渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

お彼岸 ~古い城下町にて想う鍛冶こころ~

2017年09月28日 | 文学・歴史・文化・科学



先の日曜日はお彼岸とのことで墓参りに行ってきた。
江戸期の間に寺と墓所も幾つか移っている。
三原城下は「西の小京都」(どこが?)と呼ばれるほどに寺が多い。
ありすぎでしょう?というほどに寺だらけの城下町である。
寺と個人医院の病院が嘘みたいに大い町が三原という町だ。

この寺のこの石垣は江戸期初期の施工ではなかろうか。
石工さんの加工の手筋からして。三原城築城整備(室町末期~江戸
慶長年間。主として慶長年間福島正則時代に広島城と共に三原城が
完成されたと思われる)の同時期あたりの施工ではなかろうか。


まあ、新しい寺は三原城下にはない。
今年で「築城450周年」と三原市は謳っているが、450年前に行なわれたのは
海上の小島と岩礁を結んで埋め立てるための杭打ちが行なわれた年だ。
まるで城が完成したかのように年代を上げて450年を謳うのはどうかと思う。
城下が開かれ、海の上に城(時代からして天守は存在しない)が完成したのは
江戸慶長年間である。城作りの名手と呼ばれた福島正則の手腕が大きい。
城下の寺院仏閣は江戸期以降に盛んに建立された。主としては元禄頃の
幕府の人民統治制度の整備に伴い、武士の藩籍とは別の町人たちの国勢
調査と監視のために寺院が人を監理した。
これは江戸幕府のキリスト教禁止政策による宗教統制政策から生まれた制度
である「檀家制度」「寺請制度」によって寺に人民統治の権限を部分的に与えて
間接統治管理を為したのである。これは庄屋、名主、町年寄が改帳を担当して
人民を監理監督をする「宗門人別改帳」制度とともに、江戸期の統治政策と
して機能していた。
江戸時代というものは、徹底した(まさに徹底的に徹底貫徹され抜いた)人民
統治政策が断行されており、厳しい身分制度が敷かれていた。階層違い、階級
違いの者同士では話す言葉も違ったし、身分が異なる物同士の婚姻は認め
られておらず、職業選択の自由もなかった。職業=階級ではなく、また階級=
経済的貧富を表すものでもなかったが、別身分同士を交流させない区別から
負の発展をさせた「差別」を政策に導入することで武家政権は自らの地位の
安寧を図ろうとしていた。
封建制度では「主権在民」という制度も意識もまったく存在しない。人口の約7%
(関係者まで含めると約10%)の武装者が武力によって「民」ではなく「官」と成って
政権と体制を維持していたので、他の9割の数の人口が叛乱蜂起してはひとたまり
もないので、更に武力でがんじがらめに人民を踏みつけて専制統治したので
ある。それが武家政権の封建体制だ。
武士がただの軍隊の軍人ではないのは、武士の長は自らが天皇から信任された
外夷を打ち払う天皇の親衛隊長、国土防衛隊長であるという立場を標榜しつつ、
国政の政治的経済的実権をすべて天皇ではなく武士階級に集中させていた
という点だ。
軍というものは、たとえ国軍であろうとも、傭兵である。正規軍は国家の暴力装置
であるのだが、国家が雇い抱えた兵である。
だが、武士は暴力「装置」ではなく、暴力を掌中に掌握しながらも、自らの意思で
自由に動くという独立した意思決定権を無理矢理拵えた権力者そのものとして
武士という世界でも特異な階級を成立させた。
日本の武士と外国等にみられる王族の所有する軍隊の違いはここである。
英国などでは、今でも英軍として国軍の体裁はとっているが、実質的な所属は
部隊ごとに王族であったり英国貴族の所有物であるという名称と属性を維持している。
そのため、「クイーンズランサー」などのように「情報陛下の~連隊」とか、あるいは
王妃の部隊、といった貴族の個人所有のような形態を執っている。米軍と英軍の
組成の違いはそこにある。
日本の武士階級の場合も、領主たる主(武将=武家)に仕える点では英国の騎士
や現兵士と似ているが、日本の武士の場合、やはり世界に類例を見ない特徴が
あり、それは、「最末端に至るまで武士のみが自由な意思で自己の身の振り方を
決定できる権限を持っていた」ということである。
要するに、究極においては、誰からも規制されず、死ぬか生きるかの決裁権は
己自身に存したという、絶体領主が君臨する封建制度の中にあって、一種矛盾
をもきたすような無形の構造が武家政権には存在したのだ。
主が変な主だったり理不尽なことを強要すると判断したならば、主さえにも逆らい、
己の意思を意志という主体的な基盤に基づいて貫く実行者が武士という存在だった。
よく武士論、武家文化を語る時、こうした日本武士独特の自己決裁権という精神的
独立性を細かく冷徹に分析指摘した論は稀有なことのようであるが、こうした武士
独自の自由意思決定的な側面はもっと注目されてもよいと私個人は感じている。
見方によっては、一番堅苦しく息が詰まるような立場に置かれていた武士こそが、
実は人間の尊厳や生死という重大事案において一番自由意思を有していた階級
ということにもなるからである。

私が仏教と寺院と坊主を嫌うのは、単純な答えだ。
「坊主丸儲け」であり、いにしえには権力者の代行者で人民を統治して偉そうに
していた層であることが第一。
そして、キリスト教弾圧の尖兵となってキリシタンを弾圧したことが第二。
さらに、これは現代でもそうだが、仏教坊主のくせに、肉を食らい、酒を飲み、
女を抱き、さらに子を成すようなのばかりが「坊主」だからだ。
国民が飢餓災害に苦しむ時、炊き出しをするキリスト教会は多いが、炊き出しを
する寺などは見たことがない。経よりまず粥だ。キリスト教さえパンのみにあらず
とは説いても、まず目の前の困窮者たちを我が身のことと救済しようとする。
仏教坊主たちは一切それがない。
私が仏教を毛嫌いしている理由はそれである。坊主の現状見ればすべて委細
合点が行く、というものだ。鎌倉インスタント仏教もひどいが、特に新興宗教と
しての仏教集団がひどい。完全にカルトで、社会においてやっていることは「他者
排撃集団」としてしか機能していない。
そんな宗教は私はいらないのである。私自身は、子どもや飢えている人がお腹が
膨らみ、寒さに凍えない宗教であるほうがずっといいのだ。


ただし、法律制度とは別枠で「家制度」が残存継続している旧家などの
場合は、非常に面倒なことが多くなる。
本家の家屋敷は登記上は個人の所有権となっていても、「一族の長が
歴史の中でたまたま治めている場所」となるので個人的な勝手な処分等
は血族の信義則として赦されない。
法的には土地家屋の自由売却も可能だが、法律とは別な縛りがあるので
ある。
それを「因習だから」として即座に排除することは困難であるのだ。
核家族となっている現代においても、そうした「家制度」的な面が強烈に
残置されている家も城下町等にはあり、非常に難しい問題が存在する。
宗教問題でも、実はそうした無形の桎梏の構造の中にあっては、「宗教の
自由」は保障されていない。
こうしたことは、そうした家で生まれ育った者でないとなかなか実感が捉え
難い事だろうと思う。
なぜ剣道を家の男子が習わなければならないのかとか、なぜ6才とか7才
とかの特定年齢に達したら論語の素読をしなければならないのかとか、
そういうことは現行の法律などでは一切書かれていない。
しかしそうしたことを励行している家も現代においてもあるのである。
また、今ではほとんど多くの家庭で無くなったかも知れないが、食卓で
仮に家族で一緒にテーブルを囲むことがあるならば、いただきますの後に
家長よりも先に絶対に箸をつけてはならないとか、そうした法律には記載
されていないことが、家の「従前からの」慣習法として存在している。
これらは、「住居に入室の際は、尻からは決して入室しない」ということと
同類に属する事柄だとは思うが、そうした全般の「縛り」が宗教面や思考面
においても「律」として厳然と存在しているのである。

ま、そういうめんどっちー「家」も今でもあるよ、ということ(苦笑)。

三原の町は坂と寺だらけ。海面に無理矢理作った軍事都市が三原城下
なので、陸地の平地などはほとんど無く、すり鉢状の片面のような山肌に
多くの寺と墓所が置かれている。


なんかよくわからないお祭りをやっていた。
せがきほうえ?
私は無知ゆえ理解できず。というか、あまり(殆ど)興味がない。


幼稚園父兄たちがバザーをやっていた。
こういうのはいいな~と思う。


墓に参るというよりも、先祖の遺骨が納められた場所に手を合わせた。
私は偶像は拝さない。これはプロテスタント福音派だからどうだとか
とは
一切関係が無い。
神仏は尊べどもそれに頼らず、であるのだ。
しかし、先祖の霊には手を合わせる。
これは、先祖を尊ぶのは宗教儀礼ではないからだ。
私が仏壇や墓碑の前で合掌するのは、宗教的な意味においてではない。

山を下り、城下に下る。
これが城下西側の西町のメインストリートだ。室町末期~江戸初期に
道路は敷設された。
この町は江戸期には職人街だった。鍛冶屋だけで数十件存在していた。

この画像では見えにくいが、この一直線のドン突きが三原城の本丸だ。
この左端の古い店は、昭和年代には駄菓子屋だった。
この数軒そばにも駄菓子屋があり、子どもが喜ぶ品揃えではそのそばの
駄菓子屋のほうご人気があったようだ。こちらの画像の店のほうが古い
とは
思えるが。
私は三原では育っていないが、小学校の夏休みの時など駄菓子屋に
行くと、いつも子どもたちで賑わっていたのは近所のもう一軒のほう
の駄菓子屋だったような印象が強い。そこは数十年前に廃業した。
こちらは外装はこれでもやり直しているようだが、明治か大正時代頃の
建物なのではなかろうか
。というのも昭和40年頃にすでにかなり古かっ
たからである。

ここらあたりは俗称で「下町」と呼ばれている。鍛冶屋が多かった
「かじ新町」がいわゆる下町である。


こちらは西側を見る。この通りのドン突きが西宮八幡宮である。
うちはそこのお宮の氏子でもあった。その神社の神主さんは清廉で私は
個人的にはとても好きである。御子息は私が住んでいた新宿の家のすぐ
隣の大学に通われていた。


右のポストが現代物だが、ほんの10年程前まで、昔ながらの円柱型の
全金属製のポストだった。

西野川にかかる梶新橋方面の路地を抜ける。南に向かって歩いている。


梶新橋とは、この付近一体が俗称で「梶新町」と呼ばれていたことにも
由来するが、江戸期の原初の呼び名は梶ではなく鍛冶であったことだ
ろうと推測できる。鍛冶屋が数十件建ち並ぶ鍛冶屋街だったからだ。
その職人街としては江戸中期以降に殖産政策として産業人集住の町作り
が為されたようだ。これは尾道も同様で、尾道には鍛冶屋町と呼ばれる
町が存在するし、広島本藩城下にも鍛冶屋町という名称の町があった。
三原城下では後世の表記の「梶(かじ)新町」は「鍛冶新町」であった
ことだろう。江戸期には音を重視し、漢字表記はどの漢字でも充てていた
という文化があった。鍛冶屋が数十件建ち並ぶ三原城下西町の別称である
かじ新町は鍛冶新町であったことだろう。
そして、
江戸期、三原城下のこの西部地区の下町を歩くと、あちこちで
トンテンカン
と鍛冶屋の鎚音が鳴り響く地域だったことだろう。
明治以降は激減し、戦後の昭和40年代には鍛冶屋は一軒も無くなった。
また、城下の鍛冶屋は私が三原城下に移住した20年前には東町に一軒
残っていたが、そこも今世紀初頭に廃業した。
三原近辺で残っている鍛冶屋は、現在は糸崎の先の旧木原村(現三原市
木原)の国道沿いの鍛冶屋のみである。

江戸期には、三原城内には「鍛冶屋敷」という日本刀鍛練所があったようだ。
そこで三原城の城代家老や代勤めの城内在住の武士向けの刀が製作されて
いたのではなかろうか。
三の丸に存在した。現在はその真上をJR新幹線が通っている。
「三原 鍛冶屋」の画像検索結果

毛利一門小早川隆景が荒れ果てた寒村の海辺に戦国時代最末期に
海洋軍事都市を建設した場所が三原だ。
三原は江戸期には鍛冶の町でもあった。
江戸刃物師の鍛冶職の人とも三原についてよく話すが、鍛冶刃物の
世界では明らかになっていない不思議なことがある。
それは、刃物界では有名な鉄として「三原鉄」という物があるのだが、
それが果たして広島県三原市の産であるのかどうかが皆目不明なのだ。

その理由は、三原という土地が戦国末期から江戸初期にかけて築城
される以前は「土地」が存在しなかったことが第一に挙げられる。
当然にして刀剣界でよく言われる「鎌倉南北朝の古三原正家は現在の
三原で作刀し」というのは大嘘である。海の上で刀は造れない。
そして、第二として、三原では鉄を吹いたという記録がどこにも見られ
ないことだ。
小規模産鉄は六畳間程のスペースがあれば可能だ。屋敷の庭でも
鉄を造ることができる。現代でも七輪からでも製鉄は可能だ。
だが、そのような小規模製鉄だとしたら、「三原鉄」として江戸期の流通
市場に広く出回るような規模の生産量の鉄鋼がまかなえたかというと、
甚だ疑問が湧くのである。
となると、製鉄場所が現在の三原城下(あるいは城内)ではないとする
のであるならば、果たして一体「三原鉄」なるものの産地はどこであるのか。
それがまったく一つも判っていないというのが、刃物界の謎の一つである
のだ。

あくまで推論だが、もしかすると、三原城内三の丸の鍛冶屋敷というのは、
刀鍛冶という小鍛冶ではなく、製鉄所あるいは製錬所ではなかったかと
いう仮説も成り立つが、延焼を防止する地理的配置や、藩記録の不在から、
それは考えにくい。
しかし、三原の城下の西町あたり(旧かじ新町)限定で、三原には奇祭が
残っている。
それが「鬼の豆ちょうだい」だ。
これは製鉄産鉄とも密接な関係にある節分の日に、子どもたちが「鬼の豆
ちょうだい」と叫びながら各戸を廻ってお菓子を貰って移動するというものだ。
昭和戦後直後までは「鬼の豆つ~か~しゃあ(くださいな)。く~れんうちゃ
しんしゅ(くれない家は浄土真宗門徒と見なすぞ)」という口上だった。
その口上内容からして、これは一向一揆等を警戒した時代の宗教弾圧と
しても機能していた時期が発生時期だと推定できる。
ただし、なぜ節分なのかは不明だ。
ただ、この三原の子どもたちの口上とお菓子をあげてよそに行かせると
いう現象は、江戸鍛冶における江戸時代の吹子祭りの様子にソックリなの
である。
江戸の吹子祭りには、子どもたちが「鍛冶屋の貧乏!鍛冶屋の貧乏!」と
いって参集して鍛冶屋の軒先ではやし立てる。
すると、鍛冶屋は子どもたちにミカンなどをやって追い払うのだ。
子どもたちはこうして鍛冶屋を廻るのである。
三原の「鬼の豆ちょうだい」と非常に似てはいないだろうか。

「鬼の豆つーかーしゃー」(昔)、「鬼の豆ちょうだい」(少し前)、「鬼の豆くださいな」
(現在)で各店舗を廻る現代の三原の子どもたち。







私自身は民俗学的見地からは、節分で投げつける鬼の豆とはこれのことで
あると思っている。産鉄技術もしくは資材を奪いに来た別な産鉄民を赤鬼
青鬼とみたてて、つぶてを打って撃退したのが発生原初の実体ではなかった
かと見ている。
(古代製鉄により取れた鉄)

三原市の城下の外れにはさらに不思議な来歴不明の奇祭がある。
それが「ちんこんかん」だ。
これは室町期に成立した祭りとされており、豊作を願うもの等云われて
いるが、私はこれの呼び名(理由不明とのこと)と祭りに登場するキャラ
クタが、実は鍛冶製鉄と関与することを如実に表しているのではと、これも
文献史学や考古学ではなく、民俗学的見地からそう推測している。

三原ちんこんかん


三原と同じ吉備の国、鉄の国である岡山県はもっとストレートに分かり易く
伝承を明確に理解して保存している。鬼=産鉄民であり、排撃排除対象では
ないと捉える岡山県民の気概は、私は三原人よりもずっとストレートに純粋
で好ましい精神性だと感じている。
岡山県の「うらじゃ祭り」は「うら=温羅」という古代の地場在地権力者が鉄を
掌握していた豪族当主であり、それがヤマト王権に武力で制圧されたことを
理解し切った上で、その「ウラ」を讃えている。
私はこれはヤマト中央王権に簡単には尻尾を振らないぞ、という岡山県人の
ガッツとして捉えている。こういう祭り自体を行なうことは、たぶん戦時中などは
不遜な大逆行為として禁じられただろうが、この岡山の「うらじゃ祭り」(うらじゃ
とは「俺たちはウラだ」と言う反骨の自己主張)というものが存在すること自体、
全国的にも非常に珍しいのだ。製鉄の歴史の中では。
王権ある所に必ず鉄あり。鉄は鐵であり、金(かね=金属)の王哉だからだ。
だが、その中央王権に武力で制圧され滅んで行った温羅を讃える祭りがある
ということは、私個人としてはとても嬉しくなるのである。
いわば、ヤマト中央から派遣されて武力姦計でウラを土中に埋めた吉備津彦=
桃太郎はうらじゃ祭りの対極の敵ともいえる。
だが、岡山県人は、現在はどちらも清濁併せ呑むことを祭りで盛り上がること
で表現し、両者併存で古代いにしえの遺恨なしを代言している。
私はこれはある種の晴々しさを岡山県人に感じるのである。


私は何でもかんでも岡山から三原までの吉備の国を嫌っているのではない。
理解が及ばない単細胞人は、その機微を理解できずに私を二枚舌とか裏表
とか口汚くネットで罵っているが、それはY世代特有のステレオ脊髄反応的
精神回路以外の何物でもない。きっと複雑な精神的局面というものはその
自称武術屋たちには理解できないのだろう。(脳味噌が筋肉なの?)
物事はなんでも両極ではなく複雑で複合的かつ重層構造にある。その縦横
斜め、スクエア、サークル、トライアングルの折り目について、私は自分
の判断基準で取捨選択して言をなしているだけだ。
これは吉備国に関してだけでなくどこの地方やどの人間に対してもそうだ。
部分的に良い物と悪い物を自分の価値基準に照らし合わせて見分けている。
良くないと感じる部分は良くないので私は良くないと思うと言うし、良い
部分は良いので良いと言うのだ。全否定などは土地にも人間に対しても
私はしない。
特に吉備については、愛憎共存のような感覚がすごく強い。
これも脳筋には理解不能の感情領域であることだろう。私をタン壺ネット
や自己ブログ等で口汚く貶している連中は、冷徹に観察するに、日本を
憂いて国情改善のために国政を批判したら「反日」と即断するような単純
な単細胞の脳構造だからだ。
私は景色については、岡山県は日本有数の美しい土地だと思っている。
特に備中。この美しさは、現地に行かないと感じ取れない。私は斑鳩の里
よりも吉備備中国分寺付近は嘘みたいな美しさだと思っている。
河川にしろ、丘にしろ、大地にしろ、空にしろ、岡山県は素晴らしい。
ただ、それは、残念ながら岡山県人の手柄ではないのだ。
だから岡山県人が自慢するというのは、大きな勘違いだといえる。
生まれる場所を人は選べない。その自分の努力や成果とは無関係なたまたま
である不確実なことを自慢するというのは、それは驕慢である。

フライフィッシングの渓流への年間釣行日数が60日を超えていた時代、各地
の渓流を散策して非常に楽しかったのは、中国地方の山地は、各地でいにしえ
の製鉄の遺跡や痕跡に出会うことができたことだ。
そして、ある事に気付いた。
砂鉄が採れる川には鱒族は棲むが、砂鉄が採れない川には鱒はいないのだ。
この不思議。
だが、これも生物学界では誰も未着手で、一切その因果関係については解明
されていない。
中国山地の渓流をめぐる旅は、鱒との出会いを求める旅だけではなく、古代
製鉄をめぐる未知との出会いを求める旅でもあったのだ。
これが面白くないはずがない。


ふるさと

2017年09月28日 | 文学・歴史・文化・科学


私が生まれ育った街。目黒区青葉台。

「ふるさと」はどこなの?と訊かれると、東京であり神奈川(湘南と横浜)で
あり、そして埼玉という感覚がある。
ただ、東京の者は私も含めて「東京」という感覚はない。これは神奈川の
人も「神奈川」という感覚もないし、横浜の人も「横浜」という感覚はない。
すべて駅名や狭いピンポイントの場所で呼ぶのが首都圏の人の特徴だ。
それを知らない地方の人間は、首都圏人を装っても「どこで待ち合わせだ?」
と問われて「横浜だ」とか言ったりする。そういう呼び回しは非常に不自然で、
すぐにニセモノとバレてしまう。首都圏の人間はブクロでとかノガミでとか
エンコのどこでとか、そのようにピンポイントで場所を表現するのだ。
刀工小林康宏と私の会話などもよくそれが現れていた。
康宏「ほら、あたしは田村町の生まれだから。あーたはどこだっけ?」
私「私はナカメです。青葉台」
という具合。
私が生まれた時に住んでいた所は上目黒という場所だったが、後に青葉台
という地名になった。周囲は大使館や大邸宅ばかりが建ち並ぶ場所だった
が、うちは借家住まいの一般的な一都民だった。


ナカメの私の生まれ故郷。


この街で生まれ育った。


タムラチョウなんて地名は現在は消滅しているが、西新橋の地元界隈の
人間ならば(というか古い東京人ならば)、田村町を知らないのはモグリだ。
都電の電停もあったし、田村町の交差点は皇居側への通り道と外堀通り
のぶつかる重要な交通の要衝だからだ。
また、目黒のような山の手でも、「目黒」とは言わない。範囲が広すぎるからだ。
「ナカメ(中目黒)」「カミメ(上目黒)」「ムサコ(武蔵小山)」とか表現する。
ナカメやムサコのように地名ではなく駅名の場合もある。戸越銀座などは
地名ではなく駅名だが、「どこに住んでんの?」「戸越銀座」とかいう具合の
会話になる。

こうしたことは東京人でなくば、そのことが普通で通常であるという素肌感覚が
全くもって分かり得ない。
同様に神奈川県民は自分の在住地を「神奈川」だとか「横浜」だとかでは
表現しない。「戸塚」とか「保土ヶ谷」とか「三ツ沢」とか「元町」とか「本牧」とか、
ピンポイントで表現するのである。
これは埼玉県においても全く同じだ。
ただし、地方にいて「どこの生まれ?」と訊かれて「ナカメ」と答えても、それは
まったく通じない(^^;


それでも「住めば都」とはいうものの、ティーンの時に過ごした場所が一番
「フルサト」感がある感じはある。
広島県東部の三原市に東京都新宿区から移住して20年になるが、今でも「よその
土地に長期滞在
中」の感が払拭できない。仕事などで東京に戻ると(尤も最低月一
で行くが)、
何の違和感もない。スッと今でも以前住んでいた場所に足を向けて
間違えて帰宅しそうな
錯覚に陥る。
ただ、基本的には遊牧民なので(笑)。住むのはどこでもいいという訳ではないが、
こだわりはない。路上でも寝られる
ように、私は住むのはどこでもいい。
それでも、
今まで住した場所で一番快適だったのが東京都新宿区西早稲田の
地下鉄東西線
早稲田駅下りてすぐの界隈だった。あそこは住んでいる地元の
人たちが本当に
心が温かい「良人」が多かった。心根が澄んでいる人たちが多い
土地柄で、周囲は
大学と高校と公園と住宅と寺院だけなのだが、環境は抜群に
いいと思う。

旧街道ぞいが町屋で、その一つ裏通りからは全域が旗本屋敷、大名屋敷だった
土地で、江戸期から住んでいる人はほぼいないが、空襲で焼けたりはしなかった
地域だ。道割りは江戸時代のままの場所が新宿区の西早稲田・柳町・神楽坂界隈
だ。
試衛館道場もすぐそばにあった場所である。その界隈は本当に人の心根の
良い町だった。


これが私の生まれ故郷。サンマが名産である。サンマはここに限る(笑)。




西郷山公園から見る東京山の手西部の夜景は、結構私は気に入っている。
湾岸やタワー付近や新宿副都心部のように豪勢ではないこの線香花火的な
ところが(笑)。


漫画『パイナップル・アーミー』(工藤かずや/浦沢直樹)1986

2017年09月27日 | 文学・歴史・文化・科学



汚名を挽回してどうする?原作者(≧∇≦)

汚名は返上。挽回するは名誉。
こういうのは、作者の責任というよりも、校閲の責任、
編集者の責任だと思う。

しかし、この回の話、「1979年の栄光」は、全編を
通して私は一番好きだ。
ただ、くそリアル過ぎて、とても切なくなってくる。


旧前川邸 ~古高俊太郎取り調べの蔵~

2017年09月24日 | 文学・歴史・文化・科学



旧前川邸の現所有者の方が御厚意で友人に特別に蔵を見学させてくれた
とのことだ。

現試衛館の師範の方が案内してくれたらしい。
また、私がウェブ上で写真を掲載することを蔵の所有者はご許可くださった。
撮影者は刀工小林康宏の主治医である。
とても貴重な写真だと思う。
現所有者ならびに関係者の方々に深く御礼申し上げます。






穀物などの保管蔵だったが、ここで新選組は古高俊太郎の詮議取り調べを
行なった。

(これ以降は私見です)

特に新選組副長の土方歳三の拷問による取り調べは熾烈を極め、どんなに
責めても口を割らない筋金入りの倒幕志士(いわば当時の革命戦士)である
古高に対し、逆さ吊りにしたうえ、足に五寸釘を打ち抜いてそこに大きな蝋燭
を立てて火を点けて蝋を垂らした。
さすがの鉄の意志を持つ革命派である古高も、長州藩による計画を自白した。
その内容は、御所襲撃・天皇誘拐・全洛中焼き打ち焦土化計画であった。
赤軍派でもそんなことは計画しない。だが、長州藩倒幕志士は本気でそれを
やろうとしていたのである。それは大逆事件ではないのだろうか。
結局、平成の現政府も、明治政府のなれの果てである。
明治政府というのは、幕末に京都襲撃を計画していた過激派テロリストが
権力を握って設えた国家体制であり、武力倒幕派とは、江戸城を無血開城
した徳川幕府を武力で征圧する血の処刑を望み、東北越後の諸藩を勝手に
朝敵の汚名を着せて軍事的に征圧した見紛うことなきテロリストたちだった。
天皇さえも自軍西軍の軍益のために軍事利用した大逆勢力が明治新政府
である。少なくとも私はそう判断している。私の先祖はきっかりと「官」軍で
あるが、私個人は先祖がどこに属したからどうだなどとは判断しない。
そういうのは、「日本人だったら日本の過去にやったことをすべて肯定せよ」
というようなネトウヨ的なことになってしまう。私の判断の所有権は私にある。
私は幕末戊辰戦争において西軍に正義は無しだと考えている。守護職で
あった会津松平氏などは悲惨の極みで、いきなり朝敵の汚名を着せて
賊軍であるので討伐対象などとする西軍の「武士らしからぬ」発想と行動は
絶対に私自身は支持できない。
私が私自身の観点で歴史情勢を読むに、幕府側、会津、奥羽越列藩同盟に
非は一切存在しない。

土方歳三


古高(ふるたか)俊太郎


古高俊太郎の自白により明らかになった京都洛中での巨大テロのために
洛中に集合していた過激派テロリスト志士たちを幕末京都警察特殊部隊
である新選組は襲撃して捕縛征圧するために出動した。
彼らテロリストの計画は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に
火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜・松平容保
らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)」というものだった。
古高奪還のためのテロリストたちの会合場所は、片っ端から捜索した結果、
三条木屋町の旅籠池田屋か四国屋(木屋町通三条上る上大阪町)であると
目星をつけて、新選組は近藤隊と土方隊の二手に分かれて取締りに出動
した。
そして、四国屋ではなく池田屋に集結していた長州藩士や土佐藩士を公務
により取締り活動に出たのである。それが池田屋事件である。

歴史は勝者によって書き換えられる。
だが、古高俊太郎の自白から池田屋襲撃までの流れにおいては、幕府側の
取り調べ資料しか残っていなかった。
これは、事の中身が中身だけに、首謀者は一切記録を残さなかったからと
みるのが自然だろう。
ただし、記録がテロリスト側に無いことを理由に、近年、倒幕派の計画は
幕府の捏造でっちあげであり存在しなかったという説が出てきている。
さて、テロリストがテロリズム計画の書面や記録などを丁寧に資料になる
ように残したりするだろうか。
無い事を理由に何かを設える。
どこかで聞いたような話だが、倒幕派明治新政府派は、一番本当は残し
たくない所業の記録は綺麗に消し去ったことであろう。
だが、侍従中山氏は書き残していた。
「奇兵隊の天皇になってしまった」と。
世紀の大逆の真実が暴かれる日は、将来において果たして来るのか。

ちなみに、長州閥の闇ルート人脈は恐ろしいものがあり、現在もこの21世紀
になっても、公的部分で日本を実効支配しているのは長州閥である。
では裏の影の本当の支配者は誰なのか。
それは、皆さんでよくよく見抜いてください。
無論、今上陛下ではありません。


不思議な境界線 ~千葉県八街市・四街道市~

2017年09月22日 | 文学・歴史・文化・科学



昨夜の記事で千葉県八街(やちまた)について少し触れたが、八街と
いう市は、隣接市と不思議な境界割りをしている。
この上の赤線が八街市なのだが、このスケールの地図では何だか
境界線がごちゃごちゃしているように見えるでしょう?
これはなにかというと・・・。

こうなっている。


まるで川の支流のような形での区割りなのだが、グーグルマップの
ストリートビューで現地を確認すると、ただの土のある地面なのですが・・・
地図から読み取れる地形と衛星写真での俯瞰、それと地図に残存する
小河川の状態からして、ここは元々は大きな川があり、その川の帰属が
隣接市になったのではなかろうかと推測できる。



丁度その細い幅で区切られた隣りの四街道市の土地となる場所を
グーグルマップのストリートビューで見ると、現在は農地となっている
のだが、これはかつて存在した河川を埋め立てたのではなかろうか。


そして、現代の行政区割りでも地図に見られるような変則的な境界線
引いているということは、ここが元々河川であったとしたら、水利権に
おいて、かなりの紛争がかつての時代にあったのではなかろうか。
近世の江戸期とかに、隣村との水を巡るトラブル等々。
江戸期のそうした紛争例は全国各地地にある。
さらに旧国の国境紛争などは藩を上げての争いごとに発展したりもして
いる。
境界紛争は、現代社会においても、隣家との境界紛争をはじめ、市や
区さえも境界確定において紛争が存在している。

現在進行中の紛争当事者たちは抜き差しならない問題なのだろうが、
すでに争いが済んだ遠い昔の案件として、地図を見ると、人の歴史の
素顔や息遣いが見えることがあるので、そうしたところに着目するのは
とても面白い。地図一つからも人の織り成す物語に思いを巡らせる事が
できるのだ。
地図を見るのは、まさに切符のない旅に出かけることなのだ。


名古屋大学大学院生(日本史学専門 博士課程後期)が記したこの学術
検証は非常に興味深く読める

   ⇒ 
日本近世の境界紛争に関する史料調査と実地踏査


日本刀の刃文(はもん)

2017年09月13日 | 文学・歴史・文化・科学

刃文(はもん。古くは「はばみ」)について語る。


「刃物を研いだら刃文が消えちゃった」などと言う人がかなり多い。

そもそも包丁や和式刃物のカイサキと日本刀の刃文の違いも解かっていなければ、
日本刀の刃文が何たるかそのものを理解していない。
なぜ刀を研いだら焼刃である刃部と地部の境目=刃文が「消失」してしまうのか。
物理的にあり得ない。

ところが、日本刀を扱う居合をやっている連中でも、日本刀については素人以下で
あることが多いので、「刃文が消えた」とか平気で言ったりする。
刃文が何でありどこであるかについて無知であるからだ。
そして、研ぎ師がこすって白く描いた部分を「刃文」だとか思い込んだりしている人間
がとてつもなく多い。

この画像から「刃文」が見えるだろうか。
見える人は見える。刀がが見える人には、明瞭ではないにしろ、この画像からでも
刃文部を読み取ることはできることだろう。

だが、日本刀の刃文が何であるかを知らない人たちは、この画像からも、研ぎ
師が
こすって白くした部分を「刃文」であるなどと大きな勘違いをすることだろう。

刃文が見えるような角度に刀身を傾けてみる。
すると、本当の刃文(「嘘の刃文」などというものは存在しないが。あるとしたら、
自分で勝手に嘘を
創り上げている人たちが多いだけのことだ)が明瞭に浮かび
上がってくる。

この「黒っぽく見える刃部の輪郭=刃と地の境目の波状のライン」こそが刃文だ。


研ぎ師が刃部を白くこするのは、明治以降に開発された化粧研ぎの技法の
うちの一つで、地を黒く拭い(※)を入れて、それとコントラストをつけるため
に刃部を真白く砥石でこするのである。
薄っすらと刃部を白くするのは品があるが、現代はさらにどぎつく、地を真っ
黒にして刃部はべったりとペンキを塗ったような研ぎにしたもののみが研ぎ
のコンクールで上位入選するような時代になってしまった。拭いの本差し込み
研ぎなどでは、まず絶対に上位入選しないなどという「頭がおかしいんじゃない
の?」という頓珍漢でトンチキな状況が現日本刀界の「中央勢力」によって
推進されている。
私などのような伝統技法を重視する者たちは、そうした研ぎは「花魁研ぎ」と
言って、「品無き仕儀」として扱ってきたのが従来の日本刀界の伝統だった。
その伝統は悪しき伝統ではないと私は思う。

そもそもが花魁研ぎが流行り出したのは、戦後の昭和飽食時代に戦後第一次
日本刀ブームが到来してからだ。
埼玉県の大宮刀剣会主宰で刀剣しのぎ桶川店の店長新藤氏は、花魁研ぎに
ついて面白い説を唱えている。
その説の骨子は「地を黒く、刃を白く描き出す研ぎが発生したのは、写真に
よって刀身を書籍等に掲載することが一般化した時に、写真で刃部が判る
ようにするために白く描き出し始めたのが事始めではなかろうか」というものだ。
けだしその説は説得力がある。

しかし、デジタルカメラが誕生し、あるいはスキャナが発達した現代にあっては、
研ぎ師が描く白い帯などは刀剣の素顔を隠す厚化粧以外の何ものでもなく、
日本刀観賞の際には邪魔な存在でしかない。
第一、研ぎ師が描いた白い部分を日本刀の刃だと思っている現代人がどれほど
多い事か。
白く描くことで、本当に刃部が消滅している刀身を誤魔化す技法は旧来より
あった。
それは刀身中部の刃の描き出しだったり、帽子部分が存在しない(欠損等)刀
を帽子=鋩子型に鋒(きっさき)を造り出して刃部を描いて刀身のように加工
した「薩摩あげ」などがそれらにあたる。
日本刀を保存するために繕いをする目的でそれらが行使されるのであるならば
問題はないのだが、誤魔化して人を騙して刀身を高値売却するためにそのよう
な加工が為されるのは、明白に悪意の現れである。
残念ながら、刀剣界では後者が圧倒的に多かった。

刀のすっぴん状態をまる見せさせる差し込み=拭い研ぎであるならば、地も刃も
黒いまま(刃部は一層光の反射で黒くなる)ではあるが、本当の日本刀の素顔が
見える。
しかし、対馬砥による本差し込み研ぎの技法は既に失伝したであろうし、金肌拭い
だけではどうにも本差し込みとは研ぎ上がりの様子が異なることは明白だ。
ゆえに、この先はどんどん日本刀の本当の姿が見えない研ぎ=厚化粧の花魁研ぎ
ばかりが跋扈することになるだろう。
刃部を白く描き出すにしても、うっすらと朝霧が立ち込めるように、品よく上品に
描いてくれれば非常に刀剣の品位も下げないし、刀身鑑賞上の目視の障害とも
ならないのだが、そのように研いでくれる研ぎ師は非常に稀有だ。
「入選」こそが何か技量・技法・伝統墨守のすべてであるかのようにとんでもない
勘違いをしている人たちが多いからか、今「流行」の研ぎをしようとする。
私には、あたら刀身を「駄目」にしてしまっている研ぎが現在主流になっていると
しか見えないのだが、大勢の人数で「柿は白い色だ」と叫べば柿が白であるかの
ような状態になっているのが現在の日本刀の研ぎの世界だと断定できる。
それって・・・違うから、本当の世界は。

そういう空気になっているから、日本刀のことが見えなくて、研ぎ師が描いた白い
部分を「刀の刃文」だなどと思い込む人たちが大量発生するんだよね。
刀剣界がそういう人たちを発生させ、醸造している。
日本刀について目を曇らせることを刀剣界自身が日本人本人たちにして、一体
何の利があるというのか。それはそれこそ反日教育を日本人自身がやっている
ことになるのではないか。
日本人ならば、日本刀についての正確な知識と知見を有してほしいと切に願う。
外国人から「刃文とはどこのことですか?」と尋ねられて「はて。知りませぬ」では
あまりに日本人としては・・・ちとオソマツ。
簡単なことだ。知らなければ知ればいいだけのことだ。本当のことを。
本物を求める心があれば、何事も難なくクリアできる。いとも簡単に。


※拭い・・・日本刀研磨の一技法。古くは対馬砥の粉末を刀身の肌目に
摺りこむようにして差し込み、刀身に鑑賞上の潤いをもたせる目的の
技法だった。明治以降は、酸化鉄を微塵に砕いた物(磁鉄鉱)と油とを
混ぜて、さらに朱、青粉等を加えて極小粉粒にしてそれを脱脂綿に浸して
刀身をこすっていわゆるガンブルーのように刀身を軽く酸化させて染色
する技法、すなわち「金肌拭い(ぬぐい)」が本阿弥家によって考案された。
現在では金肌拭いが一般的技法になっており、添加成分によって、「古刀
然とした鉄色」、「新刀鉄色」、「各五箇伝用」等の薬品研ぎともいえる拭い
が普及している。

(市販されている日本刀研磨用拭いセット)


映画『エイリアン:コヴェナント』予告編

2017年09月11日 | 映画・ドラマ・コミック

映画『エイリアン:コヴェナント』予告D 2017/04/26 に公開
"映画『エイリアン:コヴェナント』公式アカウント。

巨匠リドリー・スコットが解き明かす“エイリアン誕生”の想像を絶する真実!
【2017年9月15日(金)全国ロードショー】

これは観に行くかな。

アンドロイドはこうして作られる!『エイリアン:コヴェナント』特別映像
2017/08/01 に公開
巨匠リドリー・スコット監督がメガホンを取った『エイリアン』シリーズの
原点となるSFホラー。
植民地を求めて宇宙船コヴェナント号で旅立ったクルーたちが、ある
惑星で遭遇した出来事を描写する。
アンドロイドを『スティーブ・ジョブズ』などのマイケル・ファスベンダーが
演じ、ヒロインを『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』などの
キャサリン・ウォーターストンが熱演。スコット監督が構築した世界観
と衝撃の展開に絶句する。
配給:20世紀フォックス映画(C) 2017 Twentieth Century Fox
Film Corporation. All Rights Reserved

公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/alien/
作品情報:https://www.cinematoday.jp/movie/T002...


『ワイルド7』本間ユキ最高!!

2017年09月07日 | 文学・歴史・文化・科学

本間ユキ最高!!








ただ、個人的には絶対にイコちゃんだった(笑)。
実は飛葉もユキではなくイコちゃんに気があったのことが作品の中
からは読み取れる。
飛葉のユキに対しての思いは「同志」としての戦士同士の労りだ。
だが、ユキは飛葉に男として惚れていた。
但し、絶対に一線を超えない。
数年前の出版社企画物で、別な漫画家が「ワイルド7トリビュート」と
して、ワイルド7を自分の描写で描いて週刊漫画雑誌に連載する企画
があった。
その中で、飛葉とユキの肉体関係を描いた大馬鹿うつけの漫画家が
いた。
ワイルド7に対するインスパイアも何もないからまったく物語を理解して
いないのだ。
案の定、その漫画家は飛葉が使うリボルバーが右にスイングアウトする
というバガヤロぶりを発揮していた。
そういう絵にOKを出す編集者も編集者だし、センセイセンセイとタコの
糞が頭にのぼっている漫画家も漫画家だ。銃に関しての無知、ワイルド7
の世界観の無視=望月三起也に対する冒涜。
まあ、なんというか、「これはひどい」というものであった。

ワイルド7についてはとてつもないコアなファンが多くいる。
私などはてんでおよびでないような濃いマニアックなファンだ。
だが、「ワイルド7という作品を愛している」という点では変わらない。
しかし、原作者と作品への敬意なき内実からワイルド7をリメイクするなどと
いうのは、度し難く赦せない。
映画『ワイルド7』の出演オファーの時、司令官草波勝役の中井貴一は語った。
「普段漫画は一切読まない。ただ、『ワイルド7』だけは別だ。読み漁った。
出演オファーは役どころが何であろうが、ワイルド7だけは絶対に出ると即断
した」と。彼もまた、純粋に『ワイルド7』という作品を愛する一人だ。

映画の『ワイルド7』については、フカキョンがユキのイメージでなさすぎ(笑)
それと、イコちゃんとシノべえはどこだ?
ユキのイメージに合う女優というと・・・う~ん、なかなかいないぞ。
少し前の加藤夏希なんてのは結構イメージあったけどなぁ。

『BRⅡ 鎮魂歌』桜井サキ役の加藤夏希


ワイルドセブンとはいっても、こちらは七原秋也が率いる反国家テロリスト
組織であり、日本警察の暗殺部隊であるワイルド7とは異なる。






『バトルロワイヤルⅡ 鎮魂歌』は、明らかに反国家テロルを容認し
アフガンゲリラを支持する内容であり、「アメリカ合衆国(仮想)」が
悪の国のように描かれているのに、なぜ「文部科学省協賛」という
映画作品になっているのか、非常に不思議であり謎だ。
千葉真一の役なんて、あれ、明らかに日本赤軍だからね(苦笑

『ワイルド7』実写版で、「もしも」が作品撮影時にあったならば、シノ
べえ役は、小学校低学年の頃の本田望結で決まりだったな(笑


キャスティングというのは、かなり大切だよねぇ・・・。
飛葉大陸(だいろく)役は絶対に織田裕二のイメージだったが、少し歳が
行きすぎていたという難もあった。結局は瑛太が飛葉を演じた。
フカキョンのミスキャストぶりがひどかった(^^;


マニアックなところで面白いネタを一つ。
アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』はルパンファンの間でも賛否両論
両極端の話題作なのだが、DVDバージョンが実はかなり楽しめる。
それは、英語吹き替えのモードのトラックがあることだ。
これが非常に面白い。
そして、「これはアメリカ人によるモノマネか?」というほどに、日本人声優
が演じるキャラクタの特徴を見事にネイティヴ英語で再現描写しているのだ。
英語版製作スタッフの並々ならぬこだわりの職人魂と原作への敬意がみて
取れ、非常に好感が持てると同時に、とても楽しめる。
英語吹き替えモード付DVDをお持ちの方は、是非お楽しみください。

人生限りあるんだからよ~。
何でもかんでも楽しまなきゃ。
ぼやぼやしてると、あっという間に最期の時は来ちゃうぜ、まじで(^0^)

劇画『ワイルド7』は1969年連載開始だ。
当時主人公飛葉は「学校に行ってれば高校生と同じ年」との設定だった。
つまり当時私が9才であるので、16才~18才ということは私の7才~9才
年上ということになる。
今私が57才。飛葉ちゃんは最長で66才ということになっちゃうだよな(笑
『ワイルド7』では、その後飛葉の年齢がどんどん若くなるというか歳を取ら
ない設定となって、いつの間にか実世界のおいらのほうが飛葉よりも年上
という状況になってしまった(笑
ただ、妙に世代論的リアルさを最後の『ワイルド7』で望月先生は描いて
いて、草波にソックリな草波の息子が新ワイルド7の司令官になっている(笑
飛葉ちゃんは作品『飛葉』の時代が30代という設定だが、この頃が一番
渋い。
そして、最後の作品では、自ら「おっさん」と言うほどに老けてはいるが、
せいぜい40代という設定のようにも見える。

まあ、そんなこといったら、ゴルゴ13のデューク東郷なんて80才くらいに
なるのだけどね(笑
でもさ~、ゴルゴはさぁ~、自分でデューク=公爵とか自称するのって、
なんだかそれって、イタくね?(笑

 


映画『メカニック ワールドミッション』

2017年09月06日 | 映画・ドラマ・コミック


『メカニック ワールドミッション』(2016米・仏)

メカニック:ワールドミッション』(原題: Mechanic: Resurrection
は、2016年にアメリカ合衆国とフランスが共同製作したアクション
スリラー映画。監督をデニス・ガンゼルが、脚本をフィリップ・シェ
ルビーとトニー・モジャーが務めた。出演はジェイソン・ステイサム、
ジェシカ・アルバ、トミー・リー・ジョーンズ、ミシェール・ヨー。
2011年の映画『メカニック』の続編。(wikipediaより)

ジェシカ・アルバが大好きなので観ることにした。
最近の映画というのは、何ですね。CGがほぼ全域で多用されているけど、
アクションシーンは昔の007シリーズのような面白さがありますね。
この作品も、ジェイソンボーンシリーズやミッションインポッシブル
シリーズと並ぶ現代CGアクション映画に属するものだろうと思う。
単純にアクションシーンは面白い。
ただ・・・どうしても背景がブルーバックのスタジオで撮影したでしょ?
というのがアリアリと見えてしまうのが残念だ。
冒頭の崖の上のレストランでの乱闘シーンも、あれはスタジオだと思わ
れる。
さらに、カット割りが非常に短時間で細かく、これはよくある演出の
誤魔化しに役立つ撮影技法で、長尺でのワンカットによる役者に演技を
させてそれを撮るのではない最新映像の陳腐な技法だ。
よくB級C級映画や自主製作映画などの作に多いのだが、日本でもドラマ
などでは最近の撮影法はこれが主流となっている。
そして、日本のドラマなどの場合は「これ、原作が漫画でしょ?」という
のがすぐに判るようなカット割りになっており、拙劣な撮りが目立つ。

逆に漫画のほうはどうかというと、1970年に連載された望月三起也の
『夜明けのマッキー』などは、漫画も劇画もジャンルを超えて、あたかも
カット割りや動きの描写がまるで映画の映像そのもののような構成を
取っていた。
これは実は1970年当時、そのようなカット割りをする漫画家の漫画作品
は他には存在せず、いわゆる荒唐無稽な「マンガチック」な作品ばかり
だった中にあって、望月作品は異彩を放っていたのだった。それゆえ、
望月作品の50年近く前の作品を今読んでも、まったく「古さ」を感じない
のである。まるで映画を観ているような場面描写に引き込まれるのだが、
これはある種の驚異である。
すべては緻密に計算された作者のカット割り
によるものだ。

日本の漫画の空想活劇的場面におけるリアル描写は、明らかに1960年代
の望月三起也が開拓したといって間違いはない。

この『メカニック ワールドミッション』(2016)は『メカニック』
(2011)の続編であるが、主人公アーサー・ビショップ役のジェイソン・
ステイサムがなかなか良い。
私個人は、ジェイソンは『エクスペンダブルズ』(2010)でのリー・
クリスマス役が非常に良かった。一人のみヨーロピアンバイクのドカティ
に乗り、孤高の戦士らしさを演出していたが、傷心に落ち込むシーンも
あり、単なる暴れ者の傭兵ではない繊細で知的で頑強な元英国SAS隊員と
いうキャラをよく演じ切っていた。
ただ、同エクスペンダブルズの作品シリーズは完璧にシルベスタ・スタロー
ンの個人的趣味で製作しているお遊び作品群であるので、本当に中身のない、
何も人々に訴えかけない、何も心に残らない、「単なるお祭り花火映画」で
ある。そこでいくら冴えた演技をしようとも、アカデミー賞を作品が
受賞することも、出演俳優が賞を受賞することもまずないだろう。

『メカニック ワールドミッション』は、アクション映画として楽しむには
大いに楽しめる映画である。
つまり、『エクスペンダブルズ』的なノリで観る映画、暇つぶしにポップ
コーンを口に放り投げてコーラを飲みながら観る映画、ということがいえる。
愛と背徳と芸術のフランスが噛んだ映画なのに、これは一体ケスクッセ?(笑)。
だが、単に面白ければそれでよい、というのであれば、お薦めの映画といえる。
但し、肝心の複数の殺しを行使することの動機が非常に不自然で必然性が
希薄であるし、プロットも作り込みも幼稚すぎてくだらない。映画「作品」として
観ようとしたら、実につまらない映像である。
主人公のベレッタ92Fから35発も弾が出てからようやく弾切れになって銃を
捨てたりとか、もうね、マンガ。

ジェシカ・アルバはとても可愛いが、彼女の演技力や持ち味がまったく活かされて
いないという点では、とてつもなく駄作。


映画『遠すぎた橋』

2017年09月05日 | 映画・ドラマ・コミック



『遠すぎた橋』(1977/英米)

アメリカ人は正直だ。
負けた戦争、失敗した作戦を扱った映画作品は好きではない。
アメリカ人が限りなく好きな映画は、ランボーであり、セガール
のように絶対に負けない作品である。階段から乳母車が落ちる
ような映画は好きではない。必ず正義のヒーローの騎兵隊がやって
来て「敵」を殺しまくる映画が好きなのだ。インディアンや異国
の人間は「悪」なのである。それがアメリカンの思念だ。

さて、この映画は、興業映画としては決して成功を収めたとは
いえない長時間超大作だ。
私の中では、戦争映画としてはトップクラスに位置する名作で
あるのだが、なかなか世間の評価はそうとはならない。
しかし、克明に失敗を描いた映画として、つまり作品として面白い
のだから仕方ない。
一度ご覧になってみてほしいと思う。長いが決して冗長ではない。
戦闘シーンも飛行シーンも、CGのない時代によく工夫しているが、
実に見事な撮影技法を駆使している。
見応えあり!たっぷりすぎるほどに。

英語原音も良いが、日本語吹き替えの声優さんたちの演技力が
高いので、日本語吹き替えでの鑑賞もお薦めしたい。



1983年 懐かしいお笑い芸人 竹中直人

2017年09月05日 | 文学・歴史・文化・科学

懐かしいお笑い芸人 竹中直人 久本雅美

私が学生時代の竹中さん。
今では何てことないが、当時はこれが新機軸としてぶったまげの芸だった。

竹中さんが真面目に話すと、それさえもが演出なのではなかろうかと、思わず
笑ってしまう。

竹中直人がブルース・リーのものまね披露。テレビ界では一番最初!






ああーっ!!

ネタ元発見!
あちこちの流派から技を盗用してきて自分たちの伝承だとしている
自称古流
武術の大ぼら吹き仮装珍劇団の足あげタコ踊りは、一体どこから
来たのだろう
と思っていたが、ブルース・リーからパクったネタだったのかぁ~。
納得。
よぉやるわ・・・。

とか書くと「~は△△にあるのに無知だから書いたのだろう」とか珍劇団提灯
持ち茶坊主のみんみん蝉あたりがツイッターか2ちゃんねるに書く事必定だろ
うが、トラップの釣り鉤とも読み取れない時点で、兵法者としては終わってるん
だよね、このばかちんがぁ(武田鉄矢風

てなこと書いてみるテスト。




塗装技術(塗料の進化)

2017年09月04日 | 文学・歴史・文化・科学



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これはですね。ネットでの拾いものなのですが・・・凄過ぎる!
だってね、これプラスティックに塗装した物なんです。
どう見ても、実銃のガンブルー仕上げにしか見えない。

塗り師(ぬし)の職人さんの腕もあるでしょうが、とにかく、
現代の塗料が凄過ぎる。
これはパーカーシールの上からメタルパーカーという塗料を吹き
つけて仕上げたそうです。

はあ・・・。
びっくらした(^^;
ブルーイング職人のあたくしとしては、ただただ驚くばかりです。


プラスティックでこういうところまでできるということは、
1971年銃刀法規制の本体を白もしくは黄色に塗ることという
金属モデルガンに対しての規制の意味が本当に意味不明になって
来る。
だが、この手の取締法は、一度制定されたら、めったなことでは
規制が解除に向かう方向で改正されることはない。
たぶん、このまま100年でも200年でも、銃刀法内の金属モデル
ガンに対する規制措置は継続することだろう。


最近、玩具銃のガスハンドガンでスライドがアルミ金属の物で
黒いモデルが市場に出回っている。すべて海外製だ。
銃膣が閉塞されていない玩具銃で金属の「本体」を持つ物は
黄色または白色に本体を塗装し、銃膣を完全閉塞しないと
所持はできない。
銃刀法ではモデルガンとかエアソフトガンとかいう区別はして
いない。
なので、黒い金属スライドのガスガンは銃刀法規制からすると
限りなく黒に近いグレーなのだ。私個人は明白に銃刀法違反で
あると捉えている。

警察官の取り締まりの際に、被疑者が「オフホワイトです」と
言っても、まったく効果はない。
金属ボディのトイガンは違法性が限りなく強いので、所持しない
ほうが私はよいと考えているし、私自身は所持していない。

ただし、プラスティックでも、塗装効果でこのような雰囲気を
出すことができる。
<私の東京マルイ製M1911ガバメント>