心理学者や精神医学に携わる人
たちは、現今のネット脳の人たち
の症例にある種の同一性の現出が
みられることを見逃してはいない
かも知れない。
私が見る限りでは、明らかに同種
同型の偏執の現象が見られる。
それの代表的なものに、ネット
サイコパスの粘着者たちは、
「~は全員がそう思っている筈」
とか「〇〇県民はみんなそう
思っている」とか、そのように
人々全体の気持ちを自分が掌握
しているかのような誤認を「誤認」
としてではなく本気でそれが事実
であると妄信している事が挙げら
れる。
つまり、事実を厳密に冷静に
客観的に精査しての統計的な
データを基準とはせずに、すべて
自分の脳内で発生した私念を
全部「真実である」とする思考
の働きだ。
精神病である。
大抵は、一見健常者のような
礼儀正しそうな言葉遣いもする
が、その発言の節々にその質性
のボロが出ていることも特徴的
だ。なので、即それと感知できる。
そして、コメント欄やネット書き
込み欄で執拗にその場の管理者に
粘着して己の脳内妄想に基づいて
人を揶揄して言い返し続ける。
これは相手をすると延々に続ける。
境界例患者に対する医師の対処
方法などが正しい対応の仕方だ。
その言動パターンは、その例を示す
者たちは全員同じ同型のパターン
の言動として現出している。
そして、自分がサイコパスであり、
精神疾患であるのを自覚する事は
一生無い。
その者たちに必要なのはインター
ネットではなく、医者であり薬
であり医療機関による保護と治療
だ。
ただ、マインドが悪魔に持って
行かれた人間というのは、たとえ
医療の治療継続により医学的な面
での心身の回復兆候があったと
しても、まず元通りにはならない
し、そもそもその元が歪み切って
質性がまともではなかったら、
「元に戻る」事そのものが危険な
事になる。
現代人の多くが抱えるストレスに
よる人間の心身症とは根本的に
大きく異なるのだ。
ネット世界は、その人たちにとって
は安住の地なのか、極めて非常に
そうした異常性を示す人間たちが
多く「表」に現代は登場している。
承認欲求のみは異様に強いので
非常に厄介なのだが、今はかなり
よい薬も出ているそうなので、
治療に専念したほうが、本人と
社会の為だと思う。
友人が紹介してくれたフランスの老舗
VERDIER(ベルディエ)のこのナイフ、
とてもお洒落だなあ。
このナイフのブランド名L'ALPAGE
(ラ・ルパージュ)のalpage(男性名刺)
とは、辞書で調べたら、山岳高地
(特にアルプス)の夏季の牧場の事
のようです。
ベルディエ社はフランスの田舎町
ティエールにあります。リヨンの
西方の田舎町。
ラギオールと並んで日本の岐阜県
関市のような刃物の町で有名です。
ベルディエは今は二人の兄弟で工房
を経営しているそうです。
ティエールへはボルドーからだと
クレモンフェラン空港までランス
-セスナF406キャラバンIIの小型
プロペラ機で飛び、そこから車で
20分程。
ティエールへはボルドーからだと
クレモンフェラン空港までランス
-セスナF406キャラバンIIの小型
プロペラ機で飛び、そこから車で
20分程。
セスナ406F
ヨーロッパ有数の刃物の町、
ティエール。小さな町だ。
ティエール。小さな町だ。
刃物工房。
川のほとりに工房があります。
ティエールはオーヴェルニュ=
ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=
ド=ドーム県にある人口13,000
人ほどの町です。
フランスという国は、刃物と食事を
文化として楽しんで来た歴史を持っ
ています。
フランスのナイフはそれゆえにお洒
落ながら実用的で形は優美です。
そんなフランスなのですが、中世に
イタリアからテーブルカトラリーが
入って来るまでは、フランス人は全
員手掴みで物を食べていました。イ
ンドみたいな感じで。貴族でさえ
それでした。
トイレもフランスは未発達で、建物
の外のそこら中で大も小もすませて
いた。街中だろうと、どこだろう
と。
と。
ふんわりした貴族のフレアスカート
は用足し隠しのために登場したのだ
し、ハイヒールは足が排泄物まみれ
にならないような高下駄方式にした
靴です。
日本も平安時代にはトイレが無く、
宮殿の周りの庭はとんでもない悪臭
がしていたと記録にあります。
ただ、日本は、大陸から箸が入って
来たので、食器としての用具は歴史
的にかなり早くから使用していた。
最初はトングのような用具です。
神話で川の上流から箸が流れて来た
から上流に人がいるとミコトが察し
たなどというのは大嘘。箸が日本に
伝来して以降の創作ねつ造であると
分かります。
日本も、邪馬台国時代や古墳時代に
は手掴みで食事でしたし、大陸文化
が日本に渡来する以前は、裸足で
ただ褌のような麻布を身体に巻き付
けただけの真っ黒に日焼けした民族
が倭人でした。これは中国の記録に
図入りで残っている。
まるで南方のポリネシアンのような
風貌が当時の日本人でした。
そして、倭人は全身に刺青をしてい
た。卑弥呼の時代にはそれです。
これは多分、南方系の文化を引き継
いでいたのでは。ヤマト連合政権が
成立の頃に倭人の刺青文化は消滅し
ています。
日本には世界史の中で特筆的な歴史
があります。
それは、世界一古い土器は日本列島
の縄文人が作った、という事。
つまり、世界最古の製造食器は日本
人の祖先たちが発明して生産した、
という事です。
換言すれば、世界最古の食器は日本
で生まれたという事。土器は実用具
としてだけでなく、祈祷用にも使わ
れていたようです。
日本の鉄の歴史も意外と古く、
縄文時代末期には鉄が使用され初め
ていました。
縄文時代末期には鉄が使用され初め
ていました。
日本では青銅器文化があまり発達せ
ず、総体としては石器からいきなり
鉄器文化に以降したかのような
様相を呈していました。
様相を呈していました。
いきなり鉄。
これは何か「天地をひっくり返す
程」の何かが日本列島に起きたと
いう事だったのでしょう。
太陽信仰と共に鉄器が日本に登場
して、そしてやがて列島内各地で
鉄の製造が開始された。
ただ、砂鉄から鉄を作る新規の製鉄
方法が日本で確立したのは、鉄器の
使用から500年ほど経った頃から
です。砂鉄から作る白い鉄=鋼の
以前は赤土から作る赤い鉄の時代
でした。この褐色赤鉄鋼の製鉄の
文化は、私は「赤い神社」がその
系譜を引く存在であり、また、
「白い神社」は、ヤマトを中心と
した砂鉄製鉄の新潮流の文化の系譜
にあると読んでいます。
(この赤と白の神社の歴史的対立と
融和統合の歴史の視点からの古代
製鉄の解析アプローチをして
製鉄の解析アプローチをして
いる人は、日本では見かけま
せん。そもそも砂鉄製鉄以外は
存在を認めないのが皇国史観の
学者たちの定番となっており、
ヤマトの砂鉄製鉄以前には日本
には倭人の製鉄は存在しない、
せん。そもそも砂鉄製鉄以外は
存在を認めないのが皇国史観の
学者たちの定番となっており、
ヤマトの砂鉄製鉄以前には日本
には倭人の製鉄は存在しない、
としています。科学的におかしく
とも「まず初めに答えありき」と
するのが皇国史観です)
日本が世界史的に世界有数の刃物の
技術大国となったのは、8世紀以降
です。当時、すでに鉄製品による
彫刻や木造建築は世界最先端の技術
を有していました。
すべて、「鉄を手に入れた」から
可能だった事です。
そして、古代の終焉となる平安時代
末期10世紀には、もう、すでに世界
に類例を見ない世界最先端で高度な
技術で刃物自体を日本人は生産して
いました。
西欧各国はそれぞれ刃物の歴史は
ありまますが、その実用性において
は日本の刃物が突出していました。
ただ、フランスの良いところは、ワイ
ンの製法技術が世界一になったため、
そのワインと共に刃物が発展して来た
歴史を持っている。これは優美だ。
日本の場合は、内戦での殺し合いと
共に刃物が発達して来た事実がある
ので、かなりそこがフランスとは異な
ります。
かつて日本が箸を使う高度な文明文化
だった同時代にフランスは手掴みで
食事していた国だったのに。
しかし、テーブルカトラリーはイタリ
ア発祥です。
やはり、全ての道はローマに続くのか。
ただし、手前味噌とか自国美化とか
ではなく、世界各地の料理で一番繊
細で手間をかけているのは和食です。
洋食とは料理の成立の根本が異なる。
これも、日本に世界的に突出した刃物
があったが故です。
食材の切り方一つにしても日本人は
異様な程の繊細さを以ってそれを実
行して来て和食の作り方を発達させ
た。
和食の技法と味のミクロ単位の差異
の目的意識的選択から見ると、とて
も美味しい世界各地の料理でさえ、
かなり大雑把に感じ取れます。
日本でも、食材を切る文化が無かっ
た鍋でごった煮だけの古代の時代
には、西欧と同じ感覚感性だった
事でしょう。
には、西欧と同じ感覚感性だった
事でしょう。
しかし、日本人は刃物により変身し
た。
日本は刃物と食文化の国なのです。
このおフランスのナイフ。
かなり何か惹きつけるものがあると
感じます。やはり食絡みかな。
マスコミって、ほんとに印象操作
ばかりするね。嘘を言って。
被告人の事を被告と呼んだり、
エアソフトガンの事をモデルガン
と言ったり、ナイフはなんでも
サバイバルナイフとする。
公正妥当を欠くとかではなく、
別な呼称をあたかもそれであるか
のように呼んで悪印象のレッテル
貼りをしようとする。
この小室さんの髪型は総髪であって、
丁髷ではない。
まだ「ポニーテール」と呼んでいた
報道者のほうがまともだ。
問題なのは、マスコミのその体質ね。
客観的に事実を報道するのではなく、
作為を以って特定人物や集団を狙い
撃ちにしてあたかも悪人であるかの
ように大衆に印象づけようとする
その犯罪的所業。
マスコミのそれは極めてゲスい。
ジャーナリズムでもなんでもない。
本間利彦を語る その2
本音と事実を語る元全日本ロード
レース国際A級チャンピオン本間
利彦氏。
ヤマハの開発ライダーだった。
私が知る限りのライダーで、歴史
の中で本間利彦氏が日本人では
一番速い。
かつ、一番車の何たるかを知って
いる。
根っこからあくどい奴はいるよね。
特に企業には。
公的スポーツ団体にもいるよ。
学校にもいるし、社会にはあち
こちにいる。人の心を持たない
餓鬼外道って、どこにでもいる。
そして、正論を言う事は人の世
では「正義」ではないのよね。
そんなの嘘っぱちだけどさ。
正義は正義だのに、正義とはされ
ないのが世の中。すべて「利得」
でしか勘定しない奴らが支配して
いる。
でも、そのように嘘こそ嘘でなく
正義であるとして利を得る奴ら
すごく多い。
さらに、事実無根の事をさも
あったかのように言い立てたり
書きたてたりする外野のド外道
たち。
脳内妄想で勝手に仕立て上げてさ。
いるいる、ごちゃまんといる。
人間が腐れ切ってるので、まあ、
ろくな死に方しないだろうなぁ。
よくやるよね、そういう事。
こうしてる今ジャストでそういう
事している連中が、また陰でいろ
いろやってるのだろうけどさ(笑)。
腐敗臭すごいよ。
5ちゃん、2ちゃん、SNS・・・
ド腐れ外道大集合だもの。
本当は、人間全体のほんのごく
一部なんだけどね。数は。
心清らかな人たちも大勢いるのだ
けど、ド外道たちは数は少ないの
にやることがえげつないから目立
ってしまうし、やってることは
明白に犯罪であるのでシャレに
ならない。
親子大橋というのだそうだ。
三重県渡会(わたらい)郡南伊勢町。
奥志麻の秘境と呼ばれているらし
い。綺麗な所ですねえ。
慥柄は「たしから」と読むらしい。
『シェーン』(1953)
映画史上の不朽の名作『シェーン』
の中で、主人公の流れ者シェーン
を演じたのはアラン・ラッド(1913-
1964)だ。
実はアラン・ラッドがガンアクション
が超下手で、トリガーを引いたまま
でハンマーを煽るファニングができ
ない。
さらに、シングルアクションのリボ
ルバーを片手撃ちで上手く扱えない。
映画『シェーン』での銃の発射シーン
は、ダブルアクション改造拳銃が使わ
れた。
連射シーンでは、なんとそのダブル
アクション拳銃を使い、引き鉄を引
きっぱなしで縛ってから見せかけの
ファニングをして誤魔化した。
人差し指がトリガーガードの外に
出てしまっているというあり得ない
大根ぶり。
それでも映画は歴史的名作となった。
(余談)
開拓民一家の母は流れ者のシェーン
に恋をする。
そのジーン・アーサーはアラン・ラ
ッドの13才年上だ。
若い役とはいえ、60代の吉永小百合
に娘役をやらせるようなもので、や
はり視覚的には無理が見えた。
これは『ワイルド・レンジ 最後の
銃撃』のアネット・ベニングにも
みられた。ロバート・デュバルのセ
リフにある。「きっとかわいい赤ち
ゃんも生まれるだろう」と。
その時、アネット40代半ば。
ないってば、1880年代には。
多分20才ほど若い設定の役だったの
だろう。
『ヘイトフル8』(2015年)
タランティーノ監督 2時間47分
推理サスペンスの異色西部劇。
映像表現もそうだが、脚本がとても
よく出来ていて、面白い。
昔の西部劇小説にクリスティ作品を
合体させたような展開だ。
本作は65ミリフィルムで撮影され、
70ミリ映写機用に編集して上演され
たが、日本には70ミリ用シネス
コープ劇場は存在しない。
コープ劇場は存在しない。
なので全米公開翌年の2016年の日本
での劇場公開では原形を35ミリ用に
編集する事でしか公開できなかった。
リアルワイドではなく、上下黒カット
のあれ。残念。
銃器は1896年以降のピースメーカー
を使用しているので、厳密な時代考証
としてはおかしな時代設定になって
いる。あのピースメーカーが出て来る
頃は、南北戦争で黒人がどうとか、
南軍のおたずね者がとかの時代では
ない。
ただ、セリフの中に「ワイルドビル
ヒコック?」というセリフが出て来
るので、1880年頃という設定も成り
立つが、賞金稼ぎが人殺しをしてどう
のというのは、いくらワイオミング
であっても本当はあまり無い話。
まあ、タランティーノ独特の架空世界
での物語、エンターテイメントとして
観るべき作品だろう。
なんたって、タランティーノは、作品
の中でヒトラーを映画館で銃殺しちゃ
う映画を作るくらいだから。
邦画の『ジャンゴ』には喜んで出演
して西部の荒くれガンマンの夫を演
じていた。南部訛りでしゃべるんだ
とかかまして。途中でどんどんアド
リブだらけになって監督が困ったら
しい。
タランティーノの映画に外れ無し。
水野さんや荻原さん、淀川さんが
生きていたら大絶賛だったのでは
なかろうか。
ただ、射撃角度と着弾位置が大幅
にずれているのはいただけない。
至近距離での発砲着弾シーンは
映画製作者はとても注意を要する。
これはレオーネ監督の『荒野の
用心棒』にも見られた。
主人公の名無し(クリント・イース
トウッド)が酒場にやって来て、
無法者を見ないで横射ちするシーン
では、とんでもない方向を撃って
いるのに、おたずね者は被弾して
ぶっ飛んで死んでいる。
そういうのは、日本の時代劇で
天に向かって切ったら動体真っ
二つ、みたいなもんであり得ない。
映像視覚表現としては芳しくない。
ただ、タランティーノ作品はあく
までエンターテイメントだから
許容できる。
この出血(笑)。
現実には着弾でこんなのは存在
しない(笑)。
ただ、射撃角度と着弾位置が大幅
にずれているのはいただけない。
至近距離での発砲着弾シーンは
映画製作者はとても注意を要する。
これはレオーネ監督の『荒野の
用心棒』にも見られた。
主人公の名無し(クリント・イース
トウッド)が酒場にやって来て、
無法者を見ないで横射ちするシーン
では、とんでもない方向を撃って
いるのに、おたずね者は被弾して
ぶっ飛んで死んでいる。
そういうのは、日本の時代劇で
天に向かって切ったら動体真っ
二つ、みたいなもんであり得ない。
映像視覚表現としては芳しくない。
ただ、タランティーノ作品はあく
までエンターテイメントだから
許容できる。
この出血(笑)。
現実には着弾でこんなのは存在
しない(笑)。
これ、1発目と2発目の狙う場所を
役者が順序間違えたのではと思う。
ただ、オールド・ウエスタン・
ムービーファンをニヤリとさせる
映像もタランティーノは収めて
いる。
ここはまるで『シェーン』(1953)
での物語の舞台のようだ。
『シェーン』。
1880年代が時代設定だ。
流れ者のガンマンだったシェーンと
開拓民一家の触れ合いを描いていた。
『シェーン』のストーリーが日活
無国籍映画の全作品に模倣された。
現在のシェーンロケ地。
国立公園であるので、70年前と
変わらない。
ただ、本作でシェーンのワイオ
ミングのような景色を映した
ロケ地はワイオミングではなく、
コロラドだ。
雰囲気がワイオミングにそっくり。
タランティーノの憎い演出だ。
コロラドのウィルソンメサから
ワイオミングのグランドティトン
までは920kmも離れている。
ただし、600マイルブレンドよりは
距離はかなり短い。
ムービーファンをニヤリとさせる
映像もタランティーノは収めて
いる。
ここはまるで『シェーン』(1953)
での物語の舞台のようだ。
『シェーン』。
1880年代が時代設定だ。
流れ者のガンマンだったシェーンと
開拓民一家の触れ合いを描いていた。
『シェーン』のストーリーが日活
無国籍映画の全作品に模倣された。
現在のシェーンロケ地。
国立公園であるので、70年前と
変わらない。
ただ、本作でシェーンのワイオ
ミングのような景色を映した
ロケ地はワイオミングではなく、
コロラドだ。
雰囲気がワイオミングにそっくり。
タランティーノの憎い演出だ。
コロラドのウィルソンメサから
ワイオミングのグランドティトン
までは920kmも離れている。
ただし、600マイルブレンドよりは
距離はかなり短い。
オールド・ピースメーカーのような
風合いのナイフ。
最初からエイジング仕様だ。
やはりコルト・ピースメーカーのよ
うに小さくて使いやすい。
デザインはタクティカルだが、何か
古いアメリカン・テイストを感じさ
せる。
写真ではずんぐりしているように
見えるが、実際にはそうでもない。
叩き割り用のハンドルエンドの突起
あり。宮本武蔵考案の日本刀の戦闘
柄頭のようなもので、実際に用途は
同じ。ハンドルエンドで叩き割る。
無骨。これもまたピースメーカーの
ようだ。
二人でマックバーガーを食べてコー
二人でマックバーガーを食べてコー
ラを飲むくらいの極めて低価格な
のだが、サイズやブレード形状が
手頃で実に使い勝手がよい。
フルタング。グレートスター社製。
汎用キャンプナイフとしてもかなり
おすすめだ。実力は高い。
私も実際に過去にキャンプ現場で人
が使っているのを借りてみて、これ
の良さを体験して実感した。良い。
使い古した実銃のような味だ。
一つだけ欠点がある。
それは、フィンガーガードの形状と
位置に今ひとつの点があるため、
非常に研ぎにくいのだ。
周辺形状から、物理的に砥石の当て
方は、刃の根元近辺は「キリ」しか
できなくなる。
そのため、タッチアップ的刃付けは
できるが、繊細な意図的な研ぎは
根元部分には施せない。できない事
はないが、キリ研ぎのみでこなす必
要がある。刃先を丸めずにキリのみ
でエッヂを立てたり任意の研ぎをす
るのは高度な研ぎ技術者しかできな
い。
リカッソとフィンガーガードが一体
なのだが、エッヂ根元の始点Rの切
れ込みよりも出ていて、しかもRに
近いために、砥石に斜めにブレード
を当てるとハンドガード部を研ぐ事
になってしまう。
フォールディングナイフのキック程
の出っ張りがあればフィンガーの滑
り止めには充分だ。
また、このブレードは人差し指かけ
のえぐれが深いのでなおさら事故は
起きにくい。これ程長いガードは不
必要だ。
スキニングや細かい作業をする時に
はこのようなホールドにする。
絶対に握り締めたりはしない。
指先5本にすべて仕事をさせる。
そして、対象の「切り」と「斬り」
と「削ぎ」については、充分にブレ
ードに仕事をさせる。
刃物を扱うのに力任せは絶対にダメ
だ。
これは日本刀での斬切においても全
くそう。力任せに刀剣を振って
いる下手(げて)ほど無様で非実用
的なものはない。
いる下手(げて)ほど無様で非実用
的なものはない。
刃物はすべて「術」で切る。
キュッとテンションかける点と力を
緩める部分の混在を手の中で作り出
して初めて刃物は切断や切開力を発
揮する。
今月末まで秋の交通安全週間ですね。
街でCB見つけました。
場所を考えて駐停車しろよなあ。
出入り口にデーンと停めてから。
近頃の若いもんはなっちょらん(笑
あ〜可愛い!
いや、相本久美子さんもだけど、
なんたって、ピースメーカーが。
これ、ウエスタンアームズのプラ
ピーメですね。
よくボディやバレルが割れたやつ(笑
その後、WA社は大開発をして、
世界一粘りのあるABS樹脂を
樹脂メーカーとのセッションで
作り上げましたとさ。
WA社がトイガンに使用するABS
樹脂は、現行他社の品質を大きく
突き放しています。
これ、ほんと。
MGCとのコラボ蜜月の時代が、
製品の品質向上に寄与してたんだよ
なあ。両者(の代表)が訴訟で揉める
前の日本の(世界の)トイガンの樹脂
化の揺籃期には。
世界で初めて先鞭をつけたのはMGC
だった。ハイウェイパトロールマン
という実銃にありそうな架空銃がそ
う。同時期のSIGがオートの初プラ
化だった。
とにかく割れやすかった。
MGCだけでなく、CMCも国際六研
も。
しかし、その後、WAが材質の品質
において大躍進した。
金型技術の全般的な向上がそれを
後押しした。
この相本久美子さんが腰に下げて
いるSAAは、そんな日本のプラ
リボルバーの黎明期を過ぎた揺籃期
に入った頃の製品だ。
ちょうど、ようやく念願のMGCの
コルト・ウッズマンが発売にこぎつ
けた頃だった。
最初は紙火薬仕様だったが、すぐに
世界初のキャップ火薬を先行発売し
ていたので、それの5ミリ版を開発
して、キャップ1個でブローバック
させるデトネーターと薬室の内圧
形状開発が完成した。
MGCウッズマンの作動性の確実さ
は既存の紙火薬でのブローバック
のジャムを激減させた革命的な物
だった。ノージャム。
何度マガジンを替えて撃ち続けて
も作動不良を起こさない。
まるで実銃のようだった。
そんな頃の写真である。
この平凡パンチの号の発売のすぐ後
に私は高校を卒業した。
これはあくまで戯言なのだが。
1970年代の暴走ちゃんは、やたら
バイクの運転が巧かった。
巧くないと集団暴走などできないの
で、上手に乗れるような事をしたの
だろうが、それは何だったのだろう
と思う。
彼らの運転は、まるでバスケットの
選手のプレーのようにキュッキュと
クイックリーにマシンを操作して動
かしていた。オフェンスやディフェ
ンスのバスケ選手のように。
はたと思った。
昔の暴走ちゃんたちがマシンコント
ロールが巧かったのは、日常的に道
でステップが擦る程のスラロームを
繰り返すから、自然と体幹の軸線と
マシンのバランスを取る事を身につ
けていたのではなかろうか、と。
高速度域での車線変換や旋回中のラ
イン変更なども彼らはサッ、パッ、
スーッとこなす。
ママチャリ自転車での左右のステップ
こすりは、クイックリーなオートバイ
での動きとは違って、ゆったりと大き
な円弧を描かないとこすれない。
それは私も散々と中学の時にやってみ
た。両者は異なるファクターがある。
自動二輪の場合は、同じ二輪車でも
原理は一緒でも自転車とは異なる挙
動が存在する。これはマスの集中や
サスの存在等々いろいろな要因があ
るので、それはそうだろう。原理は
同じでも、派生してくる現象は、それ
ぞれ別枠特化現象として現出する。
レーシングライダーがやるタイヤの
側面までも馴染ませて温める急激な
スラロームのような事を70年代暴走
ちゃんたちはやっていたが、それを
常にやるというのは、ジオメトリー
を勘案すると、往復するブランコの
上でバランスを取るようなものなの
で、もしかすると暴走ちゃんたちは
それによって日常的に訓練がなされ、
誰もがあれ程マシンコントロールが
巧みだったのではなかろうかと思う。
実際に、僕は真面目君です系の人た
ちのバイク運転の動きは健康太極拳
みたいであり、バスケの選手のよう
なキュッキュとした機敏さは無い。
そして、事実、小事故から大事故ま
で起こすのは「僕は真面目君です」
系の同級生ばかりだった。
暴走ちゃんたちは、危なそうな走行
をしながら一向に事故らないし、転
ばない。私でさえ、高校時代には一
度たりとも転ばなかった。(私がオン
ロードで転び始めたのはガンマ1型と
いう前輪にかなりの問題を抱える車
に乗ってから。オフロードは別。
中学の時は転びまくった)
バスケットボールのプレーでの身体
使いの動きのエッセンスとメソッド
は、かなり二輪車完全操縦のための
身体の使い方に通じる部分があると
私は思う。
(暴走行為を推奨している訳では
ないので誤解なきよう願います)