渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ビクトリノックス スーベニア

2017年09月25日 | open


これは私のビクトリノックス スーベニアである。
仕事がハネてから、アウトドアマンの友人とファミレスで落ち会う。
「まじで?」
友人いたく喜ぶ。
いろいろ貰ってたし、まあ、友情の証は刃物で、っつーことで、おいらの
スーベニアを進呈した。まじもんで喜んでいた。スーベニアは登山者や
キャンパーの定番だ。
極めてシンプルであるのだが、ここ一番の働きをする。スーベニアのおかげ
で命を拾った登山者や冒険家は多くいる。
このモデルは、肌身離さず身につけているタイプのナイフだ。私が年間
60日以上釣行していた頃は、スーベニアを紐に通して首から吊るして
いた。多くの登山者もそうしている。
寝るときにも身から離さない。
緊急時に装備を切ったり、シェラフを中から切り裂いて脱出したりする。

「『俺もスーベニア持ってるよ』と言ってザックから取り出すキャンパーって
どうよ?」と友人が笑いながら言う。
「ダメっしょ、それ」と私が言うと、「だよな〜(笑」と返ってきた。
スーベニアのスーベニアらしい使い方は、やはり、多くの登山家が
スタンダードとしているような、常に身につける使用法だと思う。

このスーベニアは、ストック分の未使用品だが、喜んで貰って良かった。
スーベニアということで、とても嬉しかったようだ。
スーベニアとは、思い出になる記念品という意味。まさにこの個体は、
晴れて本当にスーベニアと成ったようである。めでたし、めでたし。









ブローニング・ナイフ ~チーター~

2017年09月15日 | open



歳の離れた剣友、ジョーイ近藤から1990年代初期にもらったこのブローニング・
チーターのナイフは今でもとても大切にしている。
このナイフをくれた時、ジョーイは「研ぎの練習に使い倒しちゃってよ」と「ほいよ」
みたいな感じでくれた。
あと、モデルガンくれただよな(笑
コルト・ポケット・オートのかわいいやつを。

彼も好きだね~(≧▽≦)
刀・銃・バイク・絵、すべておいらと好きなもんが被ってた。


俺と横膨らみ時代の町井先生とジョーイ近藤。ワインバー六本木グリンゴにて。


グリンゴはホントにいい店です。
お近くにいらしたときには寄ってみてちょ。



おいらのやっつ年上だけど、まったく年齢を感じさせないジョーイ近藤。
昔から元気がよくハキハキとしてカラリとした好青年だった。
若い時の森田健作さんのイタリアンハーフ版、みたいな(^^)






六本木 ワイン・バー グリンゴ(食べログのレビュー)

 〒106-0032 東京都港区六本木7丁目18-14
地図

 

 

モデルガン 1971年規制

2017年09月15日 | open



私のデリンジャーである。
娘が中学生の時に私に言った。
「これ、何で金色に塗ってある
の?カッコ悪いなぁ。黒いほう
がいいのに」

日本の銃刀法のトイガン規制の
改訂(1971年、1977年、2006年)
ついて、その立法趣旨と社会
背景と歴史について説明した。
中学生だった娘は驚いていた。

実銃だけでなく、玩具銃に対し
ても世界一厳しい規制を敷いて
いるのが
日本で、米国人などか
らするとクレイジーでアンビリー
バボーな法律で
あるようだ。
そうだろうね。米国人からする
と日本の銃刀法は「自転車に乗
っていは
いけない」というよう
なものに映ることだろう。


日本のトイガン史の中で特筆す
べきは、1971年10月の銃刀法改
訂だった。

あえて「改正」とは私は言わな
い。改悪なので改訂だ。

この改訂により、金属製モデル
ガンはすべて「銃腔を完全閉塞
し、白色
または黄色に本体を塗
る」ことが義務付けられた。

これにより、金属製の黒いモデ
ルガン(ハンドガン=拳銃限定)
は所持自体が
禁止された。麻薬
と同じような扱いとなったので
ある。

日本の玩具銃産業の製品は世界
にも輸出しており、米国映画で
もステージ
ガンとして多く使わ
れ始めていたのであるが、輸出
品のみは黒い金属のままでOK

(当たり前だ)ということだっ
たので、かろうじてモデルガン
メーカーは生き残れ
たが、国内
需要はガクンと減り、大打撃を
受けた。

それでも、銃身が塞がって、金色
(シルバーは不可だが金メッキは
OKとされ
たという妙ないきさつが
ある)にメッキされたモデルガン
でも我慢してファンを
続けた人た
ちもいた。私もその一人である。

1971年10月の小学校5年生の時の
あの銃刀法規制は、非常にショッ
クだった。

その前年、1970年大阪万博には
世界初のモデルガンメーカーの
MGCの
パビリオンブースもあり、
ワクワクしながら大阪の万博会
場で見て堪能した。

無論すべて黒い金属モデルガン
だった。

当時のMGCのブルーイング技術
は素晴らしいもので、実銃を超
えるブルー
仕上げなのではとさ
えいわれたものだった。

すべてが71年規制で排除された。

モデルガンを所持していた人た
ちはどうしたか。

それは所持するモデルの銃身を
鉛で完全閉塞し、本体を白か黄
か金に塗ったのである。

まるで寝ているわが子の首を絞
めて一人一人殺していくような
思いだったことだろう。

少なくとも私はそうだった。

そして、小学生の頃に大事にし
ていた1960年代のモデルガンは
私は今でも

合法品に直して大切に持っている。
ただし、合法加工する時には涙が
とめどもなくあふれた。でも、切
断廃棄処分・当局提出廃棄
処分か
ら救うためには、法に従って合法
加工するしかなかった。

本当に涙を流しながら加工した記
憶がある。


このチーフスペシャルも、

このブローニングM1910も。

最大に涙を流したのは、コルト・
シングル・アクション・アーミー
=SAAの
銃身を閉塞して本体を染
めた時だった。


涙が滝のように出たが、泣き
ながら小学生だった私はすべ
てやった。

1960年代当時から所持してい
たモデルガンを継続所有する
ためには、このように合法品
に直すしかなかったのである。

違法品は所持してはならない
ということは、トイガンファ
ンの義務で
あるという意識が
強かったし、それ以前に法律
は遵守するものという
意識が
私にはあった。


それから約30数年後。
時代はすでにプラスティック
ボディのモデルガンが主流と
なって久しく
なっていた。
さらに1980年代からはプラス
ティック樹脂に金属粉をまぶ
して比重を
上げた「ヘビーウエ
イト」というモデルガンのた
めの新素材が登場し、
外見上
もまるで金属のような質感を
再現できるようになった。

究極の「ナンチャッテ」だと
いえる。


これらの弾丸はモデルガン用の
ダミーカートリッヂだが、コル
トSAAも
まるで金属のような質
感を醸し出している。

完璧にプラスティック製である
のに、これだけの質感が素であ
れば、
外見上の満足度は十分で
あるといえる。



本当によい時代になったものだ。


ただし、そうなると、1971年規
制は一体なんだったのかという
ことに
なる。
実弾を発砲できるように違法改
造することと見た目の色は関係
ない
からだ。
見た目が実銃に酷似しているか
らと1971年と同じように玩具銃
を規制
しようとすることは、現
在は情況的にまず無理だ。

そもそもが無理がある矛盾だら
けの法規制をしたのが1971年規
制だった。

この法案には共産党までも諸手
をあげて賛成し、全会一致で可
決された。

そのことに物凄い恐ろしさを感
じた。

多数決の原理を遂行する「民主
主義」というものは、ファシズ
ムの芽を
育成するのだと、小5
の時に私は気づいたのである。

あのあたりからだな。社会学と
か歴史や法律に興味を持ったの
は。

私にとっては、学識的興味の発
生原初はモデルガンがきっかけ
だった。


古流武術伝書(正真)を見る

2017年09月11日 | open



ある本物の古流武術の正真伝書で
ある。
実物を実見してまじまじと現認、
観賞。友人がひょんな事から入手
した。
剣技としての内容の検証以前に、
これらをすべて身に着けていた者
を相手に斬り結んで果たして勝て
るだろうか・・・。

本来、武と武の対峙とは、そうい
う境地でどう己を客観的に俯瞰で
きるかが生死を分けたものだった
ことだろう。


小太刀切込が四拾ヶ條!
83箇条のうちの半数近くを占め
る斬り方の範。一体何だ、これは。

非常にこの流派が実用主義だった
だろうことが窺い知れる。


う~ん・・・勝てる気がしない(笑)。

やはり、俺はこれからはこれぜよ。
懐手で握ってるやつね。
カタチくっきり(笑)。



実際のところ、幕府警察が坂本
龍馬の潜伏先の伏見寺田屋を急
襲した際にも、坂本は当時銃で
武装して常に携帯していた最新
式のS&Wのカートリッヂ式リボ
ルバーを発射して、幕吏一名を
射殺してその場を脱し難を逃れ
ている。
拳銃をつきつける坂本に、幕府
の襲撃捕縛部隊は手も足も出な
かったというのが真相だろう。


だが・・・。
結局は、坂本は何者かによる
小太刀刀術によって脳天を斬ら
れて絶命した。

やはり、「これからはこれぜよ」
ではなかったがぜよ。

結局、原始的な武器である刀が
最強か。





土佐の坂本殺害時の武器は何で
あるかについて、剣戟の際の坂
本の刀の瑕疵状態を取り上げて、
大きな切れ込みがあるから、小
太刀による斬り込みではないだ
ろう、などという意見もネット
では見られる。
だがそれは、まったく刀のこと
を知らない、物を斬った事さえ
ない者の空想による断定発言に
相違ない。小太刀の一刀がどれ
程の威力を持つのかについて、
果てしない無知を曝しているだ
けのことだ。

小太刀一刀の一閃での脳天かち
割りどころか、斬撃による朴鞘
えぐり、刀身削りなどはわけも
ない。

小太刀刀術は極めて「実用的」
なのである。




私の小太刀。重ねは非常に厚い。
この刀、物凄く切れる。家伝。
大刀も残るが砲術の家だからか
頼りとする脇差は特にごつい物を
あえて選んでいたようだ。砲は井
上外記流、機動隊のランチャーの
ような巨大口径砲で鉄砲というよ
りまさに砲、剣は小野派である。
この長寸脇差=小太刀は小学生で
も畳表一枚巻きがスッパスパに
切れた(研ぎ前に試し済み)。


ただし、いくら切れる刀でも、
剣技がなってない人間が切り
つけると、濡れ畳表巻きだろう
が刀は簡単に曲がる。曲がるの
は曲がるような叩き付けをやっ
ているからだ。刀術者はその
ような馬鹿げた力任せの殴り
つけなどはやらない。
武器には武器なりの用法がある。

チントンシャンの踊りのお稽古
手習いではないのであるから、
武具の扱いとしての「刀の術」
を武士は学ぶ。
現行太極拳は、それはそれで素晴
らしいものだと私は思うが、現行
太極拳を観て、「素晴らしい武術
だ」とは私は思わない。
現在の武道は現行太極拳に似て
いる。

特に試合道ばかりやるのは実利
から乖離する。

幕藩体制時代、現実場面で決め
手になるのは表だった大刀では
なく、奥のほうの刀=脇差・小
太刀である、ということは結構
いろいろな場面で実際にあった
に違いない。
私は父からの伝で「脇差こそ選
べ」というものがあった。

私の差料である大永年間(1521-1528)
の脇差と天正八年(1580)の古刀。

映画『たそがれ清兵衛』の主人公
井口清兵衛さんの武技には疑問が
ある。
これは真田広之さんは日大の頃か
ら殺陣についてはよく研究されて
はいた研究熱心な方ではあったが、
本物の本式剣法については疎かっ
たからかも知れない。
現行の〜道でも、横抜き付けで、
このように抜刀する人も多いが、
古伝本式古流を知らないからで
はなかろうかと思われる。
武技成立要件として、この曲がり
手首にする意味が武術的には不存
在だからだ。
この抜き方だと、指二本でこの
ような隙を作る者の体を崩すこと
ができてしまう。いや、本当に。
いわゆる「隙だらけ」の抜刀方法
になってしまうので、土佐古流
抜刀術などではこのような抜刀
方式は、刀法としては理に適わ
ぬ誤った態様であるゆえ伝授して
いない。

(たそがれ清兵衛)


刀術としての鞘手返しはこのように
手の内の中で鞘を返すのである。
(画像加工)

鞘を決して「握る」ことはせず、
つまむように扱う。手首は曲げ
ない。

そして、出来る限り鯉口は隠す。
これは抜刀も納刀も。
理由は、抜刀の刃道にガタツキの
スペースを一切捨象するためだ。
すると、鞘はカタパルトとなり、
鞘なりに刀身は素直に抜ける。
抜刀納刀で手を切ることなどは
無い。一切無い。
抜刀の時に手を切りそうな気が
するが、納刀と抜刀は同じである。
納刀の際に鯉口を完全に塞ぐのに、
なぜ抜刀の時に鯉口ダダ広げに
するのか。それは刀法の真の理
について、理解が浅いからである。
鯉口は塞ぐ。
そして刃道は鞘なりに鞘内のどこ
にも刀身がぶつからずに抜刀する。
その技法による抜き付けが、「抜
き即斬」の要諦なのである。

これは剣法のうち抜刀術部門が特
化して重要視伝承されてきた土佐
の英信流古流古伝の刀術の一技法
としての見解からの解釈として。


横抜き付けの際も、手首を曲げて
抜きつけている武術的理論として

非常におかしいことをやっている
人が多いのだが、それは端的に申
し上げて武技にはなっていない。
指二本で本当に簡単に体をガクン
と床に倒すことができてしまう。
これは道場などで指導する時に
私が実際にやって見せている。
体が崩れるのは武術とはいえない。
武道でもさえもない。「武」の
本旨が伴わないからだ。

だが、この下図ように手首が真っ
直ぐになっている抜刀法であると、
指二本どころか腕を掴んで下に
下げようとしてもビクとも動じ
ない。

こういうのは、剣技剣法という
よりも、体術の範疇に入る明白
な理論であるのだが、抜刀術=
体術であるということを忘失し
た現代試合道などでは、このよう
な本当に大切な武技の根幹につい
て伝承することが多くの場面で
失伝されてきている。

そして小太刀だ。
本物の武技武術としての小太刀
の刀術を現代に伝える流派はほぼ
壊滅状態という現代の現状がある。
長い刀=大刀を使用した剣術ばか
りが注目されてもてはやされるが、
武士が就寝時と入浴時以外、常に
身に帯びた刀剣は小刀(しょうと
う)である。
かつての武士は、その度外れた
重要度について、深く知悉して
いたことだろう。
武士とはいかなる種族であったの
かという認知、そのことそのもの
が現代では消滅した。
制度の消滅よりも、そちらの消滅
のほうが消失損害度合は大きい。
だが、そういう「消滅」は、明治
政府が意図的に狙って完成させた
仕組みである。


よろしかったら、こちらもどうぞ。
私の考察 ⇒ 龍馬を斬った男 ~その技は丸橋か?~