渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今年最後の夜

2017年12月31日 | 公開情報


ことし最後の夜である。

フィールドゲーマー仲間たちはバイクで九州に向かった。
長崎中華街で中華料理を堪能しているようだ。








うちは、窓を開けると〜、メリケン波止場ではなくお城と教会が見える(笑)
この青い十字架は日本基督教団の教会。
三原は寺も多いがキリスト教会もプロテスタント、カトリック含めて多い。



来年が皆様にとって良き年でありますよう、祈念いたします。



ガス抜き廃棄

2017年12月31日 | 公開情報




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今年最後の備後国三原の夕日

2017年12月31日 | 公開情報


1700。
今年最後の三原の夕日。
三原城と城の真上にあるJR三原駅。




1707。
今、日が沈んだ。

簡易ジャンパー

2017年12月31日 | 公開情報



スーツの上着ジャケットを脱いで、陸自簡易ジャンパーなる物を着て
外出するあたくし。


年末ツーリング 第2弾

2017年12月31日 | 公開情報



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年末ツーリング 第2弾

2017年12月31日 | バイク・車



年末ツーリング第2弾続報(3報目)。
ゲーマー仲間からホットラインで連絡あり。
「フェリーで熊本から長崎にむかってます(^-^)
中華料理を堪能してきます^^」
とのこと。
いいね~~!!実にいい!

気をつけてね。


康宏新作刀の金具を揃える ~的皪(てきれき)光る梅のこころ~

2017年12月31日 | 公開情報



高校の後輩が新作小林康宏刀の金具を揃えた。

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道場の大掃除

2017年12月31日 | 公開情報





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撞球リハビリ

2017年12月31日 | 公開情報



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年末ツーリング

2017年12月31日 | 公開情報



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黒田様の鉄

2017年12月31日 | 公開情報



黒田様の御殿の鉄釘である。
師匠の道場に桐箱入りで飾ってあるとのこと。
これはあるつてで私が頂いた物を所有者の認諾を得て師匠に進呈した。
師匠は黒田藩の家老の曾孫であるので、御家に所縁の品としてお納め
いただた。
師匠は大層喜んだ。
そして、道場に飾っているらしい。
鉄としても貴重だが、それよりも、自身の血に縁ある数百年前の鉄という
ところが何物にも替え難い。


こういう人の歴史の流れというのは、ないがしろにできないように私は
思う。
時代の刀一口にしても、それには実に多くの実在の人物たちが関与して
それを残し伝えたから現在私たちがその日本刀に接することができる。
その重み。
主として武士によってそれは伝承されたが、豪奢なことを好んだ町人
富裕層も日本刀の保存に一役買っていた。
日本の歴史の中で、日本刀は階層を超えて、単なる実用品という位置
だけに矮小化されず、日本人の心の拠り所として残し伝えられて来た。
竹斬りや石斬り宣伝のためになどは日本刀は存在していない。
世界稀有の存在である武士を中心とした私たちの先祖および和刀を
愛する多くの人々の血肉が日本刀そのものなのである。
このことは、日本人であるならば、自覚したほうがいいと私は思う。

嘘偽りなく、邪(よこしま)な念もなく。
刀は刀を作る段階から鍛冶職が「心に邪無し」の透徹した精神で作って
いる。
鍛冶だけではない。炭焼きのおじさんから、その炭を運ぶ人、鋼を作る
人、研ぎ上げる人、外装具を作る人・・・実に多くの人たちが一口(ふり)の
日本刀に携わる。
そしてようやく武士の腰間に二刀が納まり、また、旅行く町人の腰に刀剣が
差された。
人を大切に思わない人は日本刀には接するべきではないと私は考えて
いる。
日本の人の歴史に重きを見いだせない人は、日本刀は持つべきではない
と私は思っている。
まず、人ありきだ。

ただ、この人の世というものは、いろいろな人間がいるので、こうしたことが
一生かかっても理解できない人間もいるだろう。
始末悪いのは、そうした者どもが俺ツェエエーーの中2病のように、誰でも
現在の世では所持ができる日本刀を所持して、そして他者を排撃したり
いやがせ
をしたり、自己流派自慢で他人を侮辱したり罵倒したりしている
という現実がある事だ。

まさに「邪(よこしま)」の心根そのものを中心幹に据えた人間がそうした
行為を日夜繰り返している。

それは人なのか?
刀は人と共にあるべきであり、あるべくあるものであって、人に非ざる存在
が刀と接するのは、それは日本刀が単なる用具以下になってしまうことに
外ならない。
刀は刀であるのが本来の姿であり、邪で卑しき心根の存在が保持して他人
を威嚇したり恫喝したり嫌がらせを続けるために日本刀が存在しているの
ではない。猿が初めて持った棍棒に喜んで他の猿を威嚇するのと同等に
日本刀を置くことは人ならば断じてできない。
人は猿ではない。人は心に律を持っている。


心ある人には言わずもがなだが、心ある人はなおさらに心してほしい。
人の道は外さないようにと。
特に日本刀を持つ者は、一般的な日本刀に無縁の人たち以上に心して
刀と接しないと、と。

(よく物を知らないのか、己の主筋や師の主家にあたる大名のことを「~公」
などと記載して平気な顔している人を時々ネット上では見かけますが、日本
の伝統儀礼を知らぬ大変無礼なことです。江戸期の武家のしきたりに昏すぎ
ると、そういうことをやらかしながらも「伝統を墨守」などと埒もない恥知らずな
ことを言い
出しかねませんので、士たる各々方におかれましては、十分に
ご注意くださる
よう願い上げます。
士に非ずんば、別段「~公」と称しても差し支えないでしょうが、用法の立ち
位置の問題で、己の先祖の主家や師の主家に対し「~公」などということは、
江戸期にはあり得ないし、現在でも大変無礼なことです。また本来ならば、
諱(実名)で人を名指しにすることなどは江戸期にはあり得なかった。
「家康公が~」などという言質は武士は絶対に口にしなかったのです。
将軍は「公方様」、あるいは「三代将軍」等々。柳生にしても「柳生宗矩公が
云々」などという言質は武士は絶対に表しません。
柳生の又右衛門殿(通称。武士は通常ではこの通称を呼ぶ。武士の男子は
通称と諱≒実名を必ず持っており、実名は公式文書等や宣下の公式行事
の際等で用いる)を敬称として指す場合は「但馬守様」あるいは同格以上の
者が呼ぶならば「柳生殿」「但馬殿」等、もしくは役職でしか呼びません。
己の主家である柳生殿のことを「宗矩」などという実名を出して話題のネタ
にして呼称することなどは、地球が消滅しても往時の武士はやらない
尾張の殿様のことは「尾張様」「尾張殿」であり、「徳川宗春」などという
呼称は武士は天地がひっくり返ってもしません。
学術的な一般記述として「徳川宗春が」というような記述はごく当たり前
ですが、あたかも自分が敬意を示すが如き立場を装いつつ「宗春公が」
などとやってしまうと、日本人としてやってはならない常識外れの日本語
を使うことになります。自分の父親の事を「僕のお父様は」と人様に言う
以上に恥ずかしいことです。
日本と日本の武家文化をもっと知りましょう。
それと自分の母国であるのならば、母国語の勉強はきちんとするように
子どもたちにも躾けましょう)


年末ツーリング

2017年12月31日 | バイク・車



朝4時過ぎにゲーム仲間でレーシングライダーの友人から
メールあり。ツーリング中だってさ~。
日本3大カルストを制覇したとのこと。いいね!
この二人はエアソフトゲーマーだが、ゲームスキルめっちゃくちゃ
高い。かなり練達者で、いわゆる「できる」という人たち。

こういうツーリング連隊にもうすぐ広島のゲーム会の親方が加わり、
そして私が加わり、ハチコマのハーレー乗りも加わり、そして新たに
免許を取るだろうギリシア人狙撃手が加わることだろう(笑)。






やっぱこのケロリン桶だよね(笑)

田舎に行くとこういうのがある。


なんだかいいぞ。
おいらはツーリングでは西国はあまり知らないが、九州も
結構いいね♪



人間には二種類の人間がいる。
それは、バイクに乗る奴と乗らない奴だ。


(≧∀≦)

2017年12月30日 | 公開情報


「似てますよねー」とか言われたけど、そりゃタカちゃんは先祖だから(≧∀≦)
知らんけど。

just 30 years ago

 
 

番組の裏事情

2017年12月29日 | 公開情報



テレビ番組てのはあれですね。
例の番組では、自前康宏作はもったないから放送部分では使わなかったとのこと。
刀斬りの時の打ち込み刀は別な刀剣を使ったそうで。
しかも、康宏での肉塊切りは丁度今の世相の事情を勘案してか、カットしたのだ
そうです(≧∀≦)
カットをカット(≧∀≦)
しゃれかよ(笑)

まあ、そういうことで、編集段階でのいろんなことがあったみたいです。
刀斬りの刀は刃こぼれみたいのもあるし、まあ、康宏ではないなあと感じた
人からの関係者確認の裏情報ですけど(笑)。

実は昨夜は外出中で、私はまだその放送を見ていません(≧∀≦)
録画してるから、あとで見ることにするす。

ま、そういうのあるよね。
私なんてのも、フライフィッシングやってるとこ放送されそうになったから、
チーフDに頼んでカットしてもらったし(笑)。
あと、おいらの装備衣装を着たタレントさんが全編出てて、オープニング見た
家族が、「?これ、あんた?」と(≧∀≦)
ネットはやっていてサイトも持ってたけど、まだ全くネット上には顔出しして
いなかった頃の話ね(笑)
もう17年も前のお話。
その後は、頃合い見て、どんどんTVにも出ちゃったけどさー。
90年代中期は、おいらが斬った鉄板がTVで紹介されてたけど、まあ、それはもっと
上手(じょうて)の術者が斬った検体の横に私の切り下げた跡とサインが映って
いました、てだけなんだけどね。
まあ、いわば『釣り馬鹿日誌 5』に30代前半の俺がしっかり映ってる、みたいな
もんでして(笑)。
あれは、前職の時、職務で顧問会社訪問時にたまたま映ったのよ。
それは小林康宏の高輪の自宅地上げ調査の報告に青山のビルプロに行った時だった。
ビルプロのスクエアビルの横が刀剣伊波さんでね。
あたしは、かなりの馴染みでありました。
青学の向かいにあるとこね。
伊波さんは良い研ぎなので好きだった。
私の紹介で何人もが伊波さんに研ぎを出していた。
そのご一族が開いているのが虎ノ門の日本刀剣ね。この刀剣店は結構な老舗。
虎ノ御門から愛宕山日陰町にかけては、江戸期も刀剣商が軒を連ねる江戸の町並
だったみたい。

都内の都心部は歩くと楽しい。
東京大空襲で壊滅したけど、皇居の周りは江戸期のままの道割だから。
歩いていれば江戸を感じられます。
そもそもが、公方様のお城が宮城として残っているのだから。明治以降は皇居に
なったけど、皇居って、無茶苦茶広い。
それと、いわゆる江戸は今でいうおおよそ山手線の内側ね。品川は違うけど。
特に、生まれも育ちも葛飾柴又で帝釈天で産湯をつかったのは江戸っ子では
ないす。
あと、もんじゃの月島生まれもそうなるよなあ。
月島がある場所は、江戸期には海だから。
まあ、「三原は海だったのに三原刀は三原で作られたって、それはどこよ?」
みたいなもんでして(≧∀≦)
ちなみに、おいらが生まれたとこは秋刀魚の名産地だそうでして、はい。

ま、なんにでも裏事情てのはあるのね、というオハナシ。

警鐘記事再掲載 〜モノ切り道具ではない日本刀〜 (2016年6月29日)

2017年12月29日 | 公開情報

修心流居合術兵法ブログから
 → 近頃の試斬体験会及び試斬に思うこと

う~む。身につまされる思いがする。
というのも、私は小学生や中学生の頃、興味本位で
モノキリをやったりしていたからだ。切るのは植物であり
動物の生体を切ったことはないが。
剣道はともかく、居合などはまったくやっていなかった。
私の父の弟(叔父)などはもっとひどく、家伝の刀を
小学生の時にはオモチャ代わりにして樹木に切りつけて
遊んでいたという。
それらの刀は、私が社会人になってずっと後年にすべて
日本刀研磨師に研ぎをしてもらい完品にして保存モードに
移行した。
脇差などはひどい状態になっていて、それを見た刀工二代目
康宏師匠は「刀にこんなことしちゃ駄目だよ。ひどい」と
言って私に厳重注意した。
その脇差は私ではなく叔父が・・・とは思ったが、私も
似たようなことをしていたので物は言えない。

家伝の長脇差。平造のようにガリガリにしのぎもなめされて
いた状態だったが、私の代に完全に復活させてあげた。
重ねはことのほか厚い。


研ぎによりのっぺらぼうだった松葉も立ててもらった。
美術刀剣としての上研ぎは1年半待った。


モノキリ遊びをすることは武術でも伝統文化の継承でもない。
モグラ叩きゲームと一緒だ。
モグラ叩きは面白いが、あれは伝統武技の研鑽でもなんでもない。
興味本位のレジャーである。
興味本位のレジャーのために、あたら日本の文化遺産である日本刀
を損耗させることは
宜しいことではないことは疑いがない。

ちなみに、二代目小林康宏新作刀の注文審査においては、「よく
切れるらしいから欲しい」という方の注文は一切お断りしている。
斬鉄剣と異名を取ってはいるが、それは武術家たちが伝統武技の
研鑽の中で刀術の修行に寄り添う形で康宏作の刀が特性を示した
だけのことであり、最初からモノキリ用具として康宏作を求める
人たちに対しては、現在ではしょっぱなからお断りしている。

剣術居合術(居合には居合斬術も含む)の稽古で真剣日本刀を
用いる場合も、時代作を使用するよりも現代刀工の作を使用した
ほうが文化的遺産保護の観点からは望ましいと個人的には思うが、
現代刀でも作者が物故者になれば時代作と同じ位相にシフトして
しまう。要は時代物か現代物かに問題の本質があるのではない。
「どのように日本刀に接するか」だ。
ただ一つ決定的に異なるのは、現代刀は「本物の武士がいた時代
に本物の武士のために造られた刀」ではないということだ。
そして、本物の武士がいた時代にあっても、本物の武士は興味本位
のモノキリごっこのために刀を帯びたのではない。藩(という名称は
正式ではなかったが)を背負い、主命を帯びて刀と共に侍はあった。
武家もまた、自らの武門の律として、さぶらう侍士だけでなく自らも
刀を帯びた。
ここかなり大切。
現代では藩も藩主も将軍も消滅した。
では何を背負うのか。
それは「日本」である。刀を帯びるということは、日本を背負うと
いうことだ。
その日本を背負って(しょって)って立つ者が、モグラ叩きで刀を
トンカチ代わりに使うというのは、それによって「日本というのは
それか」と日本人や外国人から思われるとしたら、あまりにも不甲斐
ない。

一日も早く、ゲーム感覚で日本刀を弄ぶ歪んだ軽佻浮薄な日本刀
ブームが去ることを私は心から望む。
私もかつて子ども時分は誤っていた面があった。だが、気づいた。
コスプレやゲーム感覚ではなく、真に日本という自分たちの国の
大切な長い歴史の中の文化の一つとして日本刀が燦然と輝いて
きたのだということを、しっかと若い世代には受け止めてほしいと
願っている。