昨日、映画『オイディプスの刃』を観た。
人間の愛憎めぐる精神世界が一口の日本刀を介して展開する。
私はこれはと思う映画は何度でも観る。小説も何度でも読む。
映画『ハスラー』などはビデオが擦り切れるくらい観たし、DVDでも数限りなく観た。
台詞のほとんどを覚えてしまったほどだ。多分、25年間で100回は軽く観ていると
思う。(年間4回以上は確実に観ているので100回では収まらない)
だが、私が私的には地球上の全映画作品の中で一番と感じている黒澤明
『七人の侍』はそれほど観ていない。30回も観ていないのではなかろうか。
『オイディプスの刃』は赤江瀑の原作である。
文学とはこれのことだろう。
映画『オイディプスの刃』レビュー(2007年1月28日)
小説『オイディプスの刃』レビュー(2007年7月3日)
映画『オイディプスの刃』に関して、刀の研ぎについての雑感(2011年12月21日)
映画『オイディプスの刃』において、オープニング間際に刀掛けに抜き身で
飾られている刀身は明らかに関物の近代軍刀刀身であり、「名刀」では
ないのだが、「この作品にふさわしくない」などという野暮な突っ込みをする
ことは避けたい。
また、大迫家の三男の少年が瀬戸内の海に面した大邸宅の庭で刀を抜いて
いるシーンも、見る者が見たらてんで術になっていないということも解るが、
そうしたところを突っ込む類の映画でもない。
作中では実際に南北朝時代の古刀に見えるような作を何口か撮影に使って
いた。障子を叩っ斬るシーンやラストのシーンにもその古名刀を使ったのでは
なかろうかというような刀身の形状だった。
日本刀を観る場合、まず最初に「姿」を見る。姿によって時代が凡そ特定でき、
その後鉄味を観て街道筋を絞り込み、流派一門を絞り込み、細かい作柄から
刀工個人を特定していくのである。
この映画は、最初に出てきた関物以外は、それとなく南北朝時代の刀らしき
ように撮影されており、芸が細かい。
三島由紀夫亡き後の三島系文学に触れたい方は、ぜひ映画『オイディプスの刃』を
ご覧になり、赤江の原作もお読みになることをおすすめする。