチェスターM1892が出てくるのであるならば、
1892年以降の物語だから、エルパソには鉄道が通っていなければ
おかしいことになる(苦笑)。つまり、リアル世界の歴史を当てはめる
と、『夕陽のガンマン』の物語の舞台は成立しないことになる。
それは八代将軍の暴れん坊将軍の時代に江戸城天守があるような
ものだからだ。日本のドラマでもあるけど(笑)。つまりドラマや映画は
実在の歴史事実とは合致していない。われら裏柳生(のようなもの)
などと真顔で言い出したりとかね。もうアホかと(苦笑)。

(ウィンチェスターM1892を構えるモーティマー大佐。西部劇には
よく使われるM1892だが、1880年を舞台にしていても登場する
ことが多い。時代考証を無視しているのである)


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今夜も西部劇 ~ダスターコートの登場~

2017年07月16日 | 映画・ドラマ・コミック

以前、イラコバさんことイラストレーターの小林さんの画集で、
ダスターコートの初登場が『ヤングガン』であるというように
イラコバさんが書いているのは認識不足だという話をした。
→ こちら 

その中で私は『11人のカウボーイ』(1971)の例を出したが、
さらに古い作品の『続 夕陽のガンマン』(1966)ではオープ
ニングのシーンで出てくる賞金稼ぎ3人が全員ダスターコート
着ている。

『続 夕陽のガンマン』(1966)




一人はハーフコート、二人がロングコートだ。





西部を馬で行くには埃よけ、雨よけのこのコートは欠かせないのである。


私のダスターコート(ハーフ)。
10数年前に購入したが、ほとんど着ていない。
これね、撥水スプレーとかガンガンに利かせたら、レイン
コートとしてもいけると思うよお。 


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子連れ狼 Oct,5th 1989

2017年07月12日 | 映画・ドラマ・コミック

子連れ狼 Kodureookami Oct,5th 1989


ぶひゃ~!
拝一刀が柳生烈堂になっている(^^;


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ケンメリ

2017年07月11日 | バイク・車

ケンメリ スカイライン(C110型) TVCM 全16話
1972年9月~1977年2月

動画サイトすばらしい!(笑)

ケンメリとは4代目スカイラインのこと。
乗ってるのはこのオサレすぎるCMのようなデルモ系ではなく、
マル走のツッパリにーちゃんばっかだったというのは鉄板(苦笑
世の中の若者が政治的反逆の時代から、暴走の時代を体現して
いた、そんな時代が70年代だった。72年から77年なんて、
もろにそう。
近頃の地方のド田舎のトロくて遅くてうるさいだけの珍走団とは
まるで違うよ。数キロ続く爆走集団なの。本当に暴走する。
信号はすべて旗持ちが止めた。
土曜の夜の天使たちの数は、バイク200台、四輪400台、これが
たったのワンチーム。一夜のワンチーム千人というのは当たり前で、
そういうのが何チームも晴海ふ頭を目指してしのぎを削るのだから、
もうなんというか、週末の都内は首都騒乱状態だった。
てなわけで、おいらの髪形も中坊から高校時代はダックテイルだった(笑


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痛快シーン

2017年07月04日 | 映画・ドラマ・コミック

Open Range big gun fight


コスナー「俺の友だちを殺したのはお前か?」
殺し屋「そうだ。小僧もやってやった。楽しかったぜえ」
ドーン!

西部劇でこんなシーンは、この作品を観るまで見たことがなかった。
いきなり最初から警告もなしにドタマに命中させて一発で相手を
即死させている(^^;

決闘でもなんでもない。
ヒャッハー!
こいつはいいぜ!

その後も連発。1丁のピースメーカーから16発も発射してしまう
のはご愛嬌だ(苦笑

ただ、この映画、邦題が非常によろしくない。
原題は「OPEN RANGE」だ。この映画のテーマである牛追いと
定着牧場主の対立を表している。
これは多くの西部劇で描かれた史実としての放牧牛追いと定着
牧場主との対立を表す意味で、広がる草原の放牧エリアのことを
OPEN RANGEと呼ぶのだ。
邦題のワイルド・レンジなどでは意味がまったく通じないどころか、
多くの西部劇のテーマともなった「有刺鉄線による支配と対立」を
捉えていないことになる。
OK牧場の決闘も、ビリーザキッドの逃避行も、有刺鉄線による
利害の不一致の象徴的出来事の結末であり、すべての西部開拓
現地での深刻な歴史問題として、利害関係が一致しない者同士
双方の対立衝突事件としての問題が社会問題として存在したの
である。

日本人の邦題をつける人たちの知性(というより知覚)の浅さよ、
思慮の浅はかさよ。
西部劇の邦題を付けるならば、西部の人たちの本当の歴史的な苦悩
にもっと肉迫しないとあかんのとちゃうか?
どうにも日本人というのは基本的に頭がアッパラパ~なのか、人様の
国の歴史に対する敬意も洞察もない。西部劇なんてドンパチ物としか
思ってないような舐めてるフシがある。
つまり、どうやら我々日本人は人のことを慮(おもんぱか)ることがとても
苦手なようだ。
最近の流行単語で忖度(そんたく)があるが、何が忖度かと思う。損得
には鋭敏なくせに。


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田村正和さん (73歳) 2017年6月8日(木)

2017年07月03日 | 映画・ドラマ・コミック

田村正和さん (73歳) 2017年6月8日(木)

ひゃあ。歳とったなぁ・・・。
顔は若いけど、しゃべり方とか、よれよれのじーさんみたいだ。
俺の16歳年上かぁ。
あと16年後はおいらもこの歳ということだね。

すぐ来るよ。
だって、渓流カフェを始めたのが2001年。今から同じ16年前だ。
16年なんて、あっ!という間だよ(笑
ま、16年後のそれまでおいらは生きてるかどうか、先の事は5分後
だろうが知り得ない
けどな、我々人間たちには。

田村正和さんのことは、柴田錬三郎先生が一番眠狂四郎のイメージ
に近い俳優さんだと惚れこんでいた。
私個人は、『乾いて候』の腕下主水(かいなげ もんど)
が田村さんが
ピッタリの印象だった。
意外なところでは『この小さき手に』での拝一刀がとんでもなく良い。
いいな、これ、と思って映画作品を観ていたら、原作者の小池一夫
先生は「『子連れ狼』では田村正和さんの作品が一番好き」という
コメントを発表していて驚いた。

田村正和さんの逸話としては、プライベートでもまったく「田村正和」を
崩さないことだ。これは兄弟両人が証言している。家でも絶対に崩さない
銀幕のスターそのもののしゃべり方、振る舞い方なのだ。
そうなると、演技のスイッチが入った時のみプロとしての仕事をやり
遂げる役者が本当のプロフェッショナルなのか、あるいは田村さんの
ように日常生活でも銀幕キャラと同じように自分を置くのがプロなのか
よく分からなくなってくる(苦笑
だが、私は非常に好きな俳優さんだ。
というのも、理由は一つ。
役者の基本。演技がことのほか上手いからである。役者であることを
観るには、役者としての資質がどうかが最大の大前提中の大前提だ。

2年前2015年の田村さん。カッケーなぁ、やっぱし(^^;
この時71歳もしくは70歳。
田村正和さん×竹内結子さん




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